国際戦略研究所 田中均「考」
【朝日新聞・論座】安全保障環境の悪化は防衛費拡充を不可避にするが、青天井ではあるまい
2022年11月30日 田中均・日本総合研究所国際戦略研究所理事長
先日「国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議」の報告書が公表され、年内に国家安全保障戦略、防衛計画の大綱、中期防の三文書が見直される。日本の安保政策が抜本的に変わる契機となると伝えられているだけに、十分な国民的議論が行われることを期待したい。
ウクライナの教訓と中国、北朝鮮の脅威
ロシアのウクライナ侵略が国際社会に提起したことは、武力行使を禁じる国際法規、国連の存在、米国という圧倒的大国もロシアの異常な行動を抑止できなかったということである。欧州諸国は集団的自衛機構であるNATO(北大西洋条約機構)の強化に向けて、フィンランドやスウェーデンの加入を認め、ドイツをはじめ多くのメンバー国が防衛費のGDP比2%目標を達成すべく予算措置を講じている。翻って東アジアの情勢を見れば、ロシアのほか、急速に軍事大国化しつつある中国、頻繁に弾道ミサイル実験を繰り返す北朝鮮など安全保障環境は明らかに悪化しており、日本も防衛力の抜本的強化を真剣に検討する事が必要となっている。
しかし、今日の日本の議論からは二つの重要な点が抜け落ちている。第一に、目的は単に防衛予算を拡充して防衛力を強化することではなく、日本の抑止力をトータルに強化することにあるので、まず、日本の経済・技術・エネルギーなど国力を強化する必要があるという認識がなければならない。更に致命的に欠落しているのは安全保障環境を良くするための外交の役割だ。安全保障環境が良くなれば防衛力を拡充する必要はない。これまでも戦争は外交の失敗で起こったわけで、論じられるべきは日本にとって潜在的脅威となる周辺国との関係が管理されているかどうかだ。ロシア、北朝鮮、中国との間で安定的な関係を作る外交の努力は明らかに不十分だ。
その上で防衛費を段階的に拡大していく必要はあるが、ドイツが即座にGDP比2%の防衛費の拡充に至ったのは、これまでの歳出改革の結果、潤沢な財政余力があったからで、GDP比260%の債務を抱える日本とは議論の前提が大きく異なる。どんなに防衛予算を積み上げる必要性があろうとも、防衛費は一過性のものではなく、今後維持拡大されていくものであり、しっかりした財源が必要となる。国債の発行でGDP比2%を達成すべきと声高に叫ぶ政治家の無責任さには呆れざるを得ない。まず既存の防衛予算の無駄を徹底的に改めたうえで、国民に幅広い税負担を求める必要がある。防衛は将来の世代につけを回すような赤字国債の発行に依存すべきではない。その為にも防衛力の拡充について強い国民的コンセンサスを築く必要がある。
「反撃能力」の保有には、徹底した説明を
これまで「座して死を待つことはない」との国会答弁が繰り返されたように、ミサイルが日本を標的に発射されようとするとき、日本がそのミサイルの発射を実力で止めることは憲法上の「専守防衛」に反する訳ではない。しかし何十年にもわたり、そのような能力の取得を行ってこなかったのは理由あってのことである。まずミサイル発射の瞬間を特定するのは技術的に難しい。また敵基地を攻撃できる長射程のミサイルは容易に先制攻撃となり得る。そのような可能性を持つ武器体系の変更は周辺国を刺激し軍拡の原因となるのではないか。むしろ米国との「盾と矛」の役割分担に徹することが得策ではないか。場合によっては米軍基地へ米国の中距離ミサイルを導入する方が合理的ではないのか。要するに日本による反撃能力の取得は抑止力の向上にはつながらないと概念されていたはずである。それが近年の北朝鮮ミサイル技術の向上、中国の急速な軍事大国化と南シナ海・東シナ海の活発な攻撃的活動、更には極東方面でのロシアの軍事活動に触発されて従来のミサイル防衛体制では不十分と結論づけ、攻撃的な武器体系の習得に至るということか。
いずれにせよ「反撃能力」の行使要件、攻撃対象などを限定していく必要がありそうだが、基本的には日本に向けミサイルが発射される事態なので、まさに「武力攻撃事態」であり日米安保条約上の5条事態(米国の対日防衛義務)なのだろう。本来は日本にミサイルが発射される際の限定的、緊急避難的措置と概念し、敵のミサイル発射を止める抑止力と考えられていたものが、「反撃能力」はより広範囲な事態、攻撃対象に拡大されてきたようであり、明確な説明が必要である。日本がこれまで取ってきた方針を変更し、なし崩し的に「専守防衛」や米軍との「盾と矛」の役割分担を変えることはあってはなるまい。
核を持たない以上、米国の抑止力に依存せざるを得ない
今日の防衛力議論を聞いていると、「自分の国は自分で守る決意が必要」と声高に叫ばれ、米軍に依存せず日本独自の防衛力拡充が必要であることが訴えられている気配もある。一方では岸田総理は日本の防衛力の抜本的拡充を手土産に訪米する意向と伝えられる。日本がGDP比2%に至る防衛費の拡充を本当に行うというのなら、公務員の給与体系にある人件費が急に拡充されるわけではない以上、大半が装備費に充てられるということだろう。これまで専守防衛の見地から足の長い戦闘機、輸送機或いはパワープロジェクションが可能な空母などは持たないとしてきた日本の武器装備体系を質量とも大幅に変更するという方向に向かうのかもしれない。ただ核兵器を持つという決断をしない限り、日本は米国の「核の傘」に依存せざるを得ない。また、日本が「反撃能力」を有し、抑止力の独自性を高める場合、米軍基地の統合縮小に向かうということか。しかし、日本の防衛は独自の防衛力と日米安保体制の組み合わせによるという基本姿勢に変更の余地はあるまい。むしろ東アジアの安全保障環境を見れば、日米のトータルな抑止力を拡充する努力が必要だろう。単に日本の防衛力拡充を歓迎するというやり取りだけではなく、米軍基地の将来像を含め日米の役割分担について日米間で詳細を検討する時期に来ているのではないか。
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