国際戦略研究所 田中均「考」
【朝日新聞・論座】参議院選挙の争点である「外交安保」の本質を議論しよう
2022年07月05日 田中均・日本総合研究所国際戦略研究所理事長
国際関係の大きな変化の下で日本の外交安保をめぐる姿勢が問われている。参議院選挙の争点の一つとされるが、残念ながら本質的な議論が行われているとは思えない。日本が直面している外交安保政策の選択は今後の日本の進路を決めてしまうと考えられるので、選挙戦の勢いに流されることがあってはならない。論点をそらさず議論したいと思う。
核兵器を含めた軍拡の世界の再来
世界の安全保障体制は本質的に変化した。国際規範に従って国連安保理が決議し、場合によって有志国が多国籍軍を組織して秩序維持を図るといった集団的安全保障の考え方は崩れ去った。安保理常任理事国で核兵器国ロシアの国際規範を無視した侵略行動、並びに、それを誰も止めることが出来なかったことで、集団的安全保障体制は有名無実化した。これからの世界は、多国間、二国間の安全保障協定に基づく同盟関係に依存した安保体制となる。安保体制がブロック化していく事に伴い、対立が深刻化すると同時に、中東・アフリカなどでの地域的紛争は頻発していくだろう。
今後注目しなければならないのは中国の帰趨だ。中国がロシアと連携して反米・反西側路線を追求する場合には冷戦時と同じように「NATO・日米」対「露中」の二つの大きな軍事ブロック間の対決となるのだろう。核兵器を含めた軍拡の世界の再来だ。
欧州では急速なスピードでNATOとロシアの軍事的対峙が拡大する。フィンランド、スウェーデンのNATO加入によりNATOとロシアの国境は2倍に拡大し、およそ30万人を超える双方の兵力が核をもって向き合う。NATOはこれまで戦略的パートナーとみなしていたロシアを「最大かつ直接の脅威」と位置づけ、中国は「体制上の挑戦」と表現した。直接の脅威に向き合う欧州諸国はこれまで長い間実現してこなかった「GDP比2%」の国防費拡大に向けて舵を切る。
欧州とアジア双方に顔を持つロシアの脅威の拡大を前に、「欧州とアジアの安全保障は不可分の一体」と考えざるを得ず、日本が防衛費の拡充を図るのは当然の選択だ。ただ、日本と欧州の安全保障の形態は異なり、後述するように慎重な配慮が必要だ。
「ウクライナ」は明日の東アジアか
岸田首相は、NATO首脳会議で中国を念頭にウクライナで起こったことは明日の東アジアで起きるかもしれない、と述べた。現状変更の一方的な軍事行動を中国が東アジア地域で引き起こす蓋然性が高い、という警告なのだろう。尖閣諸島、台湾、南シナ海での中国の攻撃的行動を見れば、当然持たなければならない危惧だろう。
ロシアにはウクライナ戦争を継続していく能力はあり、中国には台湾を軍事的に統一することを試みる能力はある。問題は意図だ。プーチン大統領は「大ロシア」達成の意図をもって周到に行動し、2008年のジョージア(グルジア)戦争、2014年のクリミア併合、そしてウクライナ侵略に至った。ウクライナ及びNATOの抵抗を過小評価していた面はあったのだろうが、ロシアの軍事力、核能力、エネルギー大国としての力をもってすれば事態を乗り切れると踏んだのだろう。
中国の飛躍的な経済的台頭と急速な軍事力強化から見れば、中国は台湾を蹂躙できる能力を持った国だ。そして中国は時間がかかっても共産党政権の下で台湾を統一するという明確な意図を有しているのだろう。平和的、軍事的を問わず、である。しかし、最も重要な問題は「いつ?」であり、少なくとも現在および近い将来において中国が軍事的に行動する意図を有しているとは考えられない。即ち、今日は中国の軍事的行動に対する抑止力が効いているのである。対中抑止力は台湾、米国、そして日本の抑止力の総和なのだろう。台湾関係法の下で米国は台湾への武器輸出を続けており、その「曖昧戦略」は台湾の独立を自制させ、中国の軍事侵攻を抑制するという意味で効果的に機能してきた。日米安保体制も「周辺事態法」や「安保新法制」の下で、台湾有事における日本の支援をより明確化してきた。さらにロシアに対する厳しい経済制裁は、経済成長に高いプライオリティをおく習近平政権への警鐘となった。習近平体制が国内的に揺さぶられ権力闘争に向かっていく場合はともかく、予見できる将来、台湾に行動を仕掛ける蓋然性は低い。
したがって、「ウクライナは明日の東アジア」というのは警告という意味は持っても、現実のシナリオとして考えられるわけではない。ウクライナ問題はロシアの侵略を止めることが出来なかった外交の失敗であるが、東アジアにはまだまだ有事を防止する外交が稼働する余地が十分ある。
日本の抑止力の実態を見極めよう
「日本を取り巻く安全保障環境が悪化した」「そのため外交力と抑止力を強化しなければならない」というのは正しい問題認識だ。では、これまで日本の抑止力を構成してきたものは何なのだろう。抑止力の基本は日本自身の防衛力と日米安全保障体制を両輪とする。平和憲法の下で、日本は集団的自衛権の行使は禁じられていると解釈され、日米安全保障条約も米国の日本防衛義務は定めても日本の米国防衛義務を課さず通常の相互安保条約と異なる。即ち、安保条約第5条で米国に日本防衛義務を課し、第6条で米国に対する基地提供義務を日本に課すことにより、双務性が保たれている。このアレンジメントの下で日米間に「盾と矛」の役割分担を定め、日本は必要最小限の防衛能力を維持してきた。そして冷戦後の安保環境の変化の下で、日本はその役割の拡大を図ってきた。要するに周辺事態法や新安保法制は日本の米軍支援能力を拡大することにより、日米安保体制を充実させてきたのである。日本は抑止力の本質は米軍の力にあることを理解し、日米安保体制の下での日米の抑止力の総和を高めることに取り組んできたのである。現実問題として軍事的にも飛躍的に台頭し核・ミサイル能力を拡充していく中国や核・ミサイル実験を繰り返し相当な能力を持つに至っていると判断される北朝鮮、そして再び脅威となったロシアを抑止するのは、まず、第一に日米安保体制の拡充である事を認識しなければならない。米国の核を含む拡大抑止は日本の抑止力の肝であり、日本の防衛能力の拡充は日米安保体制の信頼性を増すために必要不可欠だが、それ自体が抑止力に直接結びつくものではない。
日本の「反撃能力」は抑止力に繋がるのか
では、反撃能力が日本の抑止力向上に繋がるのか。日米安保体制の信頼性の向上を図る一方で日本が専守防衛に徹し、「軍事大国」とはならないと誓約していることが日本の安全保障に寄与してきた一面がある事も忘れてはならない。1977年に福田赳夫首相がマニラの演説で「軍事大国にはならない」との福田ドクトリンを発表したことで、戦前の記憶が拭えない周辺諸国に安心感を与えてきた。今日の防衛能力の飛躍的拡大と「敵基地攻撃能力」だとか「反撃力」取得の議論の流れはこの日本の基本的な姿勢を変える契機となる。特に「反撃力」は敵の攻撃に対する反撃であるとしても、能力的には敵地に届く攻撃力の取得であり、要するに中長距離のミサイルや遠く敵地で攻撃する兵器の取得に他ならない。また日本が攻撃されたことを特定するのも難しく、日本の反撃が先制攻撃となる場合も出てくるのだろう。このような能力は歯止めなくどんどんエスカレートしていく危険がある。これまでは「盾と矛」の役割分担で攻撃兵器は取得せず、攻撃は米国に任せることで兵器の線引きも比較的判り易かったが、「反撃力」は線引きが難しい概念であり、長距離ミサイルや長距離爆撃機、空母と言った日本が自制してきた兵器に及んでいく可能性をはらむ。このような可能性をはらむことは日本の抑止力を向上させる結果に繋がらず、むしろ周辺諸国の軍拡にもつながっていくだろう。
必要以上に中国を追い込むべきではない
では、安全保障環境を改善するために必要な外交力の強化と何なのだろう。米国のように圧倒的な軍事力を持った国が「民主主義対権威主義」という二項対立の概念を掲げ、相手を追い込んでいく事に貢献することではない。今日の日本の外交に顕著にみられるのは中国と対峙していく米国を支え、時には米国以上に中国をけん制していく行動だ。安全保障面では日米安保体制の信頼拡充は中国との関係では必須であることは論をまたないが、全ての分野において中国と対峙する姿勢を示すのは余りに知恵が欠ける。日本にとって中国は最大の経済パートナーであり、日本の経済成長にとって必須な国だ。日本にとって最も望ましいのは安全保障面で中国を抑止し、経済面では中国がルールに従って行動する道筋を作っていく外交である。このためには対話と協議を旨とする関係の構築を急ぐべきだ。中国の主要国との関係の中で極端に対話が欠けてきているのは日本との関係だが、日中双方で対話の必要性を感じなかったということか。対立する米国との関係でも首脳間や外相間の協議は繰り返し行われている。アジア太平洋協力、TPP(環太平洋パートナーシップ)協定やRCEP(地域的な包括的経済連携)協定を含め日中の接点は多く存在する訳だし、本年は国交正常化50年を迎える。中国に対して米国に追随していくだけではない、トータルな戦略が必要だ。
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2022070400008.html