国際戦略研究所 田中均「考」
【朝日新聞・論座】“今日のウクライナは明日の台湾”か? 「台湾有事」の可能性と日本外交にできること
2023年03月01日 田中均・日本総合研究所国際戦略研究所特別顧問
ロシアのウクライナ軍事侵攻から1年が経過し、「今日のウクライナは明日の台湾である」と警鐘を鳴らす人が多い。だからウクライナでロシアに勝たせる訳にはいかない、ということか。あるいは現在は侵略を行ったロシアに焦点が当たっているが、専制体制の中国に対する警戒も必要だ、ということなのか。日本は防衛力を飛躍的に拡大し、備えを強化すべきであるということか。冷戦最盛期に、「西側の安全保障は不可分で一体」としてINF(中距離核戦力)のウラル山脈の東側への移転に反対し、G7(先進主要7カ国)が一丸となってINF全廃条約に結び付けたように、ロシアや中国といった専制体制国家の攻撃的行動をG7が連携して防がなければならない、と言っているのだろうか。
誰に対するメッセージなのか、と言う事により意味合いは違ってくるのだろう。しかし本来意味すべきは「ウクライナにロシアが侵攻したようなことを中国が台湾に対して行うことをさせてはならない」ということなのだろう。現実に起こったロシアのウクライナ侵攻と有り得る中国の台湾統一の軍事侵攻を比較し、どうすればそのような事態を防げるのか考えるのは重要なことだ。幾つかの机上演習によれば「台湾有事」で日本が被る人的・物的被害は余りに大きい。「台湾有事」を起こさせないことが日本外交の最大課題の一つだ。
プーチンの歴史認識とNATO諸国の判断
プーチン大統領がウクライナ侵攻に至った背景には、本来ウクライナは歴史的に大ロシアの一部であり、ソ連邦崩壊は20世紀最大の悲劇だった、というプーチン自身の歴史認識がある。更に「世界の警察官」としての米国の抑止力が低下し、NATO(北大西洋条約機構)は核保有国ロシアとの直接戦闘を望まないだろう、キーウを陥落させ傀儡政権を樹立するのは左程困難なことではない、との計算がロシア側にあったのだろう。しかしゼレンスキー大統領に率いられたウクライナの抵抗は強かった。NATOもロシアとの直接戦闘に引き込まれることには大いなる躊躇を示しつつも、武力で現状を変更することで国際秩序を崩壊させることは選択できない。NATO側の武器供与も、ロシア侵攻を食い止める携行型ミサイルや地対空ミサイルを主体とする防空システム等、防衛目的に限られていたものだったが、ロシアにより奪取された土地を取り戻すべくドイツのレオパルト2など戦車の供与に及ぶようになった。長距離ミサイルや戦闘機、爆撃機などウクライナの要請も強く、NATO諸国は難しい判断を迫られる。ウクライナが国境を越えてロシア側に攻め入る可能性も拡大するのだろうし、戦線は拡大する。またロシアが「核の使用」をほのめかす事態も生じるのだろう。戦場で決着する以外に戦争を終わらせる道はなく、ロシアに勝利させない、という以上、既に8000名を超えたと言われる民間人の人命の犠牲は続く。2024年3月のロシア大統領選挙、同11月の米国大統領選挙など国内政治が戦争の在り様を決めていく事になるのか。このような長期消耗戦が世界経済に与える影響も甚大だ。ロシアは2022年僅か2%のGDPの落ち込みに対してウクライナは30%の落ち込みと推定されており、食料・エネルギー・輸送を中心とした価格高騰が各国のインフレを押し上げる。
バイデンは台湾を守るのか
このような情勢は「台湾有事」とどう関連付けるべきか。まず中国の台湾統一に対する主張は「一つの中国」政策として幅広く認知されてきている。ロシアのウクライナに対する主張とは比較すべきもない。中国との国交正常化にあたり、米国は、中国の主張を「認識(acknowledge)」し、米国内法である「台湾関係法」において台湾の防衛に資するとともに台湾防衛に軍事介入する選択肢を自国に与えている。米国は台湾防衛のため軍事的介入をすると約束しているわけではないが、その選択肢を残すという意味で「曖昧戦略」と称されている。バイデン大統領は台湾を守ると明言しつつも、その都度米国政府は従来の基本政策に変更はないと説明してきている。日本は「理解し尊重する」と中国の主張に一歩進んだ表現を使っているが、台湾問題の平和的解決を望むことは明確にしてきている。従って中国は内政問題というかもしれないが、現状を武力で変えることに違いはなく、平和的解決は大国中国が負っている義務とも言えよう。
ウクライナのケースとは異なり、もし中国が武力行使を行えば米国は軍事介入をするのだろう。経緯論はともかくとして、台湾の武力統一を許せば、中国の覇権を認めるということになりかねない。米国の「アクセスを断つ」という中国の戦略により米国の前方展開戦略は修正を余儀なくされ、米国の「枢要な利益」が犯される。日本における米軍基地は軍事介入のための基地となり、安保条約6条とその交換公文の規定に従い、日本に基地使用の事前協議が行われる。日本がこれを拒否すれば、安保条約の意味がなくなると解され、拒否の選択肢はあるまい。
ロシアに対するのと同様、中国には厳しい経済制裁が適用されるのだろう。中国はロシアに対する制裁措置を注意深く分析していると伝えられる。中国の経済規模はロシアの10倍であり、且つ、資源国ロシアとは異なりグローバリゼーションで成長してきた中国経済に対する影響は大きい。
どういう場合に中国は台湾侵攻を決断するのか
中国にとってのコストは安全保障、経済両面でロシアと比較にならぬほど大きい。一体どういう場合に中国はコストが高い台湾侵攻の決断をするのだろうか。おそらくそれは二つの場合に限られよう。台湾周辺における軍事バランスが中国優位に展開し、米国が介入を躊躇するだろうと判断する場合、ないしは、経済が停滞し、中国共産党が対米ナショナリズムを煽り、台湾統一により求心力を得ようとする場合である。今般の日本の防衛力の飛躍的拡大、日米の軍事一体化の動きは、中国に優位に動いてきた地域の軍事バランスを回復するのに役立つことは間違いがない。この1月7日の日米首脳会談での合意は米国が掲げる「統合的抑止力の強化」に沿ったものである。中国が米国を経済規模で追い越し軍事バランスでも優位に立つことができるのか、仮にそうだとしても、それは相当先の話なのだろう。
後者のシナリオの方が蓋然性は高い。中国経済の成長は少子高齢化などの構造的問題のために低下していかざるを得ず、むしろ追い詰められて台湾統一に活路を見出すという場合である。中国がロシアに対して明確な軍事支援を行っていないのと同時に一定の支援も続けているのは、米中対立が今後どう展開していくのか明らかではないからだ。もし米国が対中強硬論を振りかざし、経済デカップリングを進め、対立が一層激化する場合には中国はロシアとの結託を選び、国際社会を分断化させていくのかもしれない。中国を追い詰め、ロシアとともに世界の分断に走るような状況は日本の利益ではない。
台湾有事に繋げないためにも、世界の分断化を防ぐ意味でも、日本は安全保障面で米国との連携を進めつつも、経済的には既に中国がメンバーのRCEP(東アジア経済連携協定)や参加に意欲を示すTPP(環太平洋パートナーシップ)といった地域の枠組みに中国を巻き込み、ルール作りや経済実益を推進していくべきではないか。安全保障では対峙しつつも経済的には関係強化をはかる「対中ハイブリッド戦略」が正しい道筋ではないか。
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