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Business & Economic Review 2002年11月号

【OPINION】
わが国の最低賃金制度についての一考察-最低賃金は厳格な運用が必要

2002年10月25日 新美一正


「ふつう労働の賃金がどのようなものであるかは、どこでも、利害関心がけっして同じでないこれら両当事者のあいだで通常結ばれる契約による。職人はできるかぎり多く手にいれることを、親方はできるかぎり少なく与えることを望む。・・・ しかし通常のすべてのばあいに、・・・このような紛争のすべてにおいて、親方たちははるかに長くもちこたえることができる。雇用されずに一週間生きていける職人は多くない・・・。
親方たちは、いつどこでも、一種の暗黙の、しかし恒常的かつ一様の団結を結んで、労働の賃金を実際の率以上に上昇させまいとしている。・・・たしかに、われわれはこのような団結をめったに耳にしないが、それというのも、だれもが耳にしないほどそれが通常の、ものごとの自然の状態といっていいものだからである。」アダム・スミス(『国富論』、第1編第8章「労働の賃金について」より)。

経済学、とくにマイクロ経済理論はしばしば、この学問分野の初学者に対してそれまでの常識を真っ向から否定するがごときパラドックスを提示することがある。その代表的なものの一つが、最低賃金の存在がかえって低賃金労働者の厚生を引き下げるという命題であろう。 いうまでもなく、最低賃金制度が経済学的な意味で意義を持つためには、最低賃金以上>最低賃金制度が存在しない下での市場(均衡)賃金率、の関係が成立していることが必要である。ここで、労働需要関数が実質賃金率の減少関数であるという一般的な(しかももっともらしい)仮定を追加して、価格水準を所与とすれば、市場均衡水準よりも高く設定された最低賃金が労働需要を従来よりも減少させてしまうことが分かる。この結果、それまで最低賃金を下回る賃金率で雇用されていた労働者は雇用機会を喪失することになる。つまり、「労働者の生活の安定」(最低賃金法第1条)という立法精神とは裏腹に、最低賃金制度は低賃金労働者の雇用機会を喪失させ、それによって労働者の生活をむしろ不安定化する、という驚くべき結論が得られるのだ。

このような経済学サイドの通説に対して、情緒的に反発する声が上がるのはある意味で当然である。わが国の場合、最低賃金は地域や業種によって意外なほどの格差があるものの、最も高い東京都における直近時点(2001年10月1日発効)の地域別最低賃金をみても、1日当たり5,597円(時給708円)に過ぎない。1カ月25日労働で14万円弱の収入にしかならない。少なくとも、扶養家族を持つ片働き世帯にとって、月額14万円で憲法が保障するところの最低生活水準を維持することはほぼ不可能であろう。このような低水準の労働報酬は公序良俗に反するだけではなく、これら低賃金労働者の労働意欲を減退させて労働市場から退出させ、彼らを生活保護受給へと追い込んでしまう可能性すら懸念される。単に人権保障という意義からだけではなく、全ての国民に労働機会の提供を保証するという面からも、最低賃金を生活可能な水準にまで引き上げることが必要である、という人権派の主張が生まれてきたゆえんである。

残念ながら、このような情緒的反論は正統派の経済学者には全く受け入れられてこなかったし、現時点においても多くの正統的経済学者はそうした頑なな態度を崩す気配はない。20世紀の最後の10年間を通じて世界中で最も受け入れられてきたマクロ経済学の入門教科書であるグレゴリ-・マンキュー教授の『マクロエコノミクス』の第2版は、「多くの経済学者や政策決定者は、最低賃金制度を巡るケース・スタディ(「最低賃金法と有職貧困層」)を閉じるに当たって、有職貧困層を助けるには税額控除(tax credit)の方が優れた手段であると考えている」と結論付けている。企業の労働コストを引き上げ、労働需要を減少させる最低賃金制度は、少なくとも労働者の最低生活保証手段として有効なツールではないこと、労働市場の需給には直接介入せず、低賃金労働者への生活保障は事後的な政府からの所得移転によって行うべきであること、の二つの基本命題は、1990年代以降にあってもなお、主流派経済学者間のコンセンサスであり続けている。

だが、ここで、あまり知られていないトピックを紹介しよう。同テキストの第4版(99年発行。ちなみに2002年6月には第5版が出版された。現在出ている邦訳は第2版)では、最低賃金を巡るケース・スタディは「最低賃金に関する修正主義者の見解(A Revisionist View of Minimum Wage)」と改題され、プリンストン大学からカリフォルニア大学バークレー校に移った新進気鋭の労働経済学者(95年に少壮経済学者の登竜門と呼ばれるジョン・ベイツ・クラーク・メダルを受賞)デイヴィッド・カード教授とその研究グループによる分析結果のサーヴェイを中心とする内容に全面的に書き換えられている。それは「彼らの発見が驚くべきもの」であり、しかも共同研究者の一員に加わっているローレンス・カッツ(当時アメリカ労働省に所属)を通じて「直接に、政策論議へ影響をおよぼす」可能性をはらんでいたから、とされている。

それでは、彼らの「驚くべき」ファクト・ファインディングとは何か。彼らは、92年4月1日に、ニュージャージー州が州最低賃金を時給4.25ドルから5.05ドルへと引き上げた前後で、同州および隣接するペンシルヴァニア州に立地するファースト・フード店における雇用実態をマイクロ・データを用いて分析した。ここで、ファースト・フード店が分析対象とされたのは、それらの多くが低賃金労働者を雇用しているためである。このとき、川向こうのペンシルヴァニア州では最低賃金の改定が行われなかったので、二つの州を比較した場合、ニュージャージー州の雇用はペンシルヴァニア州の雇用に対して相対的に減少しなければならない、というのが標準的な経済理論の帰結である。ところが、現実には最低賃金の引き上げがニュージャージー州の総雇用量を減少させたという事実は、検出されなかった。それどころか、最低賃金引き上げの影響を受けるニュージャージー州のファースト・フード店の雇用のみを取り出して、影響を受けない(つまり、従来から最低賃金以上の賃金率で従業員を雇用している)同州の店舗、あるいは同じく引き上げの影響とは無縁のペンシルヴァニア州の店舗と比較すると、明らかに最前者における雇用量が、相対的に増加していることが分かった。通説とは逆に、最低賃金の引き上げは、むしろ雇用量を増やす効果を発揮しているのである。

もちろん、彼らの計測結果に対しては、正統的経済学者からデータの信頼性に対していくつかの疑問点が提出されている。だが、カード教授の研究グループはこうした批判に対して真摯に対応し、さらに広範囲にわたるデータ収集と綿密な追試を行って、94年論文の分析結果は十分に頑健であり、最低賃金の引き上げが雇用量の減少をもたらすという事実は観察されない(むしろ、若干ながら雇用量を増加させる効果が検出される)という結論には変更の必要がないという再反論を提出するに至っている。この間の経緯は、まさにアメリカ経済学界における人材の層の厚さを感じさせるものといえよう。

アメリカの2州について、しかもファースト・フード店の雇用のみを分析対象とする、ある意味で非常に限定された研究成果に過ぎない同論文が、多くの経済学者に注目されたのは、長年にわたって最低賃金命題が、入門教科書における定番の座を占めてきたのとは裏腹に、それを裏付ける実証分析結果の蓄積が、とくに近年においては、意外なほどに乏しかったからであろう。実際、82年にBrown, Charles, Curtis Giloy and Andrew Kohen.“The Effect of the Minimun Wage on Employment and Unemployment”, Journal of Economic Literature, Vol.20, pp.487- 528,1982.が発表され、最低賃金の上昇率(%)に対する雇用の弾力性が▲0.1~▲0.3の間に入るという推定結果を提示した後は、同研究が当時の学問水準からみてほぼ決定版といえる内容のものであり、後続研究者にとって、新たな付加価値の創造が困難になったこともあって、この研究領域における実証分析論文の発表数は激減していた。さらに、それら少数のフォローワーの論文に目を通すと、ほぼ例外なく、雇用の弾力性推定値はブラウン推定をかなり下回る▲0.1から▲0.04程度で、有意にゼロと異ならないケースも少なくない。数値をみる限り、最低賃金の引き上げと雇用との間の相関は極めて希薄である(あるいは希薄化しつつある)と判断せざるを得ない。にもかかわらず、この間多くの正統派の経済学者は、漫然と20年近く昔の研究成果を引用し続け、最低賃金命題の正当性の根拠として提示してきたのであり、良心的な経済学者にとっては、それが悩みの種だったのである。 もちろん、最低賃金と雇用との関係を巡る論争は現在もなお、継続中である。ごく最近ではKeil,Michael,Donald Robertson and James Symons.“Minimum Wage and Employment ”,Center for Economic Performance (London School of Economics and Political Science)Working Paper ,No.468,pp.1-18,June 2001.のようなカードらの研究に対する有力な反論も出現している。この分野について全くの門外漢である筆者には、この論争の帰趨に対して何らかの方向性を提示する能力がないが、少なくとも、同グループの研究が、それまでやや沈滞化していた最低賃金を巡る経済学的論争を再活性化した功績は否定できない、ということは出来よう。最低賃金を引き上げても雇用に悪影響が及ばないということは、現実の労働市場が新古典派経済学の想定とは異なり、かなりの不完全競争的要素を持つことを示唆している。カードらの論文がもたらした最大の功績は、今後この分野における研究者が、いささか窮屈になった完全競争の縛りを離れ、より現実に即した研究アプローチをとることを可能にした点に、集約できるのではないか。

例えば、労働市場に買い手独占的要素があるとしよう。このとき、企業は生産水準を抑制して雇用量を減少させることにより、均衡賃金率を労働の限界生産性以下の水準にコントロールして超過利潤をあげることが可能である。ここで、最低賃金が均衡賃金率よりも高い水準に設定されると、生産水準と雇用は共に増加する。完全競争を前提に導出された最低賃金の基本命題とは、全く逆の結論が得られるわけである。 不完全競争概念の導入は、ケインズ経済学の核心である非自発的失業の解釈においても極めて有用である。労働市場におけるワルラス(完全競争)均衡の存在を否定するケインズ理論にマイクロ的基礎を与える分析ツールが、確実に雇ってもらえる場合と雇用が保証されない場合とでは、労働供給の決定プロセスが異なるという、森嶋通夫『資本主義経済の変動理論-循環と進歩の経済学-』創文社、55年(現代経済学叢書)~Clower, Robert W.“The Keynesian Counterrevolution: A Theoretical Appraisal”, in Frank H.Hahn and F.P.R. Brechling, editor,The Theory of Interest Rates Macmillan:London,1965(Conference on the Theory of Interest and Money,Royaumont,France)流の二重決定理論である。しかし、この二重決定理論を採用するためには、自らの労働供給量を決定するのに対して、なぜ労働者がこうした不可解な2段階決定過程を踏むのかが合理的に説明されなければならない。一言でいえば、それは資本家と労働者との交渉上の地歩(bargaining position)格差に起因している。労働者は雇用されなければ生活できないが、資本家には十分な経済的ゆとりがある。したがって、できる限り雇用されるように労働者は行動しなければならず、それゆえに労働需要が過少となる不況下では、強制されずとも、労働者は資本家の言い値で労働供給を差し出さざるを得ない。買い手と売り手の間で、こうした著しいバーゲニング・ポジション格差があると、労働市場の均衡は売り手と買い手の数が多数かつ同数というエッジワース的な意味での完全競争条件が充足される場合でさえ、ワルラス的な意味での競争均衡にはなり得ないのである。

そもそも経済学の開祖であるアダム・スミスは、このような労働市場における売り手(労働者)と買い手(企業)との間に、バーゲニング・ポジション格差が存在することをむしろ自明と解釈していた。本稿の冒頭に国富論の一節を掲げたゆえんである。ところが、リカードゥ以降の主流派経済学では主に分析を簡略化するという技術的な要請から、労働市場についても、完全競争市場としての機能を前提として立論することが多くなった。その後、新古典派経済学の学問的進展が厚生経済学の基本定理に行き着くと、やがて「自由放任政策」の有効性をすべての市場に適用すべきという価値判断に、多くの経済学者が支配されるようになり、その過程で、労働市場の異質性を軽視し、あるいは意図的に無視する傾向が支配的になっていったと想像される。 事実、60年代から70年代にかけてThurow,Lester C.The Economics of Poverty and Discrimina-tion.The Blookings Institution: Washington,1969(Studies in Social Economics)や辻村江太郎『経済政策論』筑摩書房、77年(第二版経済学全集17)が労働市場における買い手(需要)独占傾向を指摘した際、当時の若手労働経済学者からの風当たりは強かった。
例えば、八代尚宏「男女間賃金差別の要因について-その合理的解明と対策-」『日本経済研究』No.9、80年3月(日本労働研究機構編『労働市場の制度と政策』(日本労働研究機構、1997年)所載。本稿における引用も同書による。)は「長期にわたり相互に激しい競争を行なっている企業が・・・需要独占力を行使する力を持っていると考えることは、「悪にして全能なる・・・資本家階級」の存在を確信する一部の人々以外にとっては、非現実的な仮定である」と切り捨て、また高山憲之『不平等の経済分析』東洋経済新報社、80年(84年発行の第4刷から一部内容が改訂されている。本稿における引用はこの第4刷による。)は「そのような(独占的)要素は、他の地域と地理的にへだたったある地方に一つの企業が大工場をもっていっている場合(あるいは、その地方におけるすべての企業が相互に結託している場合)にしか存在しえない」と論駁した。もっとも、高山教授の批判には、わが国における最低賃金制度を検討するうえで重要な論点が含まれている。それは、わが国においてはフルタイム労働とパートタイム労働の市場が分断されており、後者については高山教授が指摘されるような状況が、決して例外的ではないという事実である。 例えば、とりわけめぼしい産業の少ない地方圏においては、大多数のパート労働者を吸収する事業所が、ほんの一握りの生産工場や流通業店舗に限られることの方が、むしろ一般的である。一方で、パート労働供給は、既婚女子の労働参加率の趨勢的上昇を背景に、無制限に近い状況が恒常的に続いており、その結果、パート労働市場の需給は常に需要過少気味である。しかも、既婚女子の就業は夫の職に拘束され、地域(場合によっては企業)を隔てた移動はかなり困難である。さらに、パート労働の場合、労働組合の組織率・加入率が共に非常に低いため、労使間のバーゲニング・ポジションには、フルタイム労働者と比較すべくもないほどに、巨大な格差がついている。ここまで条件が揃っている場合、企業が独占力を行使して可能な限りパート労働者の賃金率を引き下げようと試み、またその試みがかなりの程度まで成功することはむしろ当然の結果であって、この問題を「資本家の性悪性」や階級対立などの古めかしい枠組みで論じることは、論者が賛否どちらの立場をとるにせよ、問題の本質を見失わせてしまうように思われる。

以上のように、わが国においては、最低賃金制度を論じることはパート労働を論じることに他ならず、しかもその際には、パート労働市場に不完全競争の要素が濃いことを大前提とすべきである。これは決して筆者の独善的認識ではないことを確認しておこう。例えば、篠塚英子『日本の雇用調整-オイルショック以降の労働市場-』東洋経済新報社、89年は、72年から81年までのデータを使って都道府県別の最低賃金とパート賃金率との間の関係を調べ、分析期間の後半になるほどパート賃金率が最低賃金率近傍に釘付けされる傾向が強まっていることを見いだした。パート賃金が最低賃金へのサヤ寄せを強めたのは、最低賃金と平均賃金とが、分析期間を通じてほぼ一定の比率を保ちながら上昇したのに、どういうわけか、パート賃金の上昇はこの期間を通じて抑制され続けたためである。また、古郡鞆子「パートタイマーの賃金と組織化」『日本労働協会雑誌』No.311、85年4月号は、総体的には低水準にあるパート賃金の内部においても階層格差があり、具体的には組合員と非組合員とに分けた場合に、前者に属するパート労働者の賃金率が有意に高いことを見いだした。これら二つの実証研究成果は、少なくとも70年代から80年代にかけてのわが国のパート労働市場が、需要独占の要素を色濃く帯びていたことを示唆している。私見ではあるが、パート労働市場の需要独占性は、近年さらに強まっている可能性が高いように思う。なぜなら、わが国は先進諸国中男女間の賃金格差が拡大している唯一の国であり、その原因が(大宗を女性が占める)パート賃金とフルタイム賃金との格差拡大によって、ほぼ説明できるからである。長期不況下で上昇した労働分配率の引き下げを目的に、多くの企業がパート労働需要を増やしている下で、なおパート-フルタイム間の賃金格差が拡大しているという事実は、パート労働市場において正常な市場メカニズムが機能していないことを雄弁に物語っていよう。

アメリカのように、最低賃金の主な対象者が若年(10代)労働者層である場合、賃金水準の低さはある程度まで通常の経済理論にしたがって理解することができる。就業経験の乏しい彼または彼女らの限界生産性は一般に低く、また彼らは貨幣賃金以外にもOJTという形で利得を得ているからである。しかし、こうした事情はわが国のパート労働者の大宗には当てはまらない。パートとはいえ、その勤務実態はフルタイム労働と大きく異なるわけではなく、生産性あるいは会社への忠誠心などにおいてパート労働者がフルタイム労働者に大きく劣後するといった報告を筆者は目にしたことがない。同一労働・同一賃金のような理念的スローガンを持ち出すまでもなく、パート-フルタイムの賃金格差は合理的な理解が不可能な水準にまで拡大していると言わざるを得ない。
もっとも、「確立した制度は全てナッシュ均衡」藪下史郎『非対称情報の経済学-スティグリッツと新しい経済学-』光文社、2002年(光文社新書049)であり、パート-フルタイムの賃金格差構造を短期間のうちに打破することは現実には極めて困難である。その理由は具体的には以下の通りである。
企業が需要独占の立場を利用してまでパート労働賃金の引き下げを図ってきたのは、長期不況下にあって生き残りを賭けた経費削減、とりわけ労働分配率の低下が至上命題になっているにもかかわらず、フルタイム労働者の解雇やパート労働への転換が、彼らの抵抗ゆえに難しいからである。だが、フルタイム労働者が解雇やパート化に強く抵抗してきたのは、長期不況の下では良質なフルタイム労働を新たに探し出すのは難しいことに加え、いったん、フルタイム労働から脱落してしまうと、パート-フルタイムの賃金格差ゆえに賃金の絶対水準が大幅に低下し、最低水準の生活すら営めなくなるためである。さらに、パート労働者の大宗を占める既婚女子労働者が、最低賃金近傍の低水準賃金をしぶしぶながら受け入れてきたのは、これまた長期不況下にあって生活防衛のためには、共働きへの移行によってとにもかくにも一定の所得を確保する必要に迫られているためである。このように、どの経済主体も与件の下で最適化行動をとっており、他の経済主体の行動が変わらない限り、今の行動から脱出するインセンティブは働かない。ゆえに、トータル・システムとしてのパート-フルタイムの賃金格差構造は安定的であり、温存される可能性が高いという理論的帰結が得られるのである。

しかしながら、このナッシュ均衡は、いうまでもなく社会的にみて極めて非効率な均衡である。労働分配率の趨勢的上昇の主因はフルタイム労働者(とくに中高年層)における限界生産性から上方乖離した年功序列賃金にある。そこにメスを入れない労務リストラは、生産性向上を実現することができず、結局のところ、国際競争力の低下→不況の長期化という悪循環に陥って、パート賃金の引き下げ圧力をますます強めていく。それゆえに、フルタイム労働者のリストラやパート転換はますます難航するであろう。さらに、パート-フルタイムの賃金格差拡大は、男女間のワークシェアリングや世帯労働時間の短縮を伴った共働きへの移行という選択肢を事実上不可能にするリスクをはらんでいる。このことは、少子・高齢化社会の到来に向けて不可欠であるところの、育児・介護に代表される家事サービスの社会化政策を、国民経済学的にみて極めて高価なものにしてしまう深刻な副作用を発揮するだろう。
こうした非効率な均衡は、そもそも労働市場が本質的に不完全競争の要素を含んでいることから生起したものであり、単純な規制緩和や自由化政策では社会的に望ましい均衡への移行は実現できない。例えば、最近、一部のマスコミが報道したような最低賃金の引き下げ(価格規制の緩和に他ならない)を行えば、パート賃金率もそれに付随して低下し、パート-フルタイムの賃金格差をさらに拡大するだけであろう。非効率なナッシュ均衡からの脱出をますます遅らせる愚策といわなければならない。
むしろ、最低賃金率は、パート-フルタイムの同一労働・同一賃金を実現するよう、段階的に引き上げていくべきである。最低賃金が生計維持に足る水準に達して、初めてフルタイム労働者を対象とする大規模な労務リストラが可能になるのであり、中長期的にみれば、最低賃金の引き上げはむしろ企業の生産性向上をもたらす可能性が高い。さらに、時短を伴ったワーク・シェアリングの拡大が実現すれば、短期的には失業率の低下、中長期的には高齢化社会に向けた社会基盤整備費用の削減、という二重のメリットが期待できよう。

もちろん、最低賃金の引き上げに実効性を持たせるためには、内職のように、事実上その枠外に置かれている就業形態を含め、労働当局の監視体制を大幅に強化・充実させると同時に、罰則規定についても現状を大幅に上回る方向での法制整備が急務である。2001年の厚生労働省による事業場定期監督実施結果によると、法令違反のうち送検事件となった1,346件のうち、最低賃金法違反は8件しかない。労働安全衛生法違反の751件、労働基準法違反の586 件などと比較しても異常な少なさであり、恐らく数多くの違反事例が水面下に埋没しているものと想像される。最低賃金法が障害者雇用促進法と並んでザル法化している最大の原因は、企業サイドに順法意識が乏しいうえに、法令違反に対して大きなペナルティが科せられないからである。いたずらに煩瑣な法制によって企業行動を拘束することは望ましくないが、それと企業の法令違反を見逃すこととは、全く別の問題である。エンロン事件以来、企業の法令順守(コンプライアンス)の重要性を強調する論稿が増えているが、企業が順守しなければならない法令は刑法や証券取引法に限られるわけではなく、労働法も当然にその対象とされなければならないのである。
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