国際戦略研究所 田中均「考」
【ダイヤモンド・オンライン】岸田外交に必要な対中国「ハイブリッド戦略」、米国追随の抑止一辺倒は国益にならず
2022年07月20日 田中均・日本総合研究所国際戦略研究所理事長
|「抑止一辺倒」でいいのか
|米中ともに経済で課題抱える
参議院選挙で自民党が圧勝し、岸田文雄政権が新しい信託を受けて取り組まなければならない最大の対外課題は、米国と中国との距離をどう取るか、だ。日米は価値を共有する同盟国であり、日米安全保障体制なくして日本は東アジアの脅威に立ち向かうことはできない。中国の急速な台頭で米中関係の対立が厳しさを増している中では日本は米国と緊密な連携を取り、中国に向き合っていくことは既定方針だ。国民の間でも嫌中、反中感情が高まっている中で起きたロシアのウクライナ侵攻は国民の安全保障に対する意識をいやが上でも高めることになった。このままでは米国との連携による「対中牽制」一辺倒に流れていく可能性も強い。だがそれは日本の国益にとっていいことなのか。米中ともに国内事情を抱えそれぞれインフレ克服と経済再建が重要課題になっている中で、抑止一辺倒ではないやり方がある。
|米国は分断深まり「孤立主義」へ戻る?
|インフレ克服と景気が重い課題
これまで世界の秩序維持の大前提は、唯一のスーパー・パワーとして中心に座った米国が強い指導力を持つことだった。しかし米国は米国自身の民主主義に大きなほころびが目立ち始め、もはや民主主義の理念を先導する国ではなくなった。最大の資本主義国であることは変わらないが、極端な所得格差が是正されることはなく、米国式資本主義が最良のモデルでもなくなった。
第2次世界大戦後米国の強い指導力の下で役割を果たしてきた国際機関への米国自身の関心も薄れ、国連であれ、世界銀行やIMFなどの国際金融機関、さらにはWTOやOECDなどの機構も強いプロモーターを失った。米国の軍事力は依然として圧倒的に強いが、世界の警察官として軍事力を使う意思はもうないように見える。
なぜそうなったのか。中国などの急速な台頭により世界が多極化し、米国の存在が相対化されたことも大きな原因だが、最大の要因は国内の分断が進み、強い米国がよって立つ国内の求心力がなくなったことにあるのだろう。人種、所得格差、保守対リベラルなど国内を分断する軸は数多い。そして2000年代以降、ブッシュの戦争、オバマの国内回帰、トランプのアメリカ・ファーストと米国の対外姿勢も大きく変わってきた。
01年に始まった中東での戦争が米国を消耗させたことを起点とするのだろうが、それ以降の米国は基本的には指導者としての対外的なコミットメントを薄め、「孤立主義」に戻りつつあるように見える。バイデン大統領の掲げる「専制主義対民主主義」も一見聞こえは良いが、専制体制を変えるというより、民主主義という塹壕にこもる消極的な意味しか持たないようにも見える。米国が分断を克服し、世界の唯一無二の指導者として戻ることは、近い将来には考えられないのかもしれない。新しい米国の指導者が出てくれば希望は残るかもしれないが、共和党内のトランプ支持は強く、民主党内ではバイデン大統領の支持率が40%以下に下がっていても、2024年の大統領選挙に向けて新しい顔は見えてこない。
24年大統領選も、バイデン対トランプという前回20年の繰り返しになる可能性が残り、選挙の推移いかんではより分断や混乱が強まり、暴力的な社会になることすら危惧される。おそらく今後数年の米国はさらに内向きとなり、2桁に迫るインフレをどう克服し、景気後退に陥るのをどう防ぐかという課題が重くのしかかることになるのだろう。
|中国も大きな分岐点に
|ゼロコロナで成長は急減速
経済的に米国を追い上げ、軍事能力も急速に拡大してきた中国も大きな分岐点にある。
習近平体制は、基本的には鄧小平氏の進めた「改革開放路線」を離れることはなく、経済成長第一主義を続けてきた一方で、国内の統治では引き締めを強化し、共産主義体制を強権で維持してきた。この間、対外政策は鄧小平的な「角を矯(た)める」政策は放棄し、大国として対外拡張主義に突き進んだ。しかし、ここへきて中国は大きな壁にぶち当たっている。
一つは中国を起源とした新型コロナウイルスの蔓延から抜け出せていないことだ。習近平主席は「ゼロコロナ」政策に固執し、結果的に中国経済成長のシナリオは大きく狂うことになっている。2022年4~6月の成長率は前年同期比0.4%増と急激に低下し、通年で米国の成長率も下回る結果となる可能性も出てきた。
第二にはロシアのウクライナ侵攻による国際秩序の不透明化だ。中国にとってロシアは米中が衝突するような場合には中国支援に回るカードとして考えられていたが、ウクライナ侵攻で欧米などから厳しい経済制裁を受けるロシアと連携を強化することが中国自身を窮地に追い込みかねないことになった。中国はロシアとの関係を「付かず離れず」と考えているのだろう。
第三には、米国がどこまで中国を追い込む用意があるのか、中国自身、つかみかねていることだ。中国は和戦両様の構えを取っている。政治安全保障面では、中国は米国と対峙する姿勢を強化しつつある。米国が経済でも「中国デカップリング」を進めることも念頭に「内循環」を唱えつつ、半導体など基礎的な技術製品の国内生産の拡充に躍起だ。さらには上海協力機構やBRICSを拡充し、太平洋諸国や中東・中南米まで中国シンパの国を増やそうとして外交を続けている。
その一方で米国との対話ルートを維持し、特に経済面における相互依存関係を際立たせようとしている。9%を超える高いインフレ抑制がバイデン政権の最大の優先課題であり、中国からの安価な製品輸入の道を断つことなどできない、との読みもあるのだろう。中国自身も米中対立の激化に備えつつ、少なくともこの一年はコロナで傷ついた経済再建を最優先したいという思惑があり、実際そう進んでいくと思われる。
|米中ともに対立激化による
|経済への飛び火は望まず
米中両国の対外姿勢は国内政治経済情勢により変わっていくだろうし、今後、米中関係がどう進展していくのかを展望するのは難しい。ただ当面は、米国では2024年大統領選挙に向け高インフレ克服・景気回復に焦点が当たり、中国についても経済成長率の回復に躍起になるのだろう。従って、両国とも米中対立が深まり経済に飛び火することは回避したいと思っているはすだ。中国では経済成長が頭打ちとなれば、ナショナリズムに火が付き反米機運が強まることも予想されるが、少なくとも、秋に任期延長を控える習近平氏は国内が混乱する事態は望んでいないはずだ。
|安全保障では米国と連携強化
|経済では独自の対中「関与」
こうした状況で日本は米国、中国とどう距離を取るべきなのか。米国は従来のような強く信頼できる指導者ではなくなっているが、安全保障面では、米国との同盟関係を強化するこという基本方針を変化させる余地はない。従って、日本は、安全保障面で米国とともに中国を抑止する一方で、経済面では中国にエンゲージ(関与)し巻き込んで、ルールに従った貿易投資関係を築いていくという「ハイブリッド戦略」を追求することが重要だ。
今後、アジアでは中国を抑止する体制が強化されていくことになる。米国はAUKUS(米、英、豪)と二国間の安全保障体制(日米、米豪、米韓等)を基軸としていくのだろうが、今後、それぞれの安全保障体制を相互にどう連携させていくのかが鍵となる。
北東アジアでは、日米韓の体制の強化が図られるだろうし、QUAD(日米豪印)やASEANなど非軍事的枠組みに戦略的要素を加え、対中抑止網を強化していくということになるだろう。
日本は安全保障上の役割を拡大し、米国とともに抑止力の一翼を共同して担うとの意識を一層持たないといけない。これは軍事的な安全保障の能力を強化していくことであると同時に、日本の考えを米国に伝え、時に米国の政策を修正していくことも意味する。安全保障面では引き続き圧倒的な米国の軍事力に依存するが、日本は欧州諸国とともに米国に追随していくだけでなく、安全保障の当事者能力を高めるということだ。だが経済面では、日本独自の戦略を講じるべきだ。米国は今後、経済安全保障戦略として、ハイテクだけではなく広い範囲で中国の技術能力向上につながるような経済交流を制限していくのだろう。
現在のインフレ急伸と景気後退の兆しの中で、米国が中国との経済関係のデカップリングをどこまで進めようとするかは、米国内の内政の動きとも連動していく。中間選挙で与党民主党が大きく後退する場合にはさらなる対中強硬策に走る可能性もある。
だが日本は米国とは異なる立場にある。中国は日本にとり最大の経済パートナーであり、30年前には米国が日本にとり最大の貿易パートナーだったが、今や日中貿易は日米貿易の1.6倍だ。日本の成長にとり中国市場は不可欠だ。日本の経済成長の先行きは外需、特に中国市場に大きく依存している。日本はRCEP(地域的な包括経済連携協定)や場合によってはCPTPP(アジア太平洋経済連携協定)を通じて中国をルールの網に巻き込んでいくことを考えるべきだ。
日本は安全保障面と経済面で方向性が異なる「対中ハイブリッド戦略」を講じていかなければならない。ロシアのウクライナ侵攻により安全保障面の強化に脚光が当たっており、日本の世論も中国を嫌う雰囲気がますます高まっている状況で、中国に対する抑止一辺倒でない戦略を打ち出していくのは容易ではない。しかしそれが日本の国益を担保するために不可欠な選択だ。
ダイヤモンド・オンライン「田中均の世界を見る眼」
https://diamond.jp/articles/-/306555