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国際戦略研究所 田中均「考」

【日経ビジネスコラム】
直言極言 機密漏洩、誰が「正義」か?

2011年05月30日 田中均


『日経ビジネス』2011年5月30日号p.96 コラム「直言極言」から転載

 内部告発サイト「ウィキリークス」が新聞社に提供した在日米国大使館発国務省宛ての「公電」が、数多く報道されている。機密の公電が手続きなく漏洩されるのは、外交の信頼性を損ねることとなり、日米間の今後の率直な意見交換を難しくする。

 「公電」の真偽は別として、報道されている内容の一つは日本の官僚による政権批判と取られかねない発言。もう一つは核密約問題や普天間問題の交渉過程についてである。私は外務省に長く勤務し、国家の機密に属する事項も数多く扱ってきたので、機密とされるべき公電の公開の持つ意味合いについて考えてみたい。

 まず、「公電」とされるものの多くは、いわゆる情報電といわれる報告である。民主主義国においては新聞報道やほかの公開資料も重要な情報源だが、それに加えて大使館の幹部館員が赴任国の政治家や官僚と交わることで、できるだけ率直な見解を引き出し、総合的な評価を本国に機密扱いで報告している。

 特に日本で政権交代があった2009年以降は、在日外国大使館が民主党政権の特色について血眼で情報収集に走ったのは想像に難くない。非公式な懇談を通じ自民党政権との違いを官僚に率直に述べさせたいと思ったのだろう。日本の官僚も政権交代に戸惑い、脱官僚というキャッチフレーズの下で政治家に信頼されていないことに不満を持ち、政権批判とも映る言葉を漏らしたとしても不思議ではない。

<交渉過程は歴史として評価すべき>

 もちろん官僚が自分の仕える政権を批判することは許されることではなく、相手に「使われる」言葉を吐いたとすれば、不注意のそしりは免れない。外交に携わる者は、同盟国の信頼できる相手との非公式な懇談であるにしても、使う言葉には細心の注意が必要だ。

 政府間の交渉過程のやり取りが結果的に漏れ、メディアがこれに意味を与えようとしているならば、もっと深刻である。例えば「核の密約問題」についてのやり取りが一部報道されているようであるが、米国は当然ながら自国の核政策に基づき、どの時代においても曖昧さを残すことを強く主張するであろう。一方、日本は新政権の下で従来とは違う方針を取ろうとする。

 そのせめぎ合いはけだし当然のことであるが、交渉は交渉過程での各々の主張ではなく、最終的に公表される結果がすべてである。交渉過程のやり取りは後の時代に歴史として評価されるべきことであり、正式な手続きを経ることなく漏らされた断片的な記述に大きな意味を与えて報道するのは問題がある。

 国民の知る権利と国家の利益を守るための機密の線引きは容易な問題ではない。私も2002年の小泉純一郎首相訪朝前の北朝鮮との水面下の交渉が漏れていたらどうだったろうか、と考え込むことがある。

 外交は相手国を巻き込み、相手との信頼関係の上に成り立つ。外交に機密は必然である。ただ、国家の重大問題について何を公表し、何を機密扱いにするかの最終判断は官僚が行えることではない。国民により選出され、異なる利益の調整を行い、かつその判断について選挙の形で国民の審判を受け民主的責任を取ることが出来る政治指導者に委ねられている。

 尖閣問題に関連した海上保安庁のビデオのネット流出問題も同様である。「正義」を個人が判断し、秘密を漏らすのは民主主義制度の否定であり、許されることではないと思う。機密の範囲はできるだけ狭くする必要はあるが、機密とされたものを守る体制の強化は重要であろう。
 
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