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国際戦略研究所 田中均「考」

【朝日新聞・論座】安倍元首相より安倍的な岸田政権 財政規律と軍事抑制の二つの規律が外れてしまった

2023年01月25日 田中均・日本総合研究所国際戦略研究所特別顧問


 自民党の派閥は政策の似通った議員の集団であり、安倍派(清和会)は保守的傾向が強く、それに対して岸田派(宏池会)はリベラルな傾向を持つ政策集団と言われてきた。従来自民党政権が長く続いても異なる派閥の長である首相の交代で諸外国と同様の政権交代が事実上行われ政策が変化してきた。安倍-菅政権から岸田政権に代わった時、これで政策の方向性は大きく変わり、保守的色彩の強い政策からリベラルな政策にシフトすると考えた人は少なくあるまい。政策の方向性だけでなく、安倍政権の強権的政治手法から融和的政治手法に統治形態が変わると期待した人も少なくなかった。ところが岸田政権が成立して1年以上経ち、退任後も政治に大きな影響を与えてきた安倍元首相が非業の死を遂げた後も、岸田首相が先導する政策や統治手法は本質において極めて安倍的な保守的傾向を帯びており、安倍元首相より安倍的であると見る人も多い。一体何故だろう。
 やはり自民党全国会議員のうちおよそ4分の1に当たる100名近い安倍派の数の圧力の下、政権維持のため安倍的政策を追求せざるを得ないということなのか。それとも安倍政治で選挙に勝利し続けてきた故、その成功体験にのり安倍的政策を踏襲しているということなのか。そのような理由も背景となっている面はあるが、本質的には、約10年続いた安倍-菅政権の下で、国民世論も含め日本の政治的風土が大きく保守ポピュリズムにシフトしたからではないかと思う。そう感じるのは幾つかの重要課題についての岸田政権のアプローチがある。安倍-菅政権はこれまで日本のあるべき姿として重要と考えられてきた二つの規律から大きく乖離していった。一つには財政規律であり、一つには戦後長く続いた「軍事の抑制」である。この二つの重要規律は岸田政権によって見事に変節した。

財政規律の議論は影が薄くなった
 財政規律は大きく揺らいだ。放漫財政と言われても仕方がない程、借金に依存した歳出の拡大が続いた。この10年で日本の公的債務残高は増え続け、今やGDPの260%という世界的に圧倒的な借金大国となった。しかし国債が外国により保有されている場合と異なり、日本の国債はそのほとんどが国内原資であり、5割以上が日銀に保有されている訳で、ギリシャなどのように破綻をきたすことはない。経済変調により外国の資金が引き、国債利子が高騰していくと言ったシナリオは日本の場合考えにくい。税金として徴収するのではなく、国債として国内から資金を借り入れている訳で、政府が歳出により投資をする方が貯蓄として眠るよりもより効率的だと論じる人もいる。しかし延々国債償還のため国債を発行し続けるわけにもいくまい。米国やドイツ、英国など多くの先進国で財政収支をバランスさせることは大きな政治課題となってきた。日本もどこかで国債償還のために大増税を行うということなのか。
 しかし国債依存の最大の問題は歳出面の規律が不断に緩むことである。租税を原資とする場合に歳出は厳しく吟味されることになる。国民も税金の支出は厳しく管理してほしいと考えるし、増税は避けたいという想いは強い。国債を財源とする場合の方が、支出が安易になるとは思いたくないが、歳出の規律は緩む。防衛予算の飛躍的拡大にしても財源として増税の話が出たとたん国民の反対は増し、財源論議が最も重要な政治的論議と捉えられている。新型コロナ感染拡大のような異常事態に歳出を増やさなければならない、コロナからの経済回復に大規模な補正予算を充てなければならない、と言った事由で予算が拡大していくのはやむを得ない面がある。だが、それが防衛予算や少子化対策予算の倍増というように際限なく歳出が膨らむのは、放漫財政と言わざるを得まい。予算は、いくら必要性が高くとも青天井ではあり得ず、プライオリティを決め、一定の枠の中に収めるのが政治の役割ではないか。あれもこれも予算増というのでは政治の放棄であり、ポピュリズム政治そのものだ。本来宏池会は財政規律を重んじる派閥であったはずが、岸田政権では財政規律維持のアプローチは見えない。

「軍事の抑制」もなし崩し的に消えてしまった
 いわゆる伝統的リベラルが強くこだわったのは憲法9条であり、現行憲法に色濃い「軍事の抑制」であった。勿論、日本を取り巻く環境は変わり、憲法9条の規定も自衛権を否定したものでなく、日本の安全が脅かされる場合には集団的自衛権の行使も一部認められるというように解釈を拡大してきた。ただ、政治家にも官僚にも軍事的なるものが行き過ぎることには慎重でなければならないという軍事抑制の意識は強かった。 特に戦前、外交で悲惨な戦争を止めることは出来ず軍の暴走を許してしまった、何としてでも文民統制を維持していかなければならない、という外務省の意識は強かった。日本の防衛は独自の防衛力と日米安保体制の二本立てで、日米安保は外務省の主管である事から軍事に「自制」を求め制服組が前に出すぎることを制してきた。
 しかし安倍時代を経て外務省の意識は大きく変わったと見ざるを得ない。外務省の幹部の多くには軍事の抑制よりも軍事を前面に出すことに躊躇しない傾向が強まった。政官のそういう雰囲気の変化が安全保障政策の大転換に繋がったと見るべきなのだろう。これまで軍事を抑制してきたのは一つには防衛予算を抑制する事であり、一つには武器体系でも「専守防衛」を徹底する事だった。防衛予算のGDP比1%枠は非核三原則や武器輸出三原則と並び歴代自民党政権で構築された軍事抑制の枠組みであったが、非核三原則以外は近年事実上撤廃されてきた。それでも1%枠は中曽根内閣で撤廃された後も大きく変わることはなかった。日本の外交の基本姿勢も「軍事大国とならない」(1977年、福田ドクトリン)を基本にODAを中心とする民生協力に徹してきた。だが、今後5年間で43兆円の防衛費を積み上げGDP比2%に拡大して「軍事大国でない」と言うのは難しい。
 「反撃能力」を取得しても「専守防衛」は変わらないと説明されているが、これもなかなか説明が難しい。これまで日本は「専守防衛」を逸脱しないよう攻撃的な武器体系の保持は厳に避けてきた(長射程のミサイルや航続距離の長い戦闘機)。反撃能力は敵がミサイルを撃つ時を捉えて敵地で基地を攻撃するためと言われるが、一つ間違えば先制攻撃となる。
 いずれにせよ日本が攻撃を受ける事態なので、米国と「盾と矛」の役割分担をして日本を守るというこれまでの姿を大きく変えるということになるだろう。特に先般合意された「統合的抑止力」は米軍と自衛隊の一体化を進めるものであり、日本の「専守防衛」の概念は有名無実化する。

何よりも気になる「いけいけ、ドンドン」の雰囲気
 政府が一気に防衛政策の大転換に踏み切ったのは昨年2月のロシアのウクライナ侵攻以降なのだろう。それまでは日本のメディアもあまりに好戦的な雰囲気を作るのは良くないと考えたのか、軍事には抑制的だった。それがロシアの暴挙により一気に「軍事的」なるものに抑制なく語られ出した。自衛隊の制服組OBや現役公務員である防衛研修所の研究員が「もう外交の役割はない」とか「国を守る覚悟が必要」「台湾有事は必ず起こる」と伸び伸びと軍事的観点を語る様を見ると、このままでは「いつか来た道」に戻るのではないか、このままではいけないのではないかと思う。少なくとも、軍備拡張だけで平和を作れるわけがなく、外交の重要性を同時に語る必要がある。また、台湾有事を起こさないことが最も重要な日本の役割であること、更には矢張り「軍事には一定の抑制が必要である」と言った現在の「いけいけ、ドンドン」の雰囲気に対する異論が語られなければならない。メディアにも、もう少しバランスを考えた報道や討論番組を期待したいし、国会など政治の舞台では緻密な議論が行われることを期待したい。

https://webronza.asahi.com/politics/articles/2023012300002.html
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