国際戦略研究所 田中均「考」
【ダイヤモンド・オンライン】対露“融和”外交や高関税政策、「トランプ主導」で破壊される国際社会の規範と秩序
2025年03月19日 田中均・日本総合研究所国際戦略研究所特別顧問
|ロシアの侵略行為、正当化!?
|自由貿易推進とは真逆の関税引き上げ
ウクライナの停戦をめぐってトランプ米大統領とロシアのプーチン大統領との初の電話会談が3月18日に行われた。
発電所などのエネルギー関連施設への攻撃停止で合意したほか、今後、黒海での海上停戦や完全な停戦、恒久和平に向けて米国とロシアで協議を進めることが決まったというが、ウクライナや欧州の頭越しにロシアとの停戦交渉開始を合意、その後もロシアに融和的な発言を繰り返すトランプ氏主導の交渉で、ロシアに有利な条件での停戦に持ち込まれるのではとの疑念は消えない。
トランプ米国大統領が主導する世界を見ていると、「何かがおかしい」という強い違和感を持たざるを得ない。
つい先日まで、ロシアのウクライナ侵攻は侵略であり、現代国際法では許されないし、中国の南シナ海における活動は力による一方的な現状の変更で許されない、法の支配が重要だと国際社会は論じてきた。特に主要民主主義先進国は規範を維持すべく国際協調を先導してきた。
それが、である。米国はロシアの侵略を非難する国連決議にロシアと共に反対票を投じた。ウクライナで停戦を実現することは多くの国が支持するが、だからといってロシアの侵略行為が正当化されるわけではない。
貿易政策でもこれまで国際社会が進めてきた流れと真逆の方向で動いている。
トランプ大統領は、自分はタリフ・マンであるとして、貿易不均衡を持つ国々に一方的に高率の関税を賦課すると脅し、現実に適用する。これまで米国の指導力の下で、自由貿易推進のため関税や非関税障壁を引き下げていく国際的努力が行われてきた。それが、である。
トランプ大統領は麻薬防止や不法移民対策、さらには米国の製造業保護などいろいろな理由を挙げながら縦横に関税引き上げを宣言し、EUが米国による鉄鋼・アルミニウム・関税引き上げへの対抗措置を行う意向を表明すると、EU産ワインに200%の追加関税を賦課する乱暴な行動を示唆している。
世界は危うい流れを止めなければならない。
|米国は「再び偉大」になっても
|南北問題や気候変動は深刻化
トランプ大統領は一体何を求めているのか、その行動は国内、対外政策ともに「米国第一」で一貫している。
昨年11月の大統領選挙以来、「米国を再び偉大にする(MAGA)」と繰り返してきた。国内的には米国の強さが壊され、製造業は衰退し、不法移民が増え、白人の生活が脅かされているとして、強い米国の復権を叫んできた。
そして、人権を守り人種差別をなくそうとするリベラルな動きを制し、不法移民を強制退去させ、気候変動対策より伝統的エネルギー産業を振興しようとする。対外的にも米国は諸外国に搾取されてきたとし、寛容な政策は投げ捨て、米国の利益を取り戻すため二国間の取引を進めようとする。明確なのは米国の利益を何が何でも最優先するという姿勢だ。
だが国際社会から見れば、トランプ主導で失われていくのは、第2次世界大戦の後80年の間に築かれてきた通念であり、規範だ。
南北問題を緩和するのは先進国の責務として、政府開発援助が各国の努力により大幅に拡充されてきた。2023年の援助実績では米国が66億ドルと、2位ドイツ(36億ドル)、3位日本(19億ドル)を大幅に上回り、とりわけ米国際開発庁(USAID)の人道的援助の役割は大きかった。
ところがトランプ政権ではUSAIDを事実上、廃止し、援助の8割が停止されている。USAIDは諸外国に多様性や公平性といったリベラルな考えを浸透させる先兵だと断じられている。
自由貿易の推進でも、米国が戦後の世界経済を成長させるためには国際貿易による市場拡大が重要だとして、中心的な役割を担ってきた。関税についても、多国間の関税非関税障壁削減の交渉であるケネディ・ラウンドやウルグアイ・ラウンドなどを通じ、関税のレベルを大幅に低下させてきた。
関税を引き上げるのはダンピング防止や緊急避難的措置など限られた場合に限り、それも透明な手続きによるものとされてきた。
それがここに来て、国内の雇用を守るのが第一と、自己利益の達成を目的とする高関税政策である。
気候変動対策や政府開発援助、新型コロナなどの疫病対策はグローバルに行わなければならないが、その中心的役割を果たす気候変動対策のパリ協定や国際保健対策のWHO(世界保健機関)から米国は脱退を表明した。
|失われる「法の支配」の概念
|強国による利益確保の世界に
政治面でも国際関係の基本をなす「法の支配」の概念が失われていく状況は、ウクライナの停戦交渉を見ても明らかだ。
戦後国際法の根幹は、国連憲章でも明確にうたわれている「侵略戦争」の違法化だ。歴史的な経緯はどうであれ、一方的に侵略を受けたウクライナを支援し、侵略をしたロシアを非難するのは今日の国際関係を律する最も重要な規範だったはずだった。実際、バイデン前政権までは米国はそうした規範や秩序の維持を主導してきた。
トランプ政権が掲げる「停戦」の必要性には異論はないが、だからといってロシアの行動を不問に付すような行動を是とするわけにはいかない。
トランプ政権が好む二国間での「取引」も国際秩序を大きく損ないかねない。米国が二国間の取引を好むのは取引の背景にある「力」が米国に圧倒的に有利に働くからだ。しかし正しい理念を実現するための取引であればともかく、トランプ政権の取引は特定の理念の追求というより、多くの場合、米国の一方的意思と利益確保の押し付けになっている。
それを露骨に示したのは、停戦という成果を得るために、侵略された側のウクライナに軍事支援停止をちらつかせ、さらには希少資源の提供まで求めて米国の停戦案をのませたことだ。
ウクライナに対する軍事支援は、核兵器国ロシアの侵略を非難するという理念の下でバイデン前政権も含めてNATO諸国が行っていたはずだった。だがトランプ政権は希少金属資源という見返りを要求している。
|米国自身が失う利益が大きい
|求心力弱まり国際関係は一層不安定化
これまで国際社会が時間をかけて培ってきた通念や規範の破壊は、国際関係を著しく不安定にするだろう。だがそれだけではない。米国自身が決定的に重要なものを失うことになる。
米国はこれまで国際社会の規範を作りそれに基づく秩序を維持するため行動し、それにより西側の盟主という立場を堅固にしてきた。指導者であることにより得た利益も多いはずだ。
世界の平和維持だけでなく、自由貿易を推進する、地球温暖化を防止する、或いは疾病を駆逐するという行動は一定の規範に基づく国際協調によって初めて可能になるものだ。
これまでの圧倒的な指導者である米国が国際協調から離脱してしまうことで国際社会は求心力を失う。国際社会、とりわけ先進民主主義諸国はこのようなトランプ政権の行動に団結して抗していかなければならない。米国もそのような行動を続けることにより自身が失う利益は大きいことを認識すべきだ。
これまではロシアや中国は基本的人権の尊重や法の支配という観点から望ましい体制ではなく、それに比べ米国をはじめとする西側先進国は国民の権利を尊重する優位な体制だと論じてきた。
しかしここにきて、規範を損ねていくトランプ的世界が真に好ましい体制なのかとの反論が当然、専制主義、権威主義的な国からも出てくるだろう。それは単に西側諸国の力をそぐだけではなく、グローバルサウスといわれる諸国に、トランプ政権の米国はロシアや中国という権威主義国家と変わりはないではないかといった印象を強めることになるだろう。
国際関係は一層、不安定化する懸念ばかりが強まる。
ダイヤモンド・オンライン「田中均の世界を見る眼」
https://diamond.jp/articles/-/361368