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国際戦略研究所

国際戦略研究所 田中均「考」

【朝日新聞・論座】「キエフの悲劇」は冷戦後の国際秩序崩壊の分⽔嶺だ

2022年03月02日 田中均・日本総合研究所国際戦略研究所理事長


 ソ連軍がチェコの⾸都プラハに進軍し、「プラハの春」と⾔われた社会主義変⾰運動を⼒で制圧したのを昨⽇の事のように思い出すが、それからおよそ半世紀が経過して、ロシア軍が東ヨーロッパ有数の都市であるキエフに侵攻した。孤⽴無援の中での「キエフの悲劇」だ。チェコ事件は、四半世紀後のソ連邦崩壊の序曲だったのだが、ロシア軍のウクライナ侵攻は果たして世界をどこに導くのだろうか。宣戦布告がないまま、⼒で他国の主権を侵害し現状を変えようとするロシアの暴挙は徹底的に糾弾されなければならない。また、残念であるが、そのような無法な⾏動国際社会は⽌められなかった。果たして強⼒な経済制裁が事態を収拾する効果を持つか。この事態は、おそらく冷戦終了後の国際秩序が崩壊していく歴史上の分⽔嶺となるのではないか。果たして⽶国は、中国は、どう動くのだろうか、そして⽇本はどう考えるべきか。

現代の事とは信じられない⼤国ロシアの侵略⾏為
 ウクライナへの軍事侵攻は計画されていたことであり、周到な準備の下で実⾏されたのだろう。ソ連邦の解体を20世紀最⼤の悲劇と呼んだプーチン⼤統領にとっては、中東欧諸国やソ連邦を構成していたバルト三国に続き、ウクライナがNATOに加⼊するのを⽌めるのが⾄上課題だったということか。それにしても⼒による侵略⾏為は現代の事とはとても信じられない。

重ねてきたNATOへの対峙、中国との関係構築
 ロシアは2014年に⿊海艦隊を擁する戦略的拠点であるクリミアを併合し、シリアのアサド政権を⽀援して地中海沿岸に基地を持つなど、NATOに対峙していく姿勢を明確にしてきた。クリミア併合に対する⽶欧からの制裁措置を受け、外貨準備の積み増しや⽯油ガスの輸出先の多角化をはかり、更なる制裁に耐える体制も強化してきた。プーチン⼤統領にとって最も重要な戦略的動きは中国との連携だったのだろう。かつてない程強固な連携関係を築き、北京五輪時の⾸脳会談では⽯油天然ガスの中国への輸出拡⼤を合意した。決済通貨はドルではなく、すべてユーロだ。

飲めない条件突きつけ、侵攻開始
 そして、ウクライナをロシア国境、ベラルーシ、⿊海の三⽅から19万⼈に達すると伝えられる兵員で包囲し、ウクライナや⽶欧に対して「ウクライナがNATOに⼊らない法的保証」という飲めない条件を突きつけた上、時を移さず、ウクライナ東部のロシア系⼈⼝が多い地域の独⽴を認め、友好条約を結び、集団的⾃衛権の⾏使として侵攻を開始した。ウクライナ軍を武装解除して傀儡政権を作るつもりなのか。果たしてロシアとウクライナの停戦協議は実を結ぶのか。いずれにせよウクライナがロシアの意に沿わない⾏動をとれば軍事的⾏動をとる、という体制を維持していく考えなのだろう。

⽌められなかった蛮⾏、国際社会は停戦へ必死になるべき
 何故、そのような蛮⾏を⽌められなかったか。NATOという強⼤な軍事機構を持ちながら⽶国は何を考えたのだろうか。ウクライナはNATO加盟国でないから防衛する義務はない。しかしこれまで⽶国もNATOも⺠主主義を守り、テロに抗し、⼤量破壊兵器の拡散を⽌めるとしてNATO域外で軍事的⾏動を⾏ってきた。ウクライナは明々⽩々侵略されているのに、ロシアは核⼤国だから戦争は出来ない、同盟国ではないウクライナの戦いは座視せざるを得ない、ということか。

経済の相互依存関係が鍵となるか
 バイデン⼤統領はかつてない強⼒な経済制裁で対抗すると述べ、欧州も⾃国経済に悪影響必死のSWIFTからのロシアの排除など強⼒な制裁に合意した。結果的にロシアからの⽯油天然ガスの輸出は制限されることになるし、強い制裁は⻄側の経済にも打撃を与える。しかしルーブルは暴落するだろうし、ハイパーインフレがロシアを襲うのだろう。⻄側経済の⼀定の犠牲の下で、プーチン⼤統領の蛮⾏が⼀刻も早く⽌められることが期待される。グローバリゼーションの下での経済相互依存関係が鍵となるか。

制裁だけでは困難、外交が機能しなければならぬ
 ただ、どんなに強い制裁でも制裁だけで局⾯を変えるのは難しい。外交が機能しなければならない。しかし外交では100%の勝利はない。スウェーデンやフィンランドといった本来⻄側の諸国がNATOに加盟しないのはロシアと⾔う強⼤な国を敵に回したくないという理由があったからだ。ロシアはベラルーシ、ジョージア、ウクライナは⽣命線と考えているのだろう。そういう状況を組み⼊れた合意は不可能ではなかったはずだ。しかしロシアに妥協した形になるのは、それもできないと⾔う事か。これ以上無益な⾎が流れるのを⽌めるため、停戦のため国際社会は必死になるべきではないか。

「⽶国の時代」は終わったのか
 ⽶国は疲弊した。中東における⼆度の戦争で⽶国兵⼠を含む多くの犠牲者を出し、数兆ドルの予算を消費し、成功とは⾔い難い結果に終わり、アフガニスタンからの撤退も同盟国を⾒捨てたという批判を巻き起こしたことは⽶国の威信を更に傷つけた。「世界の警察官」であり続けることには、もう無理があるのかもしれない。トランプ⼤統領の時代はそれまでも存在していた所得格差や⼈種に起因する⽶国の分断を⼀層深めた。コロナ・パンデミックは⺠主党と共和党の党派的分断を改めて露呈するとともに、インフレの昂進と相まって⽶国の内向き志向は強まった。もう他の国の事には構っていられないという雰囲気があっても不思議ではあるまい。バイデン⼤統領が早々と軍事介⼊するつもりはないと述べたのは、そういう国内的雰囲気を念頭に置いての事なのだろう。

中露双⽅への対峙戦略にシフト、NATOと⽇本の負担拡⼤へ
 おそらくロシアを抑⽌できなかった⽶国は今後、国際社会からロシアを徹底的に排除するという⽅向に傾いていくのだろう。バイデン⼤統領は中国を唯⼀の競争相⼿として対峙し、ロシアとはある程度安定的な関係を維持する考えであったと思われるが、これからはロシアと中国双⽅に対峙していく戦略をとっていかざるを得ない。中東の戦争では⽶国⾃⾝が単独でも、という勢いであったが、今やバイデン⼤統領はNATO諸国や⽇本などの安全保障の負担の拡⼤を求めていくのだろう。そもそも2014年にロシアがクリミアを併合した時期からロシアは北⽅領⼟をオホーツク海から太平洋に抜ける戦略的要衝の地と⾒、⽇本に返還すれば⽇⽶安保条約が適⽤され⽶軍基地が置かれるのではないかとの懸念を強く⼝に出しだした経緯もあり、今後の⽶ロ戦略的対峙の中で北⽅領⼟問題の解決はますます困難となる。そのような状況の中、ロシアに対し⺠主主義諸国が結束して強い措置を講じていく事は⽇本にとっても重要だ。

中国はどう出るのだろう
 SWIFTからの排除を含めた経済制裁が本格的に導⼊されていくと、ロシアが中国との連携に活路を⾒出そうとするのは目に⾒えている。強⼤な核戦⼒と豊富な⽯油ガス埋蔵量を持つロシアと、同じく核兵器国であり、14億の市場を持ち⽶国を追い上げる経済⼒を有する中国が結びつき、⻄側同盟国とは軍事的、政治的、経済的に分断されていくと、「第⼆の冷戦」と呼ばれる事態となるのだろう。

優勢事項は経済成⻑、国際経済との濃厚な依存関係
 しかし、中国は他国の主権侵害であるロシアのウクライナへの侵略を全⾯的に⽀持していくとは建前的に考え難いし、経済的に分断されていく事も⾃国の利益ではないので、ロシアと同盟関係同然の関係となることはないのだろう。ロシアとは⽐較にならないほど国際経済社会と濃厚な相互依存関係があり、⽶中対⽴が厳しくなっても⽶中貿易や⽇中貿易は拡⼤しており、⻄側社会と分断されることは中国共産党にとっての優先事項である経済成⻑を⼤きく阻害していく。中国は余程追い詰められない限り、そのような事態が⾃国にとって好ましいと考えることはあるまい。

対⽶関係にロシアを有⽤なカードとしていくか
 ⼀⽅、中国はロシアからの⽯油天然ガスの輸⼊増加を歓迎し、ロシアへのハイテク技術の輸出も増⼤するだろうし、経済的依存関係は拡⼤していくのだろう。中国はウクライナ問題に対する⽶国の⾏動も観察しているだろうし、⽶中対⽴がさらに激化する場合にはロシアとの戦略的関係を強固にしていくものと考えられる。中国はロシアを有⽤なカードとして考えていく事は間違いがない。

⽇本どう⽴ち位置を定めるべきなのだろうか
 ⽶国の抑⽌⼒の低下や国際社会での指導⼒の低下は⽇本にとって全く好ましい事態ではない。中国がウクライナの状況を⾒て尖閣諸島や台湾に直ちに⾏動を起こすとは思えないし、⽶国は、仮に尖閣が攻撃された事態や台湾有事に対しては躊躇なく⾏動するだろう。もし⽶国が軍事介⼊をしないとなると、⽶国の信頼性は地に落ちる。ただ、アフガニスタンからの撤退の例やウクライナの例は、ロシアや中国、更には北朝鮮に同盟国を守るという⽶国の覚悟が衰えているのではないかといった印象を与えるのかもしれない。

⽇⽶安保とG7活性化で結束強め、ロシアには厳しい措置を
 ⽇本は⽇⽶安保条約の下での⽶国との安保協⼒を強化するとともに、再びG 7を活性化し、⺠主主義先進国の結束を強化する努⼒を進めるべきだろう。北⽅領⼟問題の解決は⼀層遠のいたことは否めないし、クリミア併合時のように⽇本は北⽅領⼟問題の故にロシアに⽣ぬるい態度をとるべきではない。欧⽶ときっちり協調した厳しい措置をとっていくべきなのだろう。⽇本はロシアへの天然ガス依存度は約8 % であるが、⽶国を含めロシア以外からの供給の多角化も図っておくべきだろう。

対中関係は是々非々に。多角的戦略が求められる
 中国との関係での経済的分断は⽇本経済に深刻な影響をもたらす事は明⽩だ。⽇本にとって、「第⼆の冷戦」と⾔われるような露中の連携は全く好ましいことではない。⽇本は中国との関係を是々非々で考え、⾹港・台湾問題などの戦略的課題について厳しい対応をとっても、経済的関係や気候変動や北朝鮮核問題などグローバルな課題での協⼒を緊密にしていく努⼒を同時に⾏っていくべきなのだろう。露中の連携が更に強くなることは国際社会の利益ではなく、⽇本には多角的な戦略が求められる。

https://webronza.asahi.com/politics/articles/2022030100002.html
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