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国際戦略研究所 田中均「考」

【共同通信加盟紙】インタビュー「合意の裏に自衛隊役割拡大/普天間返還と『一体』交渉」

2021年04月24日 田中均・日本総合研究所国際戦略研究所理事長


 今月、25年の節目が経過した米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)返還合意。当時の交渉当事者は、沖縄の基地負担軽減交渉が成立した裏には「自衛隊の役割拡大があった」と証言した。混乱を極めた普天間の代替施設案を巡る県と政府のすれ違いも憂う。返還が実現しない現状が長引く背景を探った。

 1995年、米兵の少女暴行事件が発生。沖縄の怒りが高まる中、両政府は日米特別行動委員会(SACO)を設置し、基地の整理・縮小案を話し合った。並行して協議したのが、防衛協力強化を念頭に置いた冷戦後の同盟の在り方だった。

 「沖縄の問題は放置できない。これは日米共同作業でやっていこうと(話した)」。外務省北米局審議官として交渉を主導した田中均(たなか・ひとし)元外務審議官は、国防副次官補だったカート・キャンベル氏(現インド太平洋調整官)と、日米関係の安定化には沖縄の負担軽減が必要だと話し合った当時を振り返る。

 橋本龍太郎首相が96年2月の日米首脳会談で、困難とみられていた普天間返還を提起。キャンベル氏から真意を問われた田中氏は「本気も本気。(負担軽減の)象徴として大事だ」と応じた。

 ただ「米議会に常にあるのが日本の『安保ただ乗り論』。基地の整理・縮小だけでは説得できない」(田中氏)。米政府が自国内に「全体がパッケージだ」と説明できるよう日米は協議を重ねた。

 両政府は、返還合意発表の5日後に日米安全保障共同宣言を公表。これが、朝鮮半島有事を重視した翌97年の日米防衛協力指針(ガイドライン)改定へとつながる。

 田中氏は「日本が役割を果たすことで沖縄の負担軽減を図れるという論理だった。普天間返還だけでは、なかなか動かなかったのでは」と述懐した。

 返還合意に至ったものの、普天間の代替施設を巡っては曲折を重ねた。当初の有力案は米空軍嘉手納基地(嘉手納町など)への統合。防衛庁の防衛局長だった秋山昌広(あきやま・まさひろ)元事務次官は「県内にも嘉手納統合はしょうがないとの雰囲気があり、だいたい了解は取れた。米西海岸で96年夏ごろ『秘密会議』を開き、米側の了解も取ったつもりだった」と話す。

 しかし、撤去可能とされた海上施設案が浮上すると、嘉手納案は「一瞬にして消えた」(秋山氏)。海上案はその後、現行の名護市辺野古沿岸部の埋め立てに変容。旧民主党の鳩山政権が「最低でも県外」を掲げ、頓挫する混乱もあった。政府は2018年末に土砂投入を始め、県との法廷闘争でもつれている。

 秋山氏は一連の経緯を「沖縄の住民にとっては政治不信そのものだ」と表現。田中氏は「政府と県はコミュニケーションの取り方を考え直した方が良い」と残念がった。

(4月24日(土)東奥日報、沖縄タイムス、琉球新報など共同通信加盟紙に掲載)
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