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Business & Economic Review 2002年12月号

【STUDIES】
「賃金デフレ」にどう対処すべきか

2002年11月25日 調査部 経済研究センター 山田久


要約
  1. 2002年度春闘では「ベア・ゼロ」回答が相次ぎ、賃下げも辞さない-賃金制度改革-の動きが広がるなか、ここに来て「賃金デフレ時代」の到来が強く喧伝されている。しかし、マクロ統計の名目賃金の動きをみる限り、実はすでに5年前から「賃金デフレ」は始まっていた。これは、a.賃金の安い非正規社員への雇用構成のシフト、b.ボーナスなど特別給与の圧縮、という形で人件費コストの圧縮が図られてきたことによるが、ついにここにきて-聖域-とされてきた正社員の基本給部分まで賃金削減のメスが入りつつある。このように、わが国では「名目賃金の下方硬直性」を次々に打破する動きがみられてきた。

  2. 1997年半ば以降にみられる名目賃金の右肩下がりのトレンドの底流には、アジア諸国の日本経済へのキャッチ・アップの進展に伴うわが国製造基盤の縮小が指摘出来る。すなわち、わが国製造基盤の縮小傾向がみられるもとで、a.製造部門では、生産性伸び率の鈍化=成長力低下を通じて賃金下落圧力となっているほか、安価で良質なアジア製品の流入が、国内財価格を押し下げるとともに賃金デフレの圧力となっている。一方、b.サービス部門については、「製造部門の成長力低下→サービス価格下押し・交易条件悪化→サービス部門の利潤縮小」というルートを通じ、賃金への下落圧力を強めている。

  3. 「賃金デフレ」は、a.空洞化スピードの緩和、b.失業率上昇の抑制、といった面で一定の効果を果たしてきたと考えられ、少なくともこれまでのところ、合理的な選択として是認されるものであったということが出来る。しかし、わが国製造業の成長力が相対的にみて低下する傾向にあるもとで、アジア諸国の成長性や賃金格差の大きさを踏まえれば、賃金デフレ圧力は根強い。そうしたもとで、いずれ賃金デフレと一般物価のデフレーションがスパイラル的に進行する恐れがないとは言えない。

  4. 新興工業国の台頭に伴う成長力低下・デフレ圧力に対し、先進各国がいかに対応してきたかを分析すると、「理念型」として以下の三つの適応パターンがみられてきた。 a.「ドイツ型」(価格維持・数量調整型)---賃金決定における制度要因を頑なに守り、世界的なデフレ圧力が国内物価や賃金に波及するのを水際で遮断。ただし、その副作用として産業構造の転換が遅れ、高失業という高い代償を甘受しなければならなくなった。賃金・物価といった「価格」体系を維持する一方、失業・空洞化という「数量」で調整する「価格維持・数量調整型」の対応方式であり、主にEU 諸国に多くみられるパターンである。 b.「日本型」(価格調整・数量維持型)---経済学上の常識とされてきた「名目賃金の下方硬直性」を打破することであくまでコスト削減で対応し、その一方で産業構造転換を先送り。低成長が長期化している割には失業率が低めにとどまる一方、「賃金デフレ」という戦後先進諸国の間ではみられなかった形での皺寄せが生じている。ドイツ型とは対照的に、雇用・生産量という「数量」を維持する一方、賃金・物価といった「価格」面で調整する「価格調整・数量維持型」の対応方式である。 c.「アメリカ型」(価格・数量転換型)---賃金決定を市場原理に任せる一方、サービス産業化を進めるというやり方。ドイツの「価格維持・数量調整型」、日本の「価格調整・数量維持型」は、ともに産業構造転換のスピードが遅いことで共通しているが、「アメリカ型」は産業構造のダイナミックな転換を特徴としており、「価格・数量転換型」ともいうべきパターンである。ただし、産業転換スピードが速くなるため、一時的に失業率の急激な高まりを受け入れる必要があった点を認識しておく必要がある。なお、こうしたパターンはイギリスやオランダにもみられた。

  5. 以上のように、日本の対応の特徴は他に比類のない名目賃金のフレキシビリティーにある。アジア諸国のキャッチ・アップの進展に伴う製造基盤の縮小傾向がみられるなかで賃金下落圧力が強い状況下、バブル崩壊後の膨大な産業調整圧力を緩和・吸収するに十分なだけ名目賃金が柔軟であったからこそ、わが国のみで「賃金デフレ」が「現実化」していると説明することが出来よう。しかし、そうした他に比類のない名目賃金のフレキシビリティーは、失業率の上昇テンポをマイルドにしたとしても、事業再構築よりもコスト削減を優先する企業行動を招きやすく、今後もそのパターンが継続されることになれば、長期間にわたって経済活動の停滞と失業率の上昇傾向が続く恐れがある。

  6. 相対的に高パフォーマンスがみられてきた「アメリカ型」の対応法を参考にすれば、賃金デフレからの脱却には産業構造の転換を通じた生産性向上が不可欠であり、その方向性としては、製品の技術レベルを一段と向上させていくという従来のやり方のみならず、a.サービス消費市場の開拓b.アウトソーシング産業の活用を通じたコアビジネスの生産性向上c.製造業のサービス化、の三つのルートを通じた「サービス産業化」を推し進めていくことが必要である。それは、製造部門がサービス部門を引っ張るという従来のパターンを脱却し、製造部門とサービス部門を両輪にした新たな成長パターンを築き上げることを意味している。

  7. 以上を前提にすれば、今求められている対応とは、まずは、ドイツ型の構造的失業、あるいはアメリカ型の摩擦的失業の大量発生をいずれも回避するために、引き続き当面は、賃金デフレを甘受せざるを得ないとして、それを前提とした生活環境を整備していくという「守りの対応策」を講じることである。しかも、それだけにとどまらず、「サービス産業化」を通じて産業転換を成し遂げ、賃金デフレ圧力の根本的解消を図るという「攻めの対応策」の2 面作戦を展開することが必要であろう。
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