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第12回 境界のマーケティング その4 最高のサービスはどうやって作る 【大林 正幸】 (2009/04/16)

2009年04月16日 大林正幸


1.自動販売機は最高のサービスか

 季節の変わり目には、テレビで旅行番組が良く放映される。これから到来する旅行シーズンを目当てにした集客なのだろう。しばしば、老舗温泉旅館の最高の接客サービスが紹介される。行き届いた丁寧な人的サービスを旅館の売りにしている。ここで紹介される手の込んだ料理や接客は、ひとつの最高のサービスの形態なのだろう。

 視点を変えてみよう。私たちは、電車に乗るときに自動販売機で切符を買うが、鉄道会社が提供してくれる自動販売機サービスはどうだろうか。日常のあたり前の光景であるが、よく考えてみると、これも最高のサービスかもしれない。自動販売機は、故障しない限り、計算を間違えることはないし、即座に欲しい切符とおつりが出てくる。どんなときでも、客の期待通りの結果を提供してくれるからだ。客は不安を抱くこともなく、期待が裏切られることもない。仮に、対人で切符の販売をしていたらどうだろう。事務員さんによっては応対も異なり、言葉遣いの一つで気分の悪い思いをするかもしれない。また、もし事務員さんが離席していたら、大声で呼ばなければならないかもしれない。

 このように、老舗旅館と切符の自動販売機は、対極にあるように見えるサービスであるが、どこに共通点があるだろうか。例えば、以下のように整理することができるだろう。



 他にもあるだろうが、共通点は、どちらのサービスも、客があらかじめ期待した通りのサービスを受けることができる点にあるだろう。期待を裏切らないサービスは、最高のサービスとなりうるのに必要な条件である。

2.社会の近代化の意味

 話は変わる。
 産業革命以降、社会の進歩としての近代化は、合理性の追求であった。合理性の追求を生活の改善と言う点で言い換えると、どこでも、だれでも、確実に同じサービスを受けることのできる社会へと進んでいることである。

 『マクドナル化する社会』』(注1)の中でジョージ・リッツアは、世界的な規模で、社会全体が、ファーストフードのマクドナルドのようなより高い合理性を目指して、画一的、標準的、計算可能、予想可能なシステムへと進歩しつつある有様を述べている。あたりを見回すと、例えば、大学入試のマークシート方式化、国内外の旅行のパック化、コンビニなどのチェーン店、チェックシート方式の人事査定など、あらゆる生活の場面に合理化が導入されている。

 この合理化傾向は、マイナス面もあるが、プラス面も多い。このプラス面が、先の自動販売機のサービスのように、誰でも、どこでも、所得や人種などに関係なく、画一的で標準的な期待通りのサービスを受けることができるというものである。日本や米国では、当たり前のこととして、また、途上国では、都市生活スタイルに向けて、近代化の目標として受け入れられている。

 合理化を目ざすことは、最高のサービスが提供できる社会に向けて進むことなのだ。

3.期待を裏切らない

 サービスを設計するマーケッターにとっては、期待を裏切らないサービスを提供することと、合理性の追求をどのレベルで目指すかを決定することの2つが重要である。前者は、技術的イノベーションを伴い、後者はサービスの境界線の引きなおしである。

 期待を裏切らないサービスであることの前提には、あらかじめ、将来の顧客に対して、受け取ることのできるサービス内容を知らせておかなければならないことがある。広告や宣伝の意味がここにある。提供できるサービス内容を正しく的確に知らしめ、その期待通りのサービスが提供されてこそ満足するのである。
 老舗旅館でも提供されるサービスの利用経験のない人達は、どこが他と比較して良いサービスであるかが評価できない。また、現代のように合理化が進む社会においては提供するサービスが、如何に合理的サービスであるかどうかを認知させなければならない。例えば、切符が自動販売機で売られた時代を知らない人は、自動販売機がない世界を理解できないからだ。

 『マクドナル化する社会』においてジョージ・リッツアは、マクドナルド化する社会のなかで生き残るための実用ガイドの中で、合理化が進む社会を人がどう捉えるのかを、3つの種類の檻に分類して説明している。1つは、ビロードの檻として、マクドナルド化する社会を快適な社会と考えている人で、多くの場合、マクドナルドのない世界を知らない世代からなる。2つ目は、ゴムの檻として、マクドナルド化として合理化されていく社会が嫌だけれど、良いところもあるとする人たちで、嫌な部分を認識して、時には逃避できる批判的な見方ができる人からなる。3つめは、鉄の檻として、否応無くマクドナルド化していく社会に縛られてしまい、悲観的な見方をする人たちである。都会の便利な生活に背を向けて、田舎に引きこもるタイプの人たちである。

 これを顧客ターゲットの設定問題、ライフスタイルの違いであるとして単純化することもできる。しかし、このような表層的な見方は、流行、ブームなど、絶えず変化するフローの中で、繰り返し行われる瞬間的、短期的な対応に埋没してしまい、大きな流れを見失う。アイデア勝負の商品開発はできても、中長期的に継続していくことを前提とする事業開発には至らないだろう。
 合理性の追求と言う形で社会が進歩するなかでは、3つの檻のように、合理性の追求によるマイナスの面に注目する人達が必ず出て来る。ファーストフードに対するスローフード、都会暮らしに対する田舎暮らしのように、社会の大きな流れのなかで、合理性の追求とそれに対する批判的行動が生まれ、ロハス(注2)のような概念が生まれ、始めて、ぶれない、骨太いコンセプトとして結実したビジネスモデルを設計できる可能性が大きくなる。

 サービルレベルの境界線の引き直しについても、ファーストフーショップでも、街場の喫茶店からスターバックスやドトールコーヒーのようなビッグビジネスにするには、社会の合理化への追及という大きな流れを理解できるかどうかが鍵なのである。詳しくは次回に続く。


(注1) ジョージ・リッツア[1999].『マクドナル化する社会』早稲田大学出版部
(注2) ロハス Lifestyles of Health and Sustainabilityの頭文字。「健康を重視し持続可能な社会を志向する生活スタイル」ということ。1998年に社会学者のポール・レイと心理学者のシェリー・アンダーソンが新しいタイプの人びととして「カルチャー・クリエイティブ」という概念を提唱したのが始まりである。これは単に環境への配慮に心を砕くだけでなく、家庭や地球環境、さらには社会の未来像といった個人生活の分野以外にも総合的に深い関心を示す人びとを指している。こうした概念ができた結果、金融界や産業界でもカルチャー・クリエイティブを対象とした商品やサービスを扱うことに対して関心が高まった。そうした企業の代表が、LOHASの概念を初めて提唱したコロラド州のガイアムである。自社製品だけでなく、他社製の家庭用品や衣料品、クリーンエネルギー商品などを同社が「LOHAS」の基準で選んで、ウェブサイトを通じて販売している。その後、「LOHAS」市場に参入する大小企業が増えて、一般化してきている(「新語探検」)。
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