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ゼロからの研究開発戦略

第3回 「新技術に意味を見出す方法」

2003年12月4日 浅川秀之

(1)WDM(注1)という技術

 1980年代後半であったと記憶しているが、海外に架電した際に「もしもし」と呼んでから「はい」という応答が返ってくるまでにかなり時間がかかっていた時期があった。もちろん今は、国内に架電するのも海外に架電するのも、時間的な差異を感じることはほとんどない。交換機をはじめとする通信機器そのものの技術革新によるところが大きい。しかしながら、通信媒体が電気から光に移行したことが大きな理由の一つであろう。近年では、米デルをはじめ米ハイテク企業各社はコスト削減のため、顧客対応電話サービス拠点をインドに移している場合が多い。クレーム対応の電話のやりとりで遅延があるようでは話しにならない。

 IP電話への移行が盛んであるように、近年では音声というよりはデータ通信のトラフィックが大きな割合を占める。一本の光ファイバーで最大約10Gbps(注2)のデータ伝送が可能であるが、さらなるトラフィックの増大に対応するためにWDMという技術が使われている。商用機レベルでは、物理的に1本の光ファイバーに8波から最大160波までの光を束ねることが可能なため、最大で1.6Tbps(注3)のデータ伝送が可能という計算となる。
 
(注1)  「WDM」:Wavelength Division Multiplexingの略。光ファイバ伝送で用いられる波長分割多重技術のこと。1本の光ファイバで、波長が異なる複数の光信号を伝送する技術のこと。
 
(注2)  「Gbps」:1秒あたり1ギガビットのデータが流れる速度。1ギガビット=10億ビット。
 
(注3)  「Tbps」:1秒あたり1テラビットのデータが流れる速度。1テラビット=1兆ビット。 

 実際に10Gbpsの信号をを160波束ねて運用している通信事業者が存在するかどうかは不明である。しかしながら、北米と日本の間の長距離海洋通信や、最近で下流からのイーサーネット信号を束ねて基幹系への橋渡しをする場面など、近年の光ネットワークプラットフォームとしてWDMの技術は欠かすことができない。

(2)WDMを中心とした光通信の歴史

 光通信の歴史において、WDMに関連する主だった項目を以下にまとめる。

1970年
 :米コーニング社による光ファイバー開発で20dB/kmレベルを実現。
 
1974年
 :米ベル研による光ファイバー開発で1dB/kmレベルを実現。
 
1979年
 :NTTにて実用的製造技術で0.2dB/kmレベルを実現。
 
1980年代前半~
 :PLC(注4)製造技術開発の開始。
 
1980年代
 :2波だけの多重はされていたが、WDMとは呼ばれていなかった。NTTでは実用化されていた。
 
1990年代前半
 :米AT&Tにて伝送実験が開始される。
:PLC技術を用いたAWG(注5)の誕生。
 
1990年代後半
 :WDM装置の製品開発が本格化。 
 
(注4)  「PLC」:Planar Lightwave Circuitの略。プレーナ光波回路。シリコン基盤上に石英ガラス層(光導波路層)を積層させた半導体集積光デバイスのこと。
 
(注5)  「AWG」:Arrayed Waveguide Gratingの略。光の多重分離を実現するプレーナ光波回路(PLC)デバイスのこと。 
 
 1980年代前半から当時のNTTではPLCデバイスの開発が進められていた。PLC技術は、光多重や分離、分岐や光ルーティングなどを光の波長単位で制御を実現可能とする、光通信においてはコアとなりうるキーデバイス技術である。しかしながら、WDMのキーデバイスとしてPLC技術を用いたAWGが開発されたのは1990年代半ば以降である。1980年代はWDMという言葉すら浸透していなかった。実用的な日の目をみなかったPLC技術が、10年以上の歳月を経て、AWGとして製品化するに至ったことになる。

 ベースとなる技術(PLC技術)そのものが誕生してから、その技術が具体的な製品(WDM装置のキーデバイスとしてのAWG)となるまでに10年以上かかっていることになる。ここで注目したい点は「技術が誕生した時には、将来的に何を目標として開発が進められていたのか?」ということである。WDMや光ルーティングといった言葉すら無かったと推測できる時期に、どのような将来像を描いていたのであろうか。AWGという技術は新規技術として有望であったという認識のもと開発投資が継続されたのであろうか。

 類似の事例しとしてインテルのマイクロプロセッサ(以下MPU)があげられる。1971年世界で初めてのマイクロプロセッサ「4004」がインテルから発表される。その後1972年に「8008」、1974年に「8080」、1978年に「8086」、1979年に「8088」を発表。その後、IBMパソコンおよびIBM互換機で広く採用される。1985年インテル創業以来初めての戦略転換点として、DRAM事業からの撤退を決断し、経営資源をMPU事業に集中。現在、特にパソコンにのキーデバイスとしてのMPUの位置付けが確立されていることは誰もが認めるところである。

 1970年代前半にインテルによって初めてMPUが開発されたが、インテルの当時の経営はメモリ事業に重きを置くもので、MPUはメモリの市場を拡大するための1アプリケーション的な位置付けであったとされる。しかしながら1985年の経営戦略転換を境に、MPU中心の事業モデルとなる。つまり、MPUそのものの技術は1971年に認識されていたが、MPUとしての真の意味が見出されたのは1985年ということになる。1983年に開発されたインテルの次世代286チップの潜在用途予測では、出荷個数の多い用途50種のリストの中にパソコンは含まれていなかった。

(3)「新技術を発見する時」と「その意味を発見する時」、2つの時間の意識

 WDMの場合は、ベースとなる新規技術(PLC技術)が誕生してから、キーデバイス(AWGデバイス)として認識され世界中に普及するまでに10年もの時間が経っている。MPUの場合も同様で、MPUがパソコンのキーデバイスとして重要視されるまでに10年以上かかっている。両者とも、ベースとなる新技術の誕生後もその技術に対する研究開発投資が継続され、非常に長い年月を経てから真の意味が見出されるに至った。

 なぜそのような長い期間、研究開発を継続することができたのかどうかは推測の域を超えない。PLCの場合、研究開発に対しては当時追風的であった日本の景気を考慮すると、現在の日本の決して芳しいとはいえない経済環境下において、同様に継続される判断が下されるかどうかは疑問である。MPUの場合、当時主力製品であったメモリを普及させるための位置付け、という戦略的動機のためだけに開発が継続されたのかもしれない。

 両例とも結果的に研究開発投資が継続されたために現在の発展があったといえる。当時の経営陣が、来るべき将来を的確に予測し、自社の競争戦略上の必要な技術と判断した上で、それらの研究開発に投資を継続したのであろうか。PLCの場合、当時はWDMという言葉すら存在しなかったこと、MPUの場合当時の最優先研究課題ではなかったことを考えると、経営陣が来るべき将来を的確に予測できていたとは考え難い。もしそれらの技術に対してその将来が有望であると明らかに判断できたのであれば、10年という歳月を待たずして、その技術を世の中に普及させることができたかもしれない。

 「新技術を発見する時」と「その意味を発見する時」の違いを意識することは重要である。特に「その意味を発見する時」を意識する、つまりその技術の将来的な価値を発見時に見出すということは、経営戦略的な判断を下す際に欠かすことはできない。しかしながら、「The Vallay of Death」(以下「デスバレー」)という言葉があるように、新技術の真の意味を見出すことは非常に難しいと考えられる。

(4)その意味を発見することの重要性

 クリステンセンは著書の中で、なぜ優良企業が失敗するのかという問いに対して「そのような企業を業界リーダーに押し上げた経営慣行そのものが、破壊的技術の開発を困難にし、最終的に市場を奪われる原因となるから」と述べている。優良企業は、最高の顧客の意見のみに耳を傾け、収益性と成長率を高める新製品を持続的技術の進歩の中に見出す傾向にあり、破壊的技術に気付き、それらに投資するころには既に手遅れである場合が多いと述べている。

【図表】 持続的イノベーションと破壊的イノベーションの影響  
 
(出所)  クレイトン・クリステンセン(監修:玉田俊平太、訳:伊豆原弓)『イノベーションのジレンマ』(増補改訂版)2002年12月から抜粋  
 
 この破壊的技術の脅威に何らかの手段を講ずるためにも、破壊的技術の存在を早期に認識する必要がある。つまり図中の実線矢印の存在をできるだけ早く認識することが重要である。新技術を発見するにとどめるだけではなく、それが破壊的技術であるかどうか、その真の意味を早期に見出すことが重要となる。

(5)ではどうやって?

 「ではどうやってその新規技術の意味を見出すか?」という問いに対して、明確な回答を準備することは非常に難しい。ある一つの新技術が一定期間を経た後に、その意味が見出され具体的な製品化につながり、日の目を見るに至るまでには、様々な不確実要因の積み重ねが存在するはずである。 
 
【図表】 ある特定の結果事象に至るシナリオツリーのイメージ 
 
(出所)  日本総合研究所 ICT経営戦略クラスター作成 

 例えば上図表の例では、結果事象Xに至るまでにAからEまで5つの不確実性の積み重ねが存在することを示す。つまり、結果事象Xは、不確実性Aで選択肢1が選択され、不確実性Bにて選択肢1が選択され、不確実性C、Dを経て、最終的に不確実性Eで選択肢2が選択された結果、実現されることになる結果事象を示す。
 結果事象Xを「AWGはWDM装置のキーデバイスとして不可欠なものとなる」と仮定すると、各不確実性としては「ブロードバンドアクセスの普及」、「通信業界の再編」、「専用線の衰退」、「VPNの普及」、「光ファイバーインフラの整備状況」などが挙げられる。それらの積み重ねにより最終的に「AWGはWDM装置のキーデバイスとして不可欠なもの」という結果に帰結したと考えられる。

 つまり、事前に新技術の意味を見出すということは、上図表のようなシナリオツリーが描け、各不確実性においてどのような選択がなされるかということが分かっていることが必要条件となる。これは非常に難しい。不確実性とはその技術そのものに関連する事項だけでなく、周囲の環境や状況など、様々な要素が想定される。それら全ての不確実性を洗い出し、さらにどのような選択肢が選ばれるかを前もって予測することがいかに難しいかは想像できよう。

(6)シナリオアプローチの重要性

 前述の例のように結果事象Xを予測することは非常に難しい。クリステンセンも著書の中で、「破壊的技術の市場は予測できないため、そのような市場に最初に参入するときの戦略はまちがっていることが多い」と述べている。

 新しい技術が発見された時点で、最終的な結果事象を一意に予測することは難しい。しかしながら、シナリオアプローチを適応することにより、以下2つの観点から、結果事象に至るプロセスを検討することが可能となり、これにより、経営戦略上の柔軟な対応(注6)が可能となる。
 
 ◇  ダイナミックな変化への柔軟な対応が可能となる。
 
 ◇  デスバレーの「深さ」を適切に認識することによる柔軟な対応が可能となる。 
 
(注6)  「経営戦略上の柔軟な対応」:シナリオツリー図を描くことで、「延期すること」、「前倒しすること」、「途中で変更すること」、といったリアルオプションを選択することが可能となり、経営戦略上の柔軟性を享受することができる。つまり、その研究開発投資に関する負のボラリティ(変動の度合い)を軽減することにつながる。 

 1)ダイナミックな変化への柔軟な対応が可能

 シナリオツリー的なアプローチでの認識を適応すると、新しい技術の意味はある特定の時点で確定している訳ではなく、時間の経過とともに変化しているという捉え方ができる。

 例えば前述の図表を例にとると、不確実性事象AからEまでが同時に発生する訳ではなく、各事象は時間軸上に沿ってある程度順番に発生すると考えられる。ある時点で結果事象Xに到達する確率が30%であったとしても、次の不確定事象の選択如何によってその確率が変動する。つまり、時間軸に沿って各分岐点を選択していく過程で、その意味が時間とともに変化しているという見方ができる。シナリオツリー的なアプローチにより、ダイナミックな変化への柔軟な対応が期待できる。

2)デスバレーの「深さ」を適切に認識することによる柔軟な対応が可能

 北米において、製造業が圧倒的な優位性を失い産業競争力低下が深刻化した80年代の状況を「デスバレー」と表現する。研究開発から実用化の中間段階において事業化が可能か否かの見極めが困難となり、投資が不足してしまうことによって研究開発成果が死んでしまう状態をさす。

【図表】 デスバレー現象 
 
(注)  「ATP」:Advanced Technology Program、「SBIR」:Small Business Innovation Research、「CRADA」:Cooperative Research and Development Agreementsの略。デスバレーを克服するための政策、支援策のこと。
 
(出所)  NIST(米国商務省標準技術院)発表のAdvanced Technology Program 2002年の資料から抜粋 

 前述のシナリオツリーの分岐点数、つまり不確定事象の数、そしてその積み重ねとして得られる結果事象の数が、デスバレーの深さを示すという考え方ができる。例えば、ある研究開発対象に不確定要素が全くなく、「顧客ニーズに合致した製品化が確実である」という結果事象が100%であれば、デスバレーは無いことになる(投資に対する障壁がない)。しかしながら、不確定要素が多ければ多いほどデスバレーは深くなることを示す(投資判断が難しくなる)。 

【図表】 デスバレーとシナリオツリーの関係 
 
(出所)  日本総合研究所 ICT経営戦略クラスター作成 

 このように、デスバレーの深さとシナリオツリーとを関係付けることにより、デスバレーの深さをシナリオアプローチにおける不確定事象と関連付けて認識することができ、より具体的かつ柔軟な対応が可能となる。

(7)「その意味を発見する」ことに対する別のアプローチ(参考)

 埋もれた技術」つまり、その意味を見出されていない技術をいかに市場化するか、ということに論点を置いた論文(注7)がある。筆者であるウォルパートは、持続可能なイノベーションを実現するためには、従来とはまったく異なるアプローチが必要であり、そのプロセスは外部から隔離された秘密裏に運ばれるものではなく、もっとオープンにすべきであると述べている。社内に閉じた研究開発環境では、既存事業以外のチャンス、あるいは現在の技術力あるいは経営力を超えるチャンスを発掘し、活用することなど望むべくもないとしている。 
 
(注7)  「埋もれた技術」:ジョン D.ウォルパート「埋もれた技術の市場化戦略」『Diamond Harvard Business Review』2003年1月を参考にした。 
 
 この論文の中で具体的なアプローチとして、IBMのソフトウェア・プログラムをオープンにすることによりイノベーションを創出する「アルファワークス」という取り組みと、「イノベーション・エージェント」という仲介者を介した取り組みの2つを紹介している。

 以下に述べる「IBMのアルファワークス」と「イノベーション・エージェント」の2つの事例は、ウォルパートの論文の一部をまとめたものである。 
 
 1) IBMのアルファワークスについて

 IBMのインターネット部門は、研究分野ではまだ商品化されていないが、多くの有望なソフトウェア・プログラムが開発されていることに気付き、これらを一般向けウェブサイトに公開し、外部の企業や開発者から市場に結びつく貴重なアイデア創出に貢献してくれること期待した(このウェブサイトを「アルファワークス」と名付けた)。

 あるプログラムに関して公開後数千人の人々がダウンロードした段階で、IBMの担当グループはこのプログラムの本格バージョンを速やかに開発して発売することを決定した。数ヶ月の間で、かつてはだれも歯牙にかけなかったプログラムをIBMの主力製品へと姿を変えることになった。

 この他にも成功例は多々存在し、現時点でもこのイノベーション施策は重要なポジションにあり、サイトに掲載された新技術の40%以上は新技術として市場に出ている。

2) イノベーション・エージェントについて

 イノベーション・エージェントとは、企業間で微妙な技術情報の流通をスムーズにさせる仲介者のことをさす。例えば、ある企業が仲介者を信頼して、開発した新技術の詳細と商品化に必要なケイパビリティを打ち明けたとする。依頼を受けた仲介者は適切なパートナー探しに奔走し、その情報を別の仲介者に伝える。仲介者達は正式な情報開示を締結するまでは、いかなる情報も決して漏らすことはない。実際に北米の一部のコンサルティング会社では、顧客たちがアイデアを共有し合い、技術の進歩や他の新しい研究について議論を重ねている。このような環境の中からアイデアや技術を組み合わせることによって、新商品を創造している。

 IBMのアルファワークス、イノベーション・エージェント両事例とも、埋もれた技術の市場化を目的としているという点において類似の手法である。しかしながら、いずれも新しい技術の意味を見出す主体を外部に転嫁した手法であり、自らがシナリオ的なアプローチを検討しこれに対応していく手法とは大きく異なる。

(8) まとめ

 PLCとMPUの技術開発の歴史から、新技術として誕生した時期と、その意味が理解された時期は大きく異なることが分かる。破壊的な新技術を早期に発見するということは競争戦略上重要な意味を持つため、新しく誕生した技術の真の意味を他社に先駆けて早期に認識することが望ましい。

 そのためには、新技術に対してシナリオアプローチを適応し、その真の意味に対して柔軟に対応していくことが重要である。シナリオアプローチを適応することにより、ダイナミックな変化への柔軟な対応と、デスバレーの「深さ」を適切に認識することが可能となる。

「新技術の意味を発見する」
 
→  シナリオアプローチにより柔軟に対応するということ
 
 ★  ダイナミックな変化への柔軟な対応が可能となる。 
 ★  デスバレーの「深さ」を適切に認識することによる柔軟な対応が可能となる。

●  参考文献
 
 ◇  クレイトン・クリステンセン(監修:玉田俊平太、訳:伊豆原弓)『イノベーションのジレンマ』(増補改訂版)2002年12月、翔泳社 
 ◇  西村行功『シナリオ・シンキング』2003年5月、ダイヤモンド社 
 ◇  ジョン D.ウォルパート「埋もれた技術の市場化戦略」『Diamond Harvard Business Review』2003年1月 
 ◇  二瓶正 他「デスバレー現象と産業再生」『NEXTING Vol.4 No.3』2002年3月、三菱総合研究所 
 
●  重要な示唆を得たセミナー
 
 ◇  「新技術が誕生する時とその意味を発見する時」という概念に関して
 
  ★  PLCに関しては以前から問題意識を持っていたが、技術革新型企業創生プロジェクトの第1回オープンセミナー(2003年11月11日、於東大先端研)における慶應大学 榊原清則教授の講演内容の傍聴により、その切り口(2つの時間を意識するという考え方)が明確になった。 
  ★  本稿の(2)、(3)章中の「新技術が誕生する時とその意味を発見する時」に関する考察は、榊原清則教授の同講演内容の一部を引用した。