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第9回:未来洞察の小説化を実践する その④「隠れた貢献者 The Hidden Contributors」

田中靖記 & SF-Foresightプロジェクト


 第8回では、ベーシックインカムが実現した社会における「自助生活」のあり方を描いた。引き続いて今回も同じ「自助生活」の世界を描いている。ただし自助とはいえ、必ずしも自分だけの力で生活がうまくいくとは限らない。自助の世界の中で、他者や他世代とどのようなかかわりを持つことができるのかを感じ、考えてほしい。

タイトル:隠れた貢献者 The Hidden Contributors

 「うるさい、うるさい、うるさい!」

 耳の裏側に埋め込まれた通信端末を思わずミュートにする。
 遠くに流れる滝の音と、キュルキュルとのんきに鳴くコムクドリのさえずりが聞こえてきた。

 都会の喧騒から離れた生活はもう2年になる。地元が近いわけでもない山あいのこの村を知ったのは、民間企業で働いていた時の取引先だった企業が、地域貢献事業をしている地域があるとPRしていたからだ。

 その企業のおかげかどうかはわからないが、住み心地はとてもいい。10年以上も始発電車を目覚まし時計代わりにしていた自分にとっては、鳥の声で目を覚ますだけでこれほど寝起きの良さが違うのかと驚いたものだ。

 この場所での生活は苦労の連続だった。十分な現金収入があるわけではないし、かといってサバイバルできる知識を身に付けていたわけでもない。早くに亡くなったばあちゃんがいつも見せてくれていた山菜の採り方、ちゃんと覚えておけば良かった。

 そんな自分でもなんとかやっていけるのは、毎月送られてくるデジタル・フード・チケットとこの生体内蔵型通信端末のおかげだ。

 「アドバイスくれるのはありがたいんだけどねぇ・・・」

 思わずため息が出る。
 端末を使うことで、専門家から直接、作物の育て方についてのアドバイスをもらえるし、スマートグラスを通して具体的な作業動作も教えてくれる。

 時間だけはたくさんあるので農作業でもと思ってはじめてみた。自分ではなかなかうまくやっているつもりではあるものの、耳元でこうもたくさんの指示をされるとどうもやる気がそがれてしまう。

 『追加の情報が、2件、あります。追加の情報が、2件、あります。』

 スマートグラスには、通信端末にメッセージが届いているお知らせが繰り返し表示されている。いつもの「農業マイスター」からのアドバイスだ。地域ごとに、相応の経験を持つ人が後進の育成をしてくれている。でも今は、他人のアドバイスを聞く気分にはなれなかった。

 「自分だけでやってみるか」

そうつぶやいて、作業に戻ることにした。

☆☆☆


 山間部だとはいえ、暑いものは暑い。
 なんだか目もチカチカしてきたように感じる。

 育てた野菜の収穫が終わると、迷わず日陰に逃げ込んだ。移住してきて2年もたつと作業にも慣れてくるもので、スマートグラスの指示をそつなくこなすことができるようになった。

 農業マイスターからの声も、昔ほどはうるさく感じない。

 「もう端末なしでも大丈夫かもしれないな。」

 今日の収穫は、トマト・ピーマン・なす・きゅうり。どれもスマートグラスが表示する標準サイズを優に2割は上回っている。

 僕には農業の才能があるのかもしれない。
 秋には大根と白菜をはじめてみようか。ルッコラもいいかもしれない。そんなことを考えながら、帰路についた。

☆☆☆

 3年後。
 自分にも農業マイスターの称号が授与された。

 もっと長い経験を積んだ人がマイスターになるものとばかり思っていたので、こんなに短期間で大丈夫か、とも考えたが、自分の持って生まれた才能が開花したんだ、と前向きに考えることにした。

 これからは専門家として、初心者にアドバイスをする立場になる。
 ひょっとしたら、誰かの「ばあちゃん」になれるかもしれないな。あまり小うるさくしないようにしないとな。

 そう思いながら、スマートグラスに新たに表示された「マイスター・コンソール」を開く。

 情報保護規定にのっとっているためどこの誰かはわからないが、五感のあらゆる情報を通して、初心者が農作業をしている状況が伝わってくる。

 最初は音声のみで指示をしていたが、自分もうるさくされてやる気がなくなってしまったことをふと思い出した。その時、ナッジ・コントロール、と書かれたアイコンが目にとどまる。

 「ナッジって、後押しをするとかいう意味だっけか」

 昔の知識をなんとか引き出しながら、アイコンを押してみる。
 自分の目の前にある映像が、初心者のスマートグラスを通してみる景色とリンクされる。

 このコンソール画面から、初心者のスマートグラスに部分的な濃淡をつくったり、小さなドットを表示させたり、対象物を明滅させたりすることができた。
 初心者の農作業を、望ましい、理想形な行動に近づけることができるようになっていた。
 直接音声で指示しなくても、作業の勘所を伝えることができるようになっているのだ。

 「そういうことだったのか。」

 思い出す。農作業の知識がなかったあの頃のことを。
 よく通信端末をミュートにしては、たまっていくメッセージにうんざりしていた。

 その割には、野菜を枯らせたり、育成に失敗したりすることはほとんどなかった。
 自分の才能とばかり思っていたが、あの頃から、誰かがスマートグラスを通して、そっと後押ししてくれていたのだった。

 山菜を採るばあちゃんの後ろ姿が、脳裏に浮かんでは消えていく。
 あの時のマイスターとは、まだ話ができるのだろうか。

 「なんでも言って。ちゃんと聞くから」

(終わりに)
 この世界観の裏側には、ベーシックインカムが実現した世界において「社会全体の安定性・安全性を維持し、社会不安の要因を取り除くため、ベーシックインカムに頼って生活していくための手段を伝授する取り組みを実施している」という考え方がある。自尊心や達成感を与えながらも、世代間のスキル伝授・他者との見えないつながりを通して、「生産のある暮らしの良さを知る生活者」を育成することが、社会全体の安定化に寄与するのではないだろうか。
 これらの考え方を支えるのが、ARグラスや触覚伝達デバイス等のテクノロジーである。自然とテクノロジーが埋め込まれている世界観を表現し、人々の暮らしがどのようによくなっているかを描くことで、新しい事業構想や技術開発構想をよりわかりやすく、効果的に伝えることができるのではないかと考えている。
以上
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