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国際戦略研究所

国際戦略研究所 田中均「考」

【ダイヤモンド・オンライン】コロナ対応の失敗が浮き彫りにした日本の「危機の本質」

2021年05月19日 田中均・日本総合研究所国際戦略研究所理事長


|コロナ・パンデミックは
|⽇本にとって「津波」

 ⽇本の新型コロナウイルスの感染状況を「さざ波」と評した⼈がいる。確かに欧⽶やインドなどに⽐べ⽇本の累計感染者や死者の数は桁違いに少ない。しかし欧⽶との⽐較だけでは問題の本質を⾒誤る。すでに死者は1万⼈を超え、感染の恐怖は⼈々の⽣活様式までを変えた。経済的困窮に苦しむ⼈々や⾃死を選ぶ⼈々が増え、コロナ感染が続く限り経済回復も望めない。今の⽇本のコロナ対応のまずさは、⼀⾔で⾔えば政治の機能不全を国⺠に⽰している。コロナ・パンデミックは実は「さざ波」などではなく、⽇本の本当の危機を露呈した「津波」だと認識すべきだろう。

|⾏き当たりばったりの対策
|「根拠なき楽観論」またも

 いつの間にか⽇本は先進⺠主主義のなかでの劣等⽣になってしまったようだ。実質経済成⻑率は105位(IMFまとめ、2020年)、労働⽣産性はOECD加盟37カ国中21位(2019年)、公的債務のGDP⽐はG7中最下位、さらには男⼥平等度120位(世界経済フォーラム「世界男⼥平等ランキング」、2021年)、報道の⾃由度67位(国境なき記者団「世界報道⾃由度ランキング」、2021年)、そして群を抜く少⼦⾼齢化――。これらの数字だけで⽇本の⼒を判断するつもりはないが、第⼆次⼤戦後、奇跡的な復興を遂げて世界第2の経済⼤国となり、「⽇の昇る国⽇本」「Japan As No.1」と⾔われた30年前との落差は⼤きい。当時、⽇本が「特別」だと思ったのは、結局は根拠なき楽観論だったのだろう。⾼成⻑を⽀えた国内外の環境が変わり制度やビジネスモデルが限界に来て⽇本は変わらなければならなかったが、変化を嫌い旧態依然としたままできた。それにはさまざまな要因があるにしても、最⼤の原因は政治が指導⼒を発揮して政府と⼀体で国全体を新たな⽅向へと動かしてこなかったからだ。

|政治の機能不全を
|コロナ禍が⽩⽇の下に

 ただバブル後の衰退は30年に及ぶゆっくりとしたプロセスだったし、国⺠も⽇々の⽣活でそのことを直接、意識するわけではなかった。ところがコロナ禍では、国⺠の⽣命が⽇々脅かされるなかで、政府の対応の不⼗分さが⼀気に露呈してしまった。政治の機能不全をコロナが⽩⽇の下にさらした感がある。
 国⺠の目には、PCR検査などが徹底されないままの「アベノマスク」配布や、始めたかと思うと全⾯停⽌に追い込まれた「Go To」事業に象徴されるように、政府のコロナ対策は⾏き当たりばったりのご都合主義であり、緊急事態宣⾔の発令や延⻑を含め、後⼿後⼿に回っていると映る。まずは検査を徹底し、陽性者を隔離・治療して感染の拡⼤を抑え、その後、経済回復を図るという、どの国にとっても基本的なやり⽅が徹底されているとは到底思えない。コロナ問題でも⽇本⼈には「ファクターX」があり、欧⽶との⼈種の違いや衛⽣環境の良さなどから感染しにくいといった類いの根拠なき楽観論があった。だが今や東アジアやオセアニア地域のなかでも、中国や台湾、韓国、豪州やニュージーランドなどに⽐べ感染抑制は⼤きく後れを取り、インドネシアやフィリピンなど、感染拡⼤が制御できずにいる国々と新規感染者の数も同じレベルにある。欧州や⽶国にと⽐べても後れが目⽴つ。感染者は⽇本は桁違いに低いといわれていたが、今や新規感染者数では英国やドイツなど欧州主要国の感染者数は⽇本と同程度になっている。これは⽇本のワクチン接種率が⽐べ著しく低いことが⼤きな要因だろう。⽇本はワクチン開発だけでなく調達でも後れを取った。ようやく⾼齢者の接種が始まったが、接種体制でも準備を⽋き、予約の混乱などが連⽇のように報じられて、今や供給量は確保されても接種には結びつかない場合も多いのでは、という懸念すら⾔われる。

|東京五輪はこのまま
|「なし崩し的」開催になるのか

 さらにここに来て対応が懸念されるのが、東京五輪開催問題だ。ワクチン接種が本格軌道に乗れば感染が収束に向かう可能性は⾼いし、それを望みたい。しかしその前に東京五輪開催をどうするのか、⼤きな決断が求められる。だがこれまでのコロナ対応の延⻑で物事が進められていくとすれば、感染が収まっていなくとも「なし崩し的」に開催に⾄る可能性が強い。直近の主要紙の世論調査(朝⽇新聞、5⽉16・17⽇)では8割の⼈々が五輪については、「中⽌」ないしは「再延期」を回答している。諸外国の有⼒メディアも五輪開催のリスクを⼤きくに取り上げている。中には⼗分な知識や情報を持たないで報じられている部分もあると思うが、五輪開催は、菅政権の政権維持の思惑やIOCの財政的理由からのこだわりによるものだという⾒⽅も散⾒される。
 現実問題として、仮に万全と思われる感染対策(選⼿団に対する毎⽇のPCR検査、ワクチン接種など)を実施しても、五輪には、選⼿だけでなくたくさんのスタッフやメディア関係者、警備要員、ボランティアなどが関わる。これらの⼈々に対しても感染対策が必要になる。もしクラスターなどが⽣じたときには開催に踏み切った判断の妥当性が問われ、政権の失態だけではなく、⽇本は「負の五輪」を開催した国として⻑く記憶されるだろう。そのようなリスクを考えると、五輪を開催するなら客観的で科学的な説明を尽くし、国⺠や国際社会に対する説明責任を果たしていく必要がある。
 だがこれまでのコロナ対策に関する意思決定や⾏動の仕⽅を⾒ていると、果たして政府が⼀体となってやれるのかどうか、⼤きな不安を抱かざるを得ない。

|指導⼒を発揮しない政治家
|危機管理意識なく対策は後⼿に

 政府が「失政」ともいうべき⾏動を繰り返している根底には、根拠なき楽観論と、変化を嫌い現状踏襲の姿勢がある。これは、判断⼒や指導⼒を含め政治が機能不全を起こしているからだ。コロナ・パンデミックへの対処を危機管理と捉えれば、状況は異なっていたのではないか。だが政治の判断はそうではなかった。
 危機管理は国⺠の⽣命財産を脅かすような事態にあって、迅速かつ⼤胆に⾏動することが求められる。通常の危機管理であれば官邸に機能を集中し、恒常的な危機管理室を設け、⾸相を⻑とする官邸主導で対応するはずだ。ところがこのコロナ対応では、今も責任を閣僚に分散して事に当たるという傾向が⾒える。⾸相、官房⻑官のほか、厚⽣労働⼤⾂、ワクチン担当⼤⾂などが、それぞれがどういう責任を持ち役割を果たしているのかは曖昧だ。安倍前政権の下で、新型コロナ感染症対策本部が設けられ⾸相を本部⻑とし関係⼤⾂を副本部⻑とする意思決定の機関が設けられたが、これは⽇常的に、さまざまな問題に対処し判断や意思決定をするものではない。
 本来、必要なのは、⽇々の感染状況や地⽅⾃治体、各国の感染状況をモニターし、機敏に⾏動する危機管理本部だったはずだ。そこに⺠間専門家を加えて、専門家の意⾒も聞きながら24時間体制で対処していけば、後⼿後⼿とはならなかったはずだ。緊急事態宣⾔の発令や休業要請などをめぐって、⾃治体の⾸⻑や医療の専門家と政府の間で綱引きやぎくしゃくが目⽴ってきたが、危機管理本部で意思決定をする体制にしておけば、そうしたことは起きなかったはずだ。危機管理本部のスポークスマンが毎⽇、メディアなどにブリーフをすれば、国⺠の理解も進んだだろう。ここという時に果敢に⾏動することができない⽇本の政治の認識の⽢さが今の事態を⽣んでいる。

|政官の信頼関係が⽋如
|「服従」求められ使命感失う官僚

 ⾃分が政府にいた時の経験から考えてみたが、コロナ危機対応での失敗のより本質的な問題は、政府を構成する政治家とそれを⽀える官僚の間での信頼関係が⽋如していることだ。そのために統治がうまく機能していない。例えばPCR検査の能⼒を上げ、もっと徹底した検査を⾏うべしということが、この1年余り⾔われ続けてきたが、この問題もいまだ解決されていない。⽇本は医療体制が充実している国とだと多くの国⺠は思っていたはずだ。ところが、欧⽶より感染者数は桁違いに少ないのに、すでに⼤阪などをはじめとする⾃治体では事実上、医療崩壊の状態だ。これまで、PCR検査の能⼒を拡充できないのはパンク寸前の保健所を所管する厚労省官僚が消極的だからとか、医療機関の医療資源を柔軟に活⽤されていないとか、あるいは医療機関に対する財政的補助が少な過ぎるといった議論が繰り返されてきた。だが、⼀向に事態が好ましい⽅向に進んでいかない。政治の強いリーダーシップやその下での政官の⼀体感が⽋けているからだ。
 官僚側に使命感が薄れつつあることも⼤きな原因だろう。菅⾸相は安倍前政権の官房⻑官の時からも内閣⼈事局を通じて幹部官僚の⼈事を取り仕切ったが、「権⼒に従順」であることが⼈事の判断基準となっていたといわれることが多い。それだけにとどまらず、「⾔うことを聞かない官僚」は更迭されていったようだ。官僚は指⽰に従順であればよい存在と、考えられているかのようだ。だが⽇々このような「絶対的服従関係」を求められると、官僚は「こころざし」、本来の使命感を失してしまう。
 私⾃⾝、⼩泉政権で外務省の幹部だったが、⼩泉⾸相に意⾒すれば更迭されるなどと考えたことはなかった。国家のため⾃分の知⾒に基づいて真正⾯から意⾒を述べるのが官僚のあるべき姿と考え、退官するまで、この使命感をなくしたことはなかった。幸いなことに、当時、官邸の権⼒機構の中⼼にいた福⽥康夫官房⻑官も、そして事務の官房副⻑官として省庁との関係を統括した古川貞⼆郎官房副⻑官も「国の利益」に思いが強い⼈々だった。
 今の官僚機構の⼠気の停下は著しい。更迭されるリスクを冒してまで、官邸や与党に「直⾔」しようとは思わないだろう。そして幹部のそうした姿を⾒ていると、その下で働く官僚もすべからく状況対応型になる。ほとんどの官僚は「国のため」に仕事がしたいという気持ちで⼊省してきている。だが上司が常に官邸を向き官邸の指⽰を待つという姿勢では、官僚としての⾯⽩みもないと感じてしまう。若くして転職していく官僚は少なくない。国家公務員総合職の受験申込者が5年連続で減り、2021年度は前年⽐15%近く減少したというのも、こうした状況を反映してのことだろう。
 ⽇本が危機から脱していくには、まずは政治を変えなければいけないという明確な認識がどうしても必要だ。このままでは⽇本が浮き上がれないまま停滞を続けるということになってしまう。

ダイヤモンド・オンライン「田中均の世界を見る眼」
https://diamond.jp/articles/-/271506
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