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【クリエイティブエコノミーが切り開く未来~持続可能な都市において不可欠な「文化芸術」~】
その1:文化芸術が持つ多面的価値とは

2021年07月06日 前田直之山崎新太、本田紗愛、大庭あかり、森本佐理


1.文化芸術は不要不急なのか
 2019年末以降、世界は未曽有のウイルス感染拡大の波に飲まれ、経済活動、ライフスタイル、コミュニケーションといった全ての場面において「常識」の転換を求められた。
 人々は、集団(コミュニティ)を形成することを前提とした生活から、他者との接点を限定させられることによって、心身に多大なストレスを背負いながら、新たな行動様式を確立しようと模索している。
 新型コロナウイルスの感染拡大の最中、今までの常識として人々の生活に根差してきたさまざまな都市機能の在り方、役割が変わろうとしている。その中で、最も顕著な変化を強いられているのが、文化、芸術、エンターテイメントなどの領域で公演・制作・展示するアーティスト・クリエイターと、それを鑑賞、体験する市民、顧客の行動様式であろう。
 コロナ禍において、世界の各国は多くの人が集まる都市施設の閉鎖、人数制限等をちゅうちょなく実施してきた。その際に、強制的な政策執行の理由として掲げられたのが、人々の生活において「不要不急」な行動を制限するというものである。
 その中で、各国の措置に必ず含まれたのが、演劇やライブエンターテイメントなどを行う劇場、ホール、アリーナなどの施設、アートを展示鑑賞するための美術館やギャラリーなどの施設の閉鎖である。言い換えると、これらの表現を行う、また鑑賞体験を行う行為は、「不要不急」であると断じられた。
 筆者らは、我々の生活、またそれを取り巻く都市の機能として、「文化芸術」が不要不急であると考えていない。事実として、このコロナ禍において、さまざまな行動が制限された人々が求めたのは、抑制されることによって負うストレスに対抗するために、精神的な刺激や安らぎ、リラックス効果をもたらす文化芸術、エンターテイメントコンテンツであった。

2.ドイツの文化芸術分野に対する支援策
 コロナ禍における各国の文化芸術分野への対応の中で、最も注目されたのは、ドイツのメルケル首相のスピーチではないか。2020年5月に行ったスピーチにおいて、同首相は以下のように述べている。


出所:株式会社BTCompany「美術手帖WEBサイト」2020年5月16日


 このスピーチに基づき、ドイツ連邦政府は、文化芸術分野に対する手厚い支援策を講じている。


出所:文化庁「新型コロナウイルス感染症対応に係る文化芸術関係の支援について」より日本総合研究所作成


 メルケル首相のスピーチは、連邦政府の政策的スタンスを明確に発信するだけなく、世界の人々に対して、「文化芸術」が我々の生活において不可欠なものであることを気づかせた。
なぜ、文化芸術を表現・享受できる環境を整備することが、政府の優先課題として位置付けられているのか。それは、スピーチの中にある「アーティストと観客との相互作用のなかで、自分自身の人生に目を向けるというまったく新しい視点が生まれるからです。」という一文に込められている。

3.文化芸術が持つ力
 VUCA(Volatility(激動), Uncertainty(不確実性), Complexity(複雑性), Ambiguity(不透明性))時代を背景に、デザイン思考・アート思考への注目が集まっていることは論を待たない。筆者らの整理では、デザインは、社会的もしくは顧客からの与件(要請)に対して、想定されている課題を解決するソリューションや製品などを生み出すプロセスである。一方で、アートは、表現者自身が受けとめた問題意識、課題意識を、さまざまな方法で表現する、伝達するという行為である。
 このプロセスを、ビジネスシーン等で応用する考え方が、デザイン思考、アート思考であろう。特に不確実性が高まる社会環境下において、経営者が芸術鑑賞を積極的に行うことや、芸術系の教育を受けた人材登用などが盛んに行われているのは、これらの思考法による気づき、発想、感性などが、ビジネス社会において重視されているからである。
 過去から、英国では文化芸術で創発される創造性やデザインは、経済成長やイノベーションに重要な役割を果たすものと見なされ、クリエイティブ産業政策が、経済政策・イノベーション政策として機能していることが指摘されている。
 実際に文化芸術を「生み出す」という行為そのものをすること、経験することは、前述のデザイン思考、アート思考を体現する意味でも効果があることは確かである。また、それら作品などを鑑賞・体験し、アーティストやクリエイターがたどった創造プロセスや思考などに思いをはせることで、生み出す行為の追体験をすることや、自分であれば何を考えるのか、という自己投影がなされることにより、感性を育むこととなる。このように、文化芸術には、人々に対して、外発的・内発的に「気づき」をもたらす力があると、筆者らは考える。
 また、我々の生活を取り巻く全てのモノや情報、カネなどがデジタル化、データ化されつつある社会では、あらゆる経済活動、生産活動において、革新が進むICT技術やAIなどがデータ処理の大半を担うことになる。さらに処理されたデータに基づき、AI自身が簡易な判断を行う場面も増えてくるであろう。
 しかしながら、我々の生活を支える全てをICTや機械が行う社会はおそらく到来しない。それは、最終的な選択や判断は、人の意思、感性に基づき行う必要があるからである。デジタル社会において、我々が備えるのは、過去の経験や体験によって育まれた感性によって、「何が正しいのか」ということを判断する力ではないか。人々がこの力を育むためには、文化芸術を身近に日常的に触れることができる環境があることが必要と考える。

4.わが国における文化芸術の現在地
 わが国においては、文化芸術基本法の成立、文化経済戦略の策定など、文化の持つ社会・経済的な価値や、多様な政策分野との連携が意識されるようになってきている。特に経済的な面においては、「産業競争力を決定づける“新たな価値の創出”を文化が牽引」し得ることが指摘されている。
 2018年3月に文化庁が策定した第一期文化芸術推進計画には、「国及び地方公共団体は(中略)、文化芸術により生み出される本質的価値及び社会的・経済的価値を文化芸術の継承、発展及び創造に「活用・好循環させる」ことが重要である。」と示されている。その価値を生み出す人(アーティスト、クリエイター)と、その価値を享受する人(国民全体)の双方を対象として、それぞれが「する」支援、「みる・触れる(みせる)」支援を行うというものである。価値を生み出す人々に対しては、国際競争力を高める支援や、それを発表・公演し、観覧してもらえる環境を整備すること、さらには経済的な自立や発展ができるように支援することである。価値を享受する人に対しては、文化芸術活動に親しむ環境を提供し、さらには「本物」に触れて、感性を刺激する機会を提供することなどが挙げられる。これらは、機能別に分類すると、活動そのものを支援する施策、活動をする機会を提供する施策、活動をする場を提供する施策に分かれている。
 また、わが国では、新たに就任した文化庁長官から、2021年5月11日に「文化芸術に関わる全ての皆様へ」というタイトルで、「(前略)これまでの新型コロナウイルス感染症との過酷な闘いの中で明らかになったことは、このような未曽有の困難と不安の中、私たちに安らぎと勇気、明日への希望を与えてくれたのが、文化であり芸術であったということです。文化芸術活動は、断じて不要でもなければ不急でもありません。このような状況であるからこそ、社会全体の健康や幸福を維持し、私たちが生きていく上で、必要不可欠なものであると確信しています。」というメッセージが届けられた。コロナ禍においてドイツ連邦政府のような明確な政策上の位置付けを国民に伝えられていないが、文化庁としての決意表明がなされた形である。筆者らは、わが国が文化芸術政策の位置付けを明確にできない理由として、文化芸術がもたらす効果、便益を認識できていないことが大きいと思料する。

 そのため、本連載において、筆者らは文化芸術が都市の競争力や経済成長、持続可能な発展に寄与する可能性について、多面的に検証・分析することを試みる。次稿では、「文化芸術」という機能が、都市や地域において、どのような影響をもたらすのかを分析・評価したい。

(前田直之)


※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。

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