国際戦略研究所 田中均「考」
【ダイヤモンド・オンライン】米中露「3強国」の力による“取っ組み合い”に変わった国際ルール、日本外交はどう対応?
2025年05月21日 田中均・日本総合研究所国際戦略研究所特別顧問
|米国は変質、ロシアとの距離は一段と遠く
|当面の課題は米中貿易戦争へのスタンス
米国、中国、ロシアという三つの大国を軸に展開してきた国際関係の構造は変わりつつある。
従来、日本は、この三つの国の中で、米国との間では人権尊重や法の支配といった民主主義的価値を共有し、また安全保障などの戦略的利害も共通の同盟国として、多くの場合に行動を共にしてきた。
「世界の工場」として台頭してきた中国とは隣国であり古くから文化交流もあるが、共産党の一党独裁で人権や法の支配といった民主主義的価値を共有せず、中国が覇権を求めるならば、これを米国と共に阻止するというのが日本の立場だ。
ロシアも隣国ではあるが、米国に次ぐ軍事大国であり、日本は平和条約が未締結で北方領土問題も抱える。冷戦の終了時にも、ロシアの政治的変化を欧米ほど肯定的に捉えたわけではなかった。
しかし、この数年来の米、中、露、それぞれの国際関係や安全保障の姿勢の大きな変化により、日本は外交的スタンスを変えていかざるを得ない。
ロシアによるウクライナ侵略は、国際連合(国連)安全保障理事会常任理事国が、国連を中心につくってきた規範である武力による侵略の禁止を真正面から破るものだった。日本にとっては北方領土問題とエネルギーという二つの課題はあるが、ロシアとの距離は一層遠のいたと言えよう。
深刻なのは、米中対立の激化の一方で、米国はトランプ政権が「米国第一」のもと、自国利害優先の外交、安全保障政策を前面に打ち出し、従来、米国が中心になって進めてきた国際秩序やルールから離れ、古くからの同盟国や友好国との関係悪化もいとわないことだ。
世界は米、中、露の3大国の力によるせめぎあいの状況に変わり始めている。とりわけ日本にとって深刻な課題は、貿易戦争が激化する米中に対する外交スタンスだ。
|価値軽視、自国利益最大化のトランプ政権
|抵抗に限界、トランプ関税の深刻
トランプ政権が体現しているのは「価値」の軽視と「利益」の重視だ。
ロシアとの停戦交渉を前に行われたゼレンスキー・ウクライナ大統領との会談では、メディアがいる面前で、「あなたにはカードがない」と、当事者国を無視し自らが戦争解決の決定者とばかりの居丈高な言葉を発したのには驚かされた。
確かにウクライナが軍事支援などを頼る米国に提供する物理的利益はないが、一方的に侵略を行ったのはロシアでウクライナには本来、ロシアに抗する権利はあり、さらにそれを世界の各国が支援・連携をして戦後の国際秩序を守る「公共益」はあるはずだ。だがトランプ大統領にはそうした感覚もなく、米国がそうした姿勢や行動をとるように求めたゼレンスキー氏の言葉はトランプ氏にはまったく響かなかったようだ。
トランプ氏の姿勢や政策で垣間見えるのは、ルールはさておき、米国にとっての利益を力に依拠して最大化するという姿勢だ。
米中貿易戦争がこれを如実に示している。本来ならば、米国は通商法301条などに基づき、中国の特定分野の貿易を不公正として一定の調査期間の後、追加関税などの報復措置を公示し、利害関係者からの意見聴取をしたあと、何らかの対応をするのが、米国政府のこれまでのやり方だった。
もともとこの通商法301条の措置は、世界貿易機関(WTO)のルールに反する疑いがあるもので、日本も過去度々ターゲットにされ、結果的には日米間の貿易協議により解決されてきた。
解決されない場合には、WTOの紛争処理に持ち込むことも可能だった。しかし、トランプ政権は1962年通商拡大法や77年国際緊急経済権限法などを根拠に鉄・アルミ・自動車などに一方的に関税を賦課するほか、「相互関税」と称し、全ての輸入品に10%の一律関税を課し、更に上乗せ関税として一方的に各国に異なる税率を決めて高関税を賦課するという一方的なものだ。
上乗せ関税については90日間適用を猶予し各国と個別に交渉を行う、としている。しかし国ごとに関税差別を行うのは、明らかに国際貿易の大原則である「最恵国待遇」違反であり、そもそも、一方的な関税引き上げ措置自体が明白なWTOのルールに反する。
しかし現状は、米国の持つ「力」の故に、中国などを除けば各国が従わざるを得ない雰囲気になっていることが、最も大きな問題だと言える。
|力には力で待ったをかけた中国
|米中貿易戦争が示したリアル
トランプ関税政策に対して、中国は対抗して報復関税を課すとして一歩も引くことはなかった。5月12日には、米中の間でお互いが掛け合った異常な高率関税をそれぞれが115%引き下げる合意(一部は暫定措置)が公表された。
相互関税の発動で米株式や米国債などが売られる自国金融市場の混乱に、トランプ大統領も譲歩を迫られたようだ。
米国の力を背景とした一方的な行動に中国が待ったをかけ、力と力の取っ組み合いになったという意味では、国際社会には重要な意味を持っている。
中国については、これまでも例えばノルウェーからのサーモンの輸入禁止とかフィリピンからのバナナの輸入禁止など、中国自身が政治的目的のために貿易や投資を制限する自国本位の行動をすることへの国際社会の強い批判があった。
トランプ関税についての中国の対米批判に直ちに同調はできない。しかし、米中の関税引き下げ合意が極めて短時間で達成され、「デカップリング(分断)」が現実的ではなく、切っても切れない米中間の経済の実態が認識されたことは重要だ。
中国は第1次トランプ政権時代からの米国との貿易戦争から7年かけて、戦略的対応策の準備を行ってきたと言える。
中国は貿易戦争に勝者はないが、米国が関税を引き上げてくるのであればとことん付き合う、中国が降りることはない、とし、結果的には米国に関税引き下げの譲歩をさせた。
この間、ボーイング航空機納入の停止やレアアースの輸出規制など米国に大きな痛みを与える措置をとった。また、iPhoneに至っては携帯本体の80%が中国で生産されていることが露呈、米国はこうした米中間の経済実態に考慮せざるを得ない状況だ。
トランプ大統領はiPhoneの生産基地を中国からインドへ移す動きに待ったをかけ、米国内で生産を行うべきだとするが、米国内に生産能力はなく、新規投資を行うにしても携帯電話の価格は大幅に上がることは自明だ。
ウォルマートの中国輸入品を値上げする動きに対し、トランプ大統領は難色を示しているが、関税が価格転嫁されないことは常識的には考えにくい。
中国では共産党の指導に企業は従わざるを得ないということだろうが、米国で資本主義の論理に反してトランプ氏の意向が通るとは考えにくい。
また米国では、2026年11月の中間選挙を意識せざるを得ない。上院での民主・共和党の勢力逆転は難しいが、下院では可能性は高い。既に関税問題の影響もあってかGDP成長率には大きな陰りが見えており、インフレの再来やリセッションも懸念される。
トランプの米国がいかに専制的といっても究極的には国民の選択に委ねざるを得ないし、中国の専制体制の方が貿易戦争には勝ち残れるのかもしれない。
だが、それも中国が大国だからであり、こうした大国同士の力による取っ組み合いで混乱や打撃を受けることになるのは、世界の多くの国だ。
|ルールに基づく経済貿易推進を
|TPPに米中巻き込む戦略が重要
いずれにせよ、トランプ大統領のルールや価値を重視しない行動は、国際社会全体の構造を揺るがし、日本にとっても影響は大きい。
日本は、南シナ海での海洋進出などで現状を変えようとする中国に対して、一方的な行動は許容できないとして、法の支配を中核に据え、ASEAN諸国やオーストラリア、インドなどと連携するインド太平洋戦略を推進してきた。
だが日本にしてみれば、ウクライナ問題に関する米国のロシア寄りの停戦姿勢や一方的なトランプ関税など、自国利害を優先する米国に同調して、今後も、中国をけん制、対峙(たいじ)することだけがどこまで国益に合致するのかどうか、疑問符が付く。
日本の外交に突き付けられているのは、単にトランプ関税の見直しといった対米交渉だけではなく、トランプ関税を超え米国や中国とどういう関係を構築していくかという問題だ。
少なくとも貿易経済問題では、日本はルールを重視し、国際経済関係がルールに基づき構築、運用されるよう取り組むことだ。残念ながらWTOの紛争処理は米国のボイコットにより動かない。だとすれば、地域の経済連携協定で自由貿易などのルールを維持していくことが重要になる。
その最も効果的なツールは、環太平洋パートナーシップ(TPP)協定だろう。現時点では米国が加入する見通しは暗いが、中国は加入に興味を示している。まず中国やEUの参加に鋭意、取り組むべきだ。そうすれば、米国自身も再考せざるを得ないだろう。
トランプ関税は米国経済に深刻な悪影響をもたらすはずであり、米国が多国間の貿易枠組みに立ち戻るように日本も働きかけの努力をすることが必要だ。
ダイヤモンド・オンライン「田中均の世界を見る眼」
https://diamond.jp/articles/print/365156