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国際戦略研究所

国際戦略研究所 田中均「考」

【掲載記事・論文・講演録】
あらたにす 「悪の枢軸」の今

2011年11月24日 田中均


2011年11月24日「あらたにす」掲載


「悪の枢軸」の今


 10年前の2002年1月、ブッシュ米国大統領は一般教書演説でイラク、イラン、北朝鮮は「悪の枢軸」であると表現し、その後、イラクでの戦争に突入していった。当時、チェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官、ウォルフォビッツ副長官といった所謂「ネオコン」勢力と言われた人々の最大の論点は、テロや大量破壊兵器の拡散はそれを助長するような「ならず者国家」の存在であるとし、「レジーム・チェンジ」が必要であるとした。
 
 米国はサダム・フセイン政権を打倒することには長い時間を必要としなかったが、その後イラクの治安を維持するのに長い戦いを余儀なくされた。米国の失敗の原因はよく練られた占領政策がなかったことであると言われる。ドイツや日本の場合には数年がかりで練られた占領政策がイラクの場合は僅か60日であったという。多大の人命を犠牲にしたイラク戦争は当初開戦の理由となった大量破壊兵器の存在がなく、武力行使の正当性に疑義が生じ、米国の道義的な立場を著しく傷つけ、そして多大の戦費は今日の膨大な財政赤字の原因を作った。このようなイラクの「レジーム・チェンジ」と対照的であるのが、チュニジアで始まったアラブの春といわれる民主化の流れである。
 
 エジプトやリビアにも押し寄せた大衆運動は、長期にわたって続いてきたムバラク政権やカダフィ政権を打倒した。米国の圧倒的軍事力といった外部の力ではなく、国内の力によって打倒されたのである。今後エジプトやリビアに民主的な政権が誕生していくのを望みたいが、少なくとも「レジーム・チェンジ」のコストはイラクとは比べ物にならない。


 東アジアではミャンマーが民主化の道を歩みだしている。ミャンマーの変化が真実のものかどうか見守る必要があるが、このような変化も直接的には外からの力によってもたらされたものではない。私は2002年及び2003年にヤンゴンを訪問し、自宅軟禁下のスーチー女史に面会するとともに当時の軍事政権のナンバー3であったキンニュン将軍(軍事評議会の書記の後首相)と長時間、ミャンマーの民主化のロードマップについて話し合った。
 
 キンニュンは不十分ではあったが民主化についてのロードマップを示し、同時に民主化された暁に軍がどのような扱いを受けるかが軍の最大の関心事であると語った。私はスーチー女史に対して、総選挙で勝利したスーチー女史が政治指導者として政治の表舞台に出ることは当然であるが、そのためには軍の将来についての合意を作ることが必要であることを述べたのを昨日のことのように思い出す。
 
 結局しばらく経ってキンニュン首相は更迭され、民主化の流れは頓挫するに至った。当時望んだスーチー女史の解放、政治犯の釈放、政府とスーチー女史の協力関係の構築といったことが次々に実現されていくのを見て感慨が深い。現在の大統領は軍人出身であり、議会でも軍の特殊な地位を認めている訳で一気に民主化が図られているとは考えられないが、好ましい方向に向かっていることには間違いがない。ミャンマーが韓国やインドネシアの辿った軍事独裁から民主化の道を進むことを期待したいと思う。

 
 ブッシュ大統領が悪の枢軸と述べたイランや北朝鮮はどういう推移をたどっていくのだろうか。
 
 イランの核開発問題は先日の国際原子力機関(IAEA)レポートに示されている通り、より緊急性を高めており、北朝鮮問題はこう着状態である。イランについても北朝鮮についても、そもそも近隣諸国との地政学的要因もあり、米国が軍事力を行使して「レジーム・チェンジ」を試みる蓋然性は高くはなかったが、日本はイランについても北朝鮮についても外交交渉による事態の打開に努めた経緯がある。イランの核問題について日本はイランとの対話のパイプを活用して交渉による解決への働きかけを続けた他、米国を巻き込むべくG8の枠組みを活用するよう米国に働きかけた。ネオコン勢力の高官たちは強い反対をしていたが、パウエル国務長官が押し切ってくれた。残念ながら当時進展するかに見えたイラン核問題もイランにおける大統領の交代で頓挫してしまった。
 
 北朝鮮についても小泉純一郎元首相の訪朝は外交交渉による事態の打開を日本が模索した結果である。米国のネオコン勢力と言われた人々は同盟国日本の首相が北朝鮮という「ならず者国家」を訪問することに賛成であったはずはない。この時もアーミテッジ国務副長官やパウエル国務長官というネオコン勢力とは一線を画す人々がブッシュ大統領に直接働きかけをし、小泉首相のブッシュ大統領との強い関係もあり、米国の異論を押さえ込むことが出来た。イランや北朝鮮の例は、これら諸国を国際場裏に引き出し対話を進めることによって彼らの変化が出てくることを期待した訳だが、残念ながら未だ明確な成果を見るには至っていない。
 

 数年前、保守的論考で著名なロバート・ケーガン氏とソ連の変化が米国の軍事経済的圧力という外からの力によるものかゴルバチョフやエリツィンといった政治家の行動がもたらしたものかを巡って激しい論争になった。確かにケーガン氏の言うようにソ連が発展しようのない環境を米国の軍事力が作ったことも事実であろうが、ソ連の賢明な政治家の存在がソ連の解体を導いたことも否定できない。
 
 私はイランや北朝鮮といった国でも政権の本質的変化をもたらすのは国内の力でしかないと思う。勿論国際社会が結束をして変化を慫慂(しょうよう)する環境を作ることはいかなる場合でも必要であるが、同時に、政策を変えるきっかけをつかむことも重要である。特に北朝鮮に関しては権力の継承も近いと見られている。もっとも、ミャンマーでおこっていることが政権の交代をきっかけとして北朝鮮でも起こるかもしれないと期待するのは楽観的に過ぎるのであろう。
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