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アジア・マンスリー 2011年2月号

【トピックス】
中国農村の余剰労働力は枯渇したか

2011年02月01日 三浦有史


中国では未熟練労働者の不足や賃金上昇が問題となっているが、『第二次農業センサス』で推計すると、農村には依然として1億2,233万人の余剰労働力が存在する。

■賃金上昇に対する不安
2010年に入って、ストライキが続発し、日系を中心に少なからぬ外資企業が賃金引上げを余儀なくされた。ところが、最低賃金を見る限り、未熟練労働者の不足が深刻化した2004年を境に急上昇したという事実はない。中国には、国有企業を中心とする限られた就労者を対象とした賃金統計しかないため、上昇のペースがどの程度のものなのかについては定かではない。最低賃金についても時系列のデータが得られるのは北京市と上海市に限られる。両市における最低賃金をみると、北京では2004~2010年に635元(月、以下同じ)から960元へ、上海では635元から1,120元へと上昇した。年平均の上昇率は両市とも9.9%であるが、1997~2003年までの同上昇率は前者が8.2%、後者が10.4%であり、賃金が急上昇したとは言えない。

しかし、安価な労働力を求めて中国に生産拠点を移した企業にとって、賃金上昇は上の統計が示す以上に深刻な問題となっている。所得格差の拡大に象徴される社会的問題が改善されない状況下で、外資企業はストライキの対象となりやすく、政府が報道規制を緩めればストライキはたちまち全国に広がる危険性がある。先行きに対する不安は、政府が労働分配率の見直しを表明したことからも深まっている。共産党は次期5カ年計画(2011~2015年)の草案に成長率並みの所得増加を図ることを盛り込んだ。2010年9月、中国人民大学主催のフォーラムで同大学の楊瑞竜教授らは「農民工」と呼ばれる未熟練労働力の供給余力は乏しく、今後5年間、賃金上昇は必至であると予測した。

「農民工」の待遇が改善されることは、共産党と政府はもちろんわが国進出企業にとっても決して悪いことではない。社会が安定化し、市場としての魅力が高まるからである。また、人的資本の強化という点でもメリットがある。戸籍制度の制約によって都市住民になれない「農民工」の存在は生産コスト削減に有効な半面、流動性が高いため、人的資本の強化が難しく、生産性の向上を図りにくいという問題があった。進出企業が現地化を進める決意を固め、具体的な昇給・待遇体系を示せば、人的投資に対するリターンを得やすくなる。

■乖離が大きい余剰労働力推計値
中国を「製造拠点」と見做すか、「市場」と見做すかにかかわらず、今後の賃金動向は中国にかかわる全ての企業にとって重要な問題である。また、それは経済成長の成果がどこまで国民に共有されたかを示す目安にもなるため、胡錦濤―温家宝後の体制の安定性を左右する問題でもある。しかし、この問題の根底には農村からの労働力の供給余力がどの程度あるかという難問が横たわっている。「難問」と表現したのは、農村における余剰労働力の存在に対する学者の意見が全く収斂する様子がないからである。

2006年に実施された『中国第二次全国農業普査資料彙編』(発表は2010年9月。以下『第二次農業センサス』とする)では、戸籍地を離れて就労している農民は1億3,181万人とされる。都市労働市場における未熟練労働者の供給量が細りつつあることは間違いないが、学者の意見は①「農村に若年労働者は残っておらず、もはや供給余力はない」とする、開発経済学で言うところの「転換点」を過ぎた(農村に余剰労働力は存在しない)、あるいは、間近とする「肯定派」と、②「都市における未熟練労働者の不足は、戸籍制度や農地制度によってもたらされた労働市場の歪み、あるいは、農村の生活水準の向上を受けたもの」とする「否定派」に大別できる。

こうした主張の違いは、中国国内、わが国、そして欧米の研究者の間でもみられる。例えば、中国国内では、人口労働経済研究所の蔡昉所長が「肯定派」の論客として知られ、一人っ子政策の緩和を主張している。しかし、同じ政府のシンクタンクでも国務院発展研究センターは、『中国流動人口発展報告2010』において、いくつかの異なる前提条件のもとで2010~2050年までに都市に流入する農民の数を推計し、余剰労働力が存在するとしている。その平均値は1億3,354万人である。戸籍地を離れた期間をどのように設定するかが調査主体によって異なるため、正確な値は分からないが、どのような期間をとっても近年の新規移動者は年間600万人前後である。国務院発展研究センターの推計を採用すれば、中国は「転換点」まで22年を要する計算になる。

こうした著しい乖離が生じる主因として余剰労働力の推計方法や元となるデータの違いが挙げられる。余剰労働力の量を推計するにはいくつかの方法がある。しかし、いずれの方法を採用しても、都市の未熟練労働市場における賃金や農村の就業実態についての正確なデータが少ないため、推計式には本来投入すべきデータではなく、それに近似するデータを投入せざるを得ない。そのため、結果に大きな差が生じてしまうのである。家計調査を通じて本来投入すべきデータを得ることは可能である。しかし、その場合、必然的に対象が限定されるため、そこで得られた結論が果たして中国全体に当てはまるかという疑問が生じる。

以下では、『第二次農業センサス』に基づいて、農村における余剰労働力を推計する。センサスとは全面調査のことである。国家統計局によれば、調査は約700万人の調査員を動員し、全国約3.5万の郷鎮、64万の村を対象に行われ、調査対象となった農家は2.5億世帯に及ぶとされる。調査は面接方式で行われ、データの信頼性と網羅性はかなり高いといえる。同資料は、農村に「常住」する(6カ月以上滞在)各世帯において、農業を主とする就業者がどの程度の時間を農作業に充てたかを期間別に明らかにしている。期間は、①1カ月、②2~3カ月、③4~6カ月、④7~9カ月、⑤10カ月以上の5区分である。

就業期間が10カ月(就労日数約200日)に満たない人は明らかに余剰である。そこで、それぞれの期間の平均値を採用し(例えば、2~3カ月であれば2.5月とする)、1カ月の就業者数×(1/10)+2.5カ月の就業者数×(2.5/10)+5カ月の就業者数×(5/10)(以下、省略)という式で農業生産に必要な人数を求めると2億7,233万人となる。農業を主とする世帯の就業者は3億4,217万人であるから、差は6,984万人である。ここに失業者(5,248万人)を加えれば、余剰労働力は1億2,233万人となる。農業は、本来、耕種期や収穫期に備え余剰労働力を確保しておく必要があるという指摘もあり、10カ月の就業期間を前提とした上の推計方法に問題がないわけではない。しかし、そうした問題を加味しても、『第二次農業センサス』は「否定派」の意見を支持しているといっていいであろう。
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