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【特集】第三セクター、整理・淘汰へ

出典:週刊金融財政事情 2003年7月14日号

主要7行の不良債権残高に匹敵する自治体の三セクへの不良債権。甘い需要予測、
過大な設備投資、債務の累積、それに官主導ゆえの経営責任の不明確さなどが指摘される。
整理・淘汰が迫られるが一筋縄では進みそうにない。
破滅の淵に立つ自治体財政改革の最優先課題に
市場論理で事業を再評価しリストラ断行を
自治体の第三セクターに対する債務保証、損失補填は20兆円を超えるといわれる。その背景には、特有のモラルハザードがある。破綻の多くは、都市開発、リゾート開発、交通関連に集中しているが、バブル時のブームに乗った過剰投資がいまだに払拭されていない。厳格な市場論理にのっとった将来収益の算定によるバランスシートの改革は必須である。最も重要な観点は、将来にリスクを極力残さないことである。要は、自治体のトップを含めて不退転でリストラを断行するという強い意志を確認することだ。

20兆円を超える保証・補填

地方分権の実現に向けた三位一体の改革に一定の方向性が提示されたものの、さまざまな意見が噴出し、国と自治体を含めた財政構造を改革することがいかにむずかしいかをあらためて認識できる。いずれにしても、地方分権を進め、自治体が裁量と責任をもった経営を行うためには、地方財政の抜本的な改革が必要であることは論をまたない。
地方財政は危機的な状況にある。財政的余裕を示す経常収支比率は80%を超えると危険水域といわれるが、平均値ベースで八五%に達している。国と合わせてGDPの一四〇%に達する長期債務残高は幾何級数的に増加し、自治体の生命線ともいえる地方交付税の特別会計は返済が困難と思われるほどの負債を抱えている。地方財政は破綻状況にあるといってよい。
公共、民間にかかわらず組織の財政改革を進めるためには、すべての負債を洗い出すことが必要だ。次から次へと新しい負債が顕在化するようでは改革の信頼感を確保することはできない。
その意味で、自治体財政の改革の第一歩として重要なのは外郭にある団体の負債を片付けることである。自治体であれば公社や第三セクター等の外郭団体、国でいえば一昨年度から議論が高まった特殊法人が対象ということができる。
自治体にとっては、負債の大きさからいっても、構造的な問題からみても第三セクターが最優先で改革すべき対象であることは間違いない。第三セクターに関する債務保証、損失補填は二〇兆円を超えるといわれる。特有のモラルハザードに根差した第三セクターへの投融資は市場論理から逸脱した財務構造を作り出したうえ、取引構造に不透明な部分がみられるものもある。公的事業の矛盾を解消できるか否かのカギを握るのが第三セクターのリストラといえるのである。
自治体が第三セクターをリストラしようとする動きは昨年度あたりから顕著になっている。
その理由は、いくつかあろう。1つは、相似的な関係にある国の特殊法人の改革の機運が高まってきたこと。2つ目は、自治体にとって第三セクターの負債を看過する余裕がなくなってきたこと。三つ目は、金融機関のリストラと負債処理が進み、市場価値に基づいた厳しいリストラが求められるようになったこと、等である。
第三セクターのリストラが進むこと自体は大変望ましいのだが、なかには一般の財務論理から逸脱したリストラや経営責任等が不明確なリストラがみられる。第三セクターに関する十分な理解がなくリストラが進むと、そこにある問題が見送られたり、今後の官民共同事業が不合理に制約を受けたり、といった弊害が生ずる可能性がある。以下では、第三セクターの実態を確認するとともに、望ましい改革の方向性について論ずることとする。 

過小資本で過剰投資

第三セクターといっても十把一からげにはとらえられない。第三セクターには、民法法人と商法法人があるが、問題となっている第三セクターは商法法人に多い。分野的にみると、破綻は都市開発、リゾート開発、交通関連に集中しており、教育・文化等に関するサービス系の事業を営む第三セクターの破綻は少ない。
こうした状況から、問題となっている第三セクターが破綻している原因として次の3つを指摘できる。
1つは、90年代の開発ブームに乗った事業が多くあるということだ。公的機関がかかわった第三セクターに批判が集まりがちだが、破綻の多い分野でバブル時に設立された民間事業も惨憺たる結果に終わったものが数多くある。
したがって、こうした分野で事業を行ったこと自体を第三セクター特有の問題として指摘することはできない。指摘されるべきは、ブームに乗った過剰投資がいまだに払拭されていないことである。バブルが夢物語であったのなら、解消すべき事業も多いはずだ。
2つ目は、バブル当時の公共性の拡大解釈だ。民間活力の導入を理念に施行された民活法であったが、いま振り返ってみれば、その内容は必要性の低い事業への公共関与を促進する制度であった。そうであるなら、第三セクターのリストラにあたっては、何をもって公共性とするかをいま一度判断し、解釈の引締めを行うことが必要である。
3つ目は、過剰投資が行われたことだ。破綻した第三セクターの財務をみると、キャッシュフローのほとんどが初期投資の回収に費やされる構造がみてとれる。本来、事業とは運営のためのキャッシュフロー上の余裕があって健全さを維持できるものだが、まるで、施設をつくること自体が目的化してしまったような事業構造がそこにはある。第三セクターのリストラにあたっては、バランスシート改革は必須なのである。
一方、こうした問題が起こった背景として、公共あるいは公的金融による事業のモラルハザードがある。第三セクターの財務上の一つの特徴として過小資本があげられる。
たとえば、宮崎県のシーガイアでは資本金三億円の企業が実に200億円もの投資を行った。
民間企業が実施する一般の事業では、投資家は投資額に対して10%単位でリスクをとる。第三セクターについては「公共がかかわっている事業だから大丈夫、あるいはしかたない」という幻想が働いたことは否定できまい。
公的金融の構造にも問題はある。本来、投資事業に対する投融資はリスクを伴って判断されるものである。しかるに第三セクターでは、投資家は過小資本で十分なリスクをとっていないばかりか、建築物の受注等で過剰な利益をあげていた可能性がある。ゼネコン等が投資事業でスポンサーとなることは珍しくないが、過小資本と競争環境のないなかでの高値受注により、投資資金は施設建設の利益で十分に回収できた可能性もある。
一方、融資側においても公的資金の出し手にどれほどのリスク感覚があったか考えてみるべきだ。
民間の金融機関であれば、誤った融資は自社の経営に大きな影響を及ぼす。少なくとも、制度のなかでオーソライズされた事業であることを理由に貸手としてのリスクをとることはむずかしい。第三セクターについては、投資側にしても融資側にしても投資事業への主体的なリスク感覚をもって行っていたとは思えない。 

不退転でリストラ断行を

第三セクターのリストラは、前述したさまざまな問題の解消を前提として進めなくてはならない。その第1段階は、事実を直視することである。たとえば、集客数に過剰な期待があるのなら、現実的なレベルに落としたうえで検討を始めなくてはならない。かりに、高めの需要を設定することを求める者があれば、それを要求する当事者が予想を下回った場合のリスクをとるべきである。
リスクもとらない者が事業計画に口出しする構造は払拭しなくてはいけない。
2つ目は、市場論理にのっとったリストラを行うことである。ここまで述べてきたように、第三セクターでは投資にしても融資にしても市場論理からかけ離れたところで行われてきた。リストラとは市場論理から逸脱してきたことによりたまったツケを払い正常な状態に戻すことである。たとえば、第三セクターのリストラでは事業資産をどのように評価するかが問題になる。事業関係者としては簿価に基づいた資産評価を行いたいところだが、事業である限り資産の価値はそれが将来どの程度の収益を生み出すかで測るしかない。
3つ目は、事業の落しどころと自治体の役割を明確にすることである。前述したように市場論理に基づいて第三セクターの評価を行うと、ディスカウント・キャッシュフローによって割り出した価値がゼロに近い、あるいはマイナスということもある。事業が社会的にみて必要なものならば、ゼロに近い価値として評価し、過去の失敗を清算することの意義はある。事業を継続するにあたっての将来のリスクを排除することになるからだ。
一方、事業の価値がマイナスになる場合は事業を継続するためには公的な負担を負わざるをえないことになる。厳格な市場論理にのっとって評価した場合、こうした結果に至る第三セクターはけっして少なくないはずだ。
ここで問われるのは、どこまで厳格なリストラの姿勢を維持できるかである。必要がないと判断されれば、たとえ収入のある事業でも清算を考えなくてはいけない。事業に対するニーズがゼロでない限り、事業を清算することにより不利益を被る人をゼロにすることはできない。また、事業関係者の責任を問うことにもなろう。
しかし、リストラで最も重要な観点は、将来にリスクを極力残さないことである。
「どうにかなるだろう」という気持ちでしがらみを振り切れないようでは、10年ほど前に安易な計画で第三セクターを開始したときの姿勢と変わりない。これは、リストラを開始するには、自治体のトップを含め、いかなる評価の結果が出ても不退転でリストラを断行する、という強い意志を確認することが必須であること意味している。

PFIでも問われる事業の必要性

最後に、第三セクターの反省をふまえて登場したPFIについて指摘しておく。PFIは民間金融機関が市場論理に基づいて投融資を行い、事業にかかわるさまざまなリスクを事業関係者の間で分担することを前提としている。当然そのなかには、将来収入に対する評価も含まれる。そうした立場で事業を評価するから、第三セクターの大きな問題点であった市場論理から逸脱した資金構造や収入計画が設定される可能性は大幅に減少するはずだ(ただし、将来のリスクを100%完全に予測できない以上破綻のリスクはゼロにはならない)。
むしろ、日本のPFIで問題なのは事業の必要性あるいは代替案の検討が十分に行われているか否かである。
日本では構造改革が明言される以前にPFIが導入されたこともあり、不要不急の事業がPFIを免罪符に進められた面がある。この場合、事業自体の破綻の可能性は少なくなっても、公共団体は長期にわたり必要性の低い事業に対して資金を払い続けなくてはいけないことになる。問題の本質が地域への不合理な負担ということであれば、事業が破綻しないからよい、というものではない。
公的な事業においては、なによりもまず当該事業の必要性やさまざまな代替案の検討が前提になるということをあらためて確認しておきたい。 

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