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Business & Economic Review 2004年09月号

【OPINION】
東アジアにおける経済連携への課題-新経済秩序の序章をひらく

2004年08月25日 調査部 環太平洋研究センター 三浦有史


はじめに
わが国政府は東アジアにおける経済連携の強化に向けて動き出した。政府は「できるところから」という現実主義に立脚し、すでにシンガポールとの間で経済連携協定(Economic Partnership Agreement :EPA )を締結し、メキシコとは大筋合意に至った。現在、韓国、タイ、マレーシア、フィリピンとの間でEPA 締結に向けた交渉が行われている。さらにわが国とASEAN の包括的経済連携を超えた「東アジア経済共同体(East Asia Economic Community)」についての議論も盛んである。
しかし、東アジア経済共同体はもとより、日・ASEAN間の包括的経済連携でさえ、その実現を楽観視する声は少ない。こうした期待と現実のギャップがなぜ生まれるのか。本稿では、東アジアにおける経済連携のポテンシャルと課題を整理したうえで、わが国政府が経済連携にどのように取り組むべきかについて検討する。

  1. なぜ期待が膨らむか
    東アジアにおける経済連携に対する期待が高まっている背景として次の2点が指摘できる。第1は、東アジアにおける経済連携がデ・ファクトとして進んでおり、EPAという制度化によって地域の経済発展がさらに加速されることである。EPAとは、自由貿易協定(Free Trade Agreement:FTA)を基礎にしながらも、投資、人の移動、知的財産権や競争政策のルールづくりを含めた、より広い経済的な関係強化を目指す協定である。東アジアには、わが国企業が外国直接投資を通じて構築してきた生産ネットワークが張り巡らされており、PA は資源配分の最適化や効率化を促すことにより地域再活性化の起爆剤となる可能性がある。
    現在、世界には250 を超えるFTA が存在するとされるが、2001年時点の輸出額が世界輸出の5%以上を占める自由貿易地域は、EU(Europe Union)、NAFTA(North America Free Trade Agreement)、LAIA(Latin America Integration Association)、AFTA (ASEAN Free Trade Area)、EAEC (East Asia Economic Caucus )の五つである。このうち1980年から2001年の約20年間で域内輸出と世界輸出に占める地域輸出の割合の双方で顕著な伸びを示したのはASEAN とEAEC である。
    EU の域内輸出比率は同期間で60.8%から61.3%と大きな変化はなく、世界輸出に占める割合は41.0%から37.4%に低下した。NAFTAについては域内輸出比率が33.6%から55.5%に高まったものの、世界輸出に占める割合は16.6%から18.7%の微増にとどまった。一方、SEAN は域内輸出比率と世界輸出に占める割合がそれぞれ18.3%から23.3%、3.9%から6.4%へと上昇した。EAECも同様に、35.6%から46.9%、15.1%から25.4%へそれぞれ上昇した。
    もちろん、EAECには自由貿易地域としての実態はない。しかし、EUやNAFTA のような制度化された枠組みをもたない東アジアが域内の相互依存関係を深化させながら、なお、開かれた地域として世界貿易の牽引役として機能してきたことは、この地域における経済連携がいかに高いポテンシャルを有しているかを示している。東アジアは経済連携によって世界で最も活力に溢れた地域に成長する可能性がある。
    第2は、東アジアでは貿易の拡大とともに経済が成長し、しかも、成長の成果が広い範囲に行きわたっていることである。東アジアの貧困人口比率は84 年から2001年の間に38.9%から14.9%に低下し、絶対的な貧困人口も5億6,220万人から2億7,130万人に減少した。一方、南アジアでは、貧困人口比率こそ46.8%から31.3%に低下したものの、貧困人口は4億6,030万人から4億3,110万人とほぼ横ばいである。サブ・サハラにいたっては、貧困人口比率が46.3%から46.9%に上昇し、貧困人口も1億9,830万人から3億1,580万に増加した。貧困人口比率とその絶対数の双方が劇的に低下したのは東アジアだけである。
    通貨危機によって東アジアに対する評価は「ミラクル」から「メルトダウン」へと転じた。しかし、開放経済体制の構築を通じて経済成長を実現し、その成果を貧困層も享受できるような社会を作り上げてきた東アジアに対する評価はいささかも揺らぐものではない。東アジアの経済連携が成長と貿易拡大の好循環をもたらし、貧困削減を加速するものであれば、これは世界に誇るべき発展モデルといえよう。
    東アジアにおける経済連携は、これらの特徴を開花させ、世界の安定と繁栄に寄与することを目指した未来志向の強い試みといえる。経済連携に対する期待が高まっている背景には、各国政府がそれを東アジアにおける新たな経済秩序の構築に向けた序章と予感していることがある。

  2. なぜ楽観を許さないか
    それでは、なぜ東アジアにおける経済連携が現実には難しいと判断せざるを得ないのか。次の2点から連携に向けた具体的な道筋がイメージしにくいという問題がある。
    第1に、わが国におけるコメの輸入や看護師などのヒトの受け入れという問題が連携を妨げる大きな障害になると考えられている。わが国政府がEPA の雛型としているシンガポールとの交渉では、この二つの問題は争点とならなかった。その意味では、現在進行中のEPA 交渉にこそ、わが国が「アジアのなかの日本」をどう位置付けているかが示されると考えるべきであろう。
    しかし、これまでのわが国政府の対応は各国の期待を満たすものになってはいない。コメ問題は、低関税率枠の設定という水際の保護政策には限界があり、農家への直接支払いによる所得保証政策に転換する必要があるという点で専門家の間で一致をみているという。それにもかかわらず、わが国はあくまで関税引き下げの例外扱いを求める方針である。一方、看護師の受け入れについては、国ごとに受け入れ枠を設定し、政府が指定する病院での研修を義務付けることで部分的に開放する方向で検討をはじめた。しかし、日本の資格がない限り就労を認めないという従来の方針は継続されるため、実際の受け入れ人数は限定的となる見通しである。このため、タイ、フィリピンとのEPA 交渉は難航が予想され、2005年から交渉を開始するASEAN との包括的経済連携やその先の東アジアにおける経済連携に弾みをつける内容にはなりそうもない。
    第2に、東アジアにおけるあまりにも大きな経済格差が経済連携の足枷になると考えられている。ASEAN 域内において2001年時点でシンガポールとカンボジアの一人当たりGDPには75倍の格差がある。ASEAN各国の一人当たりGDPの分散はEUやFTAAをはるかに上回り、対象を東アジア全体に広げればその分散はさらに拡大する。
    しかも、目下のところ東アジアで最も開発が遅れているASEAN 新規加盟国が雁行的な経済発展を遂げ、ASEANひいては東アジア域内の経済格差が縮小するという見通しは開けそうにない。外国直接投資とODAを源泉としていた新規加盟国の投資は、通貨危機後、ODAへの依存度が高まった結果、ベトナムを除いてODAの増減がそのまま投資率に反映されるようになりつつある。ASEAN新規加盟国と原加盟国との経済格差は、今後さらに拡大する可能性すらある。
    これほど大きな経済格差を抱える地域でFTA が形成されたケースはかつてない。東アジアにおける経済連携は南北問題、さらには南南問題を内包した歴史上例をみない試みといえる。しかも、わが国は投資やサービスの自由化を含めたEPAを目指している。二国間EPA の延長線上に日・ASEAN間、および東アジア全体を含む経済連携があると考えるのは楽観的にすぎよう。

  3. チャイナ・インパクト
    東アジアにおける経済連携の先行きを不透明にしているもう一つの要因として、中国の台頭をあげることができる。中国における2001 年までの10年間の一人当たりGDPの年平均伸び率は7.5%と他を圧倒している。2008年の北京オリンピックを経て2010年の上海万博まで高成長が続くとすれば、中国の経済規模は10年で2倍となり、東アジアにおける存在感はいやがうえにも高まる。
    わが国では、一時盛んに流布された中国脅威論が、国内経済が明るさを取り戻すとともに特需論へと変化しつつある。しかし、これらの議論は同じコインの表と裏をなすものであり、わが国が中国といかに向き合うか、東アジアの経済連携において中国をどのように位置付けるかを十分に描ききれていないことの証左といえよう。
    また、わが国では、ASEAN との包括的なFTA において先行する中国に対する出遅れを懸念する声が強い。中国は、ASEANとのFTA交渉において、ASEAN諸国が比較優位をもつ一部の農産物の輸入自由化を前倒しするという大胆な措置(アーリー・ハーベスト)をとった。これは、中国脅威論を和らげるためとはいえ、わが国には驚きであった。その締結期限を明確にしたことも中国の並々ならぬ熱意を感じさせるものであった。中国のこうした対外経済政策によって、地域の多極化が進み、東アジアにおけるわが国の地位は次第に相対化されつつあるといえよう。
    一方、ASEAN 諸国では、外資誘致競争や国内および第三国市場における中国製品との競争が激化しており、中国の脅威をより差し迫ったものとして受け止めている。91年までASEANを下回っていた中国向けの外国直接投資は、92年にASEANと肩を並べ、その後、通貨危機に見舞われたASEAN を大きく引き離し、2002 年にはアメリカを抜いて世界一となった。
    ASEAN の経済統合に向けた歩みは、中国の台頭に対する危機感に支えられて進んできたといっても過言ではない。ASEANは、92年1月の首脳会議でAFTAの創設に合意するとともに、カンボジア和平の進展や市場経済化への取り組みを受けて、ASEAN10の実現を急いだ。97年末の首脳会議で、地域の発展および域内協力を通じた豊かな生活の達成をうたった中期計画「ASEANビジョン2020」を採択し、2003年には、域内のヒト、モノ、カネの移動の完全な自由化を目指すASEAN 経済共同体(AEC)を含む「第二ASEAN協和宣言」を採択した。ASEANがより深い経済統合を急ぐのは、それが中国に対抗するための唯一の手段と考えられているからである。中国の台頭ははからずもASEANの協調を促進する作用があったといえよう。
    半面、中国の台頭にはASEAN の二極化を促進する作用があることも見逃せない。中国は、沿海部を中心に産業集積をはかり資本集約的産業の競争力を高めると同時に、低廉な労働力を生かした労働集約的産業にも依然として確固たる競争力を有している。ASEAN原加盟国や韓国は比較優位がある、あるいは、付加価値の高い産業に特化できれば、中国との「すみ分け」を図ることができるが、労働集約的産業にしか競争力のない新規加盟国はそうした「すみ分け」が難しい。わが国進出企業を中心に展開されている生産分業のネットワークがASEAN 新規加盟国に波及するか否かは依然、不透明である。NIEs やASEAN 原加盟国からの移転が期待される組み立て産業の多くは、広大な中国に吸い込まれてしまう可能性が大きい。
    中国の台頭はわが国とASEANおよびASEANの内部関係に少なからぬ影響を与え、東アジアで保たれてきた経済秩序の再構築をせまるものである。一見自発的にみえるわが国やASEAN 原加盟国の経済連携に向けた動きは、実は中国の台頭を受けて否応なしに進められてきた側面がある。東アジアにおける経済連携が画餅にみえてしまう根本的な理由は、連携が東アジアの長期的な経済展望に基づいた自立的な戦略ではなく、中国という外部要因への一時的な対応策としてすすめられていることにある。その意味では、開明的とされる「『EPA』という外圧を構造改革の起爆剤にすべき」という指摘も、東アジアにおけるわが国の役割を積極的に捉えようとする主体性を欠いたものといえる。

  4. 連携への道筋
    ASEAN との関係強化に向けたわが国の理念は、2002年1月に小泉首相がシンガポールで行った政策演説で示された。そこでは、わが国とASEAN の関係は「成熟と理解の新たな段階」に至っているという認識のもと、一層の繁栄、平和、理解、信頼を達成するため、ASEAN との包括的経済連携構想を含む五つのイニシアティブが提示された。わが国はASEAN 諸国と「率直なパートナー」として「共に歩み、共に進む」ため、より包括的、かつ、双方向的な協力関係を築こうとしている。

    2003年10月に、「日本・ASEAN との包括的経済連携の枠組み」に合意し、同年末には、「日本とASEANのパートナーシップのための東京宣言」とそれを実行に移すための「日本・ASEAN 行動計画」が採択された。同計画ではASEANの統合強化や競争力強化に向けた具体的な取り組みが列挙され、わが国とASEAN の協力は「理念」から「行動」へと移行しつつある。
    日本・ASEAN 行動計画に示された連携の範囲は広く、個々のプロジェクトが日本・ASEANの経済連携を推進する基盤となることは間違いない。しかし、メニューが多様である分、それは各省庁の既存のODA 事業を分野別に整理したリストにすぎないともいえる。各メニューの横には担当する省の局の名前が透けてみえる。各省の縦割りが反映されたメニューに、わが国政府に求められる構想力を読み取ることは難しい。
    少なくとも、省庁の「できること」や「したいこと」のつなぎ合わせを、一つの遠大な構想のもとに行われる地道な積み上げと同じものと考えることはできない。わが国において、中国のポテンシャルをどのように取り込み、リスクをいかに管理するかという議論になかなか到達しないのも、東アジアの経済連携への道筋とわが国が果たすべき役割を十分に描ききれていないからにほかならない。また、わが国における経済連携をめぐる議論がコメとヒトという内向きな問題に収斂しがちなこともこのことと無関係ではなかろう。
    東アジアにおける経済連携に向けた手順を考えると、まずASEAN原加盟国および韓国とのEPA、次いでASEAN 新規加盟国とのEPA、最後が中国とのEPAというのが現実的なシナリオであろう。競合関係の強い中国・ASEANでEPAを締結することは難しい。また、中国とASEANだけでFTAを締結する「日本抜き」は、日本はもちろん、中国とASEANの双方にとってもメリットは少ない。東アジアにおけるFTA のシミュレーションをみても、日中両国はASEANを核とした東アジア大の経済連携を目指すよう運命付けられているといえる。
    このため、わが国は、まず、日本・ASEANのEPAを通じて東アジアにおける制度化を進め、そこに中国を取り込むというプロセスを描くべきであろう。わが国では中国市場への出遅れや東アジアにおける中国のプレゼンスの拡大を懸念する声が強いが、中国が重要であるからこそ、まず取り組むべきことは日・ASEANの経済連携であると考えるべきである。わが国の対外直接投資の残高で中国に勝るASEAN を軽視すべきではない。
    東アジア全体を包摂する経済連携へのプロセスにおいては、ASEANがAFTAを完了し、AECに向かって内部の結束を維持できるか否かが当面の課題となる。ASEANの結束を維持していくには、新規加盟国がこれまで以上に積極的に改革に取り組むこと、そして、原加盟国とわが国が一体となって彼らの自助努力を支援していくことが必要である。わが国政府は容易に見通しの開けない国内問題と大国化する中国に目を奪われ、東アジアにおけるASEAN の重要性を見落としてはならない。

  5. 経済連携時代の対外経済政策
    ASEANは、地政学上、わが国と中国、あるいは、アメリカと中国のバランサーであり、東アジアの経済連携の核としての役割を担っている。仮にASEAN10の枠組みが瓦解すれば、東アジアの経済連携に影響することは必至である。その半面、ASEANは、内政不干渉を原則とし、コンセンサス重視の運営方針を貫いてきたため、統合を急げば急ぐほどその結束力の弱さを露呈するジレンマを抱えている。わが国政府に求められるのは、東アジアの視点にたって、この問題に立ち向かい、日・ASEAN間の包括的経済連携、その先にある東アジアの経済連携を成就させるに足る構想力である。
    問題は省庁ごとに進められている支援を日本・ASEANのEPA、その先にある東アジアの経済連携に寄与するものとして統合することができるか否かにある。ASEAN各国への様々な支援は、将来の東アジアの経済連携を視野にいれた総合的な政策―通商、産業、経済協力、金融、通貨、人の移動に係わる政策のパッケージの一部と位置付け、そこには東アジアの経済連携に向けたわが国の姿勢が反映されていなければならない。FTA 交渉は、メキシコの例をひくまでもなく、「自らは少なく、相手からできるだけ多くの譲歩を勝ち取る」という外交交渉である。しかし、東アジアにおける経済連携をわが国のリーダーシップの下に進めるのであれば、ASEAN 各国とのEPA 交渉はそれとは性質を異にするものと捉える必要がある。
    南北問題を抱えた東アジアにおいて経済協力政策の重要性が増すことは言うまでもない。しかし、経済連携を推進するために何に取り組むべきかについて、東アジアからの視点を欠いた旧来型の一方的な支援は、受け入れ国のモラル・ハザードを招き、むしろ経済連携という目標の達成を遠ざける可能性がある。とりわけ、域内各国の経済力が一様ではない東アジアで、自助努力と支援のバランスを維持することは容易ではない。経済連携の時代における経済協力政策は連携に向けた協調行動を引き起こすこと、そして、他の連携促進政策との整合性をとることが重要になる。
    自助努力と支援のバランスは、そのまま、地域の競争と協調のバランスに反映されよう。EUの例をひくまでもなく、このバランスをどのように維持するかが、経済連携におけるリーダーシップおよび連携の成否を左右する重要な要素となる。これまでのEPA の交渉方針や経済協力政策は、わが国政府が東アジアにおける経済連携を成就させるに足る十分な構想力を示すものとはいえない。東アジアの経済連携の未来は、好むと好まざるとにかかわらずわが国のリーダーシップのありようにかかっており、東アジア総合経済政策の構築が求められる所以もそこにある。わが国に対する期待は自らが想像する以上に大きいのである。
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