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国際戦略研究所 田中均「考」

【朝日新聞・論座】東京五輪で露呈したガバナンス不全~劣化した政治の刷新を託せる指導者像とは

2021年07月28日 田中均・日本総合研究所国際戦略研究所理事長


コロナ禍の開催に説明不足の政府 組織委は許されぬ言動続発
 1964年の東京五輪は日本の飛躍の踏み台だった。その年、日本はOECDに加盟して先進国入り、当時の経済成長率は11.7%だった。その数年後には世界第二の経済大国となった。それから57年後、コロナ禍での五輪開催で、私たちの目の前で展開されていったのは先進国らしからぬ姿だった。女性蔑視発言、開会式作曲家の過去の障害者虐待問題、開会式総合調整を担う者のホロコースト揶揄の過去など、いずれも現代社会では許されない言動だ。これらは人権に対する日本社会の意識の低さを表すととられかねないが、そのような人物を任命した組織委の責任は重い。また、五輪を主導してきた政府は国内の強い反対に対してコロナ禍での五輪の意義を説明し、説得に努力するべきだった。残念ながら五輪開催に至る過程で露呈しているのはガバナンス不全だ。どうすれば乗り越えられるのか。

短期的には厳しく対峙、中⻑期の帰趨は中国の経済展望次第
 日本のガバナンスが不全である背景には政治の劣化がある。私は近年の政治の劣化を「説明せず、説得せず、責任をとらず」という民主主義の基本を無視する「3S政治」だと指摘している。政権にとり、説明せず、説得もする必要がなく、責任をとる必要もないことほど楽なことはない。森友問題では公文書の書き換えを命じられた職員の自殺に繋がった。桜を見る会の問題では不透明な招待の基準や招待名簿の廃棄、前夜祭の費用の問題などを巡り十分な説明が行われなかったのみか、国会での118回にわたる虚偽答弁も問題になったが、責任をとることもなく、結局はうやむやに終わっている。
 コロナ禍での五輪の開催については国民の多くが消極的だった。しかし、菅首相もコロナ対策やコロナ禍での五輪の意義についても明確な説明をしようとせず、ましてや国民を説得するという気配すら感じられなかった。そこで目に付くのは、失言を恐れるのか、防御的な姿勢のみだった。さらに、「五輪を主催する権限はIOCにある」と国内では繰り返し述べつつ、米紙ウォールストリート・ジャーナルのインタビューでは「五輪を中止するのは簡単」と言う。「安全・安心の五輪にする」と言いつつ国民を安心させる具体策を示すこともなく、後手後手の対応に終始した。コロナ防御策についても4回にわたり緊急事態宣言を発し、何故宣言が効果を出さなかったか検証をすることもない。3S政治が常態化し、民主主義統治原則が崩れ、政府に対する国民の信頼感はどんどん薄れている。

「官邸一強体制」―権力集中とチェック機能の喪失
 3S政治がまかり通るのは、権力が首相官邸に集中し、その権力をチェックする体制がないからだ。最近3回の衆議院選挙の都度、自民党は60%前後の圧倒的多数の議席を獲得してきた。そのような連続した選挙の勝利は安倍首相(当時)に強い力を与えた。また、小選挙区制に選挙制度が変わって以降、党総裁・幹事長が公認権や選挙資金配分の権限を持ち、自民党の中央集権化が進んだ。そのような強力な権力に支えられ、安倍首相は官邸への権力集中に取り組んだ。日銀総裁や法制局長官に自らの意向に忠実な人物を据え、いわゆる「官邸官僚」と言われる補佐官や秘書官などに事実上の政策調整権を与え、内閣人事局を創設し省庁の局審議官以上の人事を差配した。「官邸一強体制」の完成だ。その間、検事総長人事にも影響力を行使しようとしたが、それはならなかったのは幸いだ。

自民党から多様性と競争原理が衰微、官僚は忖度横行
 従来、自民党はウイングの広い政党と言われ、リベラルから保守まで多様な政策の差異を有する派閥は首相の座をかけて厳しい競争を行い、結果的にできた政権は派閥の連立政権と言えるほど党内の競争関係を反映していた。そのような自民党においては、首相には常に他の派閥からのチェックが入り地位は容易に危うくなる。それが「官邸一強体制」の下では首相の意向は絶対的で自民党からのチェックの機能は働かなくなった。また、本来官僚は政権政党が変わっても政権党に仕える中立的な存在であり、官僚の本分はプロフェッショナルな見地から政権に提言をするところにあった。ところが内閣人事局の人事基準は必ずしも明らかではなく、首相に忠実な官僚を登用し、そうでない官僚ははじかれていくという傾向が強いと言われている。そうなると官僚は官邸の意向に忠実たろうとし、忖度がまかり通る。強い権力が問題だと言っているわけではない。毎年首相が変わっていくようなことでは日本はますます衰退する。他方、強い権力ほど私物化され、乱用される危険があるので、権力をチェックしバランスさせることが必要だ。そういう認識が重要ではないか。

指導者の条件「使命感・日本の状況への危機意識・ビジョン・旧弊の改革」
 このような政治の劣化を乗り越えるためには、どういう指導者が望ましいのだろうか。第一に必要なことは「指導者としての使命感」だ。権力を手に入れ、維持する事のみを目的とするのではなく、国を良くするという明確な使命感を持っていなければならない。そして強い権力はチェックされてこそ良い権力となる。勿論、指導者が率先してチェックの機能を強化する制度的担保(例えば選挙公認、資金分配などの客観的制度、官僚人事を差配する人事委員会のガイドラインの明確化など)を作ることが必要だが、それに先立ち、まず明確な使命感を持つことだ。第二に、国が置かれた状況について危機意識を持つ指導者であってほしい。この10年の間に日本の国力を示す統計数字は軒並み停滞し、今や民主主義先進国の中でも最低に近い。経済成長率は2012年にはG7中4位であったものが今やイタリアにも抜かれ最下位だ。労働生産性や国際競争力ランキングでも日本はG7中最下位に位置する。人口の高齢化比率や公的債務のGDP比においては世界で最も深刻な国だ。そしてジェンダーギャップ度は世界122位とか報道の自由度は世界67位という。統計数字だけで断じるものではないが、日本は再生が必要だ。第三に、日本の将来についてのビジョンだ。コロナ・パンデミック後の経済対策や競争戦略だけでなく、中長期的な少子高齢化対策、公的債務削減への道筋など目をつむらずビジョンを示してほしい。第四に、今日最大の政党である自民党に限って言えば、この旧態依然とした体質の抜本的な改革をしてほしい。自民党衆議院議員の約4割は世襲議員といわれ、今日でも引退していく古参議員には世襲の影が垣間見れる。今日自民党を支配しているのは長老議員たちだ。新しい血を入れ活気を取り戻してほしい。

選挙は民主主義の最後の砦 今回は日本の危機救う指導者の選択
 もし自民党総裁選を経ることなく衆議院選挙が行われる場合には有権者は「安倍―菅」政権の評価を行うことになる。「安倍―菅」政権が行ってきた3S政治に審判を下してほしいと思う。総裁選が衆議院選挙に先立ち行われる場合には有権者は自民党総裁が日本を変えていくのにふさわしい指導者なのか見極めることになるのだろう。いずれにせよ民主主義を守る最後の砦は選挙だ。国政選挙の投票率は従来70%台あったものが近年下がり続け、前回の衆議院選挙では53%へと大きく落ち込んでいる。私たちは民主主義を守るために選挙にいかなければならない。日本は議院内閣制であり、首相公選制度でもなく、間接選挙による首相選びだ。しかし、今回の選挙は日本の危機を救う指導者を選ぶ選挙と概念して投票をしなければならない。
 このような議論をするとよく言われることがある。日本の首相として選ぶに値する指導者はいないのではないか、そんな指導者がいたら教えてほしい。465名の衆議院議員のなかに今日の3S政治を変えなければいけないという認識を持ち、指導者たるにふさわしい使命感とビジョンを持った議員は間違いなくいる。そういう人たちを指導者とすべきだという政党内の意識を醸成することが重要だ。民主主義各国で政党指導者を選ぶプロセスは極めて競争的で熾烈を極める。日本もそうでなければいけない。その直近の例として自民党総裁選挙をきちんと見届けよう。党員を含む競争的な選挙になるか、派閥の多数派形成だけの論理ではなく優れた指導者を候補者として出し競争的な選挙となるのか。自民党の浮沈だけではなく、日本の浮沈がかかった選挙になるのだろう。

朝日新聞・論座
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2021072700004.html
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