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Business & Economic Review 1998年02月号

【PERSPECTIVES】
老人医療費の削減に向けて

1998年01月25日 飛田英子


1.はじめに

わが国の医療システムの改革が急務になっている。すなわち、膨れ上がる医療費を背景に、従来の医療保険制度が破綻の危機に瀕している。昨年9月に発浮ウれた「平成7年度国民医療費の概要」によると、わが国の医療費は金額で約27兆円、国民所得に対する比率では7.1%にまで膨れ上がった(図浮P)。さらに、経済企画庁の推計によると、現行制度が維持された場合には、国民医療費は増加傾向を続け、30年後の2025年には50兆円に達する見通しである(注1)。

この国民医療費増加の要因の1つとして、老人医療費の増加が指摘されている。すなわち、老人医療費と老人医療費を除く国民医療費の増加ペースを比較するために、1973年を100として両者を指数化したものを並べてみると、95年には老人医療費を除く国民医療費が512と約5倍増加したのに対し、老人医療費は2,079と約21倍も拡大した。その結果、国民医療費全体に占める割合は25.4%から33.1%にまで上昇しており(図浮Q)、前述の推計によると、今後についても老人医療費のシェアは拡大を続け、30年後には59%にまで拡大を続ける見通しである。

このように老人医療費が増加を続ける要因として、高齢化の進展に伴う老人医療受給対象者数の増加、相対的に低額な患者自己負担で受診を可狽ニする老人保健制度等が指摘されている。もっとも、これら以外にも老人医療費の増加を引き起こしている要因があると考えられる。これは、1人当たり老人医療費に都道府県格差がみられるためである。すなわち、老人医療費を老人医療受給対象者数で割った値を都道府県別に計算すると、最高の北海道と最低の長野県の間で1.86倍もの格差がみられる。このようにみると、高齢化や自己負担の低さ以外の何らかの要因が、1人当たり老人医療費の格差を生んでいる可柏ォが大きい。

そこで本稿では、都道府県別データを使用して、老人医療費が増加している要因を分析するとともに、その結果を踏まえて老人医療費削減に向けた提言を試みる。

本稿は、以下の5つのステップで告ャされる。まず、第1ステップでは、老人保健制度成立までの経緯を振り返るとともに、同制度の事業内容と費用負担方法について記述する(第2章)。続く第2ステップでは、老人医療費の推移を振り返るとともに、同費用の増加要因である1人当たり老人医療費について、費目別には入院医療費と入院外医療費が牽引していること、および都道府県間に格差が存在することを指摘する(第3章)。第3ステップでは、都道府県格差が生じている要因を分析するために、入院外医療費と入院医療費について、(1)在宅介護サービスの整備状況、(2)就業率、(3)医師数、等を説明変数とするモデルを推計し、これらの変数が医療費に影響を与えていることを実証する(第4章)。最後に第4ステップでは、老人医療費削減に向けた提言を試みる(第5章)。
2.老人保健制度成立までの経緯と同制度の概要

現在の老人医療システムを支えているのは老人保健制度である。この制度は、これまでの老人医療費支給制度(いわゆる老人医療費無料化)の矛盾が楓ハ化するなかで創設されたものであり、老人医療費の給付を事業内容の1つとしている。そこで本章では、老人保健制度成立までの経緯を振り返るとともに、同制度の事業内容と費用負担方法について整理する。

1 老人保健制度成立までの推移

わが国の老人保健医療対策は、以下の3段階に分けることができる。

(イ) 第1段階(1963年~72年)

わが国における老人保健医療制度の皮切りは、65歳以上の者を対象とする老人健康診査の実施であり、これは1963年に制定された老人福祉法のなかで規定された。その後も、老人白内障手術費の支給、在宅老人に対する機秤恁P練事業への助成等が行われ、福祉の充実が図られていった。

もっとも、医療費については、高齢者は他の被保険者と同様に、本人が国民健康保険の加入者である場合には3割、組合健康保険等被用者保険の家族である場合には5割の自己負担部分を支払っており(注2)、このことが、主な収入源を年金に頼っている高齢者にとって医療費の負担を重くし、一般に疾病率が高く、診療の必要性が高い高齢者の受診機会を制限していると指摘されていた。

(ロ) 第2段階(1973年~82年)

こうした状況下、高齢者の受診を促進し、彼らの健康の維持と福祉の向上を図る観点から、自己負担分を公費で肩代わりすることが政府によって決定された(具体的な負担割合は、国が3分の2、都道府県と市町村が6分の1ずつ)。これが「老人医療費支給制度」(いわゆる「老人医療費無料化」)である(注3)。

この制度は、当初の目的である老人の受診の促進や健康の維持、福祉の向上には成果を上げたものの、いくつかの深刻な問題を引き起こした。

問題の第1は、高齢者のモラルハザードである。すなわち、老人医療費支給制度は、高齢者の健康への自覚を弱め、行き過ぎた受診を招いた。その結果、老人保健医療対策が医療費の保障に偏り、疾病の蘭hから機伯P練に至る保健サービスの一貫性に欠ける事態が生じた。

第2は、保険者間の負担格差の拡大である。すなわち、当時は、老人医療費の保険者負担部分(医療費の7割)について、各保険者は各々の加入者の分を負担していた。このため、高齢者加入割合が他の医療保険の2倍以上と突出していた国民健康保険の負担が最も重くなり、このままでは国民健康保険が破綻するとの懸念が強まった。

(ロ) 第3段階(1983年~現在)

このように老人医療費支給制度の矛盾が楓ハ化するなか、(1)壮年期からの蘭hや健康増進を含めた総合的な保健対策の実現、(2)老人医療費の負担の公平化、を図る観点から、新しい老人医療システムが1983年に創設された。これが現在も続いている老人保健制度である。

2 老人保健制度の事業内容と費用負担

老人保健制度の事業内容は、(1)医療等、(2)医療等以外の保健事業、の2つに大別することができる。

(イ) 医療等

医療等とは、市町村長が、(1)70歳以上の者、(2)65歳以上70歳未満の者で一定の障害のある者に対して、診察や入院をはじめとする医療、薬剤費、入院時の食事費、老人保健施設療養費、老人訪問看護療養費、等の給付を行うことである。

医療等の運営費用は、老人が負担する一部負担金を除く部分(注4)について、医療保険の各保険者からの拠出金と公費によって負担されている。もっとも、医療の要素が強い費用と介護の色彩が強い費用により、各々の負担割合は異なっている(図浮R)。すなわち、診療費、入院費、薬剤費、入院時の食事費等、医療的要素が強い費用については、保険者からの拠出金が70%、公費負担が30%を賄っている(公費の内訳は、国:都道府県:市町村が4:1:1の割合)。一方、老人保健施設療養費、老人訪問看護療養費等、介護的要素が強い費用については、保険者からの拠出金と公費がともに50%を負担している(公費の内訳は同じ)。

なお、現在では、各保険者からの拠出金は、どの保険者も老人加入割合が同一水準であるとして算出されている。このため、従来みられた老人加入割合の格差による老人医療費の負担の不均衡は完全に是正されている(注5)。

(ロ) 医療等以外の保健事業

医療等以外の保健事業とは、市町村が、40歳以上の者を対象に行う総合的な保健医療サービスのことであり、具体的には、健康手帳の交付、健康教育、健康相談、健康診査等が含まれる。

この事業に要する費用は、全額公費が負担することになっており、内訳は国、都道府県、市町村が各々3分の1ずつである。もっとも、健康診査については、対象者から費用の一部を徴収できることになっている。
3.老人医療費の推移と1人当たり老人医療費の現状

前章でみた通り、現在の老人医療システムを支えているのは老人保健制度である。同制度は、老人医療費支給制度に起因した問題を克服するために創設されたが、老人医療費の増勢に歯止めをかけるには至らなかった。

そこで本章では、老人医療費の推移を振り返るとともに、同費用の増加要因である1人当たり老人医療費の現状について簡単に整理する。

1 老人医療費の推移

老人医療費の推移をみると、1983年に一部自己負担の導入等が実施されたにもかかわらず、73年の老人医療費支給制度を契機にハイ・ペースでの増加が続いている。すなわち、73年度には4,289億円であった老人医療費は、95年度には約21倍の8兆9,152億円にまで拡大している。この間、老人医療費を含む国民医療費全体は約7倍の増加にとどまっており(73年度3兆9,496億円→95年度26兆9,577億円)、この結果、老人医療費の国民医療費に占める割合は、73年度の10.8%から95年度には33.1%と、約3分の1のレベルにまで拡大している(図浮Q)。

このような老人医療費の増加を、高齢化要因とその他の要因に分けてみると、高齢化による部分は半分未満であり、残りの半分以上は高齢化以外の要因が寄与している。すなわち、老人医療費を、(1)高齢化要因として老人医療受給対象者数、(2)その他要因として1人当たり老人医療費、の2つの要因に分けてみると、老人医療費の直近10年間の年平均増加率8.2%のうち、1人当たり老人医療費増加の寄与度は4.2%ポイントと半分以上を占めている(図浮T)。

2 1人当たり老人医療費の現状

前述の通り、1人当たり老人医療費は増加傾向を続けており、1995年度は75万2,169円と、10年前の1.5倍に拡大した(85年度は49万8,637円)。

この1人当たり老人医療費について、費目別および都道府県別にみると、以下の通りである。 まず、費目別には、入院医療費と入院外医療費が牽引している(図浮U)。すなわち、85年度から95年度まで10年間の1人当たり老人医療費の年平均増加率4.2%のうち、入院と入院外の寄与度は各々1.5%ポイント、1.7%ポイントであり、両者で全体の増加率の約4分の3を占めている。なお、入院外とは、具体的には外来の診察費のことを示す。

一方、都道府県別には、最高が北海道の101万7,704円、最低が長野県の54万6,626円であり、両者の格差は1.86倍である(図浮V)。さらに、入院と入院外についてみると、入院では、最高が北海道(53万2,107円)、最低が長野県(21万3,956円)であり、格差は2.49倍である。一方、入院外では、最高が大阪(39万7,138円)、最低が沖縄県(22万2,817円)であり、格差は1.78倍と入院に比べて小さくなっている。
4.老人医療費の要因分析

前章でみた通り、老人医療費は増勢を続けており、この主因は入院医療費と入院外医療費をはじめとする1人当たり医療費の増加である。さらに、1人当たり老人医療費には都道府県間で格差がみられ、入院、入院外の格差は各々2.49倍、1.78倍である。

そこで本章では、このような都道府県格差が生じている要因を分析するために、入院外と入院について、都道府県別データを使用したクロス・セクション分析を行う。さらにその結果として、在宅介護サービス水準、就業率、医師数等が老人医療費に影響を与えていることを実証する。なお、使用するデータは、特に記述のない限り1995年のものである。

1 推計式の解説

(ロ) 入院外

入院外医療費(いわゆる外来の診療費)については、診療患者数に制限がなく、診察を希望する者は全員が医療サービス需要者となることが可狽ナある。このため、需要サイドの行動、すなわち高齢者の受診行動を分析する必要性がある。

そこで、入院外の推計に当たっては、受診行動を浮キ変数としての受診率と、入院外医療費を同時に推計する同時方程式モデルを採用した。具体的な推計式は、以下の通りである。

受診率=α0+α1(在宅介護定員数)+α2(就業率)+α3(診療日数)+α4(実質GDP)+εα
入院外医療費=β0+β1(受診率)+β2(医師数)+εβ

各変数のノーテーションは、以下の通りである。

まず、受診率関数についてみると、被説明変数である受診率は、老人医療受給対象者100人当たりの入院外の年間レセプト(注6)件数である(データは厚生省「老人医療事業年報」)。

次に、説明変数についてみると、まず、在宅介護定員数は、70歳以上人口100人当たりの短期入所ケアとデイケアの定員数である(厚生統計協会「地域医療基礎統計」)。在宅介護サービス体制の整備が進むと、(1)病院以外で高齢者同士が交流する場が提供されることにより、高齢者の病院訪問を減らすことが期待されるとともに、(2)家族や友人あるいは介護担当者等が頻繁に高齢者と接することにより、高齢者の体の不調を初期段階で察知することが見込まれるため、期待される符号はマイナスである(補論参照)。

次に、就業率は、70歳以上人口100人当たりの就業者数である(総務庁「国勢調査」)。仕事をする人は体を動かしたり頭を使う機会が相対的に多いと考えると、就業率についてはマイナスの符号が期待される。また、就業活動は仕事を通じて様々なことを学ぶことであると捉えると、就業率は教育水準あるいは学習活動を代理していると考えられるため、マイナスの符号が期待される(補論参照)。

診療日数は、診療実日数をレセプト件数で除したレセプト1件当たりの診療日数である(厚生省「老人医療事業年報」)。これについては、(1)定期的に通院する必要のある慢性疾病患者の比率の格差が影響している、(2)通院者間で仲間関係が形成されるため、健康な高齢者に対して通院のインセンティブが働く(いわゆる待合室の社交場化)、等を勘案すると、プラスの符号が期待される。

最後に、実質GDPは、1人当たりの実質県内総生産である(経済企画庁「県民経済計算年報」)。経済的に豊かになるほど所得面での制約が少なくなるため、これについてはプラスの符号が期待される。

一方、入院外医療費関数についてみると、被説明変数である入院外医療費は、1人当たり入院外医療費である(厚生省「老人医療事業年報」)。

説明変数については、まず、受診率は、内生変数であるため、受診率関数における推計結果が投入される。受診率が上昇すると医療サービス需要が増加するため、価格が上昇し、医療費が増加することが見込まれる。したがって、期待される符号はプラスである。

次に医師数は、70歳以上人口100人当たりの医師数である(厚生省「医師・歯科医師・薬剤師調査」)。なお、分子の都道府県別医師数は、データの制約上94年のものであるが、この統計の調査時点は12月31日であり、95年とみなしても大きな影響はないため、そのまま採用している。期待される符号は、わが国医療の市場国「により異なる。すなわち、「市場競争理論」が該当する場合にはマイナス、一方「医師誘発需要理論」が当てはまる場合には、需要と供給の増加量の関係により、プラスとマイナスの両方が考えられる(補論参照)。

(イ) 入院

入院医療費については、以下の単一方程式で推計した。なお、推計に際しては、都道府県データであることを勘案して、標準誤差を修正して行った。

入院医療費=γ0+γ1(医師数)+γ2(就業率)+εγ

各変数のノーテーションについてみると、まず入院医療費は、1人当たり入院医療費である(厚生省「老人医療事業年報」)。一方、説明変数である医師数と就業率は、入院外医療費と同じものを採用している。パラメーターの符号についても、入院外医療費と同じものが期待される。すなわち、就業率についてはプラス、一方、医師数については、「市場競争理論」、「医師誘発需要理論」のどちらかが当てはまるかにより、マイナスとプラスの両方が考えられる。

2 推計結果

(イ) 入院外医療費

まず、受診率関数についてみると、在宅介護定員数、就業率、診療日数、実質GDPともに有意である(図・0)。パラメーターの符号についても期待通りの結果である。

一方、入院外医療費関数も、受診率、医師数ともに有意である(図浮W)。符号については、受診率は期待通りの結果である。一方、医師数についてはプラスであり、わが国では医師誘発需要理論のなかでも、価格が上昇するケースが該当することを示している。

(ロ) 入院医療費

医師数、就業率ともに有意である(図浮X)。パラメーターの符号は、医師数ではプラスであり、先ほどの入院外医療費の推計結果と整合的である。一方、就業率のパラメーターはマイナスであり、この点についても入院外医療費の結果と一致している。

なお、施設介護定員数(具体的には、特別養護老人ホーム、軽費老人ホーム、有料老人ホームの定員数の合計)を説明変数に加えたところ、1%水準で有意にプラスとの結果が得られた(図・0)。このことは、わが国においては、施設介護サービスと老人の入院サービスは代替関係にないことを浮オている。介護サービス体制の整備が高齢化の進行に大きく遅れを取っていることを勘案すると、介護体制が社会的入院の受け皿としての機狽ハたしていない可柏ォは否定できない(わが国の介護サービス水準の低さについては、JRR97年8月号「生活者サイドからみた公的介護保険の問題点」を参照)。

(ハ) 分析結果のまとめ

以上より、老人医療費の増加の要因は、高齢者数の増加や老人保健制度以外にも求められることが実証された。具体的には以下の4点にまとめられる。

第1は、医師による需要の誘発である。すなわち、医師が過剰な診療を行う結果、医療需要が水膨れし、価格が上昇している可柏ォがある。

第2は、診療日数の長さである。通院日数の多さが、医療費の増加に働いていることが実証された。

第3は、就業率の低さである。高齢者労働力の活用が進んでいないことが、高齢者の健康に対してマイナスに働いていると判断される。

第4は、介護サービス水準の低さである。介護体制の遅れが、安易な受診を促していることが考えられる。

この実証結果を現実に照らし合わせてみると、以下の通りである。なお、ここでは例として、入院外と入院について各々最高の大阪府と北海道、最低の沖縄県と長野県の4府県を取り上げている(図・1)。

まず、大阪府については、在宅介護定員数と就業率が全国的に低い一方、診療日数と医師数がともに最高から2番目となっており、これらの要素全てが入院外の高さに働いている。ちなみに、就業率と医師数は入院の説明変数でもあり、大阪府の入院は全国で10番目の高さとなっている。

次に北海道については、医師数は上位14位とさほど高くはないものの、就業率は最下位から5番目と全国的に低くなっている。

次に入院外医療費が最低の沖縄県については、就業率が最低、医師数が上位8番目と増加に働いているものの、診療日数は最低、在宅介護定員数は最高であることから、低い入院外を達成している。なお、同県の入院は全国第5位の高さであるが、これは就業率と医師数が影響したものと考えられる。

最後に長野県については、在宅介護定員数は上位31位であるものの、診療日数は最下位から2番目、医師数は最低、就業率も最高となっており、入院外も最下位から5番目の低い水準となっている。
5.老人医療費削減に向けての提言

本章では、以上の分析結果を踏まえて、老人医療費削減に向けた提言を行う。

医療保険制度の破綻が懸念されるなか、その主因である老人医療システムの見直しは喫緊の政策課題の1つである。このような状況下、厚生省と与党3党は、薬剤費の削減、診療報酬制度の見直しと並んで、高齢者保険制度を新たに創設し、高齢者から保険料を徴収する方向で検討している模様である。

しかるに、患者自己負担の引き上げという近視眼的な対応では、本格的な高齢化が到来する21世紀には、再び制度全体が行き詰まりに直面する懸念が大きい。前章で実証された通り、在宅サービス水準、就業率、医師数等、医療保険制度と直接関係しない要因によって老人医療費が影響を受けていることを勘案すると、老人医療の抜本的な見直しには、患者自己負担の引き上げをはじめとする制度改革のみでは不助ェであり、政府、医療担当者、高齢者が三位一体となって自己改革に取り組む必要がある。

まず、政府においては、高齢者雇用の促進と介護サービス体制の整備が求められる。これにより、まず、前者については、高齢者の健康維持に貢献することが期待される。一方後者については、社会的入院を減少すると同時に、本来は医療ではなくケアを必要としている高齢者が、介護施設あるいは自宅で適切な介護を受けることが可狽ニなることが見込まれる。ちなみに、(社)日本看護協会が実施したアンケート調査によると、3カ月以上の長期入院患者のなかで、49.9%とほぼ半数の患者が在宅療養が可狽ニみられている。

次に、医療担当者については、適宜・適切な医療の推進と患者への分かりやすい説明の徹底が求められる。医師数の増加は、国民福祉の面からも望ましいことであるが、前章における分析結果の通り、わが国では、このことが医療サービス需要の拡大をもたらす国「になっている。これは、医師のモラルと医師・患者間の情報の非対称性、すなわち医師による情報のコントロールに起因すると考えられるため、医師のモラルの遵守とインフォームド・コンセントの実施が求められる(注8)。

最後に、高齢者については、健康の自己責任原則の確立が求められる。すなわち、蘭hに努めるとともに、与えられた医療に対してチェック機狽ュかせることが求められる。繰り返しになるが、このためには、診察に悪影響を及ぼさない範囲での医師による情報公開が不可欠である。

[補論]医療費を巡る議論

補論では、医療費を巡るいくつかの議論をサーベイする。この目的は、老人医療費関数の推計において、各説明変数の符号条件を検討することである。

(1) 競争市場理論と医師誘発需要理論

西村(1987)は、医師数と医療サービスの需要に関する相反する理論として、「競争市場理論」と「医師誘発需要理論」の2つを紹介している。すなわち、まず、競争市場理論では、医師数の増加が医療サービス需要の減少と価格の低下をもたらすとされている。一方、医師誘発需要理論では、医療サービス需要については、競争市場理論と反対に医師数の増加が医療サービス需要を増加させるとするものの、価格については、上昇するケースと下落するケースの2つのパターンがあると考えられている。

これら2つの理論について、図浮pいて説明すると以下の通りである。

図・2と図・3は、医療サービスの需給量を横軸、価格を縦軸とする平面のなかに、医療サービスの需要曲線と供給曲線が描かれたものである。いま、需要曲線と供給曲線の交点であるE0点(P0,Q0)で均衡が成立しているとする。ここで、医師数が増加した場合を考える。

まず、「競争市場理論」(図・2)によると、医師数の増加は医療サービスの供給をもたらすため、供給曲線が右下にシフトする(S0S0→S1S1)。その結果、新しい均衡点はE1(P1,Q1)に移り、そこでは需給均衡量は増加し、価格は低下する。

一方、「医師誘発需要理論」(図・3)では、供給曲線が右下にシフトする(S0S0→S2S2)ことに加えて、需要曲線も右上にシフトする(D0D0→D2D2)。これは、個々の医師が価格下落に伴う所得の減少を回避するため、診療の密度を濃くする等何らかの裁量的な力を発揮し、追加的な需要を誘発するためである。

その結果、均衡点もシフトするが、新しい均衡点では、需給量は増加するものの、価格については、需給各々の増加量の関係により一義的に決定されない(図・3(1))。すなわち、需要の増加量が供給の増加量を上回る場合には(D2′D2′)、均衡点はE2′(P2′,Q2′)となり、均衡価格は下落する。反対に、需要の増加量が供給の増加量を上回る場合には(D2D2)、均衡点はE2(P2,Q2)となり、均衡価格は上昇する。

さらに、需給が供給を上回る場合においても、需要の価格弾力性の違いにより、均衡価格の上昇幅は異なる(図・3(2))。例えば、価格弾力性、すなわち、傾きが小さい需要曲線(D0D0)と大きい需要曲線(D0′D0′)があるとする(η<η′)。各々のケースにおいて、医師に誘発されて同量の需要が創出された場合(D0D0→D2D2、D0D0→D2′D2′)、新しい均衡点は各々E2(P2,Q2)、E2′(P2′,Q2′)にシフトする。ここで、両者の均衡価格を比較するとP2>P2'であり、価格弾力性が小さいケースの方が均衡価格の上昇幅が大きいことが見て取れる。このことは、患者が価格に関して敏感でないほど、医師が価格をコントロールしやすいことを浮オていると判断される。

(2) 病院の福祉施設化

広井(1995)は、近年の医療費増加の最大の寄与要因となっている入院について、その増加の背景には、慢性疾患への疾病国「の変化や老人医療のシェアの急速な高まりに伴って、「ケア」的な医療の比重が大きくなっていると指摘している。すなわち、世界的に見て高水準な人口当たりの病床数、福祉施設の未整備等を背景に、病院が「福祉施設的な機煤vを担うようになったと分析している。さらに、老人ホームに入所させることの対世間的な抵抗が、本来は医療ではなくケアを必要としている高齢者を病院に入所させる傾向を強めていると指摘している。

(3) 教育水準

中西(1996)は、教育水準と健康状態に関する論文をいくつか挙げ、高い教育水準は医療サービスの需要を減少させるという結論を紹介している。また、国立教育会館社会教育研修所のアンケート調査(1997)においても、高齢者の学習活動と健康の間には正の相関関係が見られることを実証している。



1. 経済企画庁の推計に用いられた国民医療費は、厚生省により公浮ウれる本来の国民医療費から、歯科診療、薬局調剤医療費、老人保健施設療養費等を控除したものである。このため、経済企画庁の試算を基に、厚生省ベースの国民医療費の推計値を算出しようとする場合には、推計結果が50兆円を上回る公算が大きい。ちなみに、1993年の厚生省ベースと経済企画庁ベースの国民医療費を比較すると、厚生省の24兆円に対し、経済企画庁は21兆円である。

2. 被用者保険の家族給付については、1973年度の健康保険法の改正により、給付率が5割から7割に引き上げられた(73年10月1日実施)。

3. 老人医療費とは、(1)70歳以上の者および(2)65歳以上70歳未満で痴呆等何らかの障害を抱えており、市町村長によりその障害を認定された者に対してかかる医療費である。ちなみに、1995年度において、65歳以上70歳未満の老人医療受給対象者数は約28万人であり、全体に占める割合は2.3%である。

4. 老人の一部自己負担金は、健康に対する自己責任の観点から適切な受診を促すとともに、老人医療費を国民が公平に負担することを目的として導入された。この負担金額は、1983年の制度施行時の外来1月400円、入院1日300円から段階的に引き上げられており、97年9月の制度改正に伴って現在では外来1日500円(月4回まで)、入院1日1,000円となっている。さらに、94年10月以降は入院時の食事負担額、97年9月以降は薬剤負担が加わっており、老人の一部自己負担割合は高まっている(図浮S)。ちなみに、95年度の老人医療費に占める自己負担額の割合は5.2%(このうち、診療費では4.5%)であった。

5. このように老人加入割合が一定と仮定して算出する方式を加入者按分方式といい、加入者按分方式により計算された金額が拠出金全体に占める割合を加入者按分率という。老人保健制度が施行された当時は、加入者按分率は50%であり、残りの50%部分は各保険者ごとの老人加入割合に比例して拠出金を算出する医療費按分方式が採用されていた。その後、1987年以降加入者按分率は逐次引き上げられ、90年度以後は100%の水準で推移している。

6. レセプトとは、病院や診療所が医療サービスの対価である診療報酬を保険者に請求する際に、患者1人につき1枚ずつ作成する診療内容に関する明細書であり、診療報酬明細書とも呼ばれる。

7. このように医師数が少ないことをもって、長野県の医療レベルが低いと判断することは早計である。すなわち、同県では保健・医療・福祉の連携プレーのもとで在宅医療が進んでいる。さらに、保健所が積極的に健康指導を展開する等、蘭hについての啓蒙活動も盛んである。ちなみに、国民健康保険中央会の調査によると、(1)在宅医療の浸透、(2)蘭h等の保健活動の活発化、(3)生き甲斐を持って過ごせる環境の整備、等が同県の医療費抑制に貢献している。

8. インフォームド・コンセントは、「説明と同意」と直訳されるが、概念の基本にあるのは患者の自己決定権である。すなわち、医師が治療方法についての複数の選択を理解できるように説明してくれるのに対し、最も望ましい方法を患者が自分自身で選択することが、本来のインフォームド・コンセントの意味である。
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