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「ヘルスケアの個別化」が拓く次世代のヘルスケア産業

2014年06月13日 木下輝彦


海外に先駆けた超高齢化社会の到来や健康志向の高まりに伴い、ヘルスケアは数少ない成長分野の一つとして日本企業に注目されている。その結果、ヘルスケア分野を成長戦略の柱として位置づけて取り組む企業が多い。新規参入やM&Aで活況を呈すヘルスケア業界は今後、どのように変貌していくのか、総合研究部門社会産業デザイン事業部ディレクタ木下輝彦に聞いた。

日本の国家財政逼迫がもたらす業界の課題

ヘルスケア業界の課題について教えてください。

2013年度の予算ベースでは、医療・介護を含む社会保障関係費は29.1兆円に達し、日本の一般歳出54兆円の半分超を占めるまでになりました。また、社会保障給付費は、人口の高齢化やそれに伴う慢性疾患患者数の増加などを要因に、1980年度から2010年度の間、毎年平均2.6兆円増加しています。特に2005年度から2010年度では毎年平均3.1兆円の増加で他の歳出と比較しても顕著な伸びとなっており、日本の財政健全化を阻む大きな障害となっています。

2013年にまとめられた社会保障制度改革国民会議報告書に「医療・介護資源をより患者のニーズに適合した効率的な利用を図り、国民の負担を適正な範囲に抑えていく努力も継続していかなければならない」と記載されている通り、限られた費用の中でより効果の高いヘルスケアをどのように提供していくのかが業界全体にも求められていると言えます。
財政健全化を目指し、国は治療から予防へと転換する政策を推進しています。雇用主による動労者のための健康診断実施率が2012年度で9割弱、医療保険者による特定健診の実施率も2008年度から2010年度で増加傾向にあり、国民の健康づくりの取り組みも進みつつあります。


このように医療費が増加してしまう背景を教えてください。

医療費が増加する背景の一つとして、現在の医療システムでは、患者の個体差を反映した治療を行いにくいことが挙げられます。実は薬剤には患者との「相性」があり、同じ薬剤でも患者によって効き目に大きな差があることが少なくありません。しかし、それを投薬前に調べる検査はまだ一般的でないため、最適な薬剤にたどり着くまでに試行錯誤を繰り返さざるを得ないのが実情です。また、治療履歴が蓄積されたカルテが病院間で共有されていないため、病院を変えるごとに同じ検査を行ったり、改めて一から最適な薬剤を探す試行錯誤を始めたりすることが発生しています。つまり、この試行錯誤が、無駄で莫大な医療費を発生させる大きな原因の一つとなっているのです。

さらに、糖尿病や認知症は、多額の医療費がかかる典型的な慢性疾患ですが、薬剤や治療の効果を患者自身が自覚しにくいため、服薬を途中でやめてしまったり、病院を変えたりという例が顕著に発生しています。糖尿病にかかる医療費は年間約1兆2,000億円に上る一方で、糖尿病薬の服薬中止は10%程度あると言われています。直接的に掛け合わせることはできませんが、患者宅に放置されている薬剤の費用だけでもかなりの額になるはずです。




社会課題の解決に向けて進展する「ヘルスケアの個別化」

医療費を削減するために、ヘルスケア業界ではどのような取り組みが始まっているのでしょうか。

個人に即した治療が提供されるようになってきています。遺伝子検査を実施することで、患者にとってそれぞれ最適な薬剤の種類や投与量が明らかになります。がん領域を中心に遺伝子検査を導入し、より効果の高い治療を実施する動きは始まっています。また、薬剤の副作用の出やすさにも遺伝子のタイプが関係していると考えられているので、副作用を防ぐという観点からも遺伝子検査の普及が期待されています。

さらに、遺伝子・ゲノム装飾などの生物的特徴をはじめ、脈拍・心拍数・血圧などのバイタルデータ、喫煙、飲酒などの生活習慣、家族も含めたこれまでの診断・治療・投薬情報といった、個人のデータに基づいた予防方法が提供されるようになりました。また、各病院・薬局がバラバラに持っていたカルテ・処方箋を集約するという取り組みも始まっています。こうした個人のデータを収集・集約し、分析することで、病気の原因を特定し、有効なソリューションを開発しようという取り組みが行われているのです。

多くの予防方法が開発されるなか、「手術による予防」というものも現れるようになりました。先日、有名なハリウッド女優が遺伝子検査を受け、乳がん予防のために乳腺除去手術を受けたことが大きなニュースになりました。こうした手術による予防はまだ聞き慣れないものですが、遺伝子検査で乳がん再発のリスクが高いと分かれば、選択したい人が出てきてもおかしくはありません。また、乳がんの遺伝子検査は今のところ数十万円しますが、乳がんによる肉体的、金銭的負担を回避することを考えれば、費用対効果に見合うと考える人はハリウッド女優でなくても少なくはないでしょう。
このように個人データを活用した疾病予測によって、「治療」よりもコストの安い「予防」、薬に頼らないソリューションという選択肢を生活者が持てる時代に変わりつつあるといえます。その結果、医療需要を抑制し、「より費用対効果の高いヘルスケア」を実現できるようになるのです。
これまで使われてこなかった患者個人のデータの活用が進み、より個人の状態に適した、より効果が見込めるヘルスケアサービスが提供されることを「ヘルスケアの個別化」と呼びたいと思います。


「ヘルスケアの個別化」を実現するためには、どのような仕組みが必要なのでしょうか。

「ヘルスケアの個別化」を促進させているのは、検査手法や診断における技術発展だけではありません。カルテ情報など一部医療機関のみが所有していた情報の公開を要求する動きをはじめ、ヘルスケア業界における情報のオープン化の流れがより費用対効果の高い「ヘルスケアの個別化」を実現する上でのきっかけの1つになると思っています。
その上で「ヘルスケアの個別化」を実現するには、生活者の情報を基点に個人にあった多様な選択肢を提供する仕組みを構築する必要があります。そのためには①運動履歴や食事内容など生活者個人の生活データを集約する仕組みを提供する「情報収集」、②集めたデータをシステム等で安全に保管する「情報管理」、③複数データを統合、分析し個人にあったソリューションの選択肢を提供する「分析」、④機器、食品、運動、サービスなど薬だけではない「多様なソリューション提供」といった機能が必要になります。 この仕組みの構築には製薬メーカーだけ、医療機器メーカー、食品メーカーだけといった企業単独で取り組むには限界があり、業界の垣根を越えて、幅広いネットワークを構築し、生活者に対する価値を共創していく必要があると思います。

これら全ての要素を包含するような取り組みはまだありませんが、新たな胎動は既に始まっています。例えば、三菱ケミカルホールディングスでは、富士通などと共同出資して健康ライフコンパス社を設立し、「じぶんからだクラブ」という、採血キットを用いた健康管理サービスを開始しました。このサービスでは「情報収集」を各地のドラッグストアが行い、「情報管理」は富士通のシステム基盤を活用し、「分析」を生命科学インスティテュート社(三菱ケミカルホールディングスの子会社)が担うなど、業界の垣根を越えた取り組みが行われています。今後、このような企業間連携がますます加速することでしょう。


                                                    









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