国際戦略研究所 田中均「考」
【ダイヤモンド・オンライン】ウクライナ戦争泥沼化、「台湾有事」回避に外交は機能するのか
2023年08月16日 田中均・日本総合研究所国際戦略研究所特別顧問
|軍備増強、抑止力強化に走る世界
|NATO、日本は国防予算GDP比2%
ロシアのウクライナ侵攻から1年半がたつが、和平や問題解決の展望はまったく見えない状況だ。それどころか、各国は抑止力強化に走る。これまで先進民主主義国として、実質的には西側と同一歩調を取りながら国境を接するロシアの脅威に対して中立政策をとってきたフィンランドやスウェーデンは、長く続いた中立政策を捨て、NATO加盟に走った。NATO諸国自身も冷戦終了時には「平和の配当」として低いレベルの国防予算を維持してきたが、今や「最低でもGDP比2%」の水準の予算増額に合意している。「今日のウクライナは明日の東アジア」とばかり、日本も2027年までにGDP比2%の防衛予算を確保するという飛躍的な防衛予算拡大に踏み切った。
一方で、平和維持のための有力な手段と考えられてきた経済などの相互依存関係拡大の勢いも止まった。米中対立、さらにウクライナ戦争を機に世界は対立と分断が進むなか、外交の影は薄い。中国の膨張やロシアの侵略を止められず、今もウクライナ戦争が続いているのは外交が機能していないからではないか。
日本の安全保障の最大の懸案である「台湾有事」を防げるのかにも、不安が募る。冷戦時代を含めて、日本はこれまで極めて抑制的な防衛政策をとってきた。だが「中国膨張」など、東アジアでの脅威の拡大の前に大きな政策転換を図ろうとしている。安保関連三文書の改定により、敵のミサイル基地を武力で攻撃する「敵基地攻撃能力(反撃能力)」の保有を打ち出し、ミサイル防衛システムなどの装備拡充などで、5年間に防衛費を総額43兆円まで増やすことを決めた。同盟国である米国は「包括的抑止力」の概念を掲げ、米英豪(AUKUS)や日米、米韓の同盟強化、日米韓の連携強化を追求する。軍事同盟とは言い難いが、日米豪印の戦略的連携(QUAD)も重視されている。
|経済の相互依存関係も
|平和への鍵ではなくなった?
世界ではこうした軍備増強の動きの一方で、平和維持のための有力な手段と考えられてきた経済などでの相互依存関係構築の拡大の勢いも止まった。例えば、欧州では、冷戦終了後、欧州統合への動きが加速したが、いまは対ロシアに対する対抗軸に変わりつつある。もともと、欧州大陸での2度の世界大戦の反省から独仏の和解の方法として進められた機能主義(石炭や鉄鋼、原子力など共通の利益を土台とする共同体づくり)は、単一市場、通貨統合を経て相当包括的な国家連合の形となり、冷戦時代には敵対していた中・東欧諸国を加え欧州連合(EU)が形成された。だが、いまは対ロ制裁実施でロシアとの経済交流や貿易は断絶している。
東アジアでもアジア太平洋経済協力会議(APEC)やASEANプラス3(日中韓)、東アジアサミット(ASEAN、日・中・韓、印、豪・NZ、米、ロ)など包摂的な地域協力の枠組みやRCEP(東アジア経済連携)などの自由貿易協定が数多く合意されてきたが、それらは輝きを失ったように見える。現在ではむしろ相互依存関係を切る経済制裁が、相手を制する有用な手立てと考えられるようになっている。自由貿易至上主義的な考え方も大きく修正され、国家安全保障利益のための貿易の制限や「経済安全保障」に基づく貿易・投資・商業取引への制約が増えている。安全保障も経済も排他的なブロック形成への流れになり、結局、世界は分断され、戦争への緊張が高まる。ウクライナ戦争で強まることになった中露とG7諸国の分断は冷戦時代の東西分断とは大きく異なる。中露は膨大な核兵器を含む軍事能力だけでなく、広大な市場、豊富なエネルギー資源、強大な資金力などを持つ。分断がより本格化すれば、厳しい対峙(たいじ)になることは自明だろう。
|「台湾有事」は対中抑止力強化と
|経済や貿易の制限だけで防げるのか
こうした状況で「台湾有事」を防ぐ手立てはあるのか。中国の習近平国家主席の掲げる「中国の夢」の意味するところは、西欧諸国に蹂躙(じゅうりん)された歴史の屈辱を晴らすことにあり、豊かさで西欧諸国を凌駕(りょうが)するとともに、領土的統一を実現することだろう。その意味で台湾統一は、かなえなければならない夢であり、2049年の中華人民共和国創建100年までに武力統一であれ、平和的統一であれ実現されねばならない、ということなのだろう。中国が、米国が軍事介入しないという確信を持った時、あるいは米国を凌駕する軍事力で戦い抜けるとの確信を持った時に、武力統一を試みる蓋然性が高まる。ただ、今の中国共産党の統治の正統性は経済の発展によって維持されており、台湾に軍事的行動を起こすことが中国の経済成長を著しく阻害すると考える時は慎重にならざるを得ないということではないか。台湾への軍事行動を起こさないよう、中国に対して抑止力を強化するのは正しい方策だろう。だが同時に、中国の軍事行動が中国の経済発展に耐え難い障害となるという展望を中国に持たせることが軍事行動を抑えるために重要だ。
中国は、ほとんど資源の輸出だけで経済を維持しているロシアとは大きく異なり、世界の製造・サービス大国として海外市場と技術の輸入先を必要とする。つまり成長のために米国や日本、欧州との相互依存関係は、当面必要不可欠なはずだ。しかし、状況が変わる可能性も大きい。米国が主導して対中国政策での「市場分断(デカップリング)」が叫ばれ、G7広島首脳会議での共同声明を踏まえ、欧米や日本は「中国との依存リスクの低減(デリスキング)」に向かっている。先端半導体製造装置など先端技術製品の対中輸出規制は今後も拡大されていくだろうし、サプライチェーンの変更などを通じ、中国への貿易投資が大きく制限されることになりそうだ。中国にとっては、いずれ西側諸国との相互依存関係を保持する必然性がなくなっていくこともあるだろう。そうなれば中国自身がロシアとの本格的な連携を通じ、「中露の世界」をつくろうとするだろう。その場合、中央アジアの国々は中露の傘下に入るのだろうし、その他の途上国、特にグローバルサウスと呼ばれる国々も、西側諸国と一体となって動くということは考えにくい。そうした状況になった場合には、中国が一気に台湾統一に向かうことも考えられることだ。
|日本にとっての「正しい戦略」
|日米同盟と中国との協力関係ともに強化
日本にとって世界の分断は好ましいことではないし、「台湾有事」も日本への被害の大きさを予測すれば、何としても避けなければいけない。ではどうするのか。正しい戦略は中国の一方的な行動を阻止できる軍事的な抑止力を米国とともに構築することと同時に、中国に国際社会との相互依存関係を壊すわけにはいかないとの認識を持たせることだろう。この二つを実現するうえで重要なのが、外交の力だ。日本の力は間違いなく米国との同盟の力であり、米国との信頼関係を強化していくことはいかなる場合でも重要だ。
そうした観点から、第一には米国との不断の戦略協議を行い、中国を必要以上に追い詰めることは無益であることを米国にも理解させ、日米で共通の認識を持つことだ。それとあわせて日本は、中国と二国間での協力を促進していくとともに、包摂的な地域協力を進めていくことだ。その観点から、中国をTPPに巻き込んでいくことは重要だ。日米は同盟関係にあるが、異なる役割を果たしてこそ同盟関係の有効性は高まる。米国は覇権国であり、中国に対して強い立場を維持せざるを得ないのだろうが、日本は中国の隣国であり、中国を巻き込んだ協力関係をつくることはできるはずだ。これは結果として、中国が一方的な行動をとることを阻止するという、日米共通の目的に資することになるだろう。
ダイヤモンド・オンライン「田中均の世界を見る眼」
https://diamond.jp/articles/-/327587