国際戦略研究所 田中均「考」
【ダイヤモンド・オンライン】米国の「統合抑止」戦略は機能するか、試金石はウクライナ戦争収束と台湾有事回避
2024年05月15日 田中均・日本総合研究所国際戦略研究所特別顧問
|止まらぬウクライナ、ガザ戦争
|「統合抑止」で平和は実現するか
世界の分断や不安定化を象徴するウクライナ戦争やガザ戦争だが、止まる見通しはなく、泥沼化している。
ウクライナ戦争では、米国の軍事支援再開が決まったが、その先手を打つようにロシアは7日、ウクライナ北東部ハルキウ近くで国境を超えて新たな軍事侵攻を始めた。ガザではイスラエル軍がガザ南部ラファへの進攻を進め、ようやく本格的に停戦に向けて動き始めていたイスラエルとハマスの交渉はまた中断してしまったようだ。
ウクライナ戦争はロシアによるウクライナへの侵略戦争であり、ガザはイスラエルによる国際人道法を無視した攻撃だ。国際社会の規範に照らせば、戦争が停止されてしかるべきだし、国際連合が役割を果たすべきだ。しかし、国連安全保障理事会で強制力を持った形での決議は成立しない。ロシアの拒否権およびイスラエルを擁護する米国の拒否権が行使される限り、安保理は機能しない。
世界の警察官の役割を担うことをやめた米国がこうした状況の下で打ち出している安全保障戦略が、同盟国と一体になって軍事面だけでなく経済制裁や外交圧力などを使って世界の安定を実現する「統合抑止」の考え方だ。
戦略が功を奏するのか、当面の試金石はウクライナ問題と台湾有事の回避だ。
|「世界の警察官」の立場取らず
|米国の抑止力による秩序維持困難に
第2次大戦の反省と教訓から国連を中心とした世界平和の実現が目指されてきたが、その実効を上げるため国連憲章は国連軍の結成を想定していたと思われる。
しかし米ソ冷戦の勃発は国連軍の構想を夢と化した。冷戦が終了した後は、国連安保理決議で国連加盟国に武力の行使を容認することにより国際秩序を維持することができるのではないかと思われた時期があった。
実際、湾岸戦争では、米国に主導された有志連合が国連安保理決議を履行すべくクウェートを侵略したイラク軍を駆逐した。これは安保理決議に基づく「集団的安全保障」が機能したまれな事例だ。
しかし、2001年9月11日に米国で発生した同時多発テロを受けての米国のアフガニスタン侵攻は自衛権の行使としての戦争だったし、03年のイラク戦争は大量破壊兵器の拡散防止を名目としていたが、国連決議により承認されていたわけではなかった。つまりこれらは米国の一極体制の下での米国の戦争だった。
アフガニスタン戦争に端を発する20年にわたる米国の中東での戦争は21年8月の唐突なアフガニスタンからの米軍撤退により幕を閉じる。
それまでは、必要となれば米国は国際秩序維持のために武力を行使する決意と時によりそれを実行することで、米国による抑止力は維持されてきたが、米国はもはや世界の警察官ではないとの立場を鮮明にしたものだった。
いまの米国は、唯一の超大国として圧倒的な軍事能力はあるが、国際秩序維持のためにそれを使う意思はないということだろう。
それだけが理由ではないが、ロシアは米国の介入はないとみてウクライナを侵略したわけだし、米国やNATO(北大西洋条約機構)はウクライナに軍事支援はしてもロシアとの直接衝突は避けるとみて、強気の態度を維持しているのだろう。
イスラエルも、米国はイスラエルの戦争継続を本気で止める意図はあるまいとみて執拗(しつよう)にガザ攻撃を続け、3万5000人の死者を数える。
|同盟国と一体で中国・ロシアと対峙
|軍事面だけでなく経済制裁や外交圧力
こうした国際情勢の下で集団的安全保障も、これまでの米国の圧倒的な軍事力やその行使をもっぱら支えにした形での秩序維持や安全保障の性格は弱まっている。
米国は国家防衛戦略で「統合抑止」という考え方を打ち出している。これは同盟国と一丸となり、軍事面だけではなく経済制裁や外交圧力、さらには陸海空だけではなく宇宙やサイバー空間など統合的に抑止力を維持しようとするものだ。
もう米国だけで世界の警察官的役割を果たすことはなく、同盟国と一体となり、中国やロシアといった軍事大国に抗していくとする。欧州におけるNATO、アジアにおけるAUKUS(米英豪)、日米韓、QUAD(日米豪印)などの安全保障ないしは戦略的連携体制は統合的抑止の考え方を包摂するものなのだろう。
しかし統合的抑止の考え方が、新しい安全保障の基礎として実効的なものかどうかは、どうウクライナ戦争を終結させ、ポスト・ウクライナの欧州安全保障を担保できるのか、さらに、中国との関係で衝突に至ることなく関係をマネージできるか、とりわけ台湾有事を防げるかにかかるのだろう。
|ロシア占領地の扱いや欧州での衝突回避
|NATOとロシアの信頼醸成の枠組みどうつくる
欧州の安全保障にとっての最大の関心事はウクライナ戦争を終わらせ、かつ、欧州とロシアの直接の衝突を避けるような戦後の体制をつくることだろう。
ウクライナ戦争がロシアの勝利で終わるといった事態になれば、正義を失うだけでなく、ポーランドやフィンランドなどロシアと国境を接する国々が将来的に直接脅かされることになってしまうので、避けなければならない。
一方で、欧米諸国がウクライナに軍事支援を無限に続けることにも限界はあるだろう。バイデン政権の下ではウクライナ支援は続くだろうが、米国内の分断も激しく、欧州の国々の姿勢も割れ始めている。
軍事的圧力を維持した上で停戦を交渉することができるのか。
停戦実現には、国際社会の正義を守るとともに、ポスト・ウクライナの欧州の安全を考えれば、戦争の停止とロシアが占領しているウクライナ領土の将来の扱いをどうするかに加え、NATOとロシアとの間で包括的な信頼関係を醸成する枠組みが必要になる。
NATOおよびG7(先進7カ国)が導入した経済制裁の段階的停止も議論の俎上(そじょう)に載せざるを得ないのだろう。プーチン大統領は5月から通算5期目に入り、36年までに至る超長期政権の政権基盤を固めつつある。米国は秋の大統領選挙で誕生するのがバイデン政権であれ、トランプⅡ政権であれ、包括的な和平の枠組みを模索すべきなのだろう。まさに統合抑止の実効性が問われることになる。
NATOが団結を維持できるのか、軍事的圧力だけでなく、強い経済制裁を維持できるか、そしてNATOを代表する形での米国の外交力が機能するのだろうか。
|中ロ連携に走らせない対中マネジメント
|対話は米中だけでなく日韓も含める枠組みで
アジアでも米国を核とする統合抑止の仕組みは整いつつある。それに加え、米国と中国は昨年11月のサンフランシスコでの米中首脳会談以降、閣僚レベルの協議を集中的に進めている。競争、対立はしても衝突はしないという首脳間の基本的な一致がある。
米中が対話を増進するのは好ましいことではあるが、やはり衝突を避ける上では信頼醸成の枠組みが必要だ。それも米中間だけでは不十分だ。米国が統合抑止を言うのであれば、中国との信頼醸成の枠組みも日本や韓国を含む形にするべきだろう。
統合抑止が真に実効的であるなら中国の台湾軍事統一は抑止されることになるのか。
軍事バランスから見て27年には中国の台湾統一の機は熟すると分析する軍事関係者は多い。習近平総書記は2期10年の任期を超え、3期目に入っている。27年はその3期目が終了する節目に当たり、おそらく台湾統一は習氏自身の悲願といってもよいだろう。
一方、共産党による一党統治の下で、中国がこれまで通り高い経済成長を維持できるかどうかは怪しくなっている。不動産に代わる成長分野を見いだすことができるか、若年層の失業を緩和できるか、都市と農村との不均衡を是正できるか、外資流出の弊害を緩和できるかどうかなど解決が困難な課題は多い。
いずれにせよ成長のスピードは落ちていくだろうし、国民の不満を吸収するために愛国心を鼓舞することにならざるを得ないのだろう。習近平政権が、西側との関係を犠牲にして台湾統一に走り、ロシアと連携して西側と対峙(たいじ)・分断していくことも十分考えられる。
真っ二つに分断された世界は米国や日本にとって負担の大きい世界であり好ましくない。そのような世界を招来しないように統合抑止の下で軍事や経済圧力を背景として外交が果たし得る役割もまた問われる。
ダイヤモンド・オンライン「田中均の世界を見る眼」
https://diamond.jp/articles/-/343720