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偽りのおもてなし国 日本

2022年01月12日 時吉康範

 日本人はいつから他人に優しくない国民になったのだろうかと、ぼんやりと疑問を抱くようになった。昨年無事実施された東京オリンピック・パラリンピック誘致のプレゼンテーションで、女性キャスターが「お・も・て・な・し」を紹介している時には、日本がおもてなしの国だということにさほど疑問は持っていなかったと記憶している。
 改めて、何が日本のおもてなしの例と言われているだろうかとネットを見てみたら、ホテル・旅館、レストラン、コンビニ、駅……とある。しかも、日本のおもてなしはすごい、と誇らしげに書いてある。そうか、商業施設の従業員のことを指しているのか。しかし、仕事として賃金をもらっている以上、商業施設の顧客接点のフロントに立つ従業員は親切・丁寧に接客して当たり前ではないのか。そのように思っている筆者は、商業施設のフロントの、特に若い人の、無機質かつ機械的な接客に不愉快な思いをさせられることが増えてきた。筆者は、駐在を含め海外経験は多いので他国との比較で日本の接客の良さは肌身で分かっているし、商業施設の従業員の接客にクレームをつけるほど世間知らずでもないが、最近では、ハイエンドの商業施設でも「この対応は何だろうか」と思うことが増えてきたのだ。
 そうした中、筆者を含む未来デザイン・ラボメンバーの習慣でもある未来の兆し情報の収集をしていたら、次のような記事があった。
「ロボットが「気配り」できるようになる? MITが新しい機械学習システムを開発」(※1)
 ロボットに社会的コミュニケーションを機械学習させようとする試みだ。最近では、生産施設だけではなく商業施設でも人間の代わりにロボットを置くようになってきた。これまでは、人間がやらなくてもロボットで実施可能な“機能”をロボットに担わせるという文脈だったが、人間を機能的にも情緒的にもそのままロボットに置き換えるという変化が見えてきたのである。確かに、設備や商品はよくてもフロントの対応がよくない商業施設は多くあるのだろう。顧客を不愉快にさせるくらいなら、さっさとロボットに代えた方がよいと思う次第だ。

 そういえば、おもてなしの定義は何だろう。改めて辞書を調べてみるが、著名な辞書には総じて“おもてなし”はなく“もてなし”がある。もてなしとは、(1)客に対する扱い。待遇。「丁重な―を受ける」(2)客に出す御馳走。接待。「酒肴の―をする」「何のお―もできませんが」(※2)、とある。もてなしに“お”をつけて“おもてなし”になるわけだが、おもてなしそのものの定義は情報サイトに「心をこめた」「日本の文化」などと書いてあり、なるほど「造語」か「雰囲気」に過ぎないのだなと思うようになった。
 では、心をこめたもてなしは商業以外にはないのだろうかと思っていたら、“四国のお遍路さんへのお接待“を思い出した。あれは何なのだろう。調べてみると、お遍路さんへのお接待は、弘法大師空海へのお供えでもあり、接待をすることで功徳を積むというご利益があるとのことだった。なるほど、(信仰の深さは別として)宗教行為の一つなのだ。それは分かりやすい。他人に施しを与えることは多くの宗教においてごく普通のことだ。日本はほぼ無宗教の国だから、おもてなしの話題となると商業の事例ばかりになりがちなのだろう。

 そう考えていると、さすがに「えっ、本当にそうなのか。」と思うデータに出くわした。2021年6月にCAF(Charities Aid Foundation:英国の慈善団体)が公表したWorld Giving Index 2021(※3)だ。このレポートは、2020年に世界各国の国民に対し以下の3項目のアンケート調査をし、114カ国について結果を並べたものだ。

質問:
1)ここ数カ月の間で、助けを必要としている見知らぬ人を助けたか。
2)ここ数カ月の間で、寄付を行ったか。
3)ここ数カ月の間で、どこかの組織でボランティアに時間を使ったか。

 わが国は、1)~3)でYESと答えた人の割合がどの設問でも12%で、総合スコアは114カ国中最下位だった。この結果に対して、統計の有意性や回答者の国民性の違いに異議を唱えることはできるかもしれない。ただ、筆者の感覚では、2)の結果は、わが国には寄付文化がないと以前のコラムで書いたくらいなので違和感はまったくない(※4)。1)の結果は、公共交通機関や街中で困っている人に手を差し伸べる人を全く見かけなくなったと思っていたので納得だ。資料からは分からないが、日本の中でも地域差や世代差は当然あるだろう。おそらく、地方在住者や高齢者を対象にしたら、この数字よりも高くなると思う。反対に、都市部在住者や若者を対象にしたら、さらに下がりそうだ。
 筆者のモヤモヤはスッキリしてしまった。
 助けを必要としている見知らぬ人を助ける人がほとんどいない国が『おもてなしの国』とは悪い冗談だ。金儲けの時だけ仕方なく演技をしているだけではないのか。日本は“なんちゃって”おもてなしの国で、端から幻想を抱いていただけだったのだ。さらに言えば、わが国の真のおもてなしは、地方在住者や年配者の、宗教等の昔からの慣習によって支えられている絶滅危惧種だ。大部分のおもてなしは商業目的だが、その品質はボトムから恐るべき速さで劣化し、ごく一部のハイエンドの商業施設にしか残らないだろう(そうなると、他国と何ら変わりのない状況だ)。
 スッキリしたうえで、未来に向けた問題を最後に提起したい。
 この他人に優しくない国をこのまま放置してよいのだろうか。他者への関心、優しさは、生存欲求とともに、生物が生まれながらにして自然に持っている精神だと思う。日本の今の社会は、子供たちの生まれながらの精神の維持・成長を阻害するような修正行動を強いているのではないだろうか。


参考情報
(※1)ロボットが「気配り」できるようになる? MITが新しい機械学習システムを開発 
(※2):大辞林より
(※3)CAF World Giving Index 2021 
(※4)エコノミックアニマルに社会課題は解決できるか

以 上
※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。



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