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コラム「研究員のココロ」

なぜ今ソーシャル・キャピタルなのか -前編-
~その研究の変遷と今日的意義~

2003年11月25日 東一洋


1.はじめに

 長崎での12歳の中学生によるショッキングな事件のあと、ある雑誌に、増加する少年犯罪の地域差に関し、少年犯罪の専門家による興味深いコメントが紹介されていた。その趣旨は「閉鎖的なコミュニティは開放的なコミュニティよりも少年犯罪の温床となりやすい」というものである。すなわち、閉鎖的なコミュニティにおける均質的で同一的なベクトル(価値観のようなもの)の強い環境では、ある種の「抑制」や「歯止め」がかかりにくく、少年の「欲望や感情」がそのまま「犯罪」に直結する傾向があるのに対し、開放的なコミュニティでは様々な価値観によって「抑制」や「歯止め」がかかるのだ、ということらしい。勿論これは科学的・統計的に検証されたものではなく、一専門家の「感覚」に近いものである。また筆者も犯罪学については全く知見を有しない。しかし、「ソーシャル・キャピタル」を考える上で非常に示唆深い「感覚」であると思うので留意しておきたい。

 さて、「ソーシャル・キャピタル」という言葉の意味を熟知している人は、まだまだ少数派なのではないかと思われる。これを直訳すれば「社会資本」となり、道路や橋といった社会インフラのことのようである。しかしながら、欧米などでは政治学、社会学、法学、経済学そして経営学といった様々な分野でここ数年流行語となっている言葉なのである。わが国では「社会的資本」「社会関係資本」と訳されることが多いが、未だ定訳はない。
 本稿ではソーシャル・キャピタルとは一体何なのか、なぜ今ソーシャル・キャピタルなのか、について様々な研究成果や昨年度の内閣府委託調査である「ソーシャル・キャピタル:豊かな人間関係と市民活動の好循環を求めて」での調査内容等を踏まえながら、筆者なりの考えについて整理をしたいと考えている。

2.ソーシャル・キャピタル研究の流れ

 「ソーシャル・キャピタル」という概念は、アメリカの政治学者R.D.パットナムによるイタリアの研究「Making Democracy Work(邦題;『哲学する民主主義』)」とアメリカの研究「Bowling Alone」が大きな契機となり、1990年代後半から多くの研究者の強い関心を集めることとなった。しかし「ソーシャル・キャピタル」という言葉の用例は1916年まで遡るとされている。
 ここでは耳慣れない「ソーシャル・キャピタル」という概念の理解を助けるために、「ソーシャル・キャピタル」研究の歴史的変遷についてそのアウトラインを紹介する。
(1)初期の研究(パットナム以前)
 まず、「ソーシャル・キャピタル」なる言葉を初めて使ったのは、アメリカのウエストヴァージニア州チャールストンにおける農村学校の州教育長 (state supervisor of rural school)であるL.J.ハニファンの論文(1916年)であると言われている。
 初期の「ソーシャル・キャピタル」は農村や都市における健全なコミュニティの形成・維持に不可欠な「良好な人間関係」としてとらえられ、その後の研究の基礎となった(図表1)。

図表1 初期の研究(1)
図表1
(資料)株式会社日本総合研究所 平成14年度内閣府委託調査、
平成15年3月

 さらに70年代以降、アメリカの経済学者ラウリー、フランスの社会学者ブルデュー、アメリカの社会学者コールマンらによって主として個人に注目した「ソーシャル・キャピタル」論が展開される(図表2)。

図表2 初期の研究(2)
図表2
(資料)同上

 このように健全なコミュニティ論に端を発した「ソーシャル・キャピタル」論は、その後個人の行動に注目した社会学の分野で涵養され、パットナムに引き継がれることとなった。

(2)パットナムの2つの研究
(ⅰ)Making Democracy Work(邦題:哲学する民主主義)1993
 パットナムによるイタリアを対象とした研究の目的は極めてシンプルであった。本書の冒頭にあるとおり、「民主的な政府がうまくいったり、また逆に失敗したりするのはなぜか。」をつきとめることである。

図表3 
M.D.Wにおけるイタリア州政府の制度パフォーマンスの違いとソーシャル・キャピタル
図表3
(資料)同上

 本書において、パットナムはソーシャル・キャピタルとは「人々の協調行動を活発にすることによって社会の効率性を改善できる、信頼、規範、ネットワークといった社会組織の特徴」と定義している。そして「ソーシャル・キャピタル」が豊かなら、人々は互いに信用し自発的に協力する、すなわち「集合行為のジレンマ」の最善な解決策、そして民主主義を機能させる鍵として提示したのである。
 では、「集合行為のジレンマ」とはどのようなものであろうか。各人に協力するか裏切るかの選択肢がある場合に、個人にとっては裏切ったほうが得をするが、全員が裏切ると全員にとって不利な結果が生まれる。逆に全員が自分にとっては多少不利な協力をすれば、全員が裏切る場合より全員にとって望ましい結果になる。このような状況が「集合行為のジレンマ」である。これは、都心部に車通勤するサラリーマンを例に考えると理解しやすい。彼にとっては車で通勤するほうが快適な通勤時間を過ごせる。しかし皆が彼を真似て車通勤を始めれば、都心部への道路渋滞はますます激しいものとなり、また大気汚染はますます深刻化する。さらに公共交通機関は利用者減より、その経営が困難となるかもしれない。これらの事態を改善するために膨大な税金(規制コスト、渋滞緩和のためのインフラ投資、環境改善のための施策コスト、公共交通機関への補助金など)が投入されることとなる。逆に皆が少し辛抱して都心部へは公共交通機関を利用することを選択すれば、環境問題は起こらず、公共交通機関も適正な経営が可能となりさらにサービス水準の向上により、快適な通勤が可能となる可能性がある。よって投入される税金は、微々たるものとなるわけである。これを実現するために必要なものが「自発的協力」である。(上記の「裏切り」はある種の「フリーライド」的行為と解釈が可能であり、究極のフリーライド行為は犯罪であると解釈することも可能であろう。)

(ⅱ)Bowling Alone -The Collapse and Revival of American Community- 2000
 イタリアでの研究をもとに、パットナムは次に自分の母国であるアメリカにおけるコミュニティの崩壊、すなわち「ソーシャル・キャピタル」の衰退に注目することになる。
 2000年の著書Bowling Aloneにおいて、パットナムは地域のボーリングクラブには加入せず、一人で黙々とボーリングをしている孤独なアメリカ人の姿を象徴として、アメリカにおける「ソーシャル・キャピタル」の衰退状況を、包括的な州ベースのマクロデータを基に実証分析した。その結果、アメリカにおいては、政治・市民団体・宗教団体・組合・専門組織・非公式な社交などに対する市民の参加が減少していることが幅広く検証された。ソーシャル・キャピタル衰退の主な要因としては、 TVの台頭・女性の役割の変化(社会進出)・人々の地理的流動性の増加・ライフスタイルの変化・市民参加に関する価値観や行動の世代間変化などが指摘されている。
 本書はアカデミックな世界を越えて、アメリカの一般社会にまで話題を提供することとなり、その後の「ソーシャル・キャピタル」研究ブームとも呼ぶべき現象を世界中で生むに至った。勿論多くの批判もあった。

3.「ソーシャル・キャピタル」の定義と要素

(1)定義
「ソーシャル・キャピタル」の定義は実は様々である(図表4)。

図表4 「ソーシャル・キャピタル」の定義
図表4
(資料)同前、世界銀行HPなど

 しかしながら概ね「信頼」「規範」「ネットワーク」という3つの要素からなり、さらにそれらから得られる「特徴」「能力」「資源」であると理解することができる。

(2)「ソーシャル・キャピタル」の類型
「ソーシャル・キャピタル」はいくつかのタイプに分けて論じられることが多い。そしてこの多様性こそ「ソーシャル・キャピタル」に対する「質の議論」を必要とする背景となっている。

図表5 パットナムによるソーシャル・キャピタルの分類
図表5
(資料)同前

 この中でも、「ソーシャル・キャピタル」の概念を理解する上で最も基本的な分類が、「結合型 briding」と「橋渡し型 bonding」というものである。「結合型」は組織の内部における人と人との同質的な結びつきで、内部で信頼や協力、結束を生むものである。これに対し、「橋渡し型」というのは、異なる組織間における異質な人や組織を結び付けるネットワークであるとされている。
 一般的には、結合型は社会の接着剤とも言うべき強いきずな、結束によって特徴づけられ、内部志向的であると考えられる。このため、この性格が強すぎると「閉鎖性」「排他性」につながる場合もあり得る。これに対して橋渡し型は、より弱くより薄いが、より「開放的」「横断的」であり、社会の潤滑油とも言うべき役割を果たすとみられている。

 冒頭の少年犯罪に対する専門家のコメントはまさしく「ソーシャル・キャピタル」の質に関する言及であったと理解できるのである。では冒頭の「少年犯罪の温床となりやすい閉鎖的なコミュニティ」とは何を意味するのであろうか。筆者の理解では恐らく人口流入の多い都市部よりも地方部に比較的多く見られる地域の性格ではないかと思う。閉鎖的で排他的な結合型ソーシャル・キャピタルの強い地域は、その一員としての義務や役割をきちんと果たすことのできる人間にとってはある種寛容ではあるが、ルールを逸脱した人間に対してはかなり厳しい。「村八分」というような言葉があるように、ほとんど「無視」の状態となる。ある教育学者によると子どもにとっていじめとは「身体的暴力」や「心理的暴力」であるがもっとも最悪なものは「無視」であるらしい。このような状況下におかれた青少年が犯罪へと暴走するのも仕方がないのかもしれない。

○本稿は『ESP 2003年9月号』(社団法人経済企画協会 編集発行、内閣府 編集協力)における拙稿「ソーシャル・キャピタルとは何か」に加筆修正したものです。

(主たる参考文献)
稲葉陽二・松山健士編(2002)『日本経済と信頼の経済学』東洋経済新報社
神野直彦 『人間回復の経済学』岩波新書(2002)
株式会社日本総合研究所 平成14年度内閣府委託調査「ソーシャル・キャピタル;豊かな人間関係と市民活動の好循環を求めて」平成15年3月
国際協力事業団国際協力総合研修所(JICA)(2002)『ソーシャル・キャピタルと国際協力:持続する成果を目指して[総集編]』
宮川公男「ソーシャル・キャピタル研究序説」ECO-FORUM Vol.21 統計研究会 2002年10月号
大阪大学OSIPP NPO研究情報センター ソーシャル・キャピタル研究会
   http://www.osipp.osaka-u.ac.jp/npocenter/social.htm
大守 隆「ソーシャル・キャピタル研究序説」ECO-FORUM Vol.21 統計研究会 2002年10月号
Putnam, Robert D. (with Robert Leonardi and Raffaella Y. Nanetti) (1993) Making Democracy Work: Civic Traditions in Modern Italy, Princeton, NJ: Princeton University Press. [河田潤一訳『哲学する民主主義―伝統と改革の市民的構造』NTT出版、2001年].
Putnam, Robert D. (2000) Bowling Alone: The Collapse and Revival of American Community, New York: Simon and Schuster.
坂本治也 (2002)「社会資本論の射程とその思想的背景:ロバート・パットナムの議論を中心に」大阪大学大学院法学研究科 修士論文
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