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イノベーション勉強会:第119回討議録

研究本_M&I勉強会(第119回)
「メディア論 in JRI、を斬る その2 」討議録
(記録:武藤。その後、参加者による修正・加筆)

1. 日時、場所、参加者

日時、場所 2006年11月20日(月) 8:30~10:30 日本総合研究所514会議室

参加者 原田常務、新保(TMT戦略C)河野(同)、倉沢(同)、浅川(同)、今井孝之( 同)、吉田賢哉(同)、武藤(同、研修生)
2. 発表の概要
「メディア論in JRI、を斬る その2」(TMT戦略クラスター 倉沢鉄也)
≪主な内容≫
題材にしやすい「古臭いビジネス ・マスメディア広告の崩壊」 メディア論 + 広告主としての経営合理化策、の文脈で

パラダイムシフトは楽しいが、構 造が分かりにくいので、批判が抽象的になる。

マネジメントコンサルティングと しては、些末な各論として一刀両断に論じたいテーマ。

ユーザー視点=自分の視点、という大誤解。
シンクタンカーまたはコンサルタ ント個人としての問題

的確なリサーチで、問題はほとん ど解決する。「広告」の場合、JRIにおけるリサーチの相手が限られるが、「放送と通信の融合」よりは 特定できるはず。
シンクタンク兼コンサルティング ファームとしての問題

賛否両論が分かれること自体はむ しろよい。「XX総研は○○派」というカラーがつかないほうがむしろよい。しかし、間違った事実認識 の情報発信は避けねばならない。
総合コンサルティングファームに とっての、広告という論点固有の問題

大手広告代理店自身が、マーケテ ィングコンサル機能を持ってしまっている。

「マーケティングコンサルティン グ」の場で、事業計画~広告計画の橋渡しをコンサルティングがしようとしたときに、実施フェーズに コンフリクトを起こし、クライアントからも代理店からもY社にダメ出しされるケースが散見される。
典型的な「広告崩壊議論」の落と し穴、いくつかの例

「ビジネスモデルとしては、番組 は広告を見てもらうための販促手段に過ぎない。」→説明不足。読む人が読めば現状認識不足を問われ る。

「放送ビジネスのメインターゲッ トは若い女性」→常識はずれ。現状認識の間違い。

「個人視聴率がわからないのでタ ーゲッティングが脆弱」→現状把握不足。

「CMが飛ばされる=CMの効果がなくなる」→調査や議論の未参照。現状認識不足。

「主体的視聴者層は消費意欲が高く、広告離れは深刻」→調査不足。現状認識間違い。

「ネット広告はテレビに注ぐ第2 の市場になる。」→データ未参照。現状認識不測。

ネット広告は双方向ゆえに新しい市場を開拓。→ネット広告市場の現況に対する課題認識の不十分。

「大手代理店が既得権を抱え込ん でいる。」→「既得権」という課題設定ミス。

「情報雑誌をネットに進出させる =広告ビジネスモデルの拡張。」→リクルート式営業に対する説明不足、ネット広告に対する誤解を生む。

「米国ではすでにその予兆。」→ 日米のマス広告の違いについての、現状認識不足。

端末が融合するとテレビ広告とネ ット広告は競合する。GyaOの広告は、放送通信融合時代の広告の象徴。→ダブルスクリーン視聴に対する現状認識不足。

インターネット広告はリーセンシー効果が高い。→説明不足。誤解を招く。
倉沢の考える、「古臭いビジネス ・マスメディア広告の崩壊」を論じる 「採点基準」仮案 (マス広告とネット広告の比較に絞って‥)

表形式にて、論点、賛否ポイント 、難易度をまとめる。
3. 議論の内容
こういった内容の議論を業界としてリサーチしているところ、あるいは出版しているところはあるのか。【原田】

書籍として出しているところはな いのではないか。ネット広告について解説しているサイトなどはある。【倉沢】

リサーチとしては考えなければいけない。【原田】
ファクトを抑えるという観点は重 要である。質問が2点ある。1点目として、電通が調査資料として毎年「日本の広告費」を発表している が、それ自体の正確性はどうなのか。その調査の中で特にネット広告は正確に把握できているのか。2点 目として、ネット広告費が増えている理由としては、既存の新聞広告をやめてネット広告にシフトして いる場合が多いのか、それとも既存の新聞広告は変えずにネット広告を追加する場合が多いのか。企業 側の立場からどうか。仮説としては、ネット広告の中でもマス広告は既存の媒体からシフトしている可 能性があり、ロングテールは既存の広告に追加されていると考えられるが、実際の構造が知りたい。【 河野】

1点目について。「日本の広告費 」におけるネット広告費の正確性は、「ネット広告」の定義に依存している。調査手法上、定義の仕方 により切り捨てられている部分があるのでアフィリエイトなどを足し合わせると2,800億円より大きな額 になる可能性はある。何を広告と呼ぶかによるが、サイバー・コミュニケーションズなどのメディアレ ップの売上情報も集めているので、ある程度正確なものであると考えられる。

2点目について。ネット広告の増 加分において、マス広告からシフトしているものはゼロではないだろうが、ネット広告と紙媒体の広告 では読まれる環境が大きく異なる点に留意すべき。広告主はメディアの特性を考え広告掲載メディアを 選ぶべきであり、ネットによりすべて代替できるものではない。実際にマス広告とネット広告では主要 広告主の業界構成が大きく異なる。ロングテールについては広告費ではなく、販売促進費や流通促進費 にあたるのであろう。そうした費用は主にマーケティング部、営業推進部といった部署で使われており 、広告というより営業に近い。ネット広告の増加によって、マス広告費が減るというより、販促費、営 業費が減っているのではないか。【以上、倉沢】
今までまったくマス広告を使っていなかった企業が、ネット広告を使うことがあるのでは。【今井】

規模的には、そんなに多くないだろう。また、現状のネット広告は、少なくともビジネス取引上、第三者が考えるほど双方向性は重視さ れていない。テレビ広告は一人ひとりに届くコスト(単価)は、一番安いメディア。ネット広告のOne- to-Oneは、どれだけ売上に結びついているか疑問だ。個人サイトに張られたアフィリエイトのバナーな どで統計からもれている部分も、足しあげればそんなに大きくない。推測で述べるが、2,800億円(05年 末現在)のうちの例えば10億程度のレベルではないか。【倉沢】

Webサイトにも広告効果があるが 、統計には反映されていないのでは。【河野】

Webサイトにもマスメディアとそ うでないもの(ページビュー数の違い)が混在している。ヤフーのトップはマスメディアだが、個人の ブログはマスメディアではない。閲覧頻度でバナーの価値は変わる。クリックするかは別問題。また広 告によらない、例えばプレスリリースやニュース報道の広報効果を広告換算することによる間接的な広 告効果というのは、こうした統計には昔から一貫して反映されていない。【倉沢】

ネットは金額としては小さいかも しれないが、広告効果が大きい。広告といえなくもないので、もっと規模が大きいものではないか。【 河野】

Web制作費はネット広告費には入 ってない。HPの外注は広告費ではない。媒体枠として売られているものだけネット広告としている。商 品を知る、買いたいと思わせるまでが広告費であり、クリックして自社サイトや販売サイトに飛んでか ら購買までのITシステム構築や商品流通に関わるコストは販売促進費、流通対策費として扱われ、少な くともネット広告費の中には入らない。【倉沢】
例えば、トヨタのHPについて。将 来的な観点から1)いきなりトヨタのサイトから始めて車を買うひとがいるかどうか、2)テレビをまっ たく見ない人が増えるのではないか、3)マス広告というマーケットで見たときに大きくなるのか小さく のか、内部構造の変化があるのか、この3点を伺いたい。【吉田】

1)「GaZoo」がそれにあたる。自 動車をいきなりネットで売ろうという試みはある。昔から車をよく知らずにトヨタのディーラーに直接 電話する人は稀にいる。それに対してうまく機能するツールというだけ。ほとんどすべての人は新しい クルマの存在を知ってからアクションをとるはず。2)まったくテレビを見ない人は、少なくとも30年ぐ らいは現れないのではないか。少なくとも自分の子供は嬉々としてテレビを見ているし、社会で何が起 こっているか、何が流行っているか、という行動も含めて24時間すべてを能動的に情報収集する人が日 本の多くを占めることは想像しにくく、その一部をマス広告が担っている。テレビをつけるかつけない かという点でも、PCを含めて別のことをしながらボーっと画面を見て(聞いて)いたい人は多いだろう 。3)について。マス広告の市場規模は景気に連動する。昔よりマス広告でやる役割が絞られてきている が、その中でもテレビは増加している。ラジオ、新聞、雑誌などは構造的減少を起こしており、たしか にネット広告に予算を持っていかれていると見るのが妥当。【倉沢】
マスメディアの中の競争で、テレ ビはいわば勝ち組ということか。【吉田】

その見方は妥当。ボーっとしてい るときにはっと気づかされる類の情報をほしい人は、これからも変わらず存続しつづけるだろう。一方 で、テレビを見ない人が10代、20代の層で増えている。この人たちは、現在あまり消費したいと思って いない。メディアビジネスの問題としてよりも、日本の消費経済の停滞の原因としてみたときに、大き な問題があるだろう。【倉沢】
今回の勉強会はさまざまな観点か ら貴重な資料だ。広告代理店での経験を積む知見が蓄積されている。JRIとして情報発信するときは両論 併記が望ましい。両論を戦わせ切磋琢磨すると良い。不確実性が高い現在、将来を予測するのは難しい 。ファクトを見ることも重要だが、ある種の理論、考え方が将来を考える上で大切。今朝、久しぶりに 「TRIZ」(トゥリーズ)の本を読み返した。TRIZとは、ロシアのアルトシュラーという科学者が20万件 にも及ぶ膨大な特許調査に基づきアイディアの発想法を体系立てたものである。そのスコープの広さか ら、エジソンの発想を体系立てとされるもの。理論体系も大切であり、考え方の一助になる。歴史の知 恵を利用することは早道。

メディアの行方については、時代 認識と国内外のかかわりも考慮しなければならない。1)時代認識としては、プロシューマーが登場し広 告と消費者に変化が起こるだろう。消費者がモノをいう時代をどう捉えるか。2)世界的な地域のひろが りについて。エマージングマーケットといわれる市場を注視しなければいけない。これまで政治情勢が 不安定だったCIS・東欧地域でも7%程度の成長がある。これは、人類史上なかった変化である。こうい った市場では、いきなり固定電話ではなくVoIPが採用されたり、アナログテレビでなくデジタルテレビ が採用されたり、あるいは、IPv4ではなく、いきないIPv6が採用される。エマージングマーケットの経 済成長は力強く、中国、インド市場が全体市場の成長に占める割合はたかだか全体の4分の1に過ぎない 。

もう一つ注目すべきは、Non- consumptionマーケット(=非消費市場)。例えば、企画段階でi-modeはどのようなターゲットにヒット するかまったく分からなかった。

私は、個人的には、TVを見ない層 に分類されるかもしれない。統合マーケティングの大家、ドン・シュルツ氏(ノースウエスタン大学名 誉教授)は、どこかで、「CMはトイレに立つ時間」といった主張に同意している。モノを買うときは比 較検討する。落穂拾い的な割合が逆転する可能性もあるのではないか。賢く、わがままになっている消 費者は今後もテレビを見続けるだろうか。

私の知り合いの松下、エプソンの マーケティング担当者は、テレビCMにはほとんど期待していない。個人の欲求やビヘイビアをつかんで 売った方が効果的であると言う。

クリステンセンが『イノベーショ ンの解』で述べているように、「Google」のような一見おもちゃのように見えるものが実は侮れない。

テレビ広告の仕組みは、50年も続 いている。他の産業の仕組みと比較してもかなり長いのではないか。

5フォース的に考えるなら、1)TV 局に対しての「売り手」すなわち、若くて気鋭のクリエーターらの創造性をかき立てる部分は、いまの TVCMにあるのだろうか。2)「買い手」であるスポンサーと消費者はどうか。スポンサーの中には、テレ ビの神通力に疑問をもっている企業が確実に増えている。消費者は単なる、サイレントマジョリティで はもはやない。プロシューマー(Alvin Toffler)である。3)「代替」として、ネットは明らかに安価 で手軽だ。クリステンセンの言う破壊的要素がある。4)「新規参入者」が、ネットやそれと組み合わせ た代替技術を武器にして現れるかもしれない。5)業界のおかれている環境、すなわち「競合」状況は、 もはやテレビ業界は最後の護送船団方式となっている。

TRIZでは、矛盾を解決する発明原 理を探す。消費者は何を望んでいるのか。毛沢東は『矛盾論』で、上層的な「主要矛盾」と下層的な「 従属矛盾」を区別している。テレビ広告とネットチャネルの違いを考え、棲み分けか、力関係の変化か 、融合かなど見極めなければいけない。本日のテーマは、そのようなことを感がさせられる、触発され た内容だった。【以上、新保】
家電大手の担当が広告は必要ない といった話について、とくに販売促進や小売流通統括の担当者によって広告不要論は昔から言われてい たが、実際に撤退した企業はない。個別担当者はマス広告批判を好きに言うが、マス広告と売上の相関 性を、広告主も媒体側も証明できず、マス広告が一切ない商品販売をシミュレーションもできず、怖く て撤退できない、もしそれで売上が減少したら経営責任を問われてしまう、というのが実態であろう。 【倉沢】

コカ・コーラは、自他ともに認め るテレビCM好き。ペプシは違うだろう。アマゾンなどテレビCMを打たずに大きくになった企業があるこ とに注目したい。新しいタイプの企業も出てきている。日本の家電メーカーは、確かに当面は怖くてテ レビ広告を取りやめることはできないだろうし、テレビメディアを使う効用もわきまえている。が一方 で、ネットへの露出量も高めている。新たな技術の出現時には、両方が並存する。しかし、旧技術のみ に戻ろうという動きは、歴史上ない(またはそれを大変嫌う)と言えるだろう。【新保】

企業として、ないしは商品の生ま れ育ちが違えば、おのずとマス広告との関わりは異なる。しかしネット上のビジネスが一概にマス広告 を必要としていないわけではない。例えばケータイCPであるドワンゴやナビタイムは、サービスへの入 口をケータイサイト上で競合他社と共有しているがために、認知強化を目的によくテレビCMを打ってい る。またアマゾンやグーグルはもはや独占的な機能を持ってしまったので、マス認知を必要としていな いに過ぎない、と考えることができる。【倉沢】
数年で見れば変わらないかもしれ ないが、10年、20年で見れば大きく変わるだろう。今の常識がいつまでも続くとは限らない。こうした 議論を通じて、切磋琢磨して行けば、私たちの議論のレベルはもっと高まるのではないか。【新保】

今回のレベルまで無くてもよいと は思うが、他のあらゆるテーマについて、ある程度基準をもってやっていくべきだろう。【倉沢】

ルールになってしまうと嫌な気分 になるので、Web上に掲載してソフトに訴えた方がよいかもしれない。【河野】

記者の言葉でいう「裏とりを」、 せめて社内でしっかりやろうという話。【倉沢】

一番早いのは対話だと思うが。同 じカンパニーなのだから。場が必要だと思う。【新保】

例えば今回の資料についても、各 種データや、マス広告へのものの見方については自分自身でクオリティーを保証できると考えたが、ネ ット広告に対するものの見方については100%の自信がなかったので、準備段階で当社研究員のKさん( 前職でネット広告媒体営業の経験がある)にチェックしてもらっている。【倉沢】

自他共に認める専門家の意見は重 要。ただ一般論として、専門家というのは、ある時代のある分野でのスペシャリスト。私たち全体の自 戒ごと。今日のような、特に変化が激しく不確定要素が多いときは、専門家の個々の専門知識をインテ グレートし、時代やビジネス環境にマッチさせていくことが重要。Kさんも入れて今度議論できれば、も っと発展的な議論になるのではないか。【新保】
ジョセフ・ジャフィ氏(米国のジ ャーナリスト)によると、米国のあるアンケートでは8割の人が代理店は不要といったそうだ。成熟期・ 衰退期にあるようなレガシーな産業(old economy)では、広告に限らず、仲介業のあり方にも大きな変 化が加わるのだろう。【新保】

コンサルティングも究極的には、 いらない職業の一つかもしれない。【倉沢】

インフォメディアリー、情報仲介 業は、知識経済社会の進展とともに今後、社会の中で存在感を増していくのではないか。コンサルティ ングも一種のインフォメディアリーといえるかも知れない。【新保】
≪討議後の加筆①≫

内田樹氏(神戸女学院大学文学部 総合文化学科教授)のBlog「内田樹の研究室」に「テレビが消える日 (http://blog.tatsuru.com/2006/11/21_1013.php)」という興味深いページがある。そこで、小田嶋隆 著『テレビ標本箱』(中公新書ラクレ、http://www.amazon.co.jp/gp/product/4121502310)が取り上げ られていて、鋭い指摘がある。一部、抜粋しよう。【新保】


引用開始 :≪小田嶋さんは「テレビの終焉」 をこんなふうに予想している。「W杯に合わせてDVDレコーダーを買った組は、完全にナマのテレビ視聴 から撤退している。『いやあ快適快適。ゴールデンのバラエティーとかは、ハードディスクに丸録りし とくと10分で見られるな』『ドラマも倍速でいけるぞ』『ニュースはどうだ?』『報道ステーションな んかは、解説のオヤジの説教をトバせば、30分で見られる』『てか、古舘も要らないだろ』『うん、テ ロップだけ読めば、10分』・・・。」その結果どうなるかというと


「まず、CMが無効化する。だって、ハードディ スク録画の番組を見るときには、CM飛ばしが前提なわけだから。これは非常にヤバい。ただでさえ、リ モコンを握って生まれてきた21世紀のテレビ視聴者は、CM入りの瞬間、他局に退避している。というこ とはつまり、『CMスポンサーによる番組提供』という昭和のテレビを支えてきた黄金の無料視聴システ ムは既に半ば以上泥沼化しているわけで、この上録画視聴者がCMスキップを徹底していくのだとしたら 、地上波民放局の集金システムは、根底から崩壊してしまう。」


私は小田嶋さんのこの見通しはかなりの確度で 事実を言い当てていると思う。ただ、私はこの集金システムは「根底から」ではなく、当面は「部分的 にしか」崩壊しないのではないかというやや悲観的な見通しを持っている。たしかに、小田嶋さんの指 摘のとおり、テレビCMはすでに末期症状を呈している。ゴールデンのCMスポンサーの主流はすでにサラ 金と薬屋である(深夜ワクになるとエロ本屋やラブホテルもCMを出している)。カタギのメーカーさん はもうテレビCMから退避しつつある。あんな番組にCMを出し続けていたら、企業イメージがダウンする からである。残っているのは「消費者はバカだ」ということを企業活動の前提にしているスポンサーだ けである。うつろな幻想を追う消費者から収奪することを経済活動の根幹にしている企業と、消費者と 企業とテレビ局のすべてを騙すことを経済活動の根幹にしている広告代理店と、視聴者をバカにした番 組を作れば作るほど視聴率が上がるという経験則から出ることのできないテレビ局の黄金のトライアン グル。≫ :引用終了。

続けて、内田樹氏は、親友、高橋 源一郎氏のご家庭の様子を引用する。日本人の家庭は、このテレビというメディアに巣食う本質(魔性 )にも目を向けるべきであろう。必ずしも、私はテレビそのものを否定しているのではない。娯楽も知 らず毎日を生きているエマージング国家(特に農村部)の何億、何十億の人々は、娯楽という消費をま だ経験していない、いわば「非消費層」(Christensen)である。この人々にとって、テレビは「主人」 かも知れないが、一方でわが国のような場合、何でも使い方次第で、自身が「奴隷」になってしまうこ ともあるということだ。【新保】


引用開始 :≪というのも、『週刊現代』の先 週のコラムで高橋源一郎さんが「テレビが消えた」という話を書いていたからである。半世紀にわたる テレビ視聴を止めて、5年愛用したソニーのテレビを知人に譲り、高橋家はいま「テレビのない生活」に 入っている。その理由を高橋さんはこう書いている。「ある日、タカハシさんは、長男と一緒に、ぼん やりとテレビを眺めていた。そして、ちらりと、テレビの画面を見つめている長男の顔つきを見て、愕 然としたのである。長男は床に猫背になって座り、口を半開きにして、顎を突き出し、ぼんやりと澱ん だ瞳で、画面を見つめていた。タカハシさんは、長男の名前を呼んだ。反応がない。もう一度、呼んだ 。まだ反応がない。そして、三度目、ようやく、長男は、タカハシさんの方を向いた。その瞳には何も 映っていないように、タカハシさんには見えた。まるで魂が抜けてしまった人間の表情だった。」(「 おじさんは白馬に乗って」第23回「テレビが消えた」、週刊現代11月18日号、65頁)≫ :引用終了。
≪討議後の加筆②≫

上記引用文献(ブログ)について は、やはり視聴者の実態をデータで見ながら論考しようとすると、「情報リテラシーの非常に高い、一 視聴者としての意見」に過ぎないという解釈をせざるを得ず、ブログゆえに客観的記述を省いていると 差し引いて考えてもなお、「鋭い」指摘、あるいは目新しい指摘とは言えないように思えます。個別指 摘にとどまりますが、勉強会資料で述べたことの事例適用として、以下に上記引用文献の論点上の問題 点を記します。【以下倉沢】

「まず、CMが無効化する。だって 、‥‥」の部分


→資料中指摘した、DVRのCM飛ばし問題の全体像 に対する、客観的なデータの把握不足(以下、それ以外の論点を記す)。


むしろリモコンと視聴率低下(CMではなく番組 全体の)に強い相関性があり、それは放送局として収益面で減少要因になっていない、したがって「半 ば以上泥沼化してい」ない、というデータも論証していない。「リモコンを握って生まれてきた」世代 は、普及率から言えばすでに30歳台半ばになろうとし、日本国民の半分弱を占めているという点でも表 現が不的確。


→ではCMによる集金システムが崩壊するとして 、以後地上波テレビで流れている、視聴率10%20%を得ている番組を以後有料契約で見る将来シナリオ があるのか、地上波テレビで知りえたあらゆる情報を今後どうやって受動的に得ると思われるか、逆に 現実に日本の有料放送はこの10年どう見られてきたのか、についての論証をしていない。

「小田嶋さんの指摘のとおり、‥ ‥」の部分


少なくともビジネス(市場)面では、「テレビ CMはすでに末期症状」にないこと、「カタギのメーカーさんはもうテレビCMから退避しつつ」ないこと は客観的データからも明らか。そのテレビCM広告によって売上との相関性を強く認識している上位広告 主が結果として「サラ金と薬屋」に変化しつつあること、1社提供番組でなければ異分野他社の広告が並 ぶことは避けられないこと、また番組と結びつけた広告とそうでない広告があること、なども論考した 上での「広告主にとってのイメージダウン」を論じる必要がある。


ビジネス論ではなく消費生活文化論的な断定だ という前提で読むとして、広告主として何を「カタギ」とするかの判断が主観的過ぎ、それを主観的だ という前提で論じていない。広告の各種自主規制は時代を反映しながら随時変化していて、個別広告主 の出稿ロジックはもっとビジネスライクであることを十分リサーチできていないと思われる。


「うつろな幻想を追う消費者から収奪すること 」が日本の消費経済の一定部分を占めることを否定するとしたら、代わりに何によって日本の消費経済 が支えられるのかのイメージを提案する必要がある。インターネットとケータイが日本中に与えられて から5年がたつが、テレビに代わって消費経済を支える兆しは、統計データ上から読み取ることはまだ難 しい。

「ある日、タカハシさんは‥‥」 について


青少年の教育上、「テレビ視聴をやめられない こと」がよくないという議論は何十年も続いてきた。テレビの番組やCMはまさに「魂が抜けてしまった 人間」になってもらい、強力な認知と関心が購買行動を後押しするような努力をしていると言える。消 費経済を潜在的に支え、無料放送を直接支えている地上波テレビの効果と、文化論としてのテレビの功 罪と、家族のあり方としてどうルール化するかの問題とは、それぞれ別に考える必要がある。


テレビをぼーっと見る状態は一種の脳のリラッ クスであり、例えば同じ目的でのクラシック音楽鑑賞や、文学の読書と優劣を論じるのは的確でない。 商業的メッセージに脳が占拠されるのが適切でないとしたら、有料放送やネットサーフィンやチャット ではどうか。実際に03年時点の調査では、情報リテラシーの高い層が、能動的なメディアへの接触時間 を大きく減らし(テレビ視聴時間は変わらず)、家庭でのリラックスを志向しているというデータもあ る。



- (以下倉沢の推論だが、おそらくこうしたテレ ビ忌避の考え方は、商業メッセージに対する青少年教育の面と、テレビ視聴はファッショナブルでない 、テレビに影響されることは知的でない、という思い込みの面の両方があると思われる。実際には、情 報リテラシーの高い層ほどテレビとの‘付き合い方’が上手で、時間を区切って積極的に「地上波テレ ビの奴隷」になることをリラックスと位置づける人がいる一方、情報リテラシーの低い層が、テレビで はなくケータイに多大な時間と精神を奪われているのが実態と言える)

総じて、勉強会資料中にある、「 枠組みを論じるのは楽しいが、抽象的」「自分の意見=マスユーザーの意見」の典型的なケースとなっ てしまう。


以上のような客観的な論証、少なくとも賛否両 論を述べることなく、「やや悲観的な見通し」に象徴されるように、個別の業界批判を何らかの目的と したストーリー、さらにはある思想的理想状態(人は高度に情報リテラシーを高めた自律的存在になっ てほしい、という類)にとってテレビが人々を愚民化しており害毒だ、という主張をもとに構成されて いるように読むこともでき、テレビ番組とテレビCMが日本人と日本社会にどういうプラス面とマイナス 面をもたらしているかという考察が不十分な論考と見ることができる。


こうした一定の名声を持つ人の公開文章につい ては、ブログだから論考不十分でよいということはありえない。
4. 次回予定

2006年12月6日(水)8:30~ 514会議室 講師:未定
5. 記録者(武藤)の感想
 今回の勉強会はメディア論ということで、ネットと既存マスメディアについて大変興味深い議論を聞くことができた。こういった将来の問題については、研究員それぞれの見方があり、当然意見が分かれるところだろう。賛否はさておき、こういう議論を深める場が存在することはとても素晴らしいことだと感じた。5年後、10年後、この議論の内容を振り返ったときどう見えるか、今から楽しみである。






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