国際戦略研究所 田中均「考」
【ダイヤモンド・オンライン】新型ウイルス問題は習近平体制の「変化」のきっかけになるか
2020年02月19日 田中均・日本総合研究所国際戦略研究所理事長
|SARS当時より相互依存深く|
|地政学的な影響も大きい|
新型コロナウイルスの感染拡大は一刻も早く止めなければいけない深刻な課題だが、この感染症の拡大がもたらした地政学的影響も大きい。第一にSARSが感染拡大した2003年に比べ中国と各国の相互依存関係は圧倒的に拡大し、世界経済に与える衝撃はSARSの時とは比べ物にならないほど大きい。報道によればWHOが緊急事態宣言を発表した1月30日以降、中国に就航する国際線の便数は67%減少、この影響で累計240万人の往来が途絶えたという。 中国から日本への旅行客も大幅に減少し、観光業や消費市場に与えた影響も甚大だ。いつ感染が終焉するかにもよるが、工場の稼働停止や生産停滞が長引けば、中国経済だけでなく、日本の製造業も、部品供給を含め深刻な影響を被るだろう。だが問題はそれだけでない。中国共産党の統治の「欠陥」にも焦点が当たり始めている。
|「中国の夢」実現で剣ヶ峰の年|
|成長減速で党内闘争の引き金にも?|
2020年は習近平体制にとって剣ヶ峰の年だ。最も重要と考えていることは2012年に習近平国家主席(共産党総書記)が掲げた「中国の夢」の実現、つまり、かつてはシルクロードまでを支配下においた「中華民族の偉大なる復興」を成し遂げることであり、2020年はその一環として2010年比GDP(国民総生産)の倍増を達成することだろう。
ところが米中貿易戦争が長引き、対米貿易の縮小で米国向け製品を生産してきた内外の企業の国外移転が進んだのに加えて、今回の新型コロナウイルスの感染拡大は大きな成長阻害要因となってきた。習近平政権の公約実現には計算上2020年に5.6%の成長を必要とするが、これも怪しくなってきた。高い経済成長の達成が共産党統治の正統性の基盤ともみなされており、公約の実現が危ういことは党内の権力闘争の引き金ともなりかねない。3月5日に開幕予定だった全国人民代表者大会(全人代)もどうやら延期される見通しだ。感染拡大が収まらない状況では、地方から多数の代表を北京に集めるのは難しいだろうし、習近平指導部にとって、さらに深刻なのは、新型コロナウイルスの感染拡大が共産党の統治体制の欠陥と直接結びついているのではないかという見方が国内外で高まっていることだ。
|大幅に遅れた習氏の「指示」|
|統治体制の欠陥を露呈|
感染の拡大を初期段階でなぜ防止できなかったのか?その最大の理由として、共産党一党独裁体制の下で、言論の自由が著しく制約されていることや地方政府の官僚主義的対応と透明性のなさ、さらには共産党中央に諮らなければ行動できないシステムが持つ欠陥などが指摘されている。
武漢市の海鮮市場に赴いた地元民から肺炎の症状が出て、新型コロナウイルスの存在が疑われ始めたのは、昨年12月初旬から中旬にかけてだった。のちに自身も感染し死去した武漢市中心病院の李文亮医師は、すでに昨年12月30日の時点で異例症状の肺炎患者が出ていることを友人たちに警告していた。ところが専門的知見を持つ者ですら新型肺炎患者の存在や問題点を口にすることは政治的に禁止され、李医師は警察により二度とこのようなことは行わないよう「訓戒文」に署名押印を強要されたという。
その後、ウイルス感染は拡大し、1月中旬にかけて患者の数が増えるに従い空港や鉄道の駅で体温測定などの措置が取られ始めた。しかしながら、この新型ウイルス感染症による肺炎が伝染病と認定されて本格的な防疫措置が開始されるのは1月20日に習近平総書記が重要指示を出してようやくだったという。伝染病の拡大防止に最も重要なはずだった1カ月の初動期間が無為に過ぎた。武漢は1100万の人口を擁し、中国中央に位置して北京・上海などを結ぶ交通の要衝であり、感染がわかってから1月20日に武漢市「封鎖」の決定が行われるまでに、なんと500万人以上の人々が武漢から中国全国や全世界に出て行った。
共産党体制下にあって地方は中央の指示があるまで動けず、専門家の知見は政治的混乱を生むとして封殺された。習近平総書記への権力の集中の結果、この間、総書記に感染の情報を上げることすら躊躇されたのではないか。対応の遅れを各方面から指摘されるのは当然だろう。
|中国の“将来”に懸念強まる|
|一党独裁と経済自由化の矛盾|
感染拡大の問題で改めて露呈した共産党統治体制の欠陥は、中国の将来についてネガティブな見方や不透明感を強めることになるのではないか。中国のこれまでの発展があまりに急速だった故に、そのひずみが多々出てきていると見るべきかもしれない。急速な経済成長を実現したにもかかわらず、国民生活の質的な充実が全く追いついていない。基礎的インフラや医療、環境、食の安全を含む国民生活の基盤が貧弱であるにもかかわらず、「一帯一路」に示される対外的な拡張に走っており、このことについて国内の不満が蓄積している、と考えられても不思議ではない。
今後、感染症の予防体制だけではなく、食品安全に関する体制を強化していく必要はあるだろう。そもそもこうした緊急事態になった時の行動指針などを透明化し、共産党の隠ぺい体質を改めていかない限り、今後の中国の経済成長は容易ではない。進出企業や中国経済との関係を深めている外国企業は、今回の経験を踏まえ、今後、中国での操業やサプライチェーン・マネジメントをさらに厳密に考えていかざるを得ないからだ。
中国の将来を巡る懸念はこれにとどまらない。米中貿易協議のプロセスで明確となってきた政府が前面に立っての先端産業育成や、軍との結びつきが疑われるファーウェイに代表される中国のハイテク企業が、「5G(第5世代)」ネットワークの中枢技術を握ることによる国家安全保障上の問題など、「国家資本主義」への懸念は今後、大きな課題となっていくだろう。そして香港を巡る中国政府の強硬姿勢は、「一国二制度」を形骸化させ、結局は、中国本土との一体化を進めていくのではないかという疑念を生んでいる。他方、台湾は再選された蔡英文総統の下で、中国から離れていこうとするのだろうが、これに対して中国がどう対応するかで、国際社会は新たな不安定要因を抱える可能性がある。
これらの懸念は全て同根なのかもしれない。共産党一党独裁体制と経済自由化の矛盾が、ここに来て一挙に表面化したと考えるべきではないか。経済改革開放路線の下で市場主義を取り入れ急速に発展し、国民生活が豊かになったわけだが、一方で一党独裁体制の下で国民の自由は著しく制限されている。国民に対する監視体制は圧倒的に強化されただけでなく、共産党内でも、従来存在していた共産党中央政治局常務委員会の集団指導体制が空文化し、習近平総書記への権力の集中が進んでいるといわれる。権力の行き過ぎを是正し安定させる仕組みもなく、いわば一種の恐怖政治的な趣さえ呈している。あるいは習近平総書記に対して多くの人々が忖度している結果、そうなっているのかもしれない。
|「本質的な変化」を期待|
|日本は協力強化を|
今後、中国はどうなっていくのだろうか。今回の新型ウイルス問題で、中国は改めて世界に対する影響の大きさを意識したと思われる。中国共産党が統治体制の欠陥を真摯に受け止め、ある程度の是正措置を講じていくことになるのだろうか。それとも湖北省トップの更迭で済ませ地方政府の誤りということにするのか。
問題の根源は共産党一党独裁の欠陥という統治の基本に関わる問題だけに、党内での厳しい権力闘争を招来することになるのか。それとも習近平体制は揺るがず現状維持ということになるのか。今はまだ感染拡大が終焉せず、全体的な評価を行うわけにもいかないが、ただこれまでも、資本主義を取り入れ改革開放路線を追求するなど、時に現実に柔軟に対応してきた歴史もある。だから変化が期待できないわけではないが、一方でどれほど本質的な変化がもたらされるのかは見えない状況だ。
変化が難しいものであるにせよ、日本を含む国際社会は中国の変化を期待して協力を強化していくべきだろう。食の安全や環境整備、感染症対策など、日本が進んでいる分野は数多い。現段階では習近平主席の日本訪問は予定どおりとして準備が進められるというが、訪日は日中協力にとっても大変、重要な機会になるだろう。
ダイヤモンド・オンライン「田中均の世界を見る眼」
https://diamond.jp/articles/-/229213