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国際戦略研究所

国際戦略研究所 田中均「考」

【朝日新聞・論座】外交と戦争~抑止力の陰りとともに『米国の世紀』は終わるのか

2022年03月30日 田中均・日本総合研究所国際戦略研究所理事長


 バイデン⽶⼤統領は、インテリジェンス情報に基づきロシアのウクライナ侵攻に繰り返し警告を発してきた。しかし圧倒的な国⼒を持ち⾃由世界のリーダーである⽶国の最⼤の責務は、そのような暴挙を⽌めることではなかったか。バイデン⼤統領は早々と⽶国は軍を派遣して介⼊するつもりはない、と⾔い放ち、予定されていたロシアのプーチン⼤統領との⾸脳会談も侵攻しないことが開催の条件であったとしてキャンセルした。これだけを⾒れば外交は機能せず、軍事⼒による⼀⽅的な現状変更を許してしまったということになる。この戦争も戦場で結果が作られるということになってしまうのか。外交が役割を果たし悲惨な⼈命のこれ以上の喪失を⽌めることにはならないのか。⽶国が軍事抑⽌⼒をベースに国際社会の平和を維持してきた時代は終わったのか。

「⽶国の抑⽌⼒」とは何なのだろう
 ⽶国は毎年軍事費にGDP⽐4%前後を投じる圧倒的な軍事⼤国だ。⽶国は、平時に欧州とアジアに数万単位の⽶軍を駐留させ、⽇常的に訓練を⾏い、常に戦闘への準備(readiness)を怠らず、第⼆次世界⼤戦以来「前⽅展開」戦略で紛争の抑⽌をはかってきた。「世界の警察官」と⾔われた所以だ。

かつては軍事的⾏動辞さず― 適切な⾏使で抑⽌⼒に信頼性
 しかし、それだけで⽶国の抑⽌⼒が成り⽴つわけではない。⽶国は⽶国や同盟国の防衛だけではなく、世界の秩序を守るために必要と考える時には、軍事的⾏動を辞さなかった。冷戦終了後の湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争などは、同盟国との防衛戦争ではなく、「世界の警察官」として侵略の防⽌、テロとの戦い、⼤量破壊兵器の拡散防⽌などを目的に掲げ戦争を戦った。また、⽶国の戦略家で対ソ封じ込め政策を唱えたジョージ・ケナンが⾔うように、全ての紛争に⽶国が介⼊する訳にはいかず、適切な「例」において軍事⼒を⾏使することにより⽶国の抑⽌⼒に信頼性を与えてきた。

中東撤退、今回は派遣せぬと明⾔― 揺らぐ抑⽌⼒の信頼性
 しかし中東の戦争は余りに多くの負担を⽶国に強いた。その結果、オバマ⼤統領は「世界の警察官」ではないと⾔明し、中東から⽶兵の撤兵を進めた。そして今回、バイデン⼤統領がウクライナは⽶国の同盟国ではなく、ウクライナを防衛する義務はないとして、プーチン⼤統領にも兵⼒を派遣するつもりがないことを⾔い放った。「世界の警察官」でないと宣⾔する事よりも、⽶国の抑⽌⼒の信頼性が揺らぐ結果となったことが重⼤事だ。

中間選挙控え、戦争に疲れた国内世論に配慮
 バイデン政権は、アフガニスタンからの撤退やAUKUS(⽶英豪の安全保障枠組み)設⽴に⾒られる性急さも多くの批判を⽣んだ。その背景には今年秋に中間選挙を控え、⽀持率が⼀向に改善しないことへの焦りがあるのかもしれない。本来、ロシアを抑⽌するためには⽶国の軍事介⼊をあいまいにしておくことこそが必要だったかもしれないのに、事前に明確に介⼊しないと⾔い切った背景には戦争に疲れた⽶国⺠の意識を慮る国内的配慮が⼤きかったのだろう。

⽶国が軍事介⼊に⾄る「レッドライン」
 過去にも、⽶国の軍事抑⽌⼒が揺らいだことが戦争の⼀因になったのではないかと⾔われたケースはある。1950年6⽉に北朝鮮が38度線を超え韓国に侵攻した背景には、同年1⽉に⽶アチソン国務⻑官が⽶国の防衛責任は⽐、沖縄、⽇本、アリューシャン列島までであると宣⾔した(アチソン・ライン)のを、北朝鮮⾦⽇成主席が⽶国の戦争参画はないと判断してしまったこともあったのだろう。また、1991年の湾岸戦争のきっかけとなったイラクのクウェート侵攻でも、サダム・フセインは⽶国の介⼊はないと⽶国の意図を読み違えた結果であったと⾔われている。

要因は複合的、時の⼤統領の考え⽅も影響
 ⽶国が「世界の警察官」ではないとして軍事介⼊にはより慎重になっていく事は容易に想像できるが、同盟国防衛以外には国際秩序維持のために⼀切軍事⼒を⾏使することはないという訳ではあるまい。今後とも⾃由世界の指導者として「レッドライン」を超えたような事態には軍事介⼊をするものとみられる。⽶国が軍事介⼊をするかどうかは予め決められているわけではなく、レッドラインをどこに置くのか、レッドラインを超えた時に実際に⾏動するか否かは個々の状況や国際社会の捉え⽅、国内政治状況など複合的な要因によるものなのだろう。そして時の⼤統領の考え⽅に⼤きく左右されるのだろう。

オバマは⾏動⾒送り、トランプはミサイル攻撃
 NATO(北⼤⻄洋条約機構)⾸脳会議後の記者会⾒でバイデン⼤統領は、もしロシアが⽣物化学兵器を使⽤した場合は「対応する」と述べたが、⽣物化学兵器や戦術核兵器の使⽤が⽶国の軍事介⼊のレッドラインとなるかどうかが今後問われるのだろう。オバマ⼤統領は、シリア政府の化学兵器使⽤がレッドラインと述べながらアサド政権の使⽤疑惑には軍事⾏動を⾒送り、トランプ⼤統領はシリアへのミサイル攻撃に踏み切った。

対中関係は極めて繊細、問われる⽶の存在意義
 中国との関係でレッドラインをどこに引くかは極めて繊細な問題だ。台湾について⽶国は1972年の中国との国交正常化に際して、台湾が中国の⼀部であるという中国の主張を了知(acknowledge)し、1979年の国交樹⽴に際しては国内法(台湾関係法)で台湾の防衛に努⼒することを定めている。明確に台湾防衛にコミットしているわけではないが、もし中国が台湾に軍事侵攻した場合に介⼊しないということになれば、中国の覇権を認めるということになりかねず、そもそも⽶国のアジアにおける存在意義が疑われることになり、現状では⽶が軍事介⼊をしないとはとても想定できない。

軍事介⼊が全てでない。停戦・和平合意の達成が求められている
 ロシアのウクライナ侵攻は国際法に明確に違反して⼀⽅的に現状変更を⾏おうとしている戦争であり、これ以上の犠牲と破壊を⽌めるために⽶国が指導⼒を果たすことが重要だ。しかし⽶国の国際社会において求められる指導⼒とは、軍事的抑⽌⼒や必要な場合に軍事介⼊をするかどうか、が全てではない。外交で戦争を⽌めることが求められている。

軍事⽀援と経済制裁が⼀定の効果。それでも戦争は⽌められぬ
 もしも⽶国やNATOが軍事介⼊すれば、第三次世界⼤戦となる懸念があることはその通りだし、ウクライナに対する戦闘機の供与やウクライナが求める⾶⾏禁⽌区域の設定を拒否するのも同じ懸念であることは良くわかる。従って、結果的にはウクライナに対して軍事⽀援を継続し、⼀⽅では最も強⼒な経済制裁を導⼊することで対応しようとしている。NATOの軍事⽀援の効果もあり、ロシアの軍事侵攻が当初の想定どおりには動いていないことに加え、ロシアの多くの銀⾏のSWIFT(国際銀⾏間通信協会)からの排除、中央銀⾏ドル資産の凍結、⽯油・ガス輸出の制限、貿易投資の制限といったG7の強⼒な経済制裁がそれなりの効果を上げていることも事実だ。けれども、軍事⽀援と経済制裁だけで戦争が⽌められるものではなく、⼤⽅が予想するように、戦況が膠着状態となり、延々と戦争が続くことになりかねない。これは、⻄側にとっても容易ならざる世界となるだろう。

停戦と政治的合意の重要性― 世界のあらゆる分野の安定のために
 欧州の安全保障体制は抜本的に⾒直されることになる。すでにドイツはおよそ13兆円を積み上げ国防費のGDP⽐を2%に引き上げることを発表しており、多くの国がこれに続くだろう。東欧やバルト三国などロシアに近接するNATO諸国にはNATO軍の梃⼊れが⾏われるし、ロシアが核の使⽤を仄めかしたこともあり、NATOとロシアの核兵器での対峙は現実となる。
 EUは、ロシアからの天然ガスに41%、⽯油に27%、⽯炭47%も依存しているため、直ちに輸⼊禁⽌にするのは無理であるにしても段階的に減らしていく事としており、⽶国の禁輸も相まって、エネルギー価格の⼤幅な上昇を⽣む。ロシアとウクライナは⼩⻨、肥料、トウモロコシ、ニッケル、パラジウムなどの主要な産地であり、世界的に⼤幅な価格⾼騰を⽣むのだろう。そして核を持つロシアは罰せられないとして、北朝鮮やイランなどが核兵器開発に⼀層拍⾞をかける可能性もある。そう考えると、世界の政治、安全保障、経済のあらゆる⾯の安定のためにはロシアとの間で停戦と政治的合意が迅速に達成されることが重要になる。勿論、和平合意によってロシアの⾏動が不問に付されるわけではなく、おそらくプーチン体制の未来を制約することとなる。

⽶国は⾃由世界の指導者として、平和を創出する外交⼒の発揮を
 政治合意を可能にするためには幾つかの基本要素が必要になる。第⼀には、問題がNAT Oの東⽅拡⼤をきっかけとする以上、ロシア・ウクライナに加えてNATOの交渉参加が必須となる。第⼆に、ウクライナの中⽴化はNATO及びロシアによる条約での安全保障に裏付けられなければならない。そして第三に、NATOとロシアの間に軍備管理・信頼醸成の枠組みが構築されるべきだ。中距離核ミサイルの配備や軍事演習などが⼤きな軍事的緊張を⽣むことを考えれば、この機会に枠組みを構築することが望ましい。バイデン⼤統領はプーチン⼤統領を「戦争犯罪⼈」や「虐殺者( butcher) 」と呼び追い詰めているが、その間、ウクライナでは多くの⼈命が犠牲になっていくのは如何にも割り切れない。「世界の警察官」ではなくとも⾃由世界の指導者である⽶国は、不合理な⾏動を抑⽌する軍事⼒とともに、平和を創出する外交⼒を発揮しなければならない。さもなければロシアの凋落とともに⽶国の権威も失墜することになり、⽇本にとっても極めて不都合な事態となるのだろう。「⽶国の世紀」の終わりである。

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