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国際戦略研究所

国際戦略研究所 田中均「考」

【朝日新聞・論座】もう官僚になりたいとは思わない?

2020年03月25日 田中均・日本総合研究所国際戦略研究所理事長


 「先生、人生をもう一度やり直せるとすれば、どうされますか? 」
3 6 年勤務した外務省を退官し、東京大学公共政策大学院で教鞭をとっていた2 0 0 7年頃のことだ。官僚になるか、学者の道を進むか、悩んでいたある学生が最終ゼミで私に発した質問だ。
 「勿論同じ道を歩むよ。何回生まれても外交官以外の選択肢はないよ」と、私は間髪
入れずに答えた。
 質問をした学生は外務省に入省し、およそ1 0 年間勤務したが、昨年、外務省を去って行った。彼が外務省を去った理由は他にもあるのだろうが、彼にとっては官僚を続けることに明るい未来を見出だせなかったのも事実だろう。
 近年、国家公務員試験受験者は減り続け、公務員の離職者も年々増え続けている。
また、大手転職サイトへの公務員の登録者は最高水準にあるという。
 私は2 0 0 6 年から1 2 年間にわたり東京大学公共政策大学院で東アジアの国際関係のゼミを担当したが、この間、二十数名のゼミ生が外務省や防衛省等に入省していった。残念ながら、このうち数名は既に退職している。

負のイメージを払拭し働き方改革を
 このような趨勢をどう考えるべきか。少子高齢化の下、内外の情勢は厳しくなっていくし、国の将来を左右する専門家集団は引き続き人材の宝庫であり続けてほしい。そのためにはどうすれば良いのか。
 民間であれば競争原理が働き、優秀な人材を得るために企業イメージを良くし、待遇を改善し、「働き方改革」を推し進めるのだろう。だが、国家公務員の場合、競争原理は働かない。公務員の仕事が国にとって重要であり、公共政策という大きな舞台で仕事をすることの働き甲斐は大きいという精神論だけでは十分ではない。
 今日、日本において企業の給与格差は拡がり、優秀な人材は外資系を含め待遇が圧倒的に良い企業に就職を求める傾向が強くなっている。他の主要先進国と比較しても、給与を含めた総合的な待遇について日本の官僚は劣る。
 近年、国家公務員を取り巻く環境が大きく変わったことは認識しなければならない。特に「高級官僚」を見る国民の目は格段に厳しくなった。
 その背景には、過去、官僚が自分たちの所管の特殊法人へ予算を確保し「天下り」することを当然視していた事や、予算を活用して「裏金作り」を行っていたこと、更には背任罪に問われた人たちもいたことなど、数々のスキャンダルがあった。そのような負のイメージは未だ払しょくされていない。
 今日、多くの特殊法人では公募などの透明な方式で幹部が任命されている。また省が組織的に退官者を民間企業にあっせんすることもできなくなった。過去の官僚の過ちゆえに今日官僚が負のイメージを背負い続けるとすれば、それは不幸なことだ。

未だに滅私奉公の官界
 また一方で、残念なことに、昔から変わっていないのは働き方だ。
 これだけ働き方改革が叫ばれ、政党自身がその先頭に立っているのに、官僚は、例えば議員の国会質問の事前提出を延々長時間待ち、答弁書を用意し、大臣に早朝説明をすることを続けている。睡眠時間を削る日々だ。
 与党や野党への説明に際しては、頭ごなしに激しくバッシイングをうける。政治家は官僚を叩くことに何の痛痒も感じないのか。官僚幹部が人格を否定されるような扱いを受けた時、若手官僚は官僚を続けたいと思うのだろうか。
 旧態依然とした国会との関係だけではなく、行政事務は増え続けている。今日、行政に対する国民の関心や世論を懸念する政治の要請が高まり、多くの業務は屋上屋を重ねるような意思決定になった。政策決定は遅々として進まず、大局を論ずる暇はない。また、民間企業では「ワーク・ライフ・バランス」は確実に向上しているが、官僚の世界では未だに滅私奉公的要素が支配しているようだ。
 給与の面でも、又、国会議員との関係でも官僚はプロフェッショナルとして相応しい処遇を受けるべきだし、民間と同様、働き方改革は推進されねばならない。そのような見地から、非合理な国会質問待機制度は改善されるべきだ( 例えば議員の質問は前日午前中までを期限とするなど) 。
 そして官僚が独善的にならないためにも中途採用を含め官僚への窓口をさらに開いていくべきだろう。政府で働く経験は得難いし、官僚の世界にも多様性を取り入れていくのは良いことだ。そして官僚が民間のダイナミズムを経験することも必要であり、積極的に交流を重ねるべきだろう。
 官僚の待遇改善の問題とも絡み、より本質的な問題は政治と官僚の関係だ。政官関係は大きく変わってきているが、未だに政治家と官僚の役割分担が明確に認識されているとは思えない。プロフェッショナルとしての官僚の力を活用するためには、この点に正面から向き合うことが必要だ。

「政権への忠誠」で人事が決まる
 戦後1 9 9 0 年にいたるイデオロギー対立の時代に政策の継続性を支えたのは官僚だった。経済も右肩上がりで成長しており、外交的にも日米同盟が外交の基軸であることに揺るぎはなく、政策の継続性が重要だった。
 それが1 9 9 0 年代にイデオロギーの対立は終わり、バブルの崩壊と共に成長の時代も終わった。継続よりも変化が時代の要請となった。そして政権交代や政治改革を通じ、政治主導のアプローチがとられた。副大臣や政務官といった政治家が各省庁にも入り、政治家も一定の専門性を持とうという動きもあった。
 政官関係の変化が決定的な転機を迎えたのは民主党政権の時代だった。民主党は「官僚依存からの脱却」という方針を掲げて政権をとった。政官で役割分担をしようということではなく、多くの場合に「官僚を排除して」政策を決めるというアプローチをとったのだ。官僚の自尊心は失われ、官僚機構は大きく傷ついた。
 政権の座に復帰した自民党は「政治主導の人事」と「官邸力の強化」を通じて政治主導体制を強化した。官僚は人事に敏感だ。出世しなければ大事は出来ず、使命感を成就することにはならない。
 過去においては官僚の政治的中立性を担保することや、国家公務員法が求める能力と実績に基づく人事が重要と思われてきた。ところが2 0 1 4 年に設置された内閣人事局では、どれだけ政権に忠誠かが判断基準で人事が決まっていくような印象が強い。能力と実績の客観的評価よりも政権に近いことが重視されるということなのだろうか。
 そうなると官僚は時の政権にすり寄ることに意味を見出していく。そして「忖度」が始まる。森友事件や「桜を見る会」など忖度が行政を歪める。「忖度」をせざるを得ないところに追い込まれ、良心の呵責から命を落とす官僚が出たのは誠に悲しいことだ。

政官関係の見直しをしなければならない
 官邸の力も近年著しく強まった。議院内閣制の下における官邸機能の強化は、官僚機構特有の縦割り行政ではなく、総合的な施策を実現するためだった。
 それが今日、「官邸への権力集中」を実現することと捉えられている。官邸が主導して政治的観点から物事を決め、各省庁はそれを実行する機関であるということか。
 新型コロナウイルス感染対策や消費税関連措置、ロシアとの領土交渉についても専門家の意見は埋没する。官邸にプロフェッショナルな見地から意見をしようとしても官邸に嫌われれば人事に影響を受けてしまう。そしてその結果、すべてのことは国益というより政権維持の道具と化していく。
 ここで改めて、「政治主導」という概念を見直し、政と官の適切な役割分担に繋げなければならない。
 「忖度」の結果、人命まで失われているのにもかかわらず、政治の反省はなく、「忖度」が止む兆候はない。忖度を官僚に強いる体制や体質はなくさなければいけない。
 官僚は国に奉仕する存在であり、政治に奉仕する存在ではない。民主主義の下で、国家の統治を政治主導で行うこと自体が間違いではないが、それはひたすら官僚を味方に引き入れ思うように使うことと同義ではない。政治家の認識を糺す必要がある。
 特に少子高齢化で成長の潜在性が乏しい日本が発展を続けるためには、内政外交面で思い切った施策を講じていく必要がある。そのためには官僚が持つ専門的知見を最大限活用しなければならない。
 このような見地から、内閣人事局には透明性を導入し、官僚の能力と実績の見地からのみ審査を行うガイドラインを策定すべきではないか。
 忖度まみれの官僚に使命感の強い優秀な官僚はいない。そして官邸主導体制のあるべき姿は、思い付きと言われるような政治的パフォーマンスに終始するのではなく、総合的な見地からの政策調整に則った強力な政策の実現にあることを銘記するべきだ。
このような課題は官僚が検討を主導できるものではなく、政治家が政治の意志とし
て取り組まない限り、何事も起こらないだろう。「忖度」を止めるためには政治家が行
動しなければならないことは明らかだ。

朝日新聞・論座
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2020032300004.html
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