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RIM 環太平洋ビジネス情報 1998年7月No.42

アセアン諸国におけるマネーサプライ管理
通貨危機に関する考察を含めて

1998年07月01日 さくら総合研究所 坂東俊輔


アセアン諸国の通貨は1997年半ば以降、大幅に下落したため、アジア通貨危機と呼ばれた。その影響は、通貨だけにとどまらずマクロ経済全体にも及び、アジア経済危機ともいわれている。本論は、アジア通貨危機発生の要因の一つとして、アセアン諸国の国内のマネーサプライ状況とその管理の問題があるとの認識から、以下のような実証分析を行った。

1. アセアン諸国はその経済成長の過程で、国内の投資・貯蓄ギャップを埋め合わせるために、金融・資本市場の自由化や整備・育成を進めてきた。その過程で、国内貯蓄の動員や海外資金の積極的受け入れが促進された。こうした事実と経済成長を背景に、アセアン諸国においてマネーサプライ(M2)の名目GDPに対する比率(マーシャルのk)は着実に上昇している。
2. アセアン諸国において、M1(現金通貨+要求払い預金)のGDP比率は安定している一方で、M2(M1+定期性預金)のGDP比率は時系列的にみて上昇していることから、金融仲介が進んでいることがわかる。
3. 次に、マネーサプライと物価水準の関連(四半期ベース)をみると、アセアン諸国における物価上昇率は、総じて1期前から4期前のマネーサプライ増加率と相関関係が強い。タイは1期前、マレーシアは2期前、インドネシアは6期前、フィリピンについては2期前のマネーサプライ増加率と物価上昇率の相関関係が最も高い。ただし、インドネシアについては、両者の関係は不安定なものである。マレーシアにおいては、マネーサプライと物価水準の間には統計的に長期的な安定関係が存在する。
4. こうしたことからも、アセアン諸国においてはマネーサプライ管理が重要性を増してきていると考えられる。さらに、アセアン諸国の経済が開放度を高め、変動相場制に移行した現在、マネーサプライ管理のための金融政策の有効性は、以前にも増して高まっているといえよう。
5. マネーサプライ管理の手段としては、公開市場操作が有効であるが、アセアン諸国においては債券市場が未整備であるため、公開市場操作は今のところ有効に機能していない。
6. 次に、マネーサプライの面から、今回発生したアセアン諸国の通貨危機の原因について分析した。それによると、95年頃からアセアン諸国においては外資の流入を背景に、国内のマネーサプライが増加した。そのため、国内ではインフレ圧力が高まっていた。しかし、公開市場操作によるマネーサプライ管理が機能せず、アセアン各国通貨の実質為替レートは割高になっていたことが明らかになった。
7. マーシャルのkの上昇、経済の開放度合いの高まり、変動相場制への移行などを通じて、アセアン諸国において公開市場操作によるマネーサプライ管理の重要性が高まっている。そのため、アセアン諸国においては債券市場の育成が急がれる必要があろう。

はじめに

80年代後半以降、アセアン諸国は世界でも例をみない、目覚ましい経済成長率を持続してきた。その成長は、通貨危機を契機に現在の経済的な混乱が発生する以前の95年頃まで続いた。しかし、97年の半ばにはタイ・バーツの暴落を契機として、アジア諸国の通貨の価値が暴落した。この状況はアジア通貨危機とも称され、その影響は通貨にとどまらずマクロ経済全体にも及び、アジアの経済危機とも呼ばれている。周知の通り、アセアン諸国では、タイとインドネシアがIMFの支援を仰ぐに至っている。こうしたアセアン諸国通貨の暴落の要因として、経常収支の赤字、短期資本に過度に依存した海外からの資金ファイナンス、脆弱な金融システム、資産バブルの発生と崩壊、ドルペッグ制度の矛盾など、様々なものが指摘されている。こうした要因が複雑に絡み合って、今回の通貨危機は発生したものと考えられよう。様々な要因の中でどれが決定的な要因かということを、現在の段階で判断することは困難である。しかし、上記の要因の多くは、国内の金融市場、あるいは国内のマネーサプライの問題に関連していると考えられる。例えば、今回の通貨危機発生は、海外からの大量の資金流入により国内マネーサプライが増加し、インフレ圧力が強まり、対米ドルでアセアン諸国の実質為替レートが割高になっていたという指摘もある。したがって、アジア通貨危機が継続し、アセアン諸国に深刻な影響を与えている現在、アセアン諸国のマネーサプライを時系列で概観した上で、経済指標(物価)との関連を分析し、さらにマネーサプライ管理の状況を考えることは、極めて重要であると考える。

経済成長率が高い時期には、設備投資やインフラ整備など巨額の投資が行われる。アセアン諸国は、発展途上国に共通の現象でもある投資超過(I-Sギャップ)を、海外からの資金を導入するか、あるいは国内貯蓄を動員することによってファイナンスしなければならなかった。そのため、アセアン諸国は国内金融・資本市場の整備、あるいは金融・資本市場の自由化・規制緩和を進展させてきた。その結果、経済成長の過程で、アセアン諸国経済は産業構造や輸出構造といった実体経済面に加え、金融面でも大いに発展している。

例えば、貨幣経済の浸透度合いと金融機関による金融仲介の度合いを測る指標であるマネーサプライ(貨幣供給量、通常M2)の対GDP比率(マーシャルのk)が上昇し、それは「金融深化」と称されてきた。マーシャルのkの分析は、主にマネーサプライの一時点での残高を時系列的に比較したものである。確かに、マーシャルのkの上昇は、貨幣経済が浸透している証拠として有効であろう。しかし、M2の中には、その構成要素としてM1(現金通貨+要求払い預金)が含まれており、M1とM2双方の動向をみなければ、金融資産が多様化して金融仲介の度合いが進展したのかどうかは判断できない。

また、後述するケンブリッジ方程式から明らかなように、マネーサプライの動向は物価水準や経済成長率と深く関連している。事実、先進国においては、マネーサプライの動向は物価水準などのマクロ経済指標に大きな影響を与えている。そのため先進国では、マネーサプライは政策運営の中間目標にも設定されているのである。先進国同様、アセアン諸国においても、経済発展および金融市場の整備がなされた結果、国内においてマネーサプライと国内マクロ経済指標との関連性が深まってきていると考えられる。さらに、アセアン諸国の国内経済は、世界経済とのリンケージを深めている。マンデル=フレミング・モデルからも明らかなように、経済が開放度を高めていくほど、マネーサプライ管理を中心とした金融政策の重要性が高まっている。

そこで、本論では、以下のような分析を試みた。

1. マーシャルのkの上昇(金融深化)が、本当にアセアン諸国で貨幣経済の浸透、金融仲介の度合いの進展につながっているのかどうかを検証するため、マーシャルのkをM1、M2双方から吟味する。さらに、貨幣の流通速度の面から金融深化を考える。
2. アセアン諸国のマネーサプライが実体経済、特に物価水準と短期的にどのような関係にあるのかを、時差相関係数を使って考える。
3. マネーサプライと物価水準の間に、長期的な安定関係があるのかどうかを、共和分検定により検証する。
4. マネーサプライ管理に代表される金融政策がアセアン諸国でなぜ重要になってきているのかを、2と3で述べたアセアンの国内要因に加えて、簡単なマクロ経済学のフレームワークで分析する。
5. 上記の議論を踏まえ、マネーサプライの面から、今回発生したアセアン諸国の通貨危機の原因について考える。

なお、以下ではアセアン諸国をタイ、マレーシア、インドネシア、フィリピンとする。統計データに制約の多いベトナム、ミャンマー、ラオス、すでに先進国レベルの経済水準にあるシンガポール、および小国ブルネイは除外してある。期間としては、アセアン諸国の経済的な発展が顕著になってきた85年以降から、最新のデータが得られた97年第3四半期までを主な対象としている。

I.アセアン諸国の金融深化の進展

1.マーシャルのkとその問題点

アセアン諸国の投資・貯蓄バランス(対GDPでみた投資比率と貯蓄比率の差)を時系列的にみると、恒常的に投資超過といった状態ではないが、投資超過の状態であることが多い。こうした投資超過の状態は、政府部門を除外して考えると、マクロ経済学の基本的な恒等式から、経常収支の赤字と同義である。経常赤字は、海外からの資本流入(あるいは外貨準備の取り崩し)でファイナンスしなければならない。そのため、アセアン諸国は金融・資本市場の規制緩和、自由化を進展させ、さらにその整備・育成に取り組んだ。その結果、国内貯蓄の動員を図るとともに、海外からの資金を積極的に導入してきた。アセアン諸国においては経済成長を背景に、貨幣経済が浸透するとともに、国内の貯蓄不足をファイナンスするために、海外からの直接・間接投資資金を大量に受け入れてきたのである。

一般に、貨幣経済の浸透は、マネーサプライ(通常はM2)のGDPに対する比率、すなわちマーシャルのkが時系列的で上昇している事実をもって、「金融深化」という言葉で定義されている。そこでは、マーシャルのkは、人々が名目GNPのうち、どれだけの部分を貨幣および銀行預金として保有しているかを示す係数として重視されている。

また、マネーサプライとは銀行部門の負債である。したがって、マーシャルのkは、銀行部門の発達の程度、すなわち近代的な金融機関を通した金融仲介の度合いをみる一つの指標とも考えることができる。加えて、一般的に途上国においては、プライベートな金貸し業、講組織など仲間内での資金の融通機関など、いわゆる未組織金融(unorganized financial institutions)が一定の機能を果たしているといわれている。(注1)未組織金融は、貸出金利が高い、取り扱い金額が小さい、地域的に限定されているといった制約があるため、必要な産業分野へ巨額の資金を、効率的かつ円滑に巨額の資金を供給する主体にはなれないといった問題点がある。こうした未組織金融を通じた資金が、組織金融、つまり商業銀行などの近代的な金融機関によって、主に定期性預金を通じて資金需要主体に仲介されることは、マーシャルのk(主にM2の対GDP比率)の上昇を意味する。そのような意味からも、マーシャルのkの継続的上昇は、金融発展の重要な過程を表すものと考えられる。

しかし、M2で測られたマーシャルのkの上昇から金融仲介が進んでいると断言するのは、早計とも考えられる。例えば、マネーサプライの定義として、現金プラス要求払い預金として定義されているM1をとるのか、あるいはM1に定期性預金を加えたM2をとるのかによっても、その解釈は変わってくるだろう。金融仲介の進展度合いを検証するためには、M1のGDP比率とM2のGDP比率の推移を同時に、しかも比較的長期に時系列的に確認する必要がある。そのことによって、現金通貨+要求払い預金(M1)のみならず、定期性預金に代表される金融商品に、広く国民から預金が集まっているかどうかが確認できる。近代的な金融機関を通じた金融仲介により、家計を中心とした資金供給主体から大量の資金を必要とする産業部門に、比較的長期的な資金が供給されるようになったのか否かを検証することができるのである。

ただし、アセアン諸国の資産バブルや不良債権の増加に端的にみられるように、M1の対GDP比率が安定していてM2の対GDP比率が増加していることと、供与された資金が産業あるいは家計において効率的に利用されているということは同義ではない。また、実質面での金融深化を確認するには、その国においてインフレが進行しているのか否かをも検証する必要があろう。

2.アセアン諸国のマーシャルのk

具体的に、アセアン諸国のマーシャルのkを示したのが図1である。図に示されるように、アセアン各国のM2でみたマーシャルのkは上昇している。その中でも、マレーシアは99%と、最も大きくなっている。次いでタイ、インドネシア、フィリピンの順となっているが、この順序は一人当たりGDPの大きさとほぼ対応していることから、一人当たりGDPで測った経済発展とマーシャルのkでみた金融深化とが対応していることがみてとれる。さらに、各国ともM1でみたマーシャルのkは、マレーシアを除き、10%前後で安定している。すなわち、マーシャルのkの上昇は、M1(現金通貨+要求払い預金)の上昇によるものではなく、定期性預金の拡大によるものである。ただし、マレーシアにおいては、金融深化についてM1の増加の寄与が比較的大きくなっている。

また、物価上昇率について、アセアン各国の86~96年の11年間の消費者物価上昇率(年間平均)をみると、タイ、マレーシア、インドネシア、フィリピンでそれぞれ4.6%、3.2%、8.2%、9.2%となっている。ちなみに、国際通貨基金(IMF)のIFS統計で計算すると、この期間における世界全体の消費者物価上昇率の年間平均は16.9%、途上国全体では43.3%、アジアの途上国全体では8.7%である。したがって、この期間のアセアン諸国の物価上昇率は、世界全体でみても高いとはいえない。一方、同期間のマネーサプライ残高は、タイ、マレーシア、インドネシア、フィリピンでそれぞれ5.5倍、 4.6倍、10.1倍、6.2倍に増加している。しかし、消費者物価は、それぞれ1.6倍、1.4倍、2.2倍、2.6倍の増加にとどまっている。この事実からも、アセアン諸国の金融深化は、実質的な意味でも進んでいると結論づけられよう。

3.貨幣の流通速度からみた金融深化

マーシャルのkの逆数で定義される貨幣の流通速度も、金融深化を考える上で有意義である。

マネーサプライと国民所得、物価水準との関係を極めて単純に表現した式は、ケンブリッジ方程式といわれている。ケンブリッジ方程式では、マネーサプライと経済活動は簡単にMV=PYという式で表現される。ここでMはマネーサプライ残高、Vは貨幣の流通速度(velocity)、Pは物価水準、Yは実質所得を表す。貨幣の流通速度とは、所得と貨幣量の比率として統計的にとらえられるものである。

アセアン諸国の貨幣の流通速度をみると、85年から96年にかけて、タイで1.8から1.2、マレーシアで1.6から1.0、インドネシアで4.2から 1.9、フィリピンで4.6から2.5へと、それぞれ大きく低下している(図2)。これは、マーシャルのkが上昇していることから、当然である。この事実の解釈に際し、アセアン諸国において貨幣の流通速度が低下している理由として、過去の著しい経済発展から、取引需要としての貨幣需要が低下したとは考えにくい。それよりも、金融商品が多様化した結果、現金あるいは預金に代替する流動性の高い金融資産(例えば株式など)が開発され、それが普及したことにより、経済主体による貨幣の必要保有量が低下したことが主因と考えられる。(注2)

II.統計からみたアセアン諸国のマネーサプライの状況

以上では、アセアン諸国における金融深化の進展の度合いを、主にマーシャルのkの推移から分析した。確かに、マーシャルのkでみた金融深化は進展している。しかし、金融深化がアセアン諸国より進んでいる先進国では、マネーサプライと物価水準との間に強い相関関係が存在する。これは、上述したケンブリッジ方程式からもわかる通りである。アセアン諸国で先進国並みに金融深化が進展し、貨幣経済が進展しているならば、マネーサプライの動向は、物価水準と関係しているはずである。そこで以下では、アセアン諸国において、マネーサプライと実体経済(物価水準)との間にどのような関係があるのかを、短期面と長期面から実証分析していきたい。

具体的には、(1)マネーサプライの変動に、近年大きな変化がみられるのかどうか、(2)マネーサプライと物価上昇率との間に、どの程度の先行関係(相関係数)があるのか(短期的側面)、(3)マネーサプライと物価水準の間に、長期的な安定性(定常性)があるのかどうか(長期的側面)、といったことを分析する。そのことによって、短期的な面では、マネーサプライの増加がどのくらいのタイムラグをもって物価に反映されるのか、長期的な面では、アセアン諸国においてマネーサプライと実体経済との間に長期的に密接な関係がみられるのか、あるいは金融政策(マネーサプライ管理)が比較的安定的に機能しているのかということが検証できる。マネーサプライについては、M1ではなく、マネーサプライの中心指標であるM2に絞って分析する。

1.マネーサプライのばらつきの変化

四半期ベースでみたアセアン諸国のマネーサプライの前年同期比増加率は、図3の通りである。また、その主要な統計をまとめたものが表1である。86~97 年の期間でみたアセアン諸国におけるマネーサプライの前年同期比増加率の平均値は、マレーシア(15.8%)、タイ(17.9%)、フィリピン(19.5%)、インドネシア(25.6%)の順に大きくなっている。なお、インドネシアについては、90年にマネーサプライ増加率が大きくなっているが、これは88年の大規模な規制緩和策の実施以降、金融自由化が進展する中で、景気拡大策や低利の中銀信用が行われていたことが原因と考えられる。その後、インフレを抑えるために、インドネシアでは金融引き締め策が実施されている。

表1 アセアン諸国のマネーサプライ増加率(単位:前年同期比、%)
Graph
(資料)IMF『IFS』、各国統計よりさくら総合研究所作成

また、表1からは、93年以降、すべての国で変動係数が86~92年末の期間よりも低下していることがわかる。この変動係数の低下から、アセアン諸国においてマネーサプライ管理が、ある程度は行われつつあるとも考えられよう。

2.マネーサプライと物価上昇率

マネーサプライの動向は、I.3に示したケンブリッジ方程式から明らかなように、物価上昇率あるいは実質GDP(注3)に影響を与える。通常、マネーサプライの増加は、物価上昇に先行すると考えられている。そこで、ここではアセアン諸国のマネーサプライの増加率と消費者物価上昇率の関係を、マネーサプライの先行性という観点から調べてみた。一般的に、四半期ベースの前年同期比でみたマネーサプライと消費者物価上昇率との関係は、特殊要因などで安定しないことが多い。そこで、マネーサプライと消費者物価指数について、それぞれ後方3期移動平均後前年同期比増加率をとって、両者の関係をみたのが図4である。図からわかる通り、両者の間には一定の関係があるようにみえる。

次に、マネーサプライの先行性を確認するために、両者の時差相関係数を求めてみた。その結果が図5である。消費物価上昇率は、タイは1期前、マレーシアは2期前、インドネシアは6期前、フィリピンについては2期前のマネーサプライの増加率との相関関係が最も高い。その他の時期をとっても、タイ、マレーシア、フィリピンについては、1期前から4期前のマネーサプライ上昇率と物価上昇率の相関係数が高い。ただし、タイ、マレーシア、フィリピンについては相関係数が高いものの、インドネシアの相関係数は最大でも0.19と非常に低いうえ、6期(1年半)も前のマネーサプライが今期の消費者物価上昇率と関係が深いことを示している。その他の期についても、総じて相関係数は低く、インドネシアにおいてはマネーサプライと消費者物価の間の短期的な関係が極めて薄いと結論づけられよう。

一方、マーシャルのkがインドネシア同様に、アセアン諸国の中では比較的低いフィリピンにおいては、マネーサプライと消費者物価の関係はかなり緊密である。その原因としては、制度的な要因、例えばフィリピンでは金融の自由化がアセアン諸国の中では最も早く、80年代初頭から開始されたのに対し、インドネシアの金融自由化は88年の大規模な規制緩和以降に本格化したことと関連があるかもしれない。

3.マネーサプライと物価水準の長期的安定性

前述 II.2で、マネーサプライと消費者物価上昇率の短期的な相関関係をみたが、短期的な時差相関関係は、マネーサプライの増加率がどの程度のタイムラグを持って物価上昇率に影響を与えるかをみるうえで重要である。しかし、それはあくまでも2変数の相関関係をみただけであり、その2変数に長期的かつ安定的な関係があることとは同義ではない。そこで、アセアン諸国において、マネーサプライと物価水準との間に長期的に安定的な関係が存在するのか否かを検証してみた。長期的な安定関係があると判断されれば、アセアン諸国において、マネーサプライと実体経済との間に長期的に密接な関係がみられる、あるいは金融政策(マネーサプライ管理)が比較的安定的に機能しているということができる。このような長期的な安定関係を統計的に明らかにするために、計量経済学では共和分検定という手法が通常使われている(共和分検定、およびマネーサプライと物価水準の長期的安定性についての統計的検証は、補論を参照)。その結果、マレーシアについてのみ、5%の有意水準でマネーサプライと消費者物価水準の間に長期的な安定関係があることが実証された。

以上からわかるように、アセアン諸国においては貨幣経済が浸透し、金融深化も進展している。さらに、マネーサプライと物価の間には、インドネシアを除いて短期的に一定の関係がある。しかしながら、マネーサプライと物価水準の間には、マレーシアを除いては長期的安定関係はみられない。金融面でも、一人当たりGDP水準と同じくマレーシアが、アセアン諸国の中では一番進んでいると考えることができよう。

III.高まるマネーサプライ管理の重要性

1.国内からみた金融政策の重要性とマネーサプライ

(1) 金融政策とは 

このようにアセアン諸国においては、マーシャルのkでみると、貨幣経済が順調に浸透し、金融仲介機能も進展している。さらに、短期的にはマネーサプライと物価上昇率との間に密接な関連がみられるようになっている。その結果、アセアン諸国において、貨幣価値の安定と、物価安定下の経済成長を究極の目標とする金融政策の重要性は非常に高まっているといってよいであろう。

『近代経済学の基礎知識』[新開、他(1981)]によると、金融政策とは「金融政策という言葉は広狭2つの意味に用いられている。狭義には、それは中央銀行を政策主体とする中央銀行政策を意味している。公定歩合政策(再割引政策)、公開市場操作、準備率操作等の量的金融政策、証券金融、消費者金融、輸出入金融、建築金融等の直接的規制を目的とする選択的ないし質的金融政策がその主な内容となっている。今日一般に使用されているのは、狭義の意味内容、すなわち中央銀行政策である」と定義されている。

現在、先進国において、基本的金融政策の手段と考えられているのは、公定歩合操作、法定準備率操作、公開市場操作に代表される量的金融政策である。これらの手段は、金融政策手段と呼ばれ、これにより銀行その他の金融機関の流動性に影響を与え、その結果、国内におけるマネーサプライの増減をもたらすのである。このことは基本的に、先進国に限らず、アセアン諸国など途上国一般にも当てはまるであろう。また、先進国においては近年、こうした政策目標と政策手段との間に中間目標を設定し、政策を運営する方法が一般化している。そうした目標の一つに、マネーサプライが入っている。(注4)これは、マネーサプライが数量変数であるため、金利のような価格変数よりも、貸出量や設備投資などとより密接な関係があるから、というのが通説である。ただし、マネーサプライ管理は一つの重要な指標ではあるが、あくまで一つの指標であって、マネーサプライの安定的な管理がすなわち経済の安定であるというわけではない。

公定歩合は、おおむね市中短期金利に追随するように操作されることが通例であり、その政策効果としては、支出経済主体の期待に影響を及ぼすアナウンスメント効果がある。準備率操作は、そのショックが過大であるため、金融政策手段としては弾力性を欠くといわれている。したがって先進諸国では、債券市場を通じて市場に出回っている貨幣量を調節する公開市場操作が、金融政策手段として最も重要な役割を果たしている[新開、他(1981)]。

現在、アセアン諸国では、金融の自由化が進展している。また、金融自由化の時代に、窓口指導のような規制的な政策手段はふさわしくないと考えられる。しかしながら、アセアン諸国など途上国においては、債券市場が未整備であるために、公開市場操作が有効に機能していないのが現状である(図6)。

金融政策の究極の目標は、貨幣価値の安定、そして物価安定下の経済成長である。そのために、中央銀行は数々の金融政策を実施している。マネーサプライ管理の波及効果は、マネーサプライの調節の結果、利子率が変動することにより(1)金利コストが変動し、個人消費支出を中心とした支出面、あるいは企業の投資計画に影響を与える、(2)債券や株式などの証券価格が変化することにより、資産効果が働き、個人の支出が影響を受けたり、企業の資金調達計画に変化を与える、(3)銀行の信用供与能力が変化し、銀行の貸出供与額に影響を与える、などにまとめられよう。

(2) 海外要因からみた金融政策の重要性 

上記のような国内経済要因に加えて、海外との取引が活発になると、以前にも増してマネーサプライ管理がアセアン諸国を含む発展途上国にとって重要になってくる。その理論的フレームワーク(マンデル=フレミング・モデル)を、以下で簡単に振り返っておきたい。(注5)

アセアン諸国で金融政策が重要になってきた基本的な理由は、金融政策の基本的な目標である貨幣価値の安定と、物価安定下の経済成長が自国経済にとって至上命題であるからである。しかしながら、海外からの投資の受け入れや貿易の拡大に伴い、いわゆる開放経済といわれる状況に近づきつつあるといった海外要因も、金融政策の重要性を高めているのである。そこで、なぜ開放経済が進むと金融政策が重要になってくるのかという点を、マクロ経済学の基本的な分析手法であるIS=LM分析に海外との貿易や資本取引を入れた、マンデル=フレミング・モデルで確認しておきたい。マンデル=フレミング・モデルでは、利子率の変化がマクロ経済に及ぼすルートを考える。

利子率に関しては、次のような状況を考える。国内の利子率(i)が海外の利子率(i*)より高い場合、金利裁定取引が起こり、海外から国内に資本が流入し、国内の利子率は低下する。もちろん、ここでは、為替レートの変動による収益率の変動はないものと仮定している。すなわち、国際間の資本移動によって、二国間の利子率格差はなくなる。逆に、国内の利子率の方が低ければ、国内から海外への資本流出が起こり、国内の利子率は引き上げられる。

ここで、海外との資本取引がない閉鎖経済と、海外との資本取引が自由に行われる開放経済の場合それぞれについて、金融政策(以下のケースでは、マネーサプライの増加を考える)を比べることによって、金融政策が開放経済において、より重要であることを示すことができる。

2ヵ国を、先進国と途上国(小国で自国の経済規模が小さく、海外の利子率に影響を与えない、例えばアセアン諸国)としてみよう。例えば、閉鎖経済において、途上国でマネーサプライが何らかの要因で増加した(あるいはさせた)と仮定してみよう。途上国では通常、債券市場が未整備であることから、不胎化政策は有効に機能しないため、途上国において増加したマネーサプライは市場からは吸収されない。その結果、貨幣市場の均衡を表すLM曲線は、L’M’へシフトする。この結果、均衡点はEからE’に変わり、利子率が低下し、国民所得Y(GDP)は増大する(図7)。

一方、開放経済の場合には、国内のマネーサプライが増加するので、国内金利が低下するため、国内の利子率(i)が海外の利子率(i*)より低くなる。しかも、海外との貿易および資本移動が完全に自由化されているため、利子率格差は金利裁定取引を誘発する。すなわち、マネーサプライ増加の結果生じた利子率格差の結果、国内から海外へ資本が流出し、その結果、国内利子率は上昇することになる。また、国内金利が低いことから、変動相場制であれば、対先進国の自国為替レートが安くなる。為替レートが安くなれば、途上国の輸出が刺激され、財市場の均衡を表すIS曲線は右側にシフトする。その意味では、完全な変動相場制に近づけば、IS曲線のシフト(I’S’)は大きくなる。財市場と貨幣市場双方の均衡を満たすIS曲線とL’M’曲線の交点は、図のE’’点のように、利子率がi*になるまで為替レートが調整される。ここで、E’とE’’の2点をみると、閉鎖経済における金融政策の効果はY→Y’であるのに対し、開放経済においてはY→Y’’に拡大している。このように、金融政策の効果に差が生ずるのは、開放経済においては、国際間の資本移動の圧力によって為替レートの下落により、輸出が増大し、IS曲線が右側にシフトするからである。(注6)

実際問題としては、このようなフレームワークでの分析が可能となるためには、アセアン諸国の経済が現実に開放経済にあるのか、また完全な変動相場制になっているのかどうかがポイントとなる。それについては、

(1) 今回、分析の対象としているアセアン諸国はすべて、国際的な経常取引のための支払いおよび資金移動に対する制限を行わないIMF8条国に移行済みである。ちなみに、8条国へ移行したのは、タイが90年、マレーシアが68年、インドネシアが88年、フィリピンが95年である。

(2) アセアン諸国のGDPに対する貿易額の比率が、時系列でみて拡大している。アジア開発銀行の資料(注7)によると、85年と96年の2時点比較で、タイは 42.8%から71.2%、マレーシアは95.1%から167.4%、インドネシアは34.4%から42.9%、フィリピンは33.7%から63.6%へとそれぞれ拡大している。

(3) 世界経済の成長に対するアセアン諸国の成長率の弾力性が上昇している。81~90年、85~94年という2期間の10年間の弾性値は、タイで2.2から 3.0、マレーシアで1.4から2.4、インドネシアで1.5から2.0、フィリピンで0.3から1.0へ上昇している。(注8)

(4) 資本の面についても、アセアン諸国において国際的な資本移動が高まっている。例えば、大倉(1996)においては、フェルドスタイン=ホリオカの有名な議論をアジア各国に適用し、単位根検定を行った後、国内投資率の国内貯蓄率による回帰分析を行っている。その結果、両者の関係は、マレーシアとタイについて回帰係数が0に近く、国際金融・資本市場との統合度が高まっている(注9)と結論づけている。さらに、速川(1997)も、タイ、インドネシア、フィリピンの短期資本移動を内外金利差と予測為替レートで回帰分析した結果、タイとインドネシアでは内外金利差によって説明されることを明らかにしている。(注 10)

(5) タイ、インドネシア、フィリピンは、97年に変動相場制に移行している(マレーシアは73年)。

このような実証分析があることから、マンデル=フレミング・モデルをアセアン諸国経済に適用することは、十分可能であると考えられる。

以下では、上記の議論を踏まえて、金融深化が進展し、マネーサプライと物価上昇率の緊密な関係がみられ、しかも開放経済の度合いが高まっているアセアン諸国について、マネーサプライの面から今回の通貨危機について考えてみたい。具体的には、急激な外資流入によるマネーサプライの増加が、アセアン諸国において後にインフレ圧力を高め、アセアン諸国通貨の対米ドル実質為替相場が割高になったことを分析する。そして、マネーサプライ管理のための金融政策として、不胎化政策の重要性が高まっていることに言及する。

IV.マネーサプライからみた通貨危機に関する一考察

1.アセアン諸国への民間資本の流入

97年半ばのバーツ危機を発端として、アセアン諸国の通貨が対米ドルで大幅に下落し、現在、アセアン通貨危機ともいわれる状況となっている。滝井・福島(1998)は、アセアン諸国において急激な外資流入の結果生じたマネーサプライの増加を、今回発生した通貨危機の要因の一つとして指摘している。例えば、タイやマレーシアなど一部の国においては、経常収支の赤字を上回る資金が国内に大量に流入した。特に、株式投資など、比較的短期的な資金が急激に流入したのが近年の特徴である。98年4月14日付け日本経済新聞によると「世界の民間金融資産は60兆ドルを超え、その中で世界を駆けめぐる資金はその1%以下で、アジア危機も1,000億~2,000億ドルの資金移動で引き起こされたとみられている。しかし、この規模は3年前のメキシコ通貨危機時より拡大し、危機も一層突発型になっている」という。
 
このような短期的な資金は、内外金利差に敏感に反応して、アセアン諸国において流出入を繰り返す。先進国市場と比較して規模の小さいアセアン諸国の金融・資本市場に大量の資金が流出入することによって、市場は大きく乱高下することになる。さらに、銀行からの借り入れとは異なり、短期的な資金は資金引き揚げの際、現地政府と資金の出し手との間でネゴシエーションができない。つまり、短期の資金は直接投資とは異なり、安定した資金ではないことが特徴である。

2.通貨危機前後のマネーサプライ

図8にみられるように、アセアン各国には95年に、民間投資を中心に海外からの資金が大量に流入した。さらに、このような外国からの資金の急激な流入に際し、アセアン諸国が事実上のドルペッグ制を維持しようとすれば、ドル買い介入により、ハイパワード・マネーが増加する。したがって、前掲図4にみられるように、アジア諸国においてはマネーサプライが増加し、国内である程度の過剰流動性が発生していたと考えられる。タイにおいては、新設のオフショア市場(BIBF)を通じた大量の資金流入が観測されている。

マネーサプライの急増は、通貨危機以前にも各国でみられた現象であるが、以前のマネーサプライの急増は経済成長率が高い時期にみられたもので、実需に基づいたものが多かったと考えられよう。しかし、95年以降のマネーサプライの増加は、アセアン各国の経済成長率が以前ほど高くはない時期と重なっている。特に96年以降は、アセアン諸国の経済成長率は鈍化傾向を示している。その意味で、アセアン諸国におけるマネーサプライの増加は、実物取引に基づかない過剰流動性につながっていたと考えられる。事実、この時期、アセアン各国ではタイを除いて、株価は継続的に上昇していたのである(図9)。タイについては、 96年にはドルベースでの輸出の伸び率が前年比マイナスとなるなど、景気停滞が顕在化していたと考えられる。しかしながら、アセアン諸国においては前掲図4にもみられるように、インフレは顕著には現れてこなかった。

II.2で述べたように、アセアン諸国においてはマネーサプライと物価上昇率との間の時差相関係数は、インドネシアを除き、1~4期のタイムラグをもって顕在化するケースが多い。マネーサプライの増加により、国内では96~97年にかけては、インフレ圧力が強まっていたと考えられる。したがって、アセアン諸国においては、現実に(消費者物価上昇率で)計測されるインフレ率以上のインフレ圧力が存在していたとも考えられよう。そこで、後述するように、実質為替レートが割高となり、そこに目を付けた投資家等が、将来のアセアン諸国通貨の切り下げを見越してアセアン諸国通貨を売り浴びせたと考えられる。ただし、インドネシアについては、マネーサプライと物価上昇率の時差相関係数の低さから考えると、過剰流動性の結果生じるインフレ圧力もさることながら、政治的な要因あるいは市場の予想に基づいた、いわゆる投機筋による売り圧力も、為替下落の大きな原因と考えられよう。

3.アセアン通貨の割高な実質為替レート

一方、これらの国の為替レートは、実質的に米ドルにペッグされていたため、実質為替レート(相対的購買力平価からの乖離幅を表す指標)(注11)は割高になっていた。図10では、通貨危機発生以前で、民間資本が本格的かつ大量に流入する以前の92年12月末を基準年とし、物価上昇率として上記の分析と同じく消費者物価上昇率を考え、実質為替レートを計算した。図から、アセアン諸国の実質為替レートが総じて割高(過大評価)であったことがみてとれよう。また、図10の実質為替レートは、実際の消費者物価上昇率によって計算されているが、上述したように、実際の消費者物価の上昇率以上にインフレ圧力が存在していたと考えられる。このような割高な実質為替レート、すなわち相対的購買力平価と名目為替レートとの乖離に目を付けた投機家等が、予想されるアセアン諸国通貨の将来の値下がり(切り下げ)を前に、アジア諸国の通貨を売りに入った。このことが、今回の通貨危機を説明する一つの原因と考えられる。

ただし、実質為替レートを算出する際の基準時為替レートをいつにとるか、また物価上昇率にどのような指標(消費者物価上昇率、卸売物価上昇率、GDPデフレータなど)を使うかといった、テクニカルな問題があることには注意が必要である。

おわりに

世界貿易機関(WTO)、アセアン自由貿易地域(AFTA)といった体制にみられるように、貿易・投資の自由化は今後、世界全体でより一層進展していくと考えられる。すでに変動相場制移行済みであったマレーシアを除き、タイ、インドネシア、フィリピンは97年に変動相場制に移行している。変動相場制に移行すれば、金融政策を為替レートのドルペッグのために使用する必要がなくなり、金融政策の自由度が高まる。さらに、当然のことながら、アセアン諸国と世界経済の間の経済的なリンケージは、ますます強まっていくであろう。こうした事実はすべて、III.2のマンデル=フレミング・モデルからも明らかなようにアセアン諸国の金融政策の重要度を高める。アセアン諸国は現在、経済危機に直面しているため、金融・資本市場の自由化の進展速度が若干低下する可能性はある。しかし、金融・資本市場の自由化は、長期的なトレンドとしては不変であろう。

今回の通貨危機についても、マネーサプライ管理を適切に行っておけば、ある程度ショックを緩和できたのではないかと考えられる。したがって、アセアン諸国においてマネーサプライ管理は、今後、以前にも増して重要になってこよう。その際、先進国でみられるように、公開市場操作によるマネーサプライの管理が重要になってこよう。

しかしながら、アセアン諸国においては従来、財政収支が黒字であったり、または赤字であっても、構造的なものではなく短期的なものであった。赤字であっても、その金額も比較的小額であった。債券市場のベンチマークとなる国債も、大量には発行されてこなかった。その結果、アセアン諸国の債券市場の発展は遅れている(前掲図6)。アセアン諸国では、債券市場育成のために、政府が国債を発行したり、政府系の機関に債券を発行させてきているが、債券市場の整備状況はいまだ不十分である。債券市場には、今後必要と考えられる巨額のインフラ整備資金を、長期で、かつ大量に一括して調達できるメリットもある。金融政策の有効性の確保、そしてインフラ整備資金の確保の両方をにらんで、アセアン諸国は債券市場の整備を急ぐ必要性があろう。

最後に、今回の分析では統計データの制約もあり、マネーサプライと物価に関し、比較的短期のタイムトレンドしか追えなかった。今後の課題としては、より長期のデータの分析、さらには先進国との比較なども必要となってこよう。さらには、先進国でみられるように金融商品が多様化してきた場合には、今回の分析で使ったM2以外にも、様々な指標を使った分析が必要となってこよう。また、貨幣の供給面だけではなく、需要面の分析も必要となってこよう。加えて、今回は物価水準を表す指標として消費者物価上昇率を用いたが、今後は、卸売物価上昇率、GDPデフレータなど、他の指標を使った分析も必要であろう。

(補強)共和分検定と、マネーサプライと物価水準の長期的安定性について(注12)

1.共和分検定とは

 ここでは、共和分検定について、簡単に説明しておきたい。長期平均的な意味で、経済変数間に存在する直線的な関係の有無を統計的に検証する場合、従来は変数の絶対水準に対し、最小二乗法を適用して推計していた。しかし、このような手法では、いわゆる見せかけの相関を排除しにくいという問題がある。すなわち、時系列データで、ある2変数XtとYtがトレンドを持つ変数である場合あるいはXtとYtがランダムウォークに従っている場合、つまりXtとYtが定常過程に従っていない場合(XtとYtが単位根を持ち、非定常過程にある場合)には、XtがYtとの間に系統的要因がないにもかかわらず、XtがYtの系統的要因と判断されてしまう、いわゆる見せかけの回帰を、関係式として推計してしまう危険がある。

 しかし、YtとXtが共和分関係にあること(単位根を持つ変数Xt、Ytが相互に完全に独立ではなく、変数の変動に関連性があり、互いの乖離を防ぐメカニズムが働いているときの変数間の関係)が証明されれば、YtとXtの回帰式の結果は、見せかけの回帰にはならない。典型的な例としては、Xt、Ytそれぞれの和分の次数が等しい場合が考えられる。以下の2のケースにおいては、マネーサプライおよび消費者物価水準の和分の次数は、共に1である。

 また、計量経済学の理論上も、80年代後半以降、「経済変数の多くが非定常過程にしたがっている可能性が高いという観察結果を前提にすると、こういったレベル変数間の回帰分析では、長期的な関係の検定には不十分」との理論的な指摘が多数なされている[日本銀行1997]。実際問題として、推計された回帰式が長期的な関係式として意味があるか否かは、共和分の概念によって初めて明らかにされる。

2.アセアン諸国におけるマネーサプライと物価水準の長期的安定性

 まず、アセアン諸国のマネーサプライと物価水準がそれぞれ非定常過程I(1)(注13)にあることと、共和分が可能であることを検証するために、ADF(Augmented Dickey-Fuller)検定(注14)を実施し、それぞれが単位根を持つかどうかを検定した。データは、分散不均一を回避するために、原系列の自然対数を取ってある。結果は、表2に示される通り、マネーサプライ、消費者物価水準(指数)とも、すべての国でその原系列の対数値が単位根を持つという帰無仮説が棄却されない。すなわち、単位根を持つことが棄却されない。一方、1回の階差においては、1%水準(フィリピンは10%水準)で帰無仮説が棄却される。したがって、マネーサプライと消費者物価はそれぞれ非定常過程I(1)であることを確認することができる。また、両者は和分の次数が等しく、共和分関係にある可能性がある。

 そこで、両者の長期的な安定関係を検証するために、消費者物価をマネーサプライで回帰分析した残差項Utを用いて、ADF検定を行った結果が表3である。タイ、インドネシア、フィリピンではUt~I(0)ではない。したがって、消費者物価を被説明変数に、マネーサプライを説明変数にした回帰分析結果は、両者に長期的な安定的関係はないことを示している。ただし、マレーシアについては、5%の有意水準でUt~I(0)であり、マネーサプライと消費者物価水準の間に長期的な安定関係があることが実証された。この意味で、アセアン諸国の中でマネーサプライと物価水準の間に長期的安定関係があるのは、一人当たりGDPが最も高いマレーシアだけということができよう。また、物価に関していえば、マレーシアにおいてはマネーサプライ管理により、ある程度物価のコントロールが可能であったとも考えることができる。

 ただし、本分析においては四半期ベースのデータを使用しているが、単位根検定の検定力は、自由度よりも時間の長さに依存するところが大きいという問題点があることには、若干の留意が必要である[蓑谷1997]



1. アセアン諸国においては、タイにおけるチット(あるいはチト)ファン(Chit Fund)が有名である。
2. 例えば奥田(1998)は、「1990年代の金融改革によってアセアン諸国の市場環境は確かに大きく変化した」とした上で「地場金融機関の資金調達源であった家計も、証券市場を利用するなど資産運用を多様化するようになった」としている。
3. ここでは、四半期ベースの実質GDPの時系列データの制約から、実質GDPに関する分析は行わない。
4. 例えば日本においては、日本銀行が1978年第3四半期から、四半期ベースのマネーサプライの平均残高に、ついて、前年比の「予測値」を各四半期の初めに「見通し」として公表している。
5. このモデルの解説は、主に伊藤(1989)によっている。
6. このモデルにおいて、開放経済では、金融政策とは対照的に財政政策は、為替レートの変化により、景気刺激策としては無効になることが示される。
7. Asian Development Bank『Key Indicators of Developing Asian and Pacific Countries』、1997年。
8. 拙稿「アセアン諸国の消費市場の現状と展望」(さくら総合研究所 『RIM』 Vol.III No.38、1997年 所収)
9. ただし、タイでは説明力が弱いとの留保条件がついている。
10. 同じくタイでは説明力が若干弱いとの留保条件がついている。
11. 実質為替レートREXは、REX=(P*/P)×(Et/E0)×100と表すことができる。ここでP*は外国(このケースでは米国)の基準年に対する物価指数、Pは自国(アセアン各国)の基準年に対する物価指数、Et、E0はそれぞれその年、基準年(ここでは92年)の実際の為替レート。本ケースでは、REXが100を下回っていると、アセアン諸国の実質為替レートが高くなっていることとなる。
12. 定常過程と和分および共和分に関して、具体的な例を交えての解説は、蓑谷(1997)が詳しい。
13. Xt~I(d)は、非定常過程にある系列Xtが、d回の階差をとることによって、定常系列になることを表す。この時、系列Xtは次数dの和分であるといわれる。
14. ADF検定とは、時系列データの定常性を確認するための手法で、時系列データXtに関し、ΔXt= μ+ αt + δXt-1 + ΣδiΔXt-i + νt(μは趨勢、αtは線形トレンド、lはラグ、νtは誤差項を表す。μとαtは省略するケースもある)において、帰無仮説 H0:δ=0、H1: δ<0 を検定するものである。帰無仮説が棄却されれば、Xtは有意に単位根を持たないことになる。この検定により、何回の階差をとれば定常系列になるかがわかる。つまり、和分の次数が検定できる。

主要参考文献

1. 石田和彦、白川浩道 (1996)『マネーサプライと経済活動』 東洋経済新報社 1996年
2. 伊藤元重 (1989) 『ゼミナール 国際経済入門』 日本経済新聞社 1989年
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4. 奥田英信 (1998) 「金融システムの脆弱化はなぜ起こったのか」(日本評論社『経済セミナー』1998年6月号 所収)
5. 刈屋武昭、日本銀行調査統計局 (1985) 『計量経済学の基礎と実際』 東洋経済新報社 1985年
6. 国際通貨基金(IMF)(1997) 『World Economic Outlook Interim Assessment』 1997年12月
7. 新開陽一、他 (1981) 『近代経済学の基礎知識』有斐閣 1981年
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10. 谷内満 (1997) 『アジアの成長と金融』 東洋経済新報社 1997年
11. 日本銀行調査統計局 (1997) 「M2+CDと経済活動の関係について」(『日本銀行月報』 1997年6月号 所収)
12. 速川征久 (1997) 「ASEAN諸国における内外金利格差と短期資本流入」(日本輸出入銀行『海外投融資研究所報』1997年9月号 所収)
13. 深尾光洋 (1990) 『実践ゼミナール 国際金融』 東洋経済新報社 1990年
14. 福田慎一 (1997) 「景気変動と金融政策の効果」(日本経済新聞 『やさしい経済学』1997年)
15. 蓑谷千凰彦 (1997) 『計量経済学』 多賀出版 1997年
16. 蓑谷千凰彦 (1995) 「計量経済学の新しい展開」(日本評論社『経済セミナー』 1995年9~11月連載)
17. 吉川洋 (1996) 『金融政策と日本経済』 日本経済新聞社 1996年
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