最初の問いかけは、1970年の富士ゼロックスの企業広告「モーレツからビューティフルへ」である。それまでの日本社会は、「消費は美徳」と謳われた高度経済成長期の波に乗り、拡大一辺倒。森永製菓の「大きいことはいいことだ」(1968年)や丸善石油の「オー・モーレツ!」(1969年)というCMが一世を風靡したように、60年代を特徴づけたものの一つが「拡大主義」「猛烈主義」であった。 一方で、公害問題や環境問題が顕在化し、ロックや消費者運動や学生運動が盛り上がるなど、既成の価値観に対する反動が生まれたのもまた60年代の特徴である。このような時代の空気を的確に捉え、猛烈主義・拡大主義に疑問を投げかけたのが「モーレツからビューティフルへ」だったと言える。富士ゼロックスの社長・会長を務めた小林陽太郎は当時を振り返り、「ただ美しいというのでは、女性っぽいんじゃないかという反対もあったのですが、しかしアメリカ人が英語でビューティフルというときには、何か非常に広がりの大きなものを感じるわけで、実際、調べてみると、やはりそうなんです。だから思い切って、それを使っていこうじゃないかということになった」と述べている(注1)。 「何か非常に広がりの大きなものを感じる」との感覚的理由から選ばれた「ビューティフル」は、感覚的だからこそ、新しく到来する時代の空気を見事に捉えた言葉だったと言える。実際、その3年後には、石油危機を予言し、「Man is small, and, therefore, small is beautiful.(人間は小さいものである。だからこそ、小さいことは素晴らしい)」と説いたシューマッハーの『スモール・イズ・ビューティフル』が出版され、ベストセラーとなっている(注2)。「ビューティフル」は、どこまでも拡大を続け非人間的になってしまった経済に対し、人間のスケールを取り戻そうという反動から生まれた言葉であった。それが日欧で同時期に生まれたことが興味深い。 富士ゼロックスは、その後、人間性や個性を大切にした仕事のやり方に変えていくための経営刷新運動に取り組むなど、新しい働き方を積極的に模索する企業であったから、「モーレツからビューティフルへ」は企業姿勢を打ち出す意味で一定の説得力をもつものだったといえる。ただし、それが意味するところがどれだけ伝わっていたかとなると疑わしい。典型的なヒッピースタイルの若者が「ビューティフル」と繰り返す歌をバックに、「BEAUTIFUL」と書かれた紙と花を持って街をふらふらと歩くだけのCMは、確かに鮮烈なメッセージ性を持っていたが、それは、企業経営のあり方というよりも、個人のライフスタイルや価値観に対する問いかけとして受け止められたのではないかと思う。