国際戦略研究所 田中均「考」
【ダイヤモンド・オンライン】イスラエルの本格報復秒読み、中東再流動化にとどまらない「ハマス襲撃 」の衝撃度
2023年10月18日 田中均・日本総合研究所国際戦略研究所特別顧問
|イスラエル軍、地上進攻でガザ地区包囲
|国際社会は「2つの戦争」に耐えられるか
パレスチナ自治区を実効支配するイスラム組織ハマスによる突然のイスラエル襲撃を受けて、「ハマス撲滅」に向けたイスラエル軍のガザ地区への本格的な地上侵攻が秒読みといってもいい段階だ。今後、イスラエルが圧倒的に優位な軍事力でハマスを駆逐し、ガザを制圧するだろうことは想像に難くない。しかし、その間、ハマスにとらわれた外国人を含む200人前後とされる人質の運命、さらには世界で最も人口密度が高いガザでの市街戦が多くの市民を巻き込むだろうことを考えると、事態はイスラエル・パレスチナ紛争を激化させるだけでなく中東地域の安定を大きく揺さぶることになる。その影響は中東にとどまらず、ガザ問題を巡って米欧VSロ中の対立の図式になる可能性がある。国際社会はウクライナ戦争に続く「2つの戦争」がもたらす分断に耐えられるだろうか。
|原油先物価格は上昇
|中東情勢は流動化していく
10月7日のハマス襲撃以降、中東情勢不安定化の懸念から原油先物価格(WTI)は、直近では1バレル87~89ドルに上昇し、16日の東京株式市場でも世界経済の先行きの不透明感などから日経平均株価は一時、700円を超える下落となり、終値も先週末から656円安の3万1659円となった。17日は少し値を戻したが、株式市場の不安定は今後も続くと考えられる。
国際情勢も、中東地域の不安定化だけでなく、米国や欧州の政治に相当大きな影響を与え、そしてロ中の思惑もあり、国際政治構造を大きく揺さぶることになりかねない事態だ。中東では、2011年以降、本格化した一連の民主化運動、いわゆる「アラブの春」によるチュニジアやエジプトなどの政権交代で絶対的権威が消滅するなどの政治変動や、シェール革命によるエネルギーを巡る力学の変化、そして米軍の撤退という「力の空白」を生んだ。その間、イスラム教スンニ派とシーア派の対立、イランの脅威の増大とイスラエルとの対峙といった対立軸の一方で、アラブ諸国は「アラブの大義」や「アラブの連帯」よりも、国民国家的に経済建設を優先する姿勢が目立ちだした。米国トランプ政権が主導した「アブラハム合意」によりイスラエルと、それまで敵対していたアラブ首長国連邦、バーレーン、モロッコなどとの関係正常化が行われ、直近では、サウジアラビアとイスラエルの国交正常化も近いといわれていた。こうした接近は、アラブ諸国が経済建設でイスラエルの高い技術水準から得るものが大きいと考えられたのだろう。今回のハマスのイスラエル襲撃は、イスラエルとアラブ諸国が関係正常化に動く中でパレスチナの自治・独立が後ろに置かれることに危機感を強めたハマスが改めてパレスチナ問題への各国の関心を集める狙いがあったともいわれている。
|イスラエルとアラブ諸国
|関係正常化の動きにくさび
イスラエルのガザ報復攻撃が始まれば、イスラエル・パレスチナ紛争はさらに泥沼化する一方で、こうした正常化の動きにくさびが打たれることになる。既にサウジアラビアとイスラエルの国交正常化交渉は凍結されたと伝えられる。イスラエルもパレスチナ市民への攻撃に対する国際社会の懸念に一定の配慮をせざるを得ないだろうが、ガザ報復攻撃とその後のイスラエル軍による占領が多くの市民の犠牲を出す仮借なきものになればなるほど、アラブ世界は再びアラブの連帯、反イスラエルの様相を呈していかざるを得ないのだろう。特にイスラエルのネタニヤフ右派政権との摩擦は拡大する。
中東ではサウジアラビアと並ぶ大国ながら独自外交を進めるイランがどう動くかがもう一つの焦点だ。イランはハマスにも支援を行っているといわれてきた。しかし、レバノンで活動するシーア派ヒズボラとは異なり、その結び付きは強いものではない。今、ハマスの軍事活動を直接的に支援し、イスラエルや米国にイラン非難の口実を与えることは考えにくい。イランは中国の仲介によりサウジアラビアと国交正常化を合意し、今後、BRICSへの新規加入や上海協力機構を通じロ中との連携を急速に強める可能性はある。だが今の時点ではイスラエルやイスラエルを支持する米国と直接的に対立することは望んでいないのだろう。イスラエルの出方を見ながら、むしろガザ地域でのイスラエルとハマスの戦闘が本格下した際には、ヒズボラやハマスのイスラエルに対する軍事活動を間接的に支援することに止まるのではないか。イスラエル軍によるガザ地区侵攻が迫る状況で、ブリンケン米国務長官が関係諸国との調整に動き、18日にバイデン大統領がイスラエルを訪問することが発表された。
ただ米国は、人質となった自国民を救出するために米軍を投入する可能性はあるにしても、圧倒的な軍事力を背景に世界の警察官として行動することはないだろうし、国内政治的要請に押されイスラエル支持に傾けば傾くほど、中東の安定を図る当事者とはなり難い。米国の力を欠いた中東はイスラエルとパレスチナの対立、イスラエルとアラブ世界の融和の動きの凍結、反イランといった対立軸を中心に再び流動的な地域となるのだろう。
|米国大統領選挙への影響は甚大
|「イスラエル支援」を競う展開に?
今回の事態は米欧政治にも大きな影響を及ぼす。米国では来年の大統領選挙に向けて、バイデン大統領対トランプ前大統領の対立の構図が固まりつつある。トランプ前大統領が4件の刑事訴訟を抱えていながらいまだ共和党内で大統領候補者として他を圧しているのは、「アメリカファースト」の主張や独特の政治スタイルや発言が、既存の政治やメディアの体制に反発を抱く一部の米国民の熱狂的な支持を得ているからだろう。こうした中、ウクライナ支援問題とイスラエル支援問題は大統領選挙の鍵を握る要因となり得る。ウクライナ支援については、トランプ前大統領や共和党はウクライナ戦争が長期化する状況で巨額の軍事支援を続けることには消極的だ。米下院は、「つなぎ予算」を巡って共和党の内紛からマッカーシー議長が解任される異例の事態となっているが、一連の経緯にはウクライナ支援予算を巡る紛糾があった。先週末にはトランプ前大統領を支持する共和党強硬派議員が後任候補者になったが、共和党穏健派議員の反対もあり、下院の過半数を得て選出される見通しは薄い。この混乱の収拾の見通しはまだ立っていないが、仮に新議長が選出されたとしてもウクライナ支援問題は共和党強硬派とバイデン大統領の対決事案となっていく。
一方、イスラエル支援問題は、米国政治ではウクライナ問題以上に複雑な内政問題だ。トランプ前大統領は、在任時代、米国に750万人といわれる強力なユダヤ・ロビー、さらには8000万人を超えるといわれる保守色が強いキリスト教福音派の支持を受け、米国の中東政策を大きくイスラエル寄りに展開した。イスラエルが強く望んできたエルサレムを首都と認め大使館を移転し、「アブラハム合意」でイスラエルとアラブ諸国の国交正常化を主導した。バイデン大統領も大統領選挙を念頭にハマスを強く非難し、イスラエル支援を前面に出していくだろう。だが民主党左派は、司法を弱体化する司法改革を進めるネタニヤフ政権に批判的であり、仮にイスラエルがガザで民間人の大量殺戮を伴う攻撃を展開する場合には、人道上の見地から、強く問題視するだろう。
そもそもイスラエルが封鎖するガザ地区の住民の劣悪な環境やイスラエルによるパレスチナ人に対する非人道的ともいえる扱いが知られれば知られるほど、パレスチナへの同情は強くなるだろうし、米国や欧州ではユダヤ人ロビーなどのユダヤ人組織とパレスチナ難民を中心とするアラブ系市民が衝突をする事態も懸念される。一方で今後、米国人人質が殺害されたりするような場合には、米国政府の対応が軟弱だとしてバイデン大統領批判につながっていく可能性は高い。いずれにせよイスラエル支援を巡りトランプ前大統領は攻勢に出るだろうし、米国大統領選挙の帰趨に影響を与えるだろう。
|パレスチナ寄り鮮明なロシア
|ガザ巡っても米欧VSロ中の構図
国際政治の動きを見れば、米欧がイスラエルの側に立ち、ロシア・中国がパレスチナの側に立っているような印象を与えている。ロシアや中国は、ウクライナ問題とは裏腹に、皮肉にもガザ地区の問題を「人道上の問題」として、イスラエルのガザ侵攻の動きをけん制している。プーチン大統領は、イスラエルの入植政策を批判、状況の悪化は覇権維持を狙う米欧が招いたと、ウクライナ侵攻の正当化するのと同じ論理で米欧を批判する。また中国の王毅外相は、サウジアラビアのファイサル外相との電話協議で「イスラエルの行為は自衛の範囲を超えている」「ガザの人々への集団懲罰をやめるべきだ」などと語ったことが伝えられている。ロシアや中国は、シェール革命による米国の対中東エネルギー依存の低下や米軍のイラン、アフガニスタンからの撤退などによる米国の中東への関心の低下の隙に、アラブ諸国との連携を図り中東での影響力を強化しようという姿勢が鮮明だ。ロシア、中国のイランとの関係強化も鮮明となっており、ガザ問題を巡っても米欧対ロ中の対立の図式となる可能性はある。
|懸念される国際的分断とコスト上昇
|テロとその報復は悲惨な結果生むだけ
また中東情勢の流動化が進むにつれ国際エネルギー価格がさらに上がるだろうし、そうなれば、ウクライナ戦争によるエネルギー・食料価格や輸送コストの上昇がもたらしている世界的なインフレに追い打ちをかけることになる。ウクライナ戦争は終わる気配がなく、米欧の対ウクライナ軍事支援にも無限に続けるというわけにはいかないだろう。果たして国際社会はウクライナとガザにおける「2つの戦争」、それがもたらす国際的な分断や経済のコスト上昇にどこまで耐えられるのだろう。
バイデン大統領はハマスに報復するのはイスラエルの権利であり責務だと言う。確かに今回のハマスによるイスラエル奇襲は2001年の米国を襲った9.11同時多発テロを思い起こさせる。しかし9.11とそれに対して20年続いた米国の軍事行動が多数の犠牲者を生み、今の米国の指導力の低下を生んでいることも認識する必要がある。ハマスの奇襲は多くの市民の犠牲を生んだ紛れもなく許し難いテロだが、それに対する報復が同じようにパレスチナ市民を殺戮するようなものであってはならない。日本はG7の議長国としてテロの非難、人道の重視、軍事衝突の早期停止を中心に中長期的視点に立った明確なメッセージを国際社会に発出するべきだ。
ダイヤモンド・オンライン「田中均の世界を見る眼」
https://diamond.jp/articles/-/330780