国際戦略研究所 田中均「考」
【朝日新聞・論座】新型コロナは米中そして日本をどう変えていくのか
2020年07月17日 田中均・日本総合研究所国際戦略研究所理事長
新型コロナはここ数年世界で起こっている地殻変動を加速させ、世界秩序は⼀層不安定化しているように⾒える。各国は新型コロナ感染拡⼤防⽌に躍起となり、先進国国内の分断は深まり、政府は内向きとなっている。新型コロナは第⼆波、第三波の感染拡⼤を引き起こすだろうし、新型コロナがもたらす苦難は今後何年も続きそうだ。
国際社会においては、⼀⽅で中央集権的強権国家、とりわけ中国などの独裁的権⼒の強化があり、他⽅では主要先進⺠主主義国、とりわけ⽶国の⺠主主義的統治の退化がある。国際社会は分断され、国際関係は⽶中の対⽴を軸として展開していくだろう。
新型コロナ感染のもたらす影響は誠に⼤きい。
⽶国で何が起こっているのか― トランプ再選は⾄難
再選に向けてトランプ⼤統領には強い逆風が吹いている。最近の世論調査ではバイデン候補に1 0 % 以上の差をつけられ、接戦州でも押しなべて数% のリードを許している。このままだと再選はあるまい。
2 0 1 6 年選挙ではクリントン⼥史は敗北を喫したが、トランプ陣営が選挙資⾦の半分近くをデジタル戦略につぎ込み、ビッグ・データを収集し、特定の有権者に対してS N S を使った徹底的な刷り込みを⾏った結果の勝利だったと伝えられる。既成政治勢⼒を代表したクリントン⼥史より全く公職経験を持たない非既成政治勢⼒のトランプ候補を国⺠は⼤統領に選んだ。
今回の選挙でも劣勢のトランプ⼤統領が予想を覆して勝利するのではないかとみる⼈もいる。
しかし2 0 1 6 年選挙では未知の⼈物に対する期待感が⼤きかった⼀⽅、今回の選挙では国⺠はトランプ⼤統領の何たるかを承知しており、平均⽀持率が極めて低い現職⼤統領としての選挙戦だ。
他⽅、トランプ⼤統領はツイッター、フェイスブック双⽅でバイデン⺠主党候補の1 0 倍の数千万⼈ものフォロワーを持ち、昨今「社会インフラ」と化しつつあるS N S の戦略⾯では優勢と⾔える。しかしそのようなトランプ⼤統領のS N S 選挙戦略にも破綻が⽣じている。カリフォルニア州における郵便投票拡⼤の動きに対し、トランプ⼤統領が郵便投票は不正を⽣むとツイートしたことに対し、ツイッター社はファクトチェックの必要性を表⽰、トランプ⼤統領のつぶやきに疑義が呈された。そして新型コロナ感染拡⼤はトランプ⼤統領に致命的な打撃となった。
本来、経済が順調である限り現職⼤統領には圧倒的に有利な再選をかけた選挙であるが、コロナの終息は暫く期待できず、経済のV 字回復も望めない。ミネアポリスで⽩⼈警察官が過剰な⼒の⾏使で⿊⼈を死に⾄らしめた事件が発端となり全⽶で拡⼤した⼈種差別への抗議運動に際して、⼈種差別への批判より⼈種差別反対デモの暴徒化阻⽌を前⾯に掲げたことも、トランプ⼤統領への非難を強めた。
それだけではない。ボルトン元国家安全保障担当⼤統領補佐官の回顧録は、再選と取引だけに関⼼があるトランプ⼤統領を描き、ロシアの選挙介⼊問題で有罪判決を受け収監直前の政治コンサルタント、ロジャー・ストーンの刑を免除するといった⼤統領の⾏動も強い批判の対象となっている。
おそらくトランプ⼤統領は9 ⽉に⾏われるテレビ討論会でバイデン候補を圧倒し、巻き返しを図りたいと考えているのだろう。今後⼤統領への求⼼⼒が働くとすれば、対外関係の緊張、特に⽶中対⽴の帰趨が選挙に⼤きな影響を与えうるかもしれない。更に仮にバイデン候補が勝利してもトランプ⼤統領は投票の不正疑惑をはじめあらゆる材料と⼿段を⽤いて選挙結果を受け⼊れないといった⾏動に出る可能性もあろう。いずれにせよ⽶国の⺠主主義統治の危機と⾒ざるを得ないのだろう。
中国では何が起こっているのか― ⾹港安全維持法はゲームチェンジャーだ
新型コロナウイルスの感染拡⼤は中国で始まったが、中国内での感染はほぼ終息し、中国は「災い転じて福となす」と考えているのだろう。最近北京の⾷品卸売市場で起きたクラスターも徹底的な( 北京の⼈⼝の半分に及ぶという) P C R 検査と監視体制により抑え込んだ。
中国共産党の統治を正当化しているのは⾼い経済成⻑率であり、今⽇、経済の⼀刻も早い回復に躍起となっている。2 0 2 0 年の先進諸国の成⻑率が5 % を超えるようなマイナスになる中で、中国は成⻑率をプラス化するのはほぼ確実となっている。マスクや医療物資の⽀援や「⼀帯⼀路」関連で資⾦難に陥っている国々への救済などを通じ、確実に影響⼒を拡⼤している。
⼀⽅、先進諸国がコロナ対策で忙殺されている時期を好機と捉えたのか、中国は⾹港、台湾、南シナ海などで強硬策を進めている。特に⾹港への国家安全維持法の導⼊はゲームチェンジャーではないかと思う。
本来、⾹港基本法では⾹港⾃⾝が国家安全法制を⽴法するという事になっていたが、⾹港の⺠主化を求めるうねりの中でその実現は難しくなった。その後も逃亡犯条例改正を巡っておこった⼤規模デモは収束せず、中国はこのままでは⾹港の⺠主化を求める動きは強権を直接⾏使しない限り抑えられないと考えたのだろう。新型コロナの感染拡⼤でデモが規制され静まったタイミングをとらえ、電光⽯⽕のごとく全⼈代常務委員会が⽴法を⾏い、基本法の例外規定を援⽤して⾹港に国家安全維持法を直接導⼊した。
このままでは中国の⼀部でありながら⾼度な⾃治と⾃由な資本主義が認められる「⼀国⼆制度」は破綻するのではないかと危惧される。国家安全維持法の運⽤は中国の厳しい監視の下に⾏われるのだろうし、法の最終的な解釈権は全⼈代常務委員会にあることや、中国治安機関がその出先として国家安全維持公署を設置していること、さらには法に基づく裁判は⾏政⻑官が任命した裁判官が⾏うなど、従来のコモンローに基づく英国の法体系とはかけ離れることが想定される。
⾹港内での対中批判や外国⼈との交流について中国国内と同じような厳格な取り締まりが⾏われるのではないか。まさに⾹港の中国化だ。事実上表現の⾃由が著しく制約される⾹港が、従来「⼀国⼆制度」の下で国際⾦融センターとして果たしてきた機能を維持していけるとは考えにくい。
⾹港への国家安全維持法の導⼊を強⾏した中国は、⽶国との厳しい対⽴の⻑期化を⾒越し、経済的にも⽶国を中⼼とする世界から離脱( デカップリング) していく事を覚悟しているのかもしれない。⽶国が主導するファーウェイなどの中国ハイテク企業を排除する動きや、⽶国への中国⼈留学⽣受け⼊れの厳格化に直⾯し、中国も再び⾃⼒更⽣への道を歩みだしているという事だろう。
⽶国⼤統領選挙でバイデンが勝利すれば、少なくとも中国との間で戦略的な協議は復活されるだろうし、表⾯的には協調のムードが出てくるかもしれない。
しかし今⽇の⽶国の対中国の強硬なアプローチは超党派の⽀持を得ており、⽶中対⽴が実質的に緩和されるとは考えにくい。それどころか、仮に台湾が「⼀国⼆制度」は崩壊したとして独⽴に向けて⼤胆な⾏動をとれば、場合によっては⽶中の軍事的対⽴も俎上に上るのだろう。
そして⽇本はどこへ⾏くのか― ステーツマンシップが求められる
コロナへの取り組みを通じて⽇本の統治制度のほころびが目⽴ち始めた。
政府の⾏動は緊急事態宣⾔のタイミングや検査制度、医療崩壊を防ぐ措置、「G o T o キャンペーン」など専門家の意⾒を取り⼊れて総合的な観点から⼗分練られたものであるとの印象はない。多くが「官邸官僚」と⾔われる⾸相側近の発案であるといったことも⾔われる。
おそらく問題の根源は森友、加計、桜を⾒る会、東京⾼検検事⻑定年延⻑問題、そして河井前法務⼤⾂の選挙法違反問題に共通する⼀種のネポティズム( 縁故主義) にあるのだろう。強い政権が能⼒主義や適材適所といった基準から離れ、権⼒に近い⼈を引き上げ、結果的にそれらの⼈々の忖度により⽀えられるが、同時にそれらの⼈々が間違いを犯してしまうという図式だ。
この間、政権は説明責任を果たすこともない。外交でも、例えば、ロシアの強権主義に対する欧⽶の批判が強い中で、北⽅領⼟問題についての具体的成果も⾒ないまま何⼗回も⾸脳会談を繰り返し、⼗分な説明も⾏われない。それどころかロシアが憲法を改正し領⼟割譲禁⽌を盛り込み、かつ憲法は国際法を優先するとされても、⽇本側は関⼼の表明に留めたままだ。勿論、北⽅4 島の⽇本への帰属は領⼟の割譲にあたらないという⽇ロ間の理解があればよいが、少なくとも報道されているところから⾒れば、そのような楽観論は到底成り⽴つとも思えない。
⼀貫して⾒受けられるのは官僚のプロフェッショナリズムが希薄なことと、短期的思考を超え国家の在り⽅を考える政治家のステーツマンシップが⽋けていることだ。コロナ後の世界は政治、経済、対外関係などのあらゆる⾯において体制の⽴て直しを求められる。
国内に目を向けると、コロナ危機が回避されれば中⻑期的な経済構造再構築の世界となる。コロナで明らかとなった⽇本のデジタル化の後進性をどう打開していくのか、膨⼤に膨れ上がった債務の積み上げのなかどう財政規律を回復していくのか、中⻑期的な成⻑戦略をどう作るのか— — 。対外的には安全保障を⽶国に依存し経済の相互依存関係を中国と追求していかざるを得ないとすれば、どのような外交安全保障戦略を構築していくのか。⽶国⼀辺倒ではとても⽇本の繁栄が確保されるとも思えない。
2 0 2 0 年1 1 ⽉には⽶国⼤統領選挙も終わり、年内には次の政権の輪郭が明らかになり、⽶中対⽴の将来展望も⾒えてくるのだろう。当⾯の⽇本の最優先課題はコロナ感染に終⽌符を打つことであるが、その後、⽇本は将来展望に⼤きくかかわる選択をしていかなければならないことを忘れてはならない。
朝日新聞・論座
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2020071500004.html