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Business & Economic Review 2008年03月号

【POLICY PROPOSALS】
最低賃金の見直しと成長持続・所得底上げに向けた戦略-イギリスの経験を踏まえて

2008年02月25日 調査部 ビジネス戦略研究センター 主席研究員 山田久


要約


  1. 企業収益が既往最高水準に達する一方、非正規雇用比率の高まり、ワーキングプア(働く貧困層)の増加など、低所得層はむしろ拡大の方向。そうしたなか、所得底上げに向けて、2007年度の地域別最低賃金は例年に比べて大幅な引き上げ。2007年11月には改正最低賃金法が成立し、それに基づいて2008年度以降も当面、地域別最低賃金は従来対比大幅な引き上げが行われる見通し。

  2. ここにきて最低賃金の引き上げの必要性が議論されるようになってきた背景は、以下の3点。

    a.「世帯主」である非正規労働者の増加…世帯主が非正規雇用者である二人以上世帯数は1990年の164万世帯から、2006年には332万世帯へと倍増。

    b.生活保護制度との逆転…これまで最低賃金は「企業の支払い能力」に配慮する形で決められてきた結果、生活の最低保障とされる生活保護水準を下回るケースが発生。

    c.先進諸国で最低水準に…欧州先進国の最低賃金は、時給ベースで円換算すると1,000円を超えるケースが一般的。つい最近まで、わが国とほぼ同水準であったアメリカも2年後には4割強引き上げら
    れる予定。

  3. 経済学的には、最低賃金の引き上げは、「賃金が生産性を上回る状況を生み出すことで企業業績を
    圧迫し、失業増などにつながる」というのが標準ケース。ただし、潜在的な労働供給が需要を上回る状態が常態化している「需要独占」の場合、賃金は生産性を下回っているため、最低賃金引き上げは賃金増と雇用増の双方をもたらし得る。アメリカでは、90年代に入って「需要独占」の存在を示唆する研究が発表されたことをきっかけに、その後研究の蓄積が進んだが、総じていえば最低賃金の引き上げは失業増につながるとする、オーソドックスな見方が有力である模様。

  4. もっとも、わが国では、正社員と非正規雇用者の間で労働市場が分断されてきたことで、最低賃金水準の影響を受けやすい非正規雇用者の賃金は生産性を下回る状況に。そうした状況は、産業基盤が弱く働き口の少ない地方での大企業の工場や営業所で発生している可能性があり、大企業を中心にした高生産性セクターについては、非正規雇用者の賃金の引き上げを、雇用量を減らすことなく受け入れる余地あり。反面、地方の中小企業をはじめ低生産性部門では打撃を受ける公算大。

  5. だが、ここで考慮すべきは、地方経済の疲弊が進むなか、現状が維持されても少なからぬ地方の中小企業はジリ貧を余儀なくされるだけということ。もはや一国全体の富の源泉として大企業製造セクターに多くを期待できない以上、中小企業セクターをはじめとした国内低生産性部門が自ら生産性を高めていかない限り、低所得層がジリジリと拡大し、ワーキングプアが増えていく流れを変えることはできない。

  6. 全国最低賃金制度の導入後も、良好な経済パフォーマンスを維持したイギリスの経験が、わが国にとって持つインプリケーションは以下の通り。

    a.景気回復持続と生産性向上が条件…イギリスで最低賃金の引き上げが失業増につながらなかったのは、景気回復が持続するもと、外資導入・地域再生策の効果もあり生産性の持続的向上が人件費増を吸収できたため。政策論的には、景気回復持続に向けたマクロ政策と生産性向上誘導策としてのミクロ政策の同時実施が、最低賃金引き上げを望ましい形につなげる条件。

    b.就業形態多様化と職業訓練の重要性…労働政策面で見逃せないのは、就業形態の多様化を進めることで労働力のフレキシビリティーを高める一方、職業能力訓練を強化することで働き手の生産性向上を支援することの重要性。

    c.セーフティーネットの再構築の必要性…イギリスの経験は、所得格差是正のためには、最低賃金引き上げと同時に、景気回復の持続・生産性向上、就業形態多様化・職業訓練強化など、総合的な政策をパッケージで行うことの必要性を物語る一方、そうした政策によっても所得格差の解消は困難であり、勤労所得控除制度の創設など「所得再配分政策」が必要。

  7. イギリスでの経験を踏まえれば、わが国が経済活力を回復してワーキングプア問題を解決していく
    には、中期的な最低賃金引き上げの目標・スケジュールを設定するとともに、低生産性セクターがそれに主体的に適応していくための環境整備や支援策をパッケージで講じることが重要。