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Business & Economic Review 2004年08月号

【CHINA TREND】
高成長と失業問題の深刻化

2004年07月25日 香港駐在員事務所長 呉軍華


先月の当コラムで予測した通り、中国経済の過熱問題は山場を越えて収束に向かっている。そこで、当面の最大の懸念材料であった「経済過熱→マクロ引き締め→ハードランディング」といったシナリオがとりあえず回避できたのを機に、これからは中国経済の直面する問題をより構造的視点から考えていきたい。差し当たり、今回は失業問題についてみてみたい。
世界最大の人口を有する中国にとって、雇用を絶えず拡大していくことは、かねてより最も重要な政策課題の一つであった。しかし、失業問題が社会の安定を脅かしかねないほど先鋭化したのはむしろ1990年代に入ってからであって、とりわけ中国が「世界の工場」として国際社会に急台頭してきた90年代半ば以降のことである。ちなみに、政府の発表によると、都市部の失業率は85年の1.8%から92年の2.3%を経て、2003年には4.3%にまで上昇した。さらに、こうした公式統計に農村での余剰労働力や国有企業の一時帰休者といった実質的な失業者を加えて再計算すると、実際の失業率は10%以上に達しているといわれる。
高成長にもかかわらず、失業問題はなぜ深刻化の一途を辿るのであろうか。その理由として、90年代に入ってからの産業構造がより資本集約型になってきたことによるとの説明がある。確かに、近年の中国においては、経済成長が投資の拡大に依存する割合がますます高まってきており、その結果、産業構造がより資本集約型になってきたのは事実である。しかし、こうした分析は問題の結果を理解するために役立っても、問題を生み出す原因の分析にはなっていないといわざるを得ない。それでは、その原因は一体どこにあるのであろうか。
二つの問いを解くことによってこの問題にアプローチしてみよう。二つの問いとは、近年の経済成長はなぜますます投資の拡大に依存せざるを得なくなってきたのかという問いと80年代の雇用拡大に大きく寄与した郷鎮企業を中心とする内生的工業化の流れはなぜ夭折したかという問いである。
この二つの問いは一見相関性が薄いように思われるが、実は共通のファクターを原因として持っている。その共通のファクターとは、エリート層(既得権益層)偏重の開発政策とGDP 至上主義である。まず、投資依存型成長のメカニズムがどのようにエリート層偏重の開発政策とGDP至上主義に起因して形成されてきたかをみてみよう。
エリート層偏重の開発政策による影響は、所得の二極分化が進んだこととそれに起因して消費需要の本格的拡大が阻害されたことに現れている。これは結果的に経済成長の投資への依存度を高めてきた。公務員給与の大幅な引き上げが、98年に始動した内需拡大策の最も重要な柱として実施されてきたことに象徴される通り、近年の中国の開発政策は、公務員や国有企業の経営者といったいわゆるエリート層に偏重して進められてきた。これにより、人口の約2割に相当するミドルクラスの所得が急速に伸びる一方、圧倒的多数を占める農民や都市部の貧困者層の所得は高成長にもかかわらず、伸び悩んでいる。この結果、自動車や住宅を中心としてミドルクラスの消費が先進国並みの水準に達する反面、経済成長を支えるうえでの消費需要のインパクトは逆に大きく低下してきた。
一方、投資依存型成長メカニズムの形成に対するGDP 至上主義の影響も極めて大きい。GDP至上主義が横行するなかで、政府、とりわけ地方政府の多くは、中長期的視点から経済発展や国民の福利厚生の向上を考えるよりも、目の前の成長率を達成すること、換言すれば、「成長のための成長」を最大の政策課題としてきた。こうした経済成長を実現するに当たって、本来ならば、バランスの取れた消費と投資の拡大が必要である。しかし、90年代の中国においては、エリート層偏重の開発政策もあって、消費需要は本格的拡大ができなかった。それにもかかわらず、成長率を高めようとした結果、投資、とりわけ財政資金を使った投資が最も有効な政策手段となった。
次に、80年代に始まった郷鎮企業を中心とする内生的工業化とエリート層偏重の開発政策、GDP 至上主義の関係についてみてみよう。
成長の原動力がどこにあったかといった観点から改革以降の中国経済の流れを振り返ってみると、80年代と90年代で大きく異なっていたことが分かる。すなわち、80年代においては、農村をベースとする郷鎮企業が成長を支える最も主要な柱であり、いわば、中国の経済発展は雇用拡大効果の高い内生的工業化によって進められてきた。これに対して、90年代に入ってからは、外資系企業が成長を促す新たな主役として登場し、郷鎮企業を中心とする国内産業は急速に衰退した。失業問題の顕在化はまさにこの内生的工業化が挫折した過程において生じてきたものであり、エリート層偏重の開発政策とGDP 至上主義はそれに大きく加担した。
具体的には、エリート層偏重の開発政策が続くなかで、所得の二極分化が進み、消費需要におけるエリート層のインパクトは絶対的なものになってきた。こうしたエリート層の需要を満たすために、高級消費財の輸入が急増する一方、海外からの資本・技術の導入により、資本集約型産業が急速に発展してきた。この結果、労働集約型産業に集中し、雇用効果のより高い郷鎮企業を中心とする国内産業の多くは破綻し、失業率は上昇の一途を辿ることとなった。
一方、内生的工業化の観点からGDP至上主義が失業問題と直接的なリンケージを持つようになった背景として、90年代半ば以降の中国において、国内資源だけでは成長を支えきれなくなったという構造変化を指摘することができる。程度の差はあるものの、80年代においては、郷鎮企業を中心とする民間セクターとともに、国有銀行からの大量融資によって支えられた国有企業も成長を促す柱の一つであり、都市部における雇用の安定に貢献した。しかし、所有関係をはじめとする制度的問題にメスを入れずに銀行融資を通じた対症療法的な対応だけでは、当然のことながら、国有企業の問題を解決することができないだけでなく、経済全体にもマイナスな影響を及ぼすことになる。実際、80年代末から90年代初め頃にかけて、中国が2回のハイパーインフレに見舞われた一方、国有銀行は巨額の不良債権により事実上の破綻状態に陥り、経済の拡大ペースは大きく鈍化した。そこで、海外からの直接投資に対する誘致合戦が始まり、80年代に始動した内生的工業化の流れが頓挫し、失業問題は中国社会の安定にとって大きな脅威となったわけである。
ところで、日本企業は中国の失業問題をどのように考えるべきであろうか。かつて中国を主に生産拠点として利用していた時代においては、日本企業はこの問題にさほど大きな関心を持つ必要はなかった。しかし、生産拠点だけでなく、中国でのビジネスが企業の生き残りにとっても重大な意味を持つようになった今、失業問題を含めて中国の直面する問題をそのまま対中ビジネスのリスク要因として認識し、また、その解決に向けて協力する姿勢を整える必要性が生じてきたといえよう。
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