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Business & Economic Review 2005年11月号

【OPINION】
緊縮財政下のODA改革-説明責任、評価、国民理解のサイクル確立を

2005年10月25日 調査部 環太平洋戦略研究センター 主任研究員 三浦有史


はじめに
近年、政府開発援助(ODA)を巡る環境の変化が著しい。わが国のODAは1997年の財政構造改革法の成立以降減少を続けてきたが、2006年度は増額に転じる見込みである。小泉首相は、7月のグレインイーグルズサミットで、ODAの事業量を今後5年間で100億ドル積み増し、とりわけアフリカ向けについては3年間で倍増することを表明した。しかし、その一方でODAに対する国民の支持は年々低下している。
財政健全化という課題を抱えながら、わが国は国際社会への貢献をどのように果たしていくのか。近年、ドナーコミュニティーでは貧困がテロの温床となるという認識が共有され、わが国のODAには量だけでなく、供与先や支援方法についても協調が求められるようになっている。こうした要請は今後増すことはあっても減ることはないであろう。国際協調なくしてわが国の将来がたちゆかないことは明らかである。しかし、国民の支持なくしてODAを維持することはできない。本稿では、わが国にとって国民の支持を得ながら国際的に評価されるODAを実現するにはどのような改革が必要となるかについて検討する。
  1. 高まる予算増への外圧
    わが国のODA予算は減少を続け、2005年度の規模は7,862億円とピーク時(97年度)の7割の規模となった。開発問題にどれだけ熱心に取り組んでいるかを示す指標とされる国民総所得(Gross National Income: GNI)に対するODAの比率は2003年で0.20と、OECD(経済協力開発機構)のDAC(開発援助委員会)のメンバー22カ国中19位である。
    国際協調という点で問題となるのは、各国がODAの増加に踏み切るなかでわが国だけが大幅な削減を続けていることにある。わが国のODAは規模でみれば2003年時点でも88.8億ドルとアメリカ(162.5億ドル)に次ぐ地位にあり、DAC全体のODAの増減に大きな影響を与える。また、返済を伴う有償資金協力の割合が高いというわが国のODAの特徴がネットベースの貢献を小さく見せる効果がある。「援助疲れ」は80年代の欧州にもみられた現象であるが、わが国は次の2点でODAの増額に踏み切らざるを得ない状況に追い込まれている。
    第1は、2001年9月の同時多発テロ以降、貧困がテロの温床となるという認識が共有されるようになったのに伴い、先進各国が協調してODAの増加を決めたことである。グレインイーグルズサミットでは、EUが2010年までにODA/GNI比を0.56%に引き上げ、2015年には0.7%とすることを表明した。EUの2003年のODA/GNI比は0.35%であったことから、10年余りの間にODAの倍増を図ることになる。アメリカはODA/GNI比でのコミットメントは避けながらも、2010年までにサブサハラ・アフリカ(サハラ砂漠以南のアフリカ諸国)向け援助を倍増することを決定した。
    貧困問題は、ここ数年のサミットにおける主要テーマであり、国際社会ではミレニアム開発目標(Millennium Development Goals: MDGs)に向けた取り組みが強化されるようになっている。MDGsとは、2000年9月に開催された国連ミレニアム・サミットにおいて147カ国によって採択された2015年までに国際社会が取り組むべき開発目標のことである。アフリカにおいてMDGsが達成される見込みは少なく、世界規模で進行する所得格差の拡大に対するアフリカ諸国の懸念は強まるばかりである。また、欧米諸国では貧困問題に対する関心の高まりや安全保障上の観点から、この問題に無関心ではいられなくなった。ドナーコミュニティーはODAの増額を通して、アフリカの貧困問題を自らの問題として捉えていることを内外に示す必要に迫られている。
    第2は、わが国が国連の安全保障理事会の常任理事国入りを目指したことである。わが国は、2005年3月、アナン事務総長から「加盟国が常任理事国六増案を選択した場合、アジア地域の2議席の一つが日本に行くのは当然だ」という発言を引き出した。しかし、同時に、アナン事務総長の諮問委員会が策定した最終報告書は、安全保障理事会常任理事国入りの条件として、わが国にODA/GNI比0.7%の達成を要求した。ドイツは、すでに、2010年に同比率を0.51%へ、2015年には0.7%へ引き上げることを表明している。わが国においても来年度の予算編成の指針となる「骨太の方針」で、「0.7%目標の達成に引き続き努力するとの観点から、我が国にふさわしい十分なODAの水準を確保する」と明記するに至った。

  2. 台頭する「ODA削減論」
    外務省が実施した国連改革に関する国民意識調査(2005年2月)によれば、わが国の常任理事国入りを支持するという意見が6割を占める。しかし、ここにはODA/GNI比を0.7%に引き上げるという前提が含まれていない。この条件を飲んでも常任理事国入りを目指すことに支持があるか否かは不透明である。ドイツなどと4カ国でまとめた決議案は廃案になったものの、政府は来秋の国連総会に向けて再挑戦する意向であり、ODA予算が増加に転じることは明らかである。
    問題となるのはこれに対して国民の支持が得られるか否かである。2005年のわが国政府の債務残高はGDP比で170%に達し、主要先進国のなかで最も高い。社会保障関連の支出増加に伴い、債務はさらに膨らむことが見込まれる。財務省の財政制度等審議会が実施しているインターネットを通じたアンケート調査では、「予算を減らすべき分野」として「ODA」が「道路」と並んで常に上位にランクされている。「OAD削減論」は根強く、国際協調という理由だけで増額が容認されるとは考えられない。
    政府は国際社会と国内からの相反する要請にどう応じるべきか。ODAの増加が国民の大きなストレスとなることは間違いない。対中ODAに寄せられた批判は「ODA削減論」が先鋭化した典型的な事例といえよう。重要なことはなぜ国民がODA削減論に傾いているかを探ることにある。ODAには世界第2位の経済大国としての国際社会に対する貢献を象徴する側面がある一方で、「利権」や「環境破壊」といった負のイメージも付きまとう。国民の意識も両者の狭間で揺れている。内閣府の世論調査をみると、今後の経済協力について、「現状程度でよい」(44.2%)が最も多く、次いで、「なるべく少なくすべきだ」(25.6%)、「積極的に進めるべきだ」(18.7%)、「わからない」(8.4%)、「やめるべきだ」(3.1%)という順であった。
    世界第2位の経済大国としてODAを続ける必要があることに異論はないであろう。わが国は資源の多くを海外に依存し、他国の安定と繁栄を前提とする通商国家である。そうした相互依存関係の上に成り立っているわが国のかたちは将来にわたり変わることはない。これが「ODA廃止論」への傾斜に歯止めをかけているといえよう。しかし、「積極的に進めるべきだ」という積極派の割合は91年の41.4%から急速に低下し、その一方で「なるべく少なくすべきだ」という慎重派の割合が同年の8.0%から急上昇し、2002年には初めて積極派を上回った。「ODA削減論」は着実にその勢いを増している。
    必要性を認めながらも、削減を進めるべきだという国民心理をどう捉えるべきか。わが国のODAはひたすらに拡大路線を突き進んできた。しかし、ODAに対する不信感の高まりや浪費を許さない財政状況を前にして、国民はもはやODAを外交上の交際費とみなすようなおおらかさをもち合わせていない。政府は、ODAの量を議論する前に質を改善するための議論を尽くし、ODAに対する国民の支持を取り戻さなければならない。これを怠れば「ODA廃止論」の台頭を許すことになり、ひいてはわが国の国益を損なうことになりかねない。

  3. 評価で獲得するODAへの支持
    ODAに対する支持を取り戻すためには何をすべきか。課題は多岐にわたるが、その核心は先に紹介した内閣府の世論調査に表れている。経済協力を「なるべく少なくすべきだ」あるいは「やめるべきた」と回答した人に、その理由を聞いたところ次のような回答(複数回答)が寄せられている。第1位と第2位は、それぞれ、「経済状態がよくないから」(74.5%)、「財政状況がよくないから」(43.5%)と逼迫する財政事情を反映したものであった。注目されるのは、それ以降の、「具体的にどのような経済協力が行われているか不明だから」(42.5%)、「現地の状況やニーズへの配慮不足などにより、必ずしも十分な成果をあげていないところが多いから」(34.9%)、「開発途上国から評価されていることが感じられないから」(28.3%)とする回答である。これはODAの姿が見えないということにほかならない。
    このことは、財団法人国際協力推進協会が実施した調査(2003年実施)からもうかがえる。同調査では、「ODAとはどのようなものであるか知っていますか」という質問に対して、「聞いたことがあるが内容までは知らない」、「聞いたことがない」という人の割合が55.6%と、「具体的に知っている」、「おおよそ知っている」の44.3%を上回った。さらに、ODAを評価している人にわが国のODAとして具体的に何をイメージするか、そして、どのような分野への貢献があるか、とういう質問を行ったところ、前者では「青年海外協力隊」や「NGOへの協力」、後者では「医療や教育分野における協力」とする回答が圧倒的であった。ODAの中核事業である円借款や無償資金協力はほとんど認知されていないのが実情である。
    ODAに対する正確な理解がないままに評価が低下していくことは、わが国のODAが危機的状況にあり、「ODA廃止論」の入り口に立たされていることを暗示するものといえよう。このことは、ODAに対する理解を深めることで、国民の支持を取り戻す余地が残されていると考えることもできる。
    わが国のODAは、アメリカのように法律で規定され、供与先やその成果などについて議会の厳しいチェックを受けることがないため、その実態は「官僚まかせ」である。政府はこれに胡坐をかいて「経済協力とは何か」、「その成果はどのようなものであり、わが国にいかなるメリットをもたらすのか」という問題を積極的に国民に発信してこなかった。ODAに対する支持の低下を招いた真の原因は、ODAが単なる善意の表現ではなく、わが国の経済発展や地域の安定を支える重要な役割を担っていることを説明してこなかった政府の怠慢にある。
    こうしたなかODAと国民の距離とを縮めるべく、ODA改革が急ピッチで進められている。政府は、2003年に、10年ぶりにODA大綱を見直した。新大綱では、「開発途上国の安定と発展に積極的に貢献する(中略)ことは、わが国の安全と繁栄を確保し、国民の利益を増進することに深く結びついている」として、ODAの目的に「国民の利益」を加えた。これを実現するために、ODAの戦略性、機動性、透明性、効率性を高めるとともに、幅広い国民参加を促進し、わが国のODAに対する内外の理解を深めることが掲げられた。同大綱に掲げられた理念は、その後、中期政策、国別援助計画を通じて具体化され、目的の前半部分、つまり、戦略性などの面では改善されつつある。
    問題は後半部分の国民参加の拡大である。大綱では国民参加を促すために、a.情報提供の拡大、b.人材育成と開発研究の促進、c.開発教育の普及などが提示されている。いずれも時間を要する課題であり、ODAと国民の距離を縮めるのは容易ではない。そもそもわが国におけるODAは経済大国として国際社会への応分の貢献が必要になるという漠然とした人道主義的な国民意識によって支えられていた。財政が逼迫の度を増すのに伴い、何が行われているかが明確でないODAの削減が求められるようになったのは自然の成り行きであった。「ODA削減論」の台頭は漠然とした人道主義に依存し続けたことへの報いであり、その意味でODAに対する支持は「取り戻す」のではなく、新たに「獲得する」ものだと考える必要がある。
    鍵となるのはODAの評価である。ここでいう評価は、どのような事業を実施したか、そのためにどのくらいの予算を使ったかという投入によるものではなく、それが当初の目的を達成したか、そして、受け手の国や住人にどのような影響を与えたかという成果に基づくものである。ODAは社会保障政策と異なり、国民生活に直接的な影響を与えるものではない。それだけに開発途上国の経済発展にどのような貢献をしているかを客観的に分かりやすく伝えていかなければ、常に「廃止論」に傾く危険性がある。政府が評価の難しさを挙げて小手先の対応ですませようとする姿勢をとる限り、ODAに対する支持を「獲得する」ことはできない。

  4. あいまいな評価基準がもたらした弊害
    外務省は82年以降毎年ODA評価報告書を公表しており、他の分野に比べれば先進的な取り組みがなされてきたといえる。評価手法の改善や評価範囲の拡大もみられた。しかし、国民の理解を得るための工夫がどれだけなされてきたかについては疑問が残る。わが国のODA評価における最大の欠陥は評価基準のあいまいさとそれによる全体評価の欠落である。評価報告書においても、評価点と問題点が併記してあるため、評価対象となったプロジェクトや政策が最終的に満足すべきものであったか否かが明確ではない。これは評価の客観性をその手法ではなく、第三者という評価者の立場に依存していることによるものである。この結果、当然のことながら全体評価が欠落する。報告書を精読しても、果たしてどのくらいのプロジェクトが成功を収めているか、プロジェクトの効率化は進んでいるかなどを知ることはできない。
    評価には国民理解の促進という機能だけでなく、問題を次の企画および実行にフィードバックするという機能もある。2004年版のODA評価報告書は、両者が競合すると述べている。つまり、国民理解の促進という点では分かりやすい報告書が必要となるが、これに重点を置くと、専門的かつ具体的な情報が抜け落ち、フィードバック機能がそがれるという。しかし、わかり易さと専門性が両立しないというロジックは評価基準の曖昧さを正当化するための詭弁に過ぎない。
    他機関の評価はどうなっているか。世界銀行ではプロジェクトを「成果(outcome)」、「持続性(sustainability)」、「制度構築への貢献(Institutional development impact)」という3点から4段階評価し、成果のレーティングを行っている。2004年の実績は、成果という点で77.1%が、持続性および制度構築への貢献については75.2%、53.6%が「満足できる(satisfactory)」レベルにあるとされている。分野別あるいは時系列でも整理されているため、世銀全体のプロジェクトの実績を把握することができる。類似の手法はアメリカ国際開発援助庁(USAID)やイギリスの国際開発省(DIFID)などでも採用されている。
    ODA評価に対する取り組みの後れは、結果的にドナーコミュニティーにおけるわが国の相対的地位の低下を招いた。ドナーコミュニティーでは90年代からODAの効率を高めるために、何をターゲットとすべきか、どのような環境下で供与されるべきかが盛んに議論されてきた。今日では、ODAは貧困削減のためにガバナンスの良い(民主的で汚職のない)国に供与すべきだという意見が支配的となっている。ここから導かれる重点地域は貧困削減が一向に進まないアフリカであり、債務削減の拡大や無償援助の増強を通じて、ガバナンスの良い国を選択的に支援するという支援方法が浮上した。
    欧米諸国ではこうした議論が進展し、ODAの在り方や財源確保の方法について次々と新しい提案が出されるようになっている。例えば、イギリスは重債務貧困国(Highly Indebted Poor Countries: HIPCs)が抱える債務を100%削減することに奔走し、その資金として援助国の信用を担保に債券を発行する「国際開発資金調達制度(International Finance Facility: IFF)を提唱した。また、アメリカでは2004年度からガバナンスの良好な低所得国だけに同国のODAへのアクセスを認めるミレニアム挑戦会計(Millennium Challenge Account: MCA)を始めた。融資によってガバナンスの改善を求めるのではなく、実際にガバナンスの改善が見られる国を支援の対象とした点がこれまでの援助方法と全く異なる点である。
    グレインイーグルズサミットでは、IFFに対する合意は得られず、継続協議とされた。また、アメリカのMCAはサミットや国際金融機関における議論に強い影響を与えているものの、アメリカの価値観がODAに反映されることに対する警戒感も根強い。2005年3月、新保守主義者として知られるウォルフィッツアメリカ国防副長官が世界銀行の総裁候補となったことに欧州各国が反発し、異例の「面接」を行うことになったのはそれを象徴する出来事であった。各国の意見は必ずしも収斂する方向にはないが、ここで重要なのはわが国を除く先進国はODAの在り方を必死で模索し、ドナーコミュニティーにおける主導権を握ろうとしていることである。
    何故、欧米諸国でそうした議論が高まっているのであろうか。それは、一言でいえば、説明責任に対する意識の高さによるものといえる。欧米諸国では、ODAが本当に初期の目的を達成しているのかという成果について厳しい視線が向けられ、各国政府は、何故ODAが必要か、どのような成果をあげてきたか、問題を克服するために何が必要かを国民に説明し、理解を求めなければならない状況に置かれていた。説明責任に対する高い意識が必然的に評価を充実させ、それが国民理解を促進し、ODAの在り方に対する議論が盛り上がるという一連のサイクルが確立されている。評価がODAの在り方に関する議論を深める役割を果たしていることはわが国には見られない点であり、改革の在り方を示すものといえる。
    しかし、世界的な潮流となっている貧困削減、アフリカ支援、無償重視はわが国のODAとは相容れない要素が多い。わが国のODAは、主に東アジアを対象に受け手の自助努力を前提とした有償資金協力によるインフラの整備に注力してきた。これが民間の活力を引き出す呼び水となり、経済発展によって貧困の削減が進む状況を作り出した。開発をもたらす最も重要な主体は民間企業であり、ODAは民間企業の育成と導入の「触媒」となって初めて強力な開発効果をもちうる。債務削減や無償資金へのシフトは短期的には効果を発揮するかもしれないが、受け手のモラルハザードを招く、あるいは持続的な発展を阻害する危険性がある。
    また、ODAをガバナンスに応じて選択的に供与すべきだという議論もわが国が主なODA供与先としてきた東アジアの経験にそぐわないものである。仮に選択的供与がODAの効率性を高める唯一の方法であるならば、韓国、シンガポール、タイ、マレーシアなどは十分なODAを受け取ることができなかったであろう。東アジアの経験を振り返れば、ガバナンスの改善は開放的な経済体制のもとで発言権を増した中間層や民間投資家の出現によってもたらされたと考えるべきであろう。効果的な制度とその公正な執行を促すのは、外圧や官僚の善意ではない。それを必要とする人々の意見を政府が無視できなくなったからにほかならない。
    東アジアは、OECD入りを果たした韓国だけでなく、ODAの「卒業」を目前に控えた国が多く存在する特異な地域である。この地域とODAおよび外国直接投資を通じて密接な関係にあるわが国は、ODAを巡る議論を主導するに足る十分な経験を有し、それを基に独自の提案を行っている。しかしながら、ドナーコミュニティーにおけるわが国の存在感は薄まりつつあり、むしろ、世界的なODAの潮流に翻弄されているようにみえる。その最大の理由はODAに対する評価を成果ではなく投入によって説明してきたことにある。ODAに対する内外の支持を獲得することができるか否か、わが国のODAは踊り場に立たされている。

  5. 改革の出発点としての評価
    行政活動をどのように評価するかという問題は、わが国では馴染みのない新しい分野である。とりわけデータの制約の多い開発途上国においてプロジェクトによってもたらされた効果をその他の要素と切り離し、特定するのは容易ではなく、ドナーコミュニティーでも試行錯誤が続いているのが現実である。しかし、わが国はもはやそうした悠長な言い訳が許される状況にはない。明確な基準に基づく客観的な判断を示し、国民の参加の下で改革を進めない限り、「ODA廃止論」への傾斜をとめることはできない。
    わが国のODAは人道主義的な国民意識に支えられているが故に、1件の失敗も許されないという風潮がある。客観的な評価の導入によってODAに対する失望感はさらに高まるかもしれない。しかし、これを恐れていてはODAに対する支持を獲得することなど到底かなわない。そもそも、不確実性の高い開発途上国でプロジェクトを成功させることは至難の業であり、すべてのプロジェクトが成功を収めることなどありえない。こうした現実と乖離した風潮を招いた原因は、人道主義的な国民意識に依存し、成果を曖昧にしてきた政府にある。この悪循環を断ち切ることこそが改革の出発点となる。
    政府は評価手法および体制の確立を急ぎ、出来るだけ早期に全省庁および関係機関で統一的な評価を行うべきである。国際金融機関や欧米諸国には参考にすべき事例が多い。少なくとも個別のプロジェクトについては、想定される受益者の状況を事前に把握し、プロジェクトが実際にどのような影響を与えるかという目標を設定することにより客観性の高い評価が可能となる。
    例えば、道路、港、ダムなどのインフラを作ることは手段であり目標ではない。設定された期間と予算内で効率的に建設されたか否かという下位レベルの目標に加えて、それが地域の経済や住民の生活にどのような影響を与えたかという上位レベルの目標の達成度が定量的に明らかにされ、それによってプロジェクトの総合評価が下されるべきである。こうした考え方は、専門家の派遣・受け入れや留学生の受け入れなどの人的協力にも応用することができる。人的協力は、その人数やどのようなプログラムを実施したかではなく、ニーズに合致した知識や経験の移転が行われたか、あるいは実際にどの程度活用されているかによって評価が下されるべきである。こうした評価を蓄積することで、欧米諸国に見られる論調-貧困削減、アフリカ支援、無償重視、ガバナンスに基づく選択的供与-を東アジアの経験に則して是正する情報発信力を得ることができる。
    これを実現するためには多くの時間と人を評価に関連する業務に割り振る必要がある。「それだけの予算と人があれば、別のプロジェクトが実施できる」という反論が起きるかもしれない。しかし、曖昧な評価のもとでプロジェクトを続行することは、プロジェクトの効率性や国民理解の促進というODAを存続させるための重要な基盤を損ない、ひいては、わが国を国際社会における「もの言わぬ寛大なスポンサー」に陥らせることになりかねない。今、取り組むべきことは、説明責任→評価→国民理解のサイクルを確立するために大きく踏み出すことである。それは国民参加を通じてODAの在り方に関する議論を深め、激しく変化する国際的潮流に流されないわが国の情報発信力を高める唯一の道である。
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