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ポストゲノムシーケンス時代のバイオ産業

出典:日経産業新聞

ポストゲノム研究は、「遺伝子の精密解析」、「たんぱく質の解析」、「ゲノムの種間比較解析」の3つの分野に進み、その過程でDNAチップやバイオインフォマティクスの需要が本格化する。現状は医療分野がバイオ産業を牽引しているが、遠からず食料、環境・エネルギーなどに拡大する。

遺伝子の精密解析-SNP解析で伸びるDNAチップ

遺伝子の精密解析-SNP解析で伸びるDNAチップ 第1の分野は、ゲノム情報から遺伝子を特定し、病気との関係を解明するものである。疾患関連遺伝子の探索手法として、一塩基多型(SNP)解析が注目されている。SNPとは、遺伝子多型(集団全体の1%以上に存在する塩基配列の違い)の一種で、一塩基だけが異なったものである。遺伝子領域には数万から数10万箇所あるといわれている。
たんぱく質のコード領域にSNPがあるとアミノ酸置換が起き、プロモーター領域にあると転写活性に影響を与えることがある。疾患のかかりやすさや薬剤応答性などの個人差を左右する因子である。糖尿病や高血圧といった生活習慣病には、同じ生活環境でも発症する者としない者がいる。SNPをマーカーとして個人の遺伝子型を判別したり、疾患関連遺伝子を同定することにより、個人の体質に合った治療を選択するテーラーメード医療が実現すると期待されている。 SNP解析のように数万箇所にわたるDNA配列を一度に調べる場合に威力を発揮する装置がDNAチップである。

DNAチップは、ガラスなどの基板にDNA断片を数千から数万種類貼り付けた構造で、血液試料などに含まれる遺伝子を蛍光色素で標識し、チップに流すと、検出対象の遺伝子がチップ上のDNA断片と結合する。レーザー光をあてると標識が発光し遺伝子の存在がわかる。電気的な検出方式を採用しているものもある。DNAチップの世界市場は研究用主体で約400億円、ポストゲノム研究が実を結び、臨床での利用が始まれば数千億円規模に拡大すると見込まれる。   

たんぱく質の解析-プロテオーム解析・トランスクリプトーム解析

第2の分野は、遺伝子の指示でつくられるたんぱく質の生理作用を解明して医薬品の開発につなげるものである。たんぱく質の機能や立体構造を解析するプロテオーム解析、遺伝子で発現するたんぱく質を解明するトランスクリプトーム解析といわれる。 例えば、細胞表面にあって情報伝達物質などの出入りを制御する膜たんぱく質には、病気に関係したものが多数ある。この中から標的となるたんぱく質を特定して、その立体構造を解明する。標的たんぱく質の立体構造とうまく結合して、その働きを止めたり制御したりする物質を見つければ医薬品の候補となるのである。

ヒトには10万種類以上のたんぱく質がある。ゲノム情報をもとに候補となるたんぱく質を網羅的に解析するには、ゲノムの長い暗号配列のうち、実際にたんぱく質に読み取られる遺伝子部分のみの配列を人工的に作り出したcDNAの作成が鍵となる。たんぱく質は、安定性に欠け、コピーして増やすことが難しいため、目的とするたんぱく質のcDNAを分裂酵母などに組み込んで生産するといったことが必要となる。 たんぱく質同士の相互作用によって起こる構造変化や複雑な働きが、たんぱく質の機能解析をより複雑なものとしている。
酵母に複数のたんぱく質の遺伝子を組み込み、同時に発現させて相互作用を調べ、2万種類以上のたんぱく質の相互作用に関するデータベースを提供する企業もある。 たんぱく質解析が活発化するにつれて、糖鎖への関心が高まっている。体内のたんぱく質の半分には糖鎖が結合して、たんぱく質の働きに影響しているからである。糖鎖とはぶどう糖やマンノースなどの糖が鎖状に連なったもので、たんぱく質や脂質の表面にくっついて、働きを調節したり、細胞の情報を伝えたりする働きがある。

たんぱく質の解析には、糖鎖を含めた機能解析が欠かせない。現にバイオ医薬として年間21億ドル(約2500億円)も売り上げる造血剤「エリスロポエチン」は、糖鎖がついたたんぱく質を利用した医薬品である。これまでに発見された100以上の糖鎖合成を担う遺伝子の約半分は日本勢によるものであり、わが国は糖鎖の研究では世界をリードしている。糖鎖の構造解析は、DNAの構造解析に比べて難しい。自動解析装置やDNAの試験管内増幅法であるPCR法が、DNA解析の技術的ハードルを下げ、今では大学生でも研究室で難なく扱えるほど普及した。糖鎖に対してもハイスループットの配列自動解析装置や自動合成装置の開発が急務である。    

遺伝子の種間比較解析-モデル動物の活用

第3の分野は、モデル動物のゲノム配列をヒトゲノムと比較するものである。モデル動物としては、マウス、チンパンジー、フグ、ショウジョウバエ、線虫、酵母などがあげられる。最近、ヒトとチンパンジーのゲノムの違いは1.23%と報告された。違いの大きい個所を調べることにより、ヒトだけがかかるアルツハイマー性痴呆症の原因遺伝子が見つかる可能性も指摘されている。 遺伝子と発病のメカニズムを探り、有効な治療法をみつけるには、人間の体質を具現したモデル動物が有効である。

マウスのcDNAをすべて集めたデータベースを作成し、これを足がかりにした人間の遺伝子の網羅的な探索が試みられている。また、特定の遺伝子を欠損させたノックアウト動物を、医薬品の候補物質や標的遺伝子の探索に利用する企業もある。  

ポストゲノム研究を支えるバイオインフォマティクス

ヒト遺伝子の数は約3万から四万といわれており、この中にSNPは数万から数10万もある。遺伝子やたんぱく質に関する大量のデータの中から有用情報を見つけ出すには情報技術の助けがないと困難である。高血圧や糖尿病などにかかっている人と健康な人のSNPを比較して疾病関連遺伝子を特定する場合、実験はDNAチップで効率的に行えたとしても、同じ染色体上にある複数のSNPの組み合わせを調べるため、解析には膨大な計算が必要となる。

バイオインフォマティクスは、ゲノム情報のデータベース化や情報科学の手法により生物あるいは生命現象の基本原理を探ろうとするものであり、ポストゲノム研究の3分野を解析の面で支える技術である。ゲノムの塩基配列から遺伝子部分を自動的に見つけ出すプログラムで、多数の膜たんぱく質遺伝子を効率的に見つけた例も報告されている。解析実験で得られた遺伝子情報を公表データベースと比較する検索ソフトをはじめ、さまざまなソフトウエアが商品化されており、ポストゲノム研究の裾野拡大に伴い市場が急拡大するであろう。   

ゲノム創薬により形成される創薬産業クラスター

病気に関係する遺伝子やたんぱく質の研究から新薬を開発するゲノム創薬の成功確率は、従来の創薬と比べて格段に高く、スピードも速い。新薬開発の競争が国際的に激化する中、ゲノム創薬に求められるのは、網羅的なシーズ探索とそのスピードである。製薬会社1社ですべてを取り組むのは非効率であり、外部資源の有効活用が不可欠となる。その結果、わが国でも製薬会社を顧客とする医薬品開発業務の受託がバイオビジネスとして確立し、拡大するであろう。

加えて大手製薬会社と契約して、開発した医薬品のシーズを提供するバイオベンチャーやたんぱく質の受託生産を行う企業なども誕生しており、大手製薬会社を頂点とする創薬産業クラスターが形成されつつある。

幅広い分野に広がるバイオ産業

2001年のバイオテクノロジー関連産業の市場規模は、1.3兆円(日経バイオビジネス調べ)。内訳は、医薬品が43%、農林水産品・食品が28%、化成品が8.5%、分析機器・バイオインフォマティクスが9.3%である。国内市場規模が5.9兆円の製薬産業がバイオ産業を牽引している格好である。 一方、分子生物学によってめざましく進歩したバイオテクノロジーは、幅広い分野でツールとして利用できる。

例えば、DNAを試験管内で人工的に増幅できるPCR法やDNA塩基配列を自動で解読するDNAシークエンサーなどは、製薬産業だけでなく、食料や環境・エネルギー分野でも不可欠な基盤技術となっている。 昨年12月にバイオテクノロジー戦略会議が政府に提出したバイオテクノロジー戦略大綱では、2010年までにバイオテクノロジー関連産業の市場規模を25兆円に拡大することを掲げている。内訳は、医療分野が34%、食料分野が25%、環境・エネルギー分野が17%、バイオツール・情報分野が21%となっている。

バイオテクノロジーが幅広く産業に入り込み、裾野が広がるのである。 DNAチップは牛や豚などの種類の識別、遺伝子組み換え食品の識別、ソバやクルミなどアレルギー表示規制に対応するための特定原料の検出など、食品のトレーサビリティーを確保して信頼性や安全性を維持するためのツールとしての利用が進むであろう。たんぱく質を判別するたんぱく質チップや抗体チップの開発と利用も進む筈である。 食料分野では、イネゲノムの解読も終わり、遺伝子組み換えを駆使した品種改良は加速するであろう。

厚生労働省で食品としての安全審査中の遺伝子組み換えパパイアのように、ウイルスにより壊滅状態にあったハワイのパパイア産業が、ウイルス耐性のパパイアにより息を吹き返した例も伝え聞く。わが国では、消費者の反発を恐れるメーカーや販売業者が、遺伝子組み換え食品の取り扱いに慎重なため時間はかかるであろうが、長期的な世界の食料需給を睨むと、遺伝子組み換え食品の普及が進むと見るのが妥当であろう。 環境・エネルギー分野では、微生物を活用して汚染土壌や地下水を浄化するバイオレメディエーションにおいて、有害化学物質の分解微生物の遺伝子レベルでの探索やモニタリングが可能となる。

従来、微生物は、単離・培養しなければ同定できなかった。しかし単離・培養できる微生物は、全体のほんの一部と言われており、大部分はブラックボックスであった。ゲノムを取り扱う技術の進歩により、培養せずに環境中からDNAを抽出・増幅し、機能を解析することが可能となった。バイオマスエネルギーとして期待されるメタン醗酵も、嫌気性菌の単離・培養が困難なため、これまで経験的な改良に終始していたが、遺伝子レベルでの機能解析によるブレークスルーが期待される。 また、指標生物やモデル細胞の遺伝子レベルでの応答を基に、人に影響が顕われる前にダイオキシン類や環境ホルモンなどの有害化学物質を予防的に検出する手法として、バイオアッセイやバイオセンサーの利用が本格化するであろう。
 
バイオプロセスでは、有用物資を生産するために最低限必要な遺伝子しか持たない人工微生物を創造して微生物工場を作る構想も進んでいる。 バイオツール・情報分野は、医療、食料、環境・エネルギーといった出口の3分野を研究開発の面で支えるものである。ゲノムプロジェクトでは、DNA塩基配列を高速で解析するキャピラリー式DNAシークエンサーが威力を発揮し、世界中の研究室に普及した。これから本格化するたんぱく質解析には、田中耕一さんのノーベル賞受賞で国民的な注目が集まったたんぱく質分析装置などが不可欠であり、世界的な需要拡大が見込まれる。

また、糖鎖の研究に必要な糖鎖分析装置など新たな分析機器の開発も急ピッチで進むであろう。 人類が月面に立つことを目標としたアポロ計画は、エレクトロニクス、通信、新素材などさまざまな分野に技術革新をもたらし、20世紀の産業に大きく貢献した。ヒトゲノムプロジェクトも、その過程でバイオテクノロジーに絶大な技術革新をもたらした。生命の世紀となる21世紀は、バイオ産業が基幹産業となって、我々の暮らしを支えるであろう。


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