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コラム「研究員のココロ」

経営者の役割
~コーポレート・ガバナンスの観点からの新たな価値創造

2005年06月13日 三宅光頼


1.経営者/取締役に求める動き
 今年、五社に一社の割合で各社の取締役の退職金を廃止する企業が増えてきた。経営者/取締役の退職金を廃止する理由は、大きく五つある。
 第一は、業績に無関係に支払われる報酬に対する批判。第二は、より一層企業業績に連動した報酬への転換の要請。第三に、長期にわたる業績低迷にもかかわらず高額の退職金を得て退職する役員への批判。第四は、外国人株主の増加に伴う日本的報酬に対する批判への配慮。第五は、長期的報酬として、金銭報酬からストックオプション等資本報酬への転換の要請、などである。
 経営者の役割や貢献が多様化しつつある現在、報酬の支払い方も多様化したほうが面白いと思われるのであるが、経営者に対し直接的かつ短期的な成果のみを求める環境は、経営者の役割を見誤らせることになるかもしれない。

2.経営とは何か
 これまでも経営者に求められる役割には様々なものがあった。経営者は、会社を成長させ、企業価値を増大させ、事業の存続のために、選択可能な施策の企画立案と実行を担っている(スローン)。E.T.ペンローズは経営者用益の不均衡が、経営の効率化と拡大を促進するとし、経営者機能の効率化と専門化を説いており、企業の内部から企業の成長を論じた。C.バーナードは、組織と環境、戦略と目的の組織論的な企業均衡論により、企業の拡大と成長の可能性と限界を示している。M.C.ジェンセンは、企業の外部資源依存関係を重視し、経営者機能の極大化と専門化という観点から、利害関係者の協働と共益、特に株主・社員・顧客の協働を主張している。企業の成長と拡大に対し、P.F.ドラッカーは事業の目的を「顧客の創造」ととらえ、その継続性を明確に示した。「未来をめざして走る車は、札束ではなく、全社員の智恵と気持ちを燃料にして走る」(ハメル&プラハラード)のであって、その車の運転手が経営者に他ならない。

3.経営者を取り巻くもの
 現実には、運転は経営者がしているが、車の方向を決定するのは運転手ではなく、後部座席に座っている顧客と株主である場合が多い。顧客と株主を乗せた企業という車は、顧客満足/配当という目的地を目指して、環境という道路とガソリンというコストを最小限に抑えながら、効率という最大限の距離を稼ぐ。企業という車は株主からの借金(出資金)で購入した。自分で運転しながら、所有者は株主だ。利益は顧客からいただく。
 道路は競合という競合他車で混雑し、目的地への道のりは遠く、険しく、ガス欠や故障することもある。株主が配当要求する怒号と顧客ニーズという気まぐれは、時に後部座席で喧嘩を始め、方向指示器は二転三転する。時に事故を起こし走行不能になる。中には、交通違反により逮捕される者もいる。

4.会社は誰のものか
 経営者の役割を議論する前に、整理しておかなければならない論点が一つある。ガバナンスの本質的課題の一つでもある「会社は誰のものか」という議論である。この議論には正解と結論はない。あるのは、ある種の退屈さと苛立ちである。

 退屈さとは、次の二つの論点である。
(1)「所有と支配という帰属問題」を政治的に解決を図るという妥協の退屈さ
(2)私的収益活動を行う企業に対し、公器として「社会的責任」を負わせる手続きの退屈さ
 こうした議論は株式会社という経営形態が生成して以来、くり返えされてきた。それは会社の主体の確認と、利益の帰属争いに端を発しており、もつれた企業観と価値観の糸を丁寧に解きほぐす作業に似ている。解き放つには智恵と情熱を必要とする。

 苛立ちの論点は、次の二点である。
(1)企業の大規模化に伴う「コントロール課題」であり、利害関係者間の対立という苛立ち
(2)ガバナンス議論の出発点となった「執行と監督課題」という主導権争いから来る苛立ち
 経営にコンフリクト(対立・軋轢)はつきものである。コンフリクトは課題でも障害でもない。コンフリクトは、相対化を通じたアイデンティティの確認であり、理念の統合を意味する。
 株主主権論では、法制度上、企業は私的財産であり、企業の所有者は株主である。企業は、株主利益を最大化するための「資本の運動体」とみなされる。利害関係者論(ステークホルダー論)では、企業は利害関係者(従業員、取引先、政府・自治体、地域社会や債権者)からの貢献なくして、企業は存在し得ないことから、企業とは、社会に有用な財・サービスを提供する「資本の協働体」とみなされる。どちらの観点も、現在では不正解であり、結論に至る道を誤らせる。

5.論点の整理と解決の方向性
 ガバナンスの上記の四つの論点((1)帰属問題、(2)社会的責任問題、(3)コントロール問題、(4)執行と監督問題)について、正解と結論を導き出す唯一の方法があるとすれば、それは法律でも政治でもない。単純な政治的決着を図ることは、政治の世界ではありえても、企業経営の世界では少し意味合いが異なる。
 経営の世界では、お互いの「成長」で解決しなければならない。もし、それが不可能ならば経営者は自分の存在を自己否定するものであり、株主は専制君主でしかなく、顧客とはただの衆愚でしかない。株式市場では、たった5%の株主が企業の77%を所有している、といわれている。株価経営、配当経営の本質は、5%の株主と機関投資家のための利得経営を指す。
 日本の企業経営者は、株主を軽視するといわれることがある。現実は、日本は中小企業が多く、かつオーナー経営者が多いため、株主配当でも経営者報酬でも内部留保でも実態は変わらない。
 競争市場とは、市場シェア獲得競争であり、それは多様化の否定である。企業経営のゴールが独占と専制ならば、企業経営に必要なのは国家であって経営ではない。権力であって、智恵と行動ではない。 競争を存続させ続けること、対立の永続に価値がある。

6.経営者の成長とは何か
 「成長」とは、経営者の役割の変化を意味する。経営者は「経営」をしなければならない。経営者は請求書を書くわけではない。生産に従事するわけでもない。経営者が、営業を行い、生産を行い、利益の配分を行うときは、事業ではなく家業の域を出ない。
 成長の観点から求められる経営者の役割は三つある。

 第一は、「企業価値を創造し、伝承し、変革する」ことにある。 「企業の成長」である。すなわち、経営者とは企業価値の創造者であり伝道師であり、変革者なのである。

 第二は、新たな価値モデルの設計によるコンプライアンスの徹底である。これは「価値観の成長」である。新たな価値モデルとは、以下の三段階を指す。
 (1)企業価値前史:「企業価値の増大と事業の存続」モデル
 企業が収益をあげるのは当たり前であり、そのために経営者が行動するのは当たり前である。この段階を企業価値前史という。EVAやROE、C/F経営、株価経営はすべてこのレベルにある。
 (2)企業価値創世記:「みんなで幸せになりましょう」モデル
 企業が自社の利害関係者すべてに対してWinWinの関係を構築し、自社に関係する相互の信頼と成長と成功を信じて補完し、結果についてコミットメントする。顧客についてはニーズを超えた、ウォンツを提供し、株主に対しては配当と株価を提供する。社員については、使用従属関係という金銭に裏打ちされた雇用関係においても、真に対等な信頼関係を構築することができることを、経営者が身をもって実践することである。
 (3)企業価値新世紀:「誰かを不幸にしちゃダメ」モデル
 単にステークホルダーの利害関係で終始するのではなく、自社の事業活動において、他の誰かを不幸にすることが、一切あってはならない。取引先の関連会社が「児童労働」や「環境破壊」や「不当雇用」を行なう等、である。(注1)

 第三は、「次世代人材の発掘と育成」を行うことにある。「次代の成長」である。事業の存続ではなく企業価値の存続を目的とし、企業価値の増大ではなく、企業の成長そのものを、次世代人材を通じて実現することである。

(注1)
各社は自社の製品が「児童酷使や強制労働によって作られたものではないこと」「過剰な農薬の散布によって収穫されたものではないこと」等、企業として当然守るべき「安全と品質の観点」だけでなく、「社会的責任の観点」から「進化した市場」の要請により、正しい製品を取り扱っていることを情報開示しようとしている。いわゆる「ソーシャル・ラベル・イニシャティブ」と呼ばれるものである。

7.経営者とは何か ~新たな価値モデルの形成
 株主と顧客を乗せて、運転をしていた経営者は、運転をしながら考えた。会社経営とは、今まで誰より上手に、誰よりも早く、車を運転することだった。しかし、より重要なのは、車の走れる道路を建設し、道なき道を馬にのって歩く住民に車を与え、運転を教え、世界が広いことを学んでもらうことだ。そして、もっと考えなければならないのは、道路を作り車を与え運転を教えたことが、彼/彼女たちにとって本当に幸せなのか、である。
 経営者の役割は「経営」をすること、であった。今、経営者の役割は、「価値を実践する」段階に入った。正義の実現や正義の主体となるために、ガバナンスの課題を援用する必要はない。すなわち利害関係者の政治的な力関係の正しさ、誰の利益を優先させるべきかという決定、誰の言っていることに真実があるかの判断を援用する必要はないのである。経営者が信頼されるのは、その行動によってのみである。経営者は、企業は規模や存立の条件や運営主体に関係なく「正しいことを正しく実行すること」が要求されている。(注2)
 すなわち、
(1)複雑に絡みあう関係者の利害を一致させるための戦略ビジョンを提供すること。
(2)提供したビジョンでは利害の一致が図れない利害関係者の退出を優先的に推進すること。
(3)提供したビジョンを変更するときは、変更したビジョンの信任を得ること。
(ビジョンの提案者(通常は経営者)は信任投票には参加できない)
(4)信任を得られなかった場合、ビジョンは変更されない。
(5)信任をえられなかった経営者は自動的に解任され、経営権は新経営者に引き継がれる。
(6)新経営者は、候補者の中から選ばれるが、早急に利害関係者に新ビジョンの提案を行う。できれば、候補者は常にあらかじめ新ビジョンの提案を行っておくことが望ましい。(注3)


(注2)
Do right thingsとDo things rightの命題はここでも生きている。利害関係者間で戦略を議論し、承認するときに利害関係者間のパワーゲームや政治ゲーム、さらにはモニタリングの手段や勧善懲悪を論じたいと思うだろうか。「Right(何が正しいか、誰が正しいか)」を論じる必要はない。「Do」と「Thing」を論じるべきである。戦略を論じるべきときは、すでに現実のものになっている。

(注3)
新たな経営者を決定した場合、現実には経営を委任する以上、人的な信頼の上で株主は「白紙委任状」を書かざるを得ない。つまり「あなたが好きなように経営に取り組んでほしい。ただし、収益の確保を絶対的な使命とし、配当と企業価値向上だけは忘れないでほしい」と。

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