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コラム「研究員のココロ」

松下幸之助と中内功の信念

2006年07月24日 竹内祐二


 つい先日、門真市にある「松下電器歴史館」を見学する機会を得た。この歴史館は、言うまでもなく松下幸之助氏の一生を展示したものである。筆者は、前職でダイエーの中内功氏の薫陶を受けたので、松下電器とダイエーとの対立は耳にした記憶がある。だが、松下歴史館を見学して、改めて考えたこともあったので、両社の対立について個人的な見解を綴ってみたい(以下、敬称略)。

ダイエーと松下の“30年戦争”

 両社の対立、いわゆる“30年戦争”が勃発したのは、1964年の東京オリンピックの年であった。ダイエーが、松下製品を値引き許容範囲の15%を超えた20%引きで販売を行った。これに対して、松下電器は、ダイエーへの出荷停止措置をとり、今度はダイエーが同社を独占禁止法違反の疑いで告訴・・・、というように両社の争いは泥沼化した。幸之助は、1975年に中内を京都の真々庵に招いて、「もう覇道はやめて、王道を歩むことを考えたらどうか」と諭したが、中内はこれに応じなかった。両社が正式に和解したのは、30年後の1994年である。1964年当時の松下幸之助と中内功の戦略及び彼らの信念を考えると、この30年戦争の本質が見えてくる。

「共存共栄」を哲学にする松下電器

 松下電器にとって、1964年は大きな節目の年であった。同年の金融引き締めによって、急速に景気が後退し、松下電器の販売会社・販売代理店の中にも赤字経営に陥るところが急増した。幸之助は、こうした事態に危機感を抱き、全国の販売会社・販売代理店の社長を熱海に集めて、打開策を協議した。
 幸之助は、この熱海会談で販売会社・販売代理店に慢心があったことを指摘するだけでなく、松下電器の非を認め、謝罪をして改善を約束した。そして、出席者に「共存共栄」の色紙を贈り、代理店組織の一層の結束を図った。幸之助は、定価販売でメーカー、小売りが適正利潤をあげることが社会の繁栄につながると考えており、大口取引先のダイエーを優遇することは、共存共栄の精神にも悖るという強い信念があったのであろう。

「流通革命」を目指すダイエー

 一方、ダイエーは、1964年に「レインボー作戦」と称して首都圏進出を果たし、全国への多店舗展開を開始しようとしていた。中内は、旧来の多段階型流通構造を壊し、圧倒的な販売力をもって「価格決定権をメーカーから消費者に取り返す」という信念のもと、メーカーとの徹底抗戦の姿勢を貫いていた。「いくらで売ろうとダイエーの勝手で、メーカーには文句を言わせない」が中内の口癖だった。そして、メーカーの協力が得られない場合には、自らが“工場を持たないメーカー”となって、プライベートブランド(PB)商品の開発を行った。ダイエーが1970年に開発した13型カラーテレビ「BUBU」は、破格の59,800円という価格が評判となったが、松下電器との関係をさらに悪化させた。

 高度成長期を迎えて、国内の流通構造が大きく変化しようとしている中で起きたダイエーと松下の“30年戦争”は、定価販売・代理店販売を堅持しようとする幸之助の信念と、消費者主権を実現しようとする中内の信念のぶつかり合いだったと言えよう。

松下幸之助の信念

 松下幸之助は、1918年に松下電気器具製作所を創立し、1929年に松下電器製作所と改称したのを機に「綱領・信条」を設定した。その後幸之助は、「事業経営は、人間生活に必要な物資を生産提供する聖なる仕事」であって、「産業人の使命は、水道の水のごとく物資を豊富にかつ廉価に生産提供することで、この世から貧乏を克服すること」であり、「松下電器の真の使命もまたそこにある」 と考えるようになった。この理念は、「水道哲学」として広く知られているが、幸之助は、この考えを全社員に訴えようと1932年5月5日に第1回創業記念式を開き、この年を「命知元年」とした。そして、真の使命を達成するために、建設時代10年、活動時代10年、社会への貢献時代5年の合わせて25年を一節とし、これを10回繰り返すという壮大な250年計画を発表した。

中内功の信念

 中内功 の信念は、強烈な戦争体験から生まれている。通信兵として出征した中内は、フィリピン・リンガエン湾の戦闘で敵の手榴弾を受けた。死を覚悟したとき、なぜか神戸の実家で家族そろって裸電球の下ですき焼きを食べている風景が頭の中に浮かんだと言う。「ああ、もう一回、腹いっぱいすき焼きを食べたい・・・」。この思いが中内の原点となっている。
 九死に一生を得て復員した中内は、1957年に「For the Customers-良い品をどんどん安く-」をスローガンに掲げて、主婦の店ダイエー(前身は大栄薬品工業)を設立した。中内が執筆した『わが安売り哲学』には、「ダイエーの存在価値は、既存の価格を破壊することにある」と記されている。
 価格破壊の象徴が牛肉である。中内は、当時高嶺の花であった牛肉を主婦が気軽に買える値段にしようと考え、普通の店なら100g 100円、安い店でも70円のところを39円で販売した。この狙いは的中し、三宮店の牛肉売り場にはお客が殺到し、連日大変な人気を呼んだ。やがて牛肉の供給が間に合わなくなると、生きた牛を買い取って枝肉に加工して販売したが、それでも牛肉不足は解消できなかった。そこで中内は、返還前の沖縄からの輸入には関税がかからないことに目をつけて、安価なオーストラリア産の子牛を沖縄に運び、6ヶ月間飼育した後、国内に輸入する方法を考えついた。
 ダイエーの流通革命の歴史は、既成秩序との対決の連続であり、権力を嫌う中内の反骨精神の現れであった。

信念から理念への昇華

 松下幸之助と中内功は、ともに事業の使命を「消費者の豊かな生活を実現すること」と考え、その通りに経営を実践してきた。二人に共通しているのは、事業の使命感が個人の信念と完全に同一化しており、言動にずっしりとした重みと現実感を感じることである。
 ところで、創業者が経営の第一線を退くときが、いつかはやってくる。このとき、創業者の信念をいかに後世に引き継ぐか、が課題となる。中には、創業者への反発もあってか、「あんな古臭いもの・・・」「いまの時代に合わない・・・」と切り捨てようとする企業もある。しかし、創業期の歴史の否定は、アイデンティティの放棄につながるのではないだろうか。
 松下電器とダイエーでは、今なお脈々と創業者の信念が受け継がれている。松下電器では、毎朝「綱領・信条」が唱和され、毎年5月5日の創業記念式典では「真の使命」についての話し合いが行われるという。ダイエーにおいても、毎日の朝礼と公式な会議では「ダイエーグループの誓い」が唱和される。このように、両社では、創業者の信念は企業理念へと昇華し、しっかりと定着している。

理念のある経営

 バブル華やかなりし時代に、コーポレート・アイデンティティ(CI)活動の一環として、企業理念策定がブームになったことがある。そこで生まれた企業理念には立派なものが多いが、魂に訴えるものが少ないように感じる。それは、企業理念の実践者の顔が見えないからではないだろうか。
 理念は、理想や願望ではなく、実践されなくてはならない。人間が正しいと信じる気持ち、すなわち信念のないところに理念はない。松下幸之助と中内功は、自らの信念の実践者であり、伝道者であったからこそ、社員の求心力となれたのである。
 「わが社は何のために存在するのか」という基本的な考えをしっかりと持ち、その理念を社員が理解し、実践できる企業は、いつの時代でも困難を乗り切る力があると確信する。

(了)

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