国際戦略研究所 田中均「考」
【ダイヤモンド・オンライン】サッチャー、⾦⼤中、メルケルにあって⽇本の政治家にない指導者の資質
2022年02月16日 田中均・日本総合研究所国際戦略研究所理事長
|改⾰進まず「失われた30年」
|政治指導者に何が⾜りないのか
ウクライナ情勢が緊迫する中、⽶・バイデン⼤統領、ロシア・プーチン⼤統領、仏・マクロン⼤統領ら各国⾸脳による軍事衝突回避の折衝が続いている。指導者の判断や決断は、かつてのキューバ危機に象徴されるように⼀国の国益ではなく世界全体の命運を握ると⾔っても過⾔ではない。危機や変⾰のときにこそ政治指導者の資質が局⾯や歴史を変えていく。その意味では筆者が特筆すべき指導者と考えるのが、英国のサッチャー⾸相、韓国の⾦⼤中⼤統領、ドイツのメルケル⾸相だ。評価はいろいろあるのだろうが、困難にひんした国を強い意思で⽴て直した。私は外務省時代に⾸相に随⾏した際だけでなく、幾度となく個別に話す機会があったが、実際に接してその思いが強い。⽇本は今、選挙に勝つための政治の⾊合いが濃く、中⻑期的な課題は「失われた20年、30年」として取り残されたままだが、⽇本に今こそ求められているのは、課題に強い意思を持って⽴ち向かうことができる政治指導者だ。この3⼈に⾒る指導者像が⽇本に必要とされている。
|サッチャー⽒の強い使命感
|メルケル⽒の⾟抱強い説得の⼒
サッチャー、メルケルは両⽒とも英独でそれぞれ最初の保守政党党⾸であり、⼥性⾸相だ。政治の世界での厳しい競争を勝ち抜いたことからだけでも、他の⼈を圧する強い使命感があったことは⾃明だろう。サッチャー⽒は1979年に⾸相の座に就いたが、強い影響⼒を持っていた労働組合の排除や非効率的な国営企業の⺠営化、規制改⾰、⾦融システム改⾰など、いわゆる「新⾃由主義」に基づく経済政策を追求した。また、所得税減税をする⼀⽅で同時に消費税を8%から⼀挙に15%へと、党内の反対を押し切って引き上げた。これらの政策はすぐに効果が出たわけではなく、⾼いインフレや失業者を⼀時的に⽣んだが、強い指導⼒でやり抜き、英国経済を⾒事によみがえらせた。また、アルゼンチンとのフォークランド紛争では断固とした姿勢で遠く離れた地へ艦隊を送って島を奪還し、イラクのクウェート侵攻に対しては⽶国に軍事⾏動を強く進⾔した。サッチャー⾸相が欧州通貨統合問題で国⺠投票を迫られたとき、私はロンドンの⼤使館で勤務をしていたが、「国⺠は全ての情報を知る⽴場になく、政府の判断に不満であれば次の選挙で政府を打倒すればよい」と、⾸相官邸前で国⺠投票をきっぱり否定する演説をした際の毅然とした姿を思い出す。「鉄の⼥」の⾯目躍如だったが、何よりも際⽴っていたのは「⺠主主義体制における指導者」としての在り⽅だ。⾸相は⾃らの信念と使命感に基づいて判断をし、その結果について国⺠の評価を受ける、という姿勢を堅持した。その都度、国⺠世論の受け⽌めや党内の権⼒関係を気にしながら統治を進めるのとは好対照だ。
メルケル⾸相はサッチャー⽒とは異なり、「調整の⼈」だった。16年の⻑きにわたる⾸相在任の⼤半は社会⺠主党との⼤連⽴だったが、やはりドイツの⽣きる道を変えた。メルケル政権に先⽴つシュレーダー政権の改⾰の成果もあるとはいえ、財政と経済両⾯で堅実な経済を実現した。メルケル⾸相の最⼤の貢献は、ドイツをEUの揺るぎない指導国としてギリシャ債務問題や難⺠問題、さらには新型コロナウイルス問題に対処したことだろう。財政規律や⼈道的考慮といった基本的原則を踏み外すことなく欧州をまとめていった。新型コロナ感染危機に際しても、外出規制実施のときには、誠意をもって国⺠に直接、語りかけ我慢や犠牲を説いた。欧州各国では、戦前の歴史からドイツの軍備増強への警戒⼼が根強いが、近隣諸国の批判を受けることもなくアフガン戦争にも連邦軍を派遣した。これもメルケル⽒が指導するドイツへの安⼼感だったのだろう。メルケル⾸相は、⺠主主義を基盤とする欧州全体でも最も信頼された指導者であり続けた。そこに垣間⾒えたのは何よりも⾟抱強い説得の⼒だった。
|独裁と戦い⺠主主義を勝ち取った
|⾦⼤中⽒の圧倒的なカリスマ性
⾦⼤中⼤統領は、本⼈⾃⾝が軍事独裁政権と戦い続け、⻑期間の⾃宅軟禁や投獄、死刑判決も受けたほか、何度も暗殺の窮地をくぐり抜けた。⼤統領になると、財閥改⾰やIT産業育成などに⼒を⼊れ、アジア通貨危機直後の経済的苦境を乗り越えたほか、1998年には⼩渕⾸相との間で⽇韓の協⼒をうたう共同宣⾔に署名した。本来は、⽇本に対して強硬姿勢の与党・新政治国⺠会議が、この宣⾔に署名することは考えられなかった。同党が受け⼊れたのは、⽇本との関係を改善すべしという⾦⼤統領の強い使命感と軍事独裁政権と戦い、⺠主主義を勝ち取った⺠主派政治家としての圧倒的なカリスマ性の故だった。
|3⼈に共通するのは
|⼈を引き付ける「⼈間⼒」
サッチャー⽒の強い信念に基づく使命感、メルケル⽒の⾟抱強い説得⼒、⾦⼤中⽒の⻑い経験に基づくカリスマ性など、指導⼒の根源にあるものは異なる。しかし3⼈に共通するのは、⼤きな⼈間的魅⼒を持った⼈たちだったことだ。指導者⼀⼈の⼒で国の⾏く末を変えられるわけではない。党や内閣に指導者の信念に共鳴する⼈たちを集めるための⼈間としての魅⼒が必要だ。
⾦⼤中⼤統領にお目にかかる度に印象に残ったのは、⼈間らしさだった。2002年9⽉の⼩泉⾸相の初の訪朝の報告をしたとき、⾦⼤統領は本当に喜んでくれた。そのおよそ2年前、⼤統領⾃⾝も北朝鮮を訪問し、史上初めて南北⾸脳会談を⾏っていたが、⽇本の⾸相の訪朝は、⾃ら提唱してきた太陽政策の延⻑上にあると考え、うれしかったのだろう。その後も何度もお目にかかったが、あるとき、「⽥中さん、海の真っただ中でふと目を覚ましたら、深⿊の空に輝いていた満天の星がきれいだった。このとき、⾃分は死ぬのだと思った」といたずらっぽい顔で述懐された。1973年に都内のホテルから韓国中央情報部(KCIA)に拉致されて⼩⾈でソウルに運ばれたが、その途中、海上保安庁の航空機が追跡し照明弾を投下するなどしたため殺害は免れたという。当時、⾦⼤中⽒は交通事故を装った暗殺事件で重傷を負った直後だった。また10年を超える軟禁⽣活、⽶国での亡命⽣活などまさに何度も修羅場をくぐり抜けてきた政治家だ。苦渋の時代を語るときの厳しい表情の半⾯、喜んだときの穏やかな顔は印象的であり、⼈間としての魅⼒を感じさせる⼈だった。
|好奇⼼旺盛な⼥性宰相2⼈だが
|即断即答とじっくりの好対照
サッチャー⾸相は弁⾆さわやかであるとともに、好奇⼼旺盛な⼈だった。⾸相退陣後、⽇本を訪問する前にロンドンで会った際、「英国サンダーランドの⽇産⾃動⾞⼯場を視察したが、あの労働者の規律はどこから来るのだろうか」と、尋ねられた。吸い込まれるような緑の深い瞳で⾒つめられると、何としてでもきちんとした答えを⾒つけなければならないと、懸命に答えたのを思い出す。オックスフォード⼤学で化学を専攻したからか、曖昧な答えでは満⾜しないというオーラが漂っていた。その科学的な探求⼼を持つ論理的思考は、時として⼈を寄せ付けない冷たさがあったのだろうが、「この⼈は特別な⼈だ」と従っていく⼈が圧倒的に多かったに違いない。
メルケル⾸相も⼤学で物理学を専攻した科学者だが、サッチャー⽒とはまた肌合いが違った。私は毎年、東京とベルリンで交互に開催される⽇本とドイツの賢⼈会議である⽇独フォーラムのメンバーだったので、メルケル⽒が⾸相就任直後の2006年から隔年ベルリンで⾸相と会う機会があった。とても好奇⼼が強い⼈だったが、サッチャー⽒とは異なり、即断即答というより、答えを聞いてじっくりこなしていくというタイプの指導者だ。メルケル⾸相はほぼ毎年、中国を訪れるほど中国への関⼼が強く、私はベルリンに⾏く度に「中国をどう思うか」と尋ねられた。⾸相は16年という⻑きにわたり宰相の座にいたが、明らかに年を追うごとに宰相らしい雰囲気と⾒識を⾝に付けていった。
|英独韓とも厳しい時代からよみがえった
|「改⾰」実現できない⽇本の指導者
3⼈の指導者に共通した使命感の強さと⼈間的魅⼒は、程度の差はあれ、優れた政治指導者には必須の資質だと思う。ただ、異なる政治風⼟の中で時代を画した指導者であり、その資質ややり⽅が今の⽇本にも全て当てはまるわけではないかもしれない。しかし英独、韓国は、1⼈当たりの国⺠所得では⽇本ともおおよそ同じレベルにあり、かつ世界でも有数の⺠主主義・資本主義国だ。特に英独は議院内閣制の国として政治制度は⽇本と⼤きく異なるわけではない。何よりも3カ国とも、厳しい時代を経て⽴ち直った国として⽇本も参考にすべき国だ。英国は⼤英帝国として栄華を極めたが、第2次⼤戦後は、労働党時代の社会主義的な政策の下で経済停滞に苦しんだ。だが「英国病」の時代から「サッチャー⾰命」の下で再びよみがえった。ドイツは東⻄ドイツの統⼀を経て、国内志向の強い国からEUの揺るぎのない指導国としての地位を固めた。韓国は1986年の⺠主化後、短期間で先進⺠主主義⼯業国へと発展した国だ。
⽇本は、バブル崩壊後の30年間、経済成⻑率や労働⽣産性、⾼齢化⽐率、公的債務残⾼、ジェンダーギャップ、報道の⾃由度など、どれをとってもG7の優等⽣から劣等⽣へと凋落してしまった。改⾰の必要性はずっと叫ばれてきたが、それを実現、達成する⼒を持った指導者が現れてこなかったといえるだろう。戦後の復興期には、吉⽥茂元⾸相ら確固とした使命感を持ち、周りを率いた宰相と⾔われる指導者はいたわけだし、決して諸外国の政治指導者に⽐べ⾒劣りしたわけではない。しかし近年は、選挙で勝つことが政治の目的となり、終わったかに⾒えた派閥政治の悪い⾯が露骨に出てきた。派閥の⻑である⾸相候補者が激しく競い合い指導者として訓練されるということもなく、派閥の実⼒者が数を⽀配して談合的に⾸相候補者を決めるといった前時代的指導者選びとなってしまった。これでは優れた指導者は⽣まれず、実⼒者に都合が良いだけの⾸相を⽣むことになってしまう。
|今の⽇本が望めるのは
|メルケル的なスタイルの指導者
⽇本を変えていくためには、まずは、政治指導者について国⺠の間で、「強い危機意識と使命感」を持つ指導者が必要だという認識が確⽴されることが重要だ。政治といっても⼈間の世界なので、⼈間的魅⼒を元に求⼼⼒を⾼めていく必要もある。ただ、将来はともかく、今の⽇本の政治家を⾒渡したとき、残念ながらサッチャー⾸相や⾦⼤中⼤統領のようなカリスマ性を持った指導者はいない。したがって、今の⽇本が望み得るのはメルケル的なスタイルを持つ政治指導者ではないか。強い使命感を持って豊かな⼈間⼒で⾟抱強く調整を進めていく指導者が、⽇本の将来展望を開いていくのだろう。
政治の枠組みについても、選挙で勝つことを目的とするのではなく、⽇本を変⾰し進展させることが政治の真の目的だということを認識し、中⻑期的課題に取り組もうとする指導者が選ばれるような仕組みに変えていくことが重要だ。世論は政治がリーダーシップを発揮してけん引して作るものであり、世論を後追いする政治は本末転倒で意味がないことも指導者は認識すべきだろう。そのためにも今の派閥政治への回帰は、是が非でも⽌めなければならない。
ダイヤモンド・オンライン「田中均の世界を見る眼」
https://diamond.jp/articles/-/296342