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国際戦略研究所 田中均「考」

【ダイヤモンド・オンライン】ミャンマー民主化への歯車を逆転させてはならない

2021年02月17日 田中均・日本総合研究所国際戦略研究所理事長


|民主化の道筋をつけようと
|ヤンゴンを訪れた20年前

 ミャンマーで軍事クーデターが起こった。軍は非常事態を宣言し、スーチー女史や国民民主連盟(NLD)幹部を拘束し、ミンアウンフライン国軍総司令官が全権を握った。国内では連日、抗議デモが展開され治安部隊との衝突が続いている。今から20年近く前、外務審議官として2002年と03年に当時の首都、ヤンゴンを訪れた情景が頭をよぎる。1990年の総選挙でNLDが勝利した結果を無視し、軍は政権移譲を拒み軍政を続けていた。私は、当時の軍政の意思決定機関だった軍事評議会の第一書記キンニュン大将(軍のナンバー3、のちに首相)や自宅に軟禁されていたスーチー女史と長時間会談し双方の橋渡しをし、なんとか民主化に向けての道筋をつけたいと思った。その後、2011年の民政移管を経て、NLDは15年11月の総選挙と20年11月の総選挙で大勝したが、実に30年にわたる民主化への遅々とした長い道のりだった。クーデターはその時計の針を巻き戻すということになる。

|スーチー女史が語った
|「軍への不信」と国民の支持を得た「誇り」

 当時、自宅軟禁中のスーチー女史との会談で感じ取ったのは、スーチー女史の軍に対する強い不信感と、自分が国民の支持を受けていることに対する誇り、それゆえ容易に軍に妥協はしないという頑なな姿勢だった。夕日が影を落とす窓辺のベンチで、スーチー女史が隙のない英語で強い想いを語ったその表情は私の脳裏に刻まれている。一方、キンニュン大将は軍の情報部と国家情報局を支配していただけに国際社会や国内の動きに精通しており、スーチー女史との対話で解決を見出す努力をすることを拒んではいなかった。私はヤンゴン訪問の途次、タイのバンコクで欧米やASEAN諸国の大使館関係者、国連関係者と会い、ミャンマーで民主化の展望が開けた時には経済制裁で止まっていた新規援助の再開を検討課題とするよう申し合せた。このことはスーチー女史にもキンニュン大将にも伝えて、援助再開には「民主化のロードマップ」が必要だと説き、双方の直接対話を促した。

|逮捕拘束を恐れた軍
|開明派首相解任で混迷に

 軍はスーチー女史が国民の圧倒的な支持を背景に政権の座に就けば、軍の幹部は逮捕拘束されてしまうのではないか、身の安全が守られないのではないか、という不安感を持っていた。一方でNLDにはスーチー女史以外に軍と話せる当事者能力を持つ者がいないという弱点があった。私は、スーチー女史に対して、ミャンマーでは多数の武装少数民族との軍事衝突があるので軍は必要だと説いて、NLDと軍との合意を作るべきだと強調したが、スーチー女史の軍に対する猜疑心は強かった。
 その後、キンニュン大将は2003年8月に首相に任命され、不十分ながら民主化のロードマップも発表した。その年の暮れに送られてきたキンニュン首相からのクリスマスカードには、「全てうまくいっている」と記されていた。しかし、翌04年10月、同氏は首相を解任され自宅に幽閉された。軍の中では開明派で知られ柔軟な考え方の持ち主とされていたが、当時の軍のトップであるタンシュエ上級大将との権力闘争に敗れたということなのだろう。キンニュン大将の力の母体だった軍の情報部も解体され、さらに何故か首都はネピドーに移転されてしまった。

|11年にようやく「部分的民主化」
|NLDの選挙圧勝で軍に危機感

 その後、ミャンマーは部分的民主化への道筋をたどり始めた。2008年5月、議会に25%の軍人議員枠を設けるとともに、国防や治安関係大臣の任命権を軍に認めるなどの軍人の特権を定めた憲法を制定し、10年選挙での国軍系の勝利を経て、ようやく11年に民政移管された。タンシュエ上級大将の引退後、軍人出身で大統領に就任したテインセイン大統領はスーチー女史の政治活動を認め、政治犯の釈放に踏み切るなど、民主化を一歩進めた。その後15年の選挙ではNLDが圧勝し、スーチー女史はようやく国家最高顧問(憲法上外国人の親族がいると大統領にはなれない)としてミャンマーの事実上の最高指導者の地位に就いた。スーチー女史が率いるNLDは軍人の特権的地位を認める「非民主的な憲法」を改正することを掲げており、20年11月の選挙でNLDは圧勝したことから、軍の危機意識が高まり、今回のクーデターになったのだと考えられる。また軍はスーチー女史がロヒンギャ問題で軍が過剰な武力を行使したと認めていることに大きな不満を持つ。今の状況はNLDが圧勝した1990年の選挙結果を受け入れず軍政を続けた頃と似通う。いずれもスーチー女史と軍の間の深い不信感が底流にある。ただ軍は選挙違反をただすためにクーデターを実行し、2月2日に設置した最高意思決定機関である「行政評議会」は半数の民間人を含むとして従来の軍政とは異なると主張している。

|国際社会は何をなすべきか
|最も効果があるのは経済的圧力

 今回の事件は民主化を止める強権による軍の実力行使であることは間違いない。国際社会は一致して軍事クーデターは認められないことを明確にし、スーチー女史ら軍が拘束したNLD幹部らの即時釈放を要求し続けるべきだろう。今明確な意思を示さないと、軍は「一年の非常事態宣言後再選挙を行ない、勝者に政権を譲る」と言いながら、ずるずると強権政治を続ける可能性が強い。
 軍が最も嫌ったのは、スーチー女史が選挙圧勝を受けて憲法改正に走り、軍の特権が奪われる結果となることだ。特に軍自身が多数の関連企業を持ち収益を得ているので、軍人の既得権益を侵されることへの抵抗は強い。現在の憲法の下では議会の軍人枠があるので、憲法改正は困難(三分の二の賛成が必要)だとしても、今回選挙でNLDが予想に反し前回選挙を大きく上回る改選議席の83%獲得して圧勝したこともあり、軍幹部にはNLDが軍人議員にも影響力を行使するのではないかという危惧があったと思われる。
 こうした状況下で、民主化に戻すために最も効果的なのは経済的圧力だ。11日、米国は国軍関係者を中心に限られた10個人と3企業を制裁対象としたが、これはいわば象徴的措置で、今後、包括的な経済制裁措置に踏み出すかどうかは今後の軍の行動にかかっているということだろう。ミャンマー市民の抗議デモは拡大しており、治安部隊との本格的な衝突になれば制裁措置はエスカレートしていかざるを得ない。ミャンマーでは軍政時代は経済制裁などで経済は長く低迷したが、2011年の民政移管以降は外国投資が飛躍的に拡大し、毎年約7%の安定した経済成長を達成している。軍も外国からの投資が再び落ち込み、経済停滞に拍車がかかることは避けたいと思うだろうから、国際社会がミャンマーへの経済協力や投資にブレーキをかけることは大きな意味を持つ。

|中国、ASEANと連携する必要
|「内政不干渉」は許さないこと

 ただそこで避けなければいけないことは、民主主義先進国が経済協力や投資を中心としたミャンマーとの関係を見直そうとしても、周りの国々、特にミャンマーへの投資が大きい中国やASEANの国々が内政不干渉を建前に従来通りの関係を続けることだ。
 ミャンマーは中国とは隣国ではあるが、常に密接な関係を維持してきたわけではなく、軍の中国共産党に対する警戒心も強い。しかし制裁を受けて先進国との関係が希薄になれば中国に傾斜することは容易に想像される。一方で中国にとってミャンマーを通りインド洋に抜ける原油ガスパイプラインは戦略的重要性を持ち、関係を強化したいと考えているだろう。ただそうはいっても米国でバイデン新政権が成立した直後であり、中国も米中対立の火種をさらに増やすことは避けたい面もあるだろうし、ミャンマー情勢の流動化を望んでいるわけでもないと思われる。今後、中国に対する働き掛けは重要となる。
 ASEANもタイのようにクーデターで実権を掌握した軍事政権が存在しており、内政不干渉を建前にする諸国も多い。しかし、ASEANがミャンマーのクーデターを認めない明確な態度をとり、交流を差し控えることの政治的効果は大きい。ミャンマーはASEANの一国として国際社会から利益を受ける場面も多く、ASEAN内で孤立することは避けたいはずだ。

|軍とNLD双方と関係を維持
|してきた日本の役割は大きい

 このような中で日本の役割は従来にも増して大きい。日本とミャンマーはこれまでお互いに対する伝統的に良好な国民感情に支えられ、経済協力関係を中心に時に緊密な関係をつくってきた。日本は軍とNLD双方との関係を維持し、影に陽に民主化を支援してきた。いま日本が行うべきは、米国や欧州、ASEANなどアジア諸国と協議しつつミャンマー当局と対話し、スーチー女史などの解放を実現し、またスーチー女史と軍の対話を実現させるようにすることだ。民主化を一度、味わった人々が専制体制に戻ることを是とするはずはない。米国もバイデン政権はトランプ政権の一国主義から国際協調主義へと変わることを表明している。ホワイトハウスでアジア政策を主導するキャンベル・インド太平洋調整官はオバマ政権下で国務次官補としてミャンマーの軍事政権やスーチー女史との対話を進め、ミャンマーの民主化に直接的な寄与をした人物だ。日本は米国と協議し、できるだけ早く民主化の軌道に戻すという目的の下に、場合によっては役割分担を含め協議すべきだろう。日本はASEANとも極めて緊密な関係を維持しているわけで、容易ではないが、今こそ日本の外交力を示す時だ。

ダイヤモンド・オンライン「田中均の世界を見る眼」
https://diamond.jp/articles/-/262997

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