コンサルティングサービス
経営コラム
経済・政策レポート
会社情報

経営コラム

オピニオン

社会基盤としてのモバイルインフラ拡充の喫緊性
~5Gの“質”に着目した普及拡大が求められる~

2023年07月26日 浅川秀之


日本の5Gの現状(2023年7月時点)
 日本における5Gの人口カバー率は2023年度末で全国95%、全市区町村に5G基地局が整備されている。2030年度末には全国・各都道府県で同カバー率を99%にまで上げることを目標に掲げている(総務省「デジタル田園都市国家インフラ整備計画(改訂版)」2023年4月25日)。5G対応端末でなければ5Gの通信速度などを体感することはできないが、少なくともかなり広範なエリアで既に5Gが利用できる状況にはなっている。

 通常5Gは4Gよりも通信速度が速く、よりリッチな動画視聴などがスムーズに利用可能となる。しかしながら世界に比して現在の日本の5G通信速度は決して速くない。2023年6月に公開された英国Opensignal社のデータによると、日本の5Gダウンロードスピードは156Mbpsに対し、韓国432Mbps、シンガポール376Mbpsなどに比べると大きな差がある。5G捕捉率(5Gが利用可能な時間割合)もアジア先進国が20~30%とされる中で日本は7%程度にとどまる。現時点では最新の5G対応スマートフォンを持っていても、5Gのメリットを体感できる状況にはない。

 アジア先進国に比べて、人口あたりの基地局密度が低いことや、信号の速度や安定性を増すとされている最新技術の活用程度が低いことなどが原因とされている。また、最近の携帯電話料金の価格競争の影響で、各通信事業者の5Gへの投資が思うように進んでいないことも要因として考えられる。

欧米で進む5Gの“質”の向上
 2023年4月に英国科学イノベーション技術省は「UK Wireless Infrastructure Strategy」を発表した。この中で「2030年までに全ての人口密集地域に5G-SA(※1)のカバレッジを提供し、都市部だけでなく、農村地域にもその利点を完全にもたらすことができるようにする」という目標を掲げた。“利点を完全に”というのは、5GのNSA(※2)ではなくSAの活用を前提としている。そして「経済を成長させ、全国に高賃金の雇用と機会を創出するという政府のコミットメントを実現するためには、地方を含む英国全土に住み、働く人々が、良質なモバイルネットワークを利用できるようにすることが不可欠である」という考え方のもと、5G-SAを普及させるための具体的かつ実効性を意識したさまざまな政策が示されている。

 この英国モバイル戦略の公表後、2023年6月には同国携帯電話事業者のVodafone(同国シェア3位)とThree(同4位)が統合されることが当局により承認された。これにより主要4社から3社へと競争企業が減らされることになる。4社競争環境では、5Gへの投資が事業者間で分散し過ぎており、事業者統合によって、5Gへの投資資金を調達しやすくするべき、という政府判断があったためである。通常の通信市場における競争政策では、企業数を増やすことで健全な競争環境を築き、結果利用者に安価かつ質の良い通信サービスが提供されることを目指すことが多い。この英国事例は、いわば通常とは逆の判断がなされたことになる。合弁の承認がなされた直後には両社から「今後10年で5G-SAを中心に設備投資110億ポンド(約2兆円)、2034年に人口カバー率99%を目指す」と発表された。

 米国においては、2021年6月にAT&Tが自社の5Gモバイルクラウド設備と関連エンジニアをマイクロソフトへ売却することを発表した。AT&Tはマイクロソフトから設備を借り受けて5Gコアネットワークを運用する形をとることになった。AT&Tは以前からコアネットワークにオープンソースを活用し、オンプレミスで自前クラウドネットワークの構築に注力していた。しかしながら、付加価値提供の源泉はコア側よりもエッジ側(RAN(※3)側や上位のソリューションなど)であるという判断があったと推定される。現在はマイクロソフトとしっかり提携し、5G-SAを前提としたエッジソリューションサービスの提供に注力している。自動運転領域などにおいて顧客とのエンゲージメントを高めながら新しい収益獲得を目指している。5G-SAの莫大な投資原資を確保するためにも、自社の設備投資をより付加価値の高い領域にフォーカスし、コアネットワーク側は効率化を図ったと考えられる。

なぜ5G-NSAではなく5G-SA(質)にこだわるのか
 5G-SAでは、既存4Gとの設備共用ではなく、全て5G専用の設備で構成される。4G設備との連携がないため、5G-NSAと比べてより低遅延な通信サービスの提供が可能となる。また5G-SAの「ネットワークスライシング」という技術によって、高信頼性や低遅延性などをユースケースに応じて柔軟に個別設定が可能となり、その結果自動運転や遠隔医療などの新しいサービスへの活用が期待される。SAはNSAよりも、より質の高いサービスが提供可能となる。

 また、5G-SAは、ネットワークの主要機能が全てクラウド上で実現される「Cloud-Native」であることを特長とする。Cloud-Nativeであることによって得られるメリットは「初期費用や運用費用の投資効率が改善」、「商用化までの時間短縮」、「スケーラビリティや柔軟性の実現」、「レジリエンス性高度化」などが挙げられる。世代移行期には莫大な投資が必要ではあるが、得られるメリットも大きい。

日本では「鶏と卵」問題で思考停止
 AT&Tをはじめ欧米の5G-SAに積極的な通信事業者は、5G-SAそのものを提供することよりも、5G-SAによって実現可能となる新たなソリューションや新たな価値提供を重視している。従って5G-SAの需要の不透明性を理由に設備投資を躊躇するというよりは、「自らの新たな成長のために5G-SAは不可欠」という視点を持つ。通信事業という“土管ビジネス”からの脱却のためにも5G-SAは必要不可欠という判断を早くからしていることになる。米AT&Tのコアネットワークの売却は、通信事業者の提供価値はコア側ではなく、よりユーザーに近い、エッジ側でのソリューション領域と判断したからであろう。

 日本では、どうであろうか。私が普段接する通信事業者や関連企業の話を聞くかぎり「5Gの有望なユースケースが見当たらない」という声が今もよく聞かれる。そのため設備投資の判断が難しく、ましてや低価格競争の激化が進む現状においてはなかなか積極的な投資判断ができない。有望なユースケースが見えてきたタイミングで設備投資を加速しようという“様子見”状態にある。いわゆる「鶏と卵」問題によって設備投資が滞っている状態である。

 欧米の場合も、膨大な設備投資が必要であることは日本と同様であるが、考え方や戦略志向が全く異なる。「投資コストを賄うためには、これまでのようないわゆる土管ビジネスではなく、ソリューション領域での価値提供が必要」であり、その新しい価値を創出するために「5G-SA」は必要不可欠という考え方である。この考え方や戦略の違いが日本と欧米で5Gの質的な普及に差が生じている原因と考える。

提言
 日本に住む全ての人々や事業者のため、経済成長や社会課題解決のためには質の高い5G-SAへのモバイルインフラ革新は必要不可欠という前提認識を持つことが基本と考える。5G-SAのカバレッジを具体的な目標として設定し、その拡大に向けた官民協調アクションが必要である。「鶏か卵か」や「あったら良いけど・・・」レベルでの思考停止では、2030年にかけて人々の豊かな生活や国益を棄損してしまう。また、目標設定に加えて実効性のあるモニタリングが必要になる。5G-SAカバレッジだけでなく、その結果最終的にどれだけ国民が満足したか、例えば国民の経験価値(UX:User Experience)向上を目標設定し、これをモニタリングできると良い。
 そのうえで、5G-SA拡充のための実効性のある投資促進施策を早急に実施すべきであろう。「投資意欲」および「投資効率」を高めるという2つの観点からの施策が有効と考える。



 また政策視点では、技術革新と競争施策とのバランスを重視した政策が必要になる。4Gから5Gへの技術革新を進めつつも、その新たな価値を低価格かつ高品質で利用可能とすることが求められる。相反する施策ではあるが、新たに市場をドライブする観点からのバランスの取れた政策が必要になろう。
 モバイルインフラは、いつでもどこにいても世界中の人々とコミュニケーションが取れる、リッチな映像コンテンツを楽しめるといったニーズを満たしてきた。今後は、国民の豊かな生活実現に欠かすことのできない、社会的ニーズを充足するためには必要不可欠なインフラとなってくる。モバイルインフラの“質”にこだわった早急な施策実行が求められる。


(※1) 5G-Standalone。5Gモバイルネットワークの基地局側設備、コア側設備の全てを5G専用設備で構成。通常の5G(5G-NSA)よりもさらに高速・大容量な通信が可能となり、またさまざまな利用シーンに応じた柔軟な通信の提供が可能となる。
(※2) 5G-Non-Standalone。4Gのコア設備を流用し5Gモバイルネットワークを実現。古い世代の技術を一部利用することで、5G機能や性能をフルに利用することができない。
(※3) 無線アクセスネットワーク。スマートフォン端末から受け取った通信データを、コアネットワークに引き渡す役割を持つ、ユーザー側のネットワーク。

※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。

経営コラム
経営コラム一覧
オピニオン
日本総研ニュースレター
先端技術リサーチ
カテゴリー別

業務別

産業別


YouTube

レポートに関する
お問い合わせ