オピニオン
人生100年時代の「認知症予防」のあり方と民間企業への期待
2024年03月19日 森下宏樹、田上はるか
認知症の「予防」(※1)に関する市場の現状
アルツハイマー病をはじめとする多くの認知症の原因疾患は、「予防」することが極めて困難であり、認知症に関する研究が相当程度進んだ現在でも、認知症になることを確実に防ぐことができる方法は発見されていない。
こうした中、近年の認知症の「予防」をめぐる市場では、憂慮すべき実態があることが明らかになっている。消費者庁が2022年2月に実施した、「認知機能に係る機能性を標ぼうする機能性表示食品に対する届出後の事後チェック」では、100以上の事業者・商品が、効果を過大に標ぼうしている等の理由で改善指導の対象となった。同様に、運動など非薬物的アプローチによるサービスにおいても、適切な効果検証を行っていない事例や、効果検証で示されていない効果をうたっている事例が散見されている。
多くの一般消費者においては、効果検証の有無や適切性、実際の効果等を正確に把握することは困難である。さらに、本領域のサービスに関心を抱く人は、わらにもすがる思いでサービスを購入する場合も多い。よって本領域では、健全な市場づくり、すなわち事業者が適切なエビデンスに基づいてソリューション開発・訴求に取り組み、消費者が各ソリューションの価値について適切に判断できる環境づくりを推進していくことが重要であると考えられる。
このような状況に呼応して、当社が事務局を担う経済産業省「認知症イノベーションアライアンスワーキンググループ」では、認知症予防に関する質の高いサービスの普及に向けて「認知症予防に関する民間サービスの開発・展開にあたっての提言」を作成し、2023年4月に経済産業省ホームページで公開した。本提言では関連するサービス事業者に対して、分かりやすく「予防」の難しさ(=安易に「予防」効果をうたえないこと)を示しつつ、サービスの効果に対する適切な情報発信の考え方や効果検証を行う際の基本的な研究デザインの考え方等について解説しており、消費者に対し不適切な形での訴求が行われないよう、警鐘を鳴らしている。
認知症領域で求められるソリューション
「認知症予防に関する民間サービスの開発・展開にあたっての提言」においても、認知症になることを確実に防ぐ方法は現時点では存在しないことが強調されている。認知症の最大のリスク要因は「加齢」である。健康寿命が伸びているわが国において、90歳以上の人のうちMCI(軽度認知障害)および認知症の人の数が半数を超えるとされていることも踏まえると、特に高齢期には多くの人が認知症と共に生きることになる。
ここで改めて認知症とは何か考えると、さまざまな原因疾患により「認知機能が低下」し社会生活に支障をきたした「状態」である。したがって、認知症の予防とは、認知機能低下のリスクを低減するというだけでなく、たとえ認知症になっても社会生活への支障を最小限に抑え、これまでの生活をできるだけ維持しつつ、その人らしく生きていけるようにすることも含めて広くとらえることが重要である。
この観点で「予防」を広く捉えれば、認知機能の低下や認知症になることのリスク低減だけがそのアプローチの方法ではない。むしろ、認知機能だけでなく社会機能(生活機能)の維持に着目し、日常生活のさまざまなシーンにおいて低下した認知機能を補う(生活環境や社会インフラのバリアフリー化)、その人の現在の生活の質の向上に資する、といった視点が求められる。すでにこうした観点で検討・展開されているサービスも出始めてきており、具体的には、下記のような事例が挙げられる。
①病院でのデザイン・ケア(株式会社メディヴァ)
株式会社メディヴァでは、認知症の高齢者の入院割合が増加していることを背景に認知症に優しい入院環境の整備に取り組んでいる(※2)。病院は患者が一時的に生活を営む場所であるが、特に認知症の高齢者にとっては慣れない生活環境で、トイレや通路、その他設備などを利用することが難しく、自立を阻害する要因となっている。同社は、デザイン面でこうした課題の解決を目指している。
具体的には、
・トイレや自室のドアと壁の色に明確なコントラストをつける
・標識とドアに明確な色のコントラストをつけることで、認識しやすくする
・文字が認識できない人にも分かるよう、標識には文字だけでなくピクトグラムを併記する
等の物理的なデザインの対応により、設備利用の失敗を減らし、かつ入院中の認知症の症状を悪化させず、維持・改善できる可能性があることを明らかにした。まさにこれは、低下した認知機能を補うバリアフリー化の好事例といえる。
②VRオンライン旅行(NECソリューションイノベータ株式会社)
NECソリューションイノベータ株式会社は、デイサービス等に通う認知症の人等を対象として、VRゴーグルを活用したオンライン旅行プログラムを開発している(※3)。認知症の人にとって「移動」は不安が大きく、心身の状況によっては外出が困難な場合もある。本サービスでは、オンラインによる旅行サービスの提供を通じて、認知症になっても旅行を楽しめるようにすることを目指したものである。
本サービスの体験者はQOL関連指標に改善の傾向が見られ、また会話量の増加等の効果もあることが明らかにされている。旅行を生きがいにしていたが外出ができなくなった人にとっては、「認知症になっても、これまでの生活をできるだけ維持しつつその人らしく生きていけるようにする」ことに寄与するサービスといえるだろう。
③MCI・認知症対応型の趣味教室(株式会社オールアバウト)
さまざまな形態の趣味講座を提供している株式会社オールアバウトにおいては、「MCI・認知症対応型の趣味教室」として、認知症になっても安心して楽しんで継続できる趣味機会を提供しようとしている。これはMCIや認知症の人でも積極的に参加できる活動機会を提供することにより、社会参加を促し本人や家族のQOL向上を目指す取り組み(※4)であり、教材等の面でさまざまな工夫を行っている。例えば、「MCI・認知症対応型の趣味教室」で使用する教材は、文字の大きさやカラーなどを工夫することにより、MCIや認知症の人にも取り組みやすいものとしている。また、趣味講座を担当する講師に対して、認知症に関する研修を実施している。厳格な検証 を通じて、「MCI・認知症対応型の趣味教室」には、①失敗に対する不安に関して有意な改善効果があること、②メンタルヘルス改善の可能性があること、③定性的にもポジティブな気持ちの変化があること、が明らかになっている。
一般的に認知機能が低下すると日常生活のさまざまな局面で「失敗」を経験することが増える。失敗経験が増加すると自己効力感や精神的健康度が低下し、さらには「失敗」を避けるために社会的交流が減少するといった負の循環に陥る可能性がある。本サービスでは①失敗に対する不安に関して有意な改善効果があることが示されており、こうした負の循環を断ち切ることで、社会参加意欲の増加や機会の確保、またQOLの維持・向上等に資することが期待されている。
本年1月に施行された「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」の理念(認知症の人を含めた国民一人一人がその個性と能力を十分に発揮し、相互に人格と個性を尊重しつつ支え合いながら共生する活力ある社会(=共生社会)の実現を推進する)にも沿うサービスであり、まさに今後多くの事業者において推進することが期待される取り組みの先駆けといえよう。
前述の通り、90歳以上の半数以上が認知症であるという社会では、認知症も今後より身近なものとなることが予想される。これに伴い、「認知症予防」に対する社会的な期待も一層大きくなると考えられる。認知症基本法にて「共生社会の実現」が改めて理念として掲げられたことを踏まえ、認知症に関連するサービスを提供する、提供しようとする事業者は、「認知症になっても、その人らしく生きていける」ためのソリューションが今後強く求められるということを十分認識する必要があるだろう。社会機能の維持の重要性や、関連する今後の社会的ニーズ等を理解した事業者によるさまざまなサービスの創出が、今後さらに活発化することを期待したい。
(※1) 認知症の「予防」とは、「認知症にならない」ことと認識されているケースもあるが、「認知症にならない」、すなわち「認知症になることを予防する」ことは現状では困難であるとされており、「予防」とは本来「認知症になることを遅らせる」、「認知症になっても進行を緩やかにする」ということを指す。
(※2)~(※4) 経済産業省「認知症共生社会に向けた製品・サービスの効果検証事業」成果報告会
※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。