国際戦略研究所 田中均「考」
【ダイヤモンド・オンライン】トランプ米国が傾斜する“力の支配”、「安保・米国派偏重」人事を見直しアジア外交復権を
2025年08月20日 田中均・日本総合研究所国際戦略研究所特別顧問
|従来の米国とは違う「トランプ米国」
|米ロ首脳会談でも「取引」重視!?
トランプ第2次政権発足後200日を超えたが、高関税政策やウクライナ停戦交渉、ガザ戦争へのアプローチを通じてトランプ外交への懸念はますます強まる。民主主義的価値への思い入れは薄く、アメリカ第一主義に基づく「取引」への傾斜には大きな戸惑いを感じる。「法治」から「力の支配」に戻ったかのようだ。
世界が注目したウクライナ停戦を巡るプーチン大統領との首脳会談も、トランプ大統領の「真剣度」を疑わざるを得ないものだった。
国際法が禁じる武力侵攻で他国領土を支配し続けるプーチン大統領をレッドカーペットで迎えた“演出”はともかくとして、会見後の記者会見や欧米メディアなどが報じた会談内容からは、領土割譲を求めるプーチン大統領に同調するような姿勢や、ウクライナからのロシア軍の撤退よりも大国間でお互いの国益確保で「取引」するかのような印象だった。
会談後のSNSへの投稿では、従来、求めていた即時停戦ではなく、領土問題などを含め包括的な和平合意を一気に目指す方針転換を表明。これもロシア側の意向に沿った考えといえる。
時に過ちはあったが、民主主義国のリーダーとして人権や法の下の平等などを掲げ、戦後の国際社会を前に進める役割を担ってきた従来の米国とは大きく違う。
日本にとって米国との関係をどうとらえるかは重要な課題であり続けたが、冷戦終了後、対米従属の度合いはむしろ強まってきた。だが、ここらで外交の基本戦略を改めて練り直し、「トランプ米国」のもとでの外交政策を見直す必要がある。
その際のキーワードは、「アジア外交の復権」だ。
|「安保重視」に移った日本の外交座標軸
|中国脅威論で影薄くなったアジア外交
日本の外交は元来、国連中心主義、自由主義諸国との協調、アジアの一員としての立場という三つの原則が掲げられてきた。
だが、中国脅威論の高まりとともに、日本外交の座標軸は安保重視に移り、米国との協調が、それまで以上に外交の基軸となっていった。
日米貿易摩擦の激化もあって、福田赳夫内閣はアメリカ一辺倒でない「全方位外交」を掲げ、アジアとの外交を重視した。1977年に福田首相はアジア歴訪の途次、マニラで「福田ドクトリン」を発表し、ASEANとの信頼関係構築の重要性を訴えた。78年の中国との平和友好条約締結後、日本はODAを駆使し中国のインフラ建設に大きく寄与した。
91年にソ連邦が崩壊し冷戦が終了するまでは、日本は援助を主体としてアジア外交を活発に推進していった。
冷戦が終わりソ連の脅威が消滅したが、アジアでは北朝鮮の核開発や台湾海峡の緊張などむしろ紛争の蓋然性が高まり、日本にとって安全保障面で米国との関係を強化する必要性が意識されるようになった。
冷戦時にはソ連の圧倒的脅威に対抗する上で日本はアジアでの最前線の役割を果たしていたが、冷戦後は、中国の急台頭、そして南シナ海などへの軍の積極進出が進む一方で、日本側には積極的に米国との協調を図らないと、米国が日米安保条約上の共同防衛義務を果たすことに躊躇(ちゅうちょ)するのではないか、との懸念が強まったこともある。
96年4月に橋本龍太郎首相とクリントン大統領の間で締結された日米安保共同宣言は、そのような認識に基づき自衛隊の役割拡充、米軍との連携強化を強調した。
欧州が冷戦後「平和の配当」に走り軍備費を削減し、欧州の統合に向かっていったのとは好対照だ。
|アジア太平洋協力からインド太平洋戦略へ
|米国同調度合いはさらに強まった
日本も、米国だけに依存する体質は危ういという認識がなかったわけではない。
2000年代初め日本が積極的に旗を振ったのはアジア諸国との経済連携や「東アジア共同体」構想だった。ASEAN+3、東アジアサミット、東アジア多国間自由貿易構想など積極的に東アジア地域協力を推進していった。
しかし、中国の急速な台頭と攻撃的な外交姿勢は東アジアの地域協力の大きな阻害要因となった。一方において米国は「ピボット」(回帰)を掲げ、中東からアジアへと外交軸を転換した。そして東アジアサミット参加を決定し、日米豪印戦略対話やAUKUS(米英豪の安保機構)を発足させ、中国を念頭に置いた安保戦略を進めてきた。
特に2012年の習近平政権発足以降、米国は中国を唯一の競争相手と位置づけ、関与政策を放棄し、同盟国と共に中国を囲い込む政策に転換した。日本もこれと同一歩調をとり、第2次安倍晋三政権以降、従来の中国を含むアジア太平洋協力から、米国に同調し中国をけん制するインド太平洋戦略へと路線を転換した。
ただし、米国は必ずしも中国と全面対決の道を選んだわけではなく、バイデン前政権なども政治や安全保障の面では厳しく対峙(たいじ)するが、経済や貿易面では軍事転用が可能な高度技術の流出は制限しつつ相互依存関係を維持し、気候変動や大量破壊兵器の拡散防止面ではグローバルな協力も行うという政策を追求した。
本来日本は、隣国であり長い歴史を有する中国との関係を米国とは違うベクトルで考えるべきだったし、自律的な外交を進める余地はあった。しかしそうすることはなく、米国の強力な働きかけを前に、安保を中心とした対米協調に走った。
その後日本は、ほぼ対米従属とも見える政策をとり、中国は日本を米国の従属係数としか見なくなっているのが現状だろう。
|外務省「チャイナ・スクール」の排斥
|担当局長や中国大使に中国語研修者はわずか
外務省の人事を見ても、中国語専攻者が重用されなくなったことが鮮明だ。
日本の外交官は、総合職で入省した場合、米語、英語、仏語、独語、西語、中国語、ロシア語、アラビア語、まれには韓国語など、各国の大学で通常2年から3年の研修を受ける。外交をつかさどる外交官は当然、相手国のことを良く知り、その国の言語に堪能なことが求められる。
特に隣国の大国中国との関係では、ことさら重要だ。1990年代に中国を含めアジア全域を所掌する外務省アジア局長を経験した6人のうち、中国語研修の経験者は4人いた。
ところが2000年代のアジア局長(2001年よりアジア大洋州局長)は私も含め12人いるが中国語研修者は一人もいない。ほぼすべてが英語や米語の研修を受け米国に勤務した。
在中国日本大使は国交正常化後の52年間に18人の大使を数えるが、中国語研修の大使はわずか7人だ。中国語研修の経験者がアジア局長、あるいは在中国大使の指定席たるべしというつもりはないが、中国の日本担当局長の何代かに一人は日本専門家であり駐日大使はほぼ例外なく日本語に堪能なことを考えると、日本の例は異様に映る。
幾つかの理由があるのだろう。国際情勢の変化を背景とした日本の国民感情や政治の変化は大きい。そして外務省の人事が政治に左右されやすいということも事実なのだろう。
靖国神社参拝問題や尖閣問題などが顕在化し、対中脅威論が頭をもたげた。そのような雰囲気の中で、特に日本の右派勢力からは中国語研修者は「チャイナ・スクール」と称され、すべて中国寄りになるのではないかとの的外れな偏見をもって見られた。
政官関係が変わり官邸が幹部人事権を握るに至り、チャイナ・スクール出身者を登用する心理的抵抗感は大きくなったということだろう。
|信頼性に欠ける米国の同盟政策
|日本は外交の自律性高める必要
トランプのアメリカは従来のアメリカではない。最大の特徴は自由民主主義とか法の支配などの価値を絶対視することはなく、自国に有利なことを得るための価値観無き「取引」への傾斜に向かうことだ。
同盟国だから共通の目的のために協調しようという気配はなく、「反リベラル」に加え「アメリカ第一」目的をかなえるために有利か否か、という判断基準で政策遂行に至っている。
このことは高関税政策に顕著だが、ウクライナ問題についてもガザ問題についても「同盟国の利益」を重視するという要素は薄い。
先週アラスカで行われた米ロ首脳会談の最大の懸念は、ウクライナや欧州抜きの頭越し停戦交渉となることだった。首脳会談は合意にならないまま終了したが、ロシアが東部南部占領地域について妥協するとも考えられない。
18日には、トランプ大統領とゼレンスキー大統領、EUの主要国首脳との会談が行われ、米ロ首脳だけでなくゼレンスキー大統領も含めた会談を目指すことになったようだが、米国がロシア寄りの立場を崩さず、ウクライナに領土の割譲を迫るのではないかとの懸念は強い。
対中関係についてもトランプ大統領が最も考慮するのは「アメリカ第一」をかなえる取引のだろう。農産物や航空機の大量購入やレアアース輸出といった梃子(てこ)を持つ中国に対して、いかに有利な条件を引き出すかが眼目だ。
従来の米政権は基本的人権の尊重がない中国共産党体制を正面から非難してきたが、トランプ第2次政権では、そこに脚光を当てる気配はない。中台関係についても、トランプ政権が「民主主義を守るため」に軍事介入するとはなかなか考えにくい。
今後とも米国は唯一の超大国であり続けるだろうし、西側の安全保障のためにはなくてはならない存在だ。だが他方、米国の同盟政策は不透明であり、信頼性に欠ける。今こそ日本は米国一辺倒でない自律性の高い外交に再転換すべきではないか。
自由民主主義的価値を守る米国は良くて、共産党一党独裁体制の中国は悪い、といった二分法はもう成り立たない。安全保障面では日米安保体制で抑止力を強化する必要はあるが、独自の防衛力整備の観点も失われてはならない。
中国との関係を改善し、ルールに基づく自由貿易(中国のTPP加入を支援すべし)や安保対話の強化と信頼醸成措置を進めることは、決して日米同盟に反したことではない。むしろ東アジアの安全保障環境を良くすることにつながる。
日本の外務省も安保・米国派の偏重の人事を脱して、中国を含むアジア派を復権させるべきだ。そして政界でも、中国や韓国との交流を行う議員団の活性化を強く願う。
ダイヤモンド・オンライン「田中均の世界を見る眼」
https://diamond.jp/articles/-/370805