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Business & Economic Review 1997年03月号

【論文】
地震予知計画をわが国のアポロ計画に

1997年02月25日 佐久田昌治、山本雅樹


要約

阪神・淡路大震災以後約2年を経た現在、わが国の地震予知のあり方を再検討する時期にきている。阪神・淡路大震災の災害規模と地震予知との関係、最近の地震予知をめぐる社会的論議、行政の動き、地震予知技術の現状等を総括的に分析した。この中で、次の論点を挙げた。

1.そもそもわが国が他のどの国よりも地震予知を必要とするのは、国土の中に高度の潜在的危険性を持つ施設を多数抱えるからである。
2.阪神・淡路大震災は休日明けの早朝に起こったために、その被害規模は、危険性のある社会的活動が停止している時に発生する地震災害の規模に近い。
3.阪神・淡路大震災を機に「地震予知をめぐる論議が活発化しているが、この中には地震予知に対する後向きの議論が多い。これらの議論の中には前提や現状認識の点で不十分なものが多い。
4.行政の動きとして特徴的なことは、阪神・淡路大震災の被害を機に、地震予知に関する予算を増額するなど前向きな側面がある一方で、各行政機関が個別に対応しているために、全体として地震予知の機能が高まる保証が見いだせないことである。
5.最近の地震予知に関する技術の現状を分析した。最近の通信技術、観測技術の進歩を背景に、地震予知は技術的に大きな進歩を示しつつあるといえる。しかし、現状ではどの技術も不確実性を有しているし、この不確実性は将来にわたって容易には克服されない。
6.社会の対応が地震予知の不確実性を許容すれば、多くの地震予知技術が有効に機能する可能性がある。また、産業界はこの不確実性を許容できる体制を整えつつある。

これらの議論をもとに、わが国の地震予知のありかたに関して次の5点の提言を行った。

1.不確実性を許容した地震予知の推進を 地震予知研究、地震予知の実施、地震防災対策の立案において、地震予知の空振りを許容する前提を明確にし、不確実な情報であっても有効に活用する体制を構築する。
2.未成熟な技術の活用を 上記の不確実性の許容の前提をもとにして、発展途上または未成熟な地震予知技術を積極的に活用する。
3.地震予知の対象を全国に 東海地震だけではなく、大きな災害を生じる可能性のある日本全国の地震を対象とした観測・予知の体制を構築する。この中には、全国で約2,000あるといわれる活断層の特定、その周辺の観測を含むものとする。
4.市民、産業側の意見を反映させよ これらの地震予知活動とその情報伝達に関して、市民、産業(特に大規模地震によって災害発生の可能性のある産業)の意見を集約し、単に行政機関の対応可能性だけを基準としたものにならないようにする。
5.地震予知計画をわが国のアポロ計画に これらの地震予知計画は、単なる研究の推進計画としてではなく、国家としての防災対策の要として位置づけるべきである。1960年代末までに人間を月に着陸させるとの国家的戦略目標を掲げた米国のアポロ計画と同程度の位置づけを与えるべきである。わが国の置かれている世界でも有数の地震多発地帯という条件、地震多発地帯に産業施設が高度に集積している条件等を考慮すると、わが国の国家的目標として地震予知の実用化を掲げ、これを市民、すべての産業の防災対策の基本の一つに位置づけることは極めて重要である。

わが国が世界に先駆けて地震予知の実用化に成功し、この社会システムとしてのマネジメントに成功することができるなら、21世紀の人類の課題に対して大きな貢献ができることになる。

1.はじめに

本年1月17日で阪神・淡路大震災を引き起こした兵庫県南部地震の発生からちょうどまる2年を経たことになる。阪神・淡路大震災は死者6,400人以上、負傷者約45,000人、全壊および半壊の家屋約20万棟、被害額約10兆円という国内では戦後最悪の惨事となった。この未曾有の都市災害の後、わが国の都市の安全性は改善されたであろうか。具体的な成果は目に見えなくとも、その教訓をくみ取ってより安全な社会に向けての歩みを始めているのだろうか。

阪神・淡路大震災の経験は、わが国の防災対策が多くの面で欠陥を有していることを明らかにした。これらは概ね次のように分類される。いずれも早急に解決を要するものばかりである。

1.政府、地方公共団体の「危機管理」体制の欠如、特に地震災害発生時の初動態勢のあり方
2.直下型地震に対する国、民間の対策の欠如、危険性の認識の欠如
3.都市の構造物(特に鉄道、橋梁等の土木構造物)の耐震性の不足
4.終戦直後に建設された古い木造住宅の存在(建築基準法上の「既存不適格物件」の存在)
5.震災後の復興における社会的ルール(被災者の救援、市街地の復興のルール等)の欠如

ここでは、これらに共通する課題として「地震予知」を取り上げたい。「地震予知」のあり方いかんでは地震災害の規模が著しく異なると考えられるからである。しかも、阪神・淡路大震災の後、「地震予知」に関してはむしろ後向きとしか考えられない論調が表面に出てきているからである。

2.わが国はなぜ地震予知を必要とするか

これまでに行われてきた「地震予知」に関する論議は、そもそもわが国がなぜ「地震予知」を必要としているかの原則を忘れてしまったものが多い。わが国は高度の経済活動を支えるために様々な危険と背中合わせに暮らしている状況にある。このことこそが、わが国が世界のどの国よりも切実に「地震予知」を必要としている根拠である。このような潜在的危険のある施設としては次のようなものが挙げられる。

1.原子力発電所
2.都市ガス用のLNGタンク
3.各種危険物質を製造する施設
4.終戦直後に建設された古い木造住宅の存在(建築基準法上の「既存不適格物件」の存在)
5.各種危険物質の貯蔵施設
6.高速で走行する運輸施設(新幹線、高速道路等)
7.大規模な土木・建築構造物の建設工事
8.極度に収容人員の多い施設

装置産業は多かれ少なかれ危険物質を扱っている。これら危険物質に関する事故が近隣の住民に多大な被害を与える可能性がある。このため、わが国では図表1に示す28種類の物質を特定物質として規定し、その取り扱いに関して厳密な規則を設けている1)。これら特定物質の貯蔵施設が危険性を有しているばかりでなく、これらを用いる幅広い産業分野における装置自体が大事故を起こす危険性を有している。

そもそも近代の文明はこれらの潜在的危険を有する物質を適切にコントロールすることにより成立しているものであるが、このコントロールが機能しない場合に図表2にみられるような大規模な事故が発生し多くの犠牲者を生むことがある2)。

わが国の特殊な条件は、これらの潜在的危険の極めて大きな施設と人間とが隣り合わせに存在せざるを得ない点にある。大規模地震においては、これらの潜在的危険を有する物質や装置をコントロールすることが難しくなる。もし地震予知が可能になれば、これらに関係する災害を著しく低減する効果が期待できる。世界のどの国よりも、わが国の地震予知は重要ということができる。無論、地震予知への期待は、産業施設の安全対策の軽減を意図するものであってはならない。

3.阪神・淡路大震災の災害規模をどのようにみるか

犠牲者の90%以上が、倒壊した木造家屋の下敷きとなった圧死者であったことが阪神・淡路大震災の大きな特徴である。仮定の議論になるが、もし被災地の木造住宅が必要な耐震性を持っていれば、犠牲者の数はどのようになったであろうか。建築関係の研究者の分析によれば、犠牲者は500人程度に減少したであろうということである。「仮定」の議論とはいえ、的を射たものであろう。

これも「仮定」の議論になるが、この地震が人々が活動している昼間の時間帯、または通勤時間帯に起きたとすれば、災害規模はどの程度になったであろうか。新幹線が動き、高速道路が渋滞し、ターミナル駅が乗客で混雑し、繁華街に人が溢れ、化学工場がフル操業している状態で同じ地震が発生したら災害の規模はどの程度になったであろうか。残念ながらこれらを正確に推定するだけの根拠が乏しいために、災害規模の推定は難しい。多くの市民が感じているように、この状況では数万人の犠牲者が生じ、被害金額も数倍に跳ね上がったであろう。阪神・淡路大震災は、地震そのものが休日明けの早朝に発生したために被害が著しく小さくて済んだという側面が存在することを忘れてはならない。

地震災害の規模は地震発生時の社会の活動状況によって非常に大きく左右される。阪神・淡路大震災によって実際に生じた被害は、大胆に言えば、地震の発生時期がある程度予測され、災害時に危険と思われるような社会的活動がすべて停止している状態で地震に遭遇した場合の被害規模に近いということができる。

4.阪神・淡路大震災と地震予知

言うまでもなく、阪神・淡路大震災を生じた兵庫県南部地震は予知されなかった。地震発生の直前にこの地震の発生を予測していた研究者がいたが、この予測はマスコミ、政府をはじめとして社会からは無視された。そもそも内陸部で起こる直下型の地震に関しては、観測体制は極めて貧弱である。異常が観測された場合にこの情報を社会に伝達し、これに対応する対策を講ずる仕組みがわが国には存在していない。わが国で「地震予知」の対象となっているのは、駿河湾を震源とするマグニチュード8クラスの「東海地震」(1944年東南海地震の再来タイプ)のみである。これ以外の地震は予知の対象とはなっていない。何らかの前兆らしきものが見い出されたとしても、これはあくまで「研究対象」としての意味しか持たない。

阪神・淡路大震災の災害の規模を考えると、わが国では「東海地震」以外の地震に関しても同様の予知体制を整備することが緊急の課題といえる。阪神・淡路大震災によって、わが国の多くの人が「日本にも大規模地震が起こる」ことを実感した今こそ、この地震予知をあらためて考え直す好機といえる。

地震予知は地震学の中ではごく一部の領域である。また、地震防災の課題の中でも最も重要度の高いものとは言い切れない。にもかかわらず、当社がシンクタンクの立場からこの課題を繰り返し取り上げるのは、この課題が「科学」と「技術」と「社会」の境界領域に位置する課題であり、扱い方によっては、非常に大きな威力を発揮して災害の低減(特に人的被害の低減)に寄与できる可能性の高い課題であること、逆に扱い方が不適切であると「全く役に立たない」可能性が存在しているからである。

当社は地震予知のあり方に関してこれまで次のような問題提起を行ってきた3)~7)。

1.「空振りを許容する地震予知システムの提案」:(Japan Research Review 93年8月号)
2.シンポジウム「不確実性のマネジメント/地震予知の不確実性を踏まえた新しい防災社会の構築」(93年11月10日、討議の概要はJapan Research Review 93年12月号、住友海上リスク総合研究所と共催)
3.新防災社会フォーラムの活動(94年5月~94年10月にかけて3回開催、学識経験者、土木構造学者、社会心理学者、マスコミ関係者、市民が参加。討議の概要はJapan Research Review 94年11月号)
4.シンポジウム「社会は地震予知の不確実性をどこまで許容できるか?」:(94年11月28日、討議の概要はJapan Research Review 95年4月号)
5.地震予知の不確実性を許容する社会システムの提案」:(Japan Research Review 95年3月号)

これらの問題提起を通じてわれわれが主張してきたことは、大規模地震は基本的には岩盤の大規模な破壊現象であり、発生する場所や時期を予測するには相当程度の不確実性を伴わざるを得ないという点である。この前提を基にしなければ、社会は地震予知の成果を活用できない。この前提が満たされない場合、地震予知が不幸にして外れたときには社会的・経済的損失は莫大なものとなる。仮に東海地震の前兆が観測され、大規模地震対策特別措置法に基づいて警戒宣言が発令され、関係する地域の主要な産業が停止した場合に想定される経済的損失は、地震が起こらなくても、当社の試算では1日当たり約7,000億円となる。このような状態に陥った場合には、地震予知は社会の信用を著しく失うことになるであろう。さらに深刻な問題は「地震予知の空振り」をおそれるあまり、一定の前兆が観測されているにもかかわらず、空振りの場合の損失を懸念し過ぎて、この情報を社会に伝えられないことがあり得る点である。

地震予知に関する技術は今後とも進歩を重ねるであろうが、この「不確実性」は、相手が大規模な自然現象であることから容易には解決されない。社会が地震予知の恩恵を期待するのであれば、その前提として「不確実性」を許容することが不可欠である。

5.阪神・淡路大震災後の「地震予知」をめぐる社会的論議

阪神・淡路大震災以前からわが国の地震予知の進め方に関しては非常に大きな論議があった。阪神・淡路大震災以後はこの論議がさらに活発化した。これらの論議のポイントは次のようなものである。

[1]阪神・淡路大震災で地震予知は失敗。わが国では地震予知は成功したことがない。

この議論は一般のマスコミにもよく登場する。地震の専門家の中にもこの種の議論をする人がいる。この議論はわが国の地震予知体制の実情を無視している。

国レベルで地震予知の対象としているのは、「東海地震」、すなわち駿河湾を震源とするマグニチュード8クラスの地震のみである。その他にも小規模な観測体制が敷かれている地域もあるが、これらはあくまで「観測」が主たる目的であり、異常な前兆が見い出されても、これはあくまで「研究対象としての前兆現象」であり、国または研究機関としては何ら責任を負わないことになっている。国レベルの地震予知を対象とした場合、「地震予知は成功もしていないが、失敗もしていない」というのが正確な表現になる6)。

[2]地震予知は不可能である。

この議論は阪神・淡路大震災以前からも繰り返し行われてきた。地震の発生地域、発生時期、地震の規模を80%以上の確率で予知することを前提にしている場合が多い9),10)。しかし、「地震予知の不確実性の許容」を前提とした場合に、果たして不可能と言い切れるであろうか。防災対策の重要な要素となり得る「地震予知」を放棄することが適切な選択であろうか。大規模地震は「岩盤の大規模破壊現象」であり、なんらかの前兆現象が必ず発生する。岩石のような脆性材料が何の前兆現象もなしに大規模な破壊を示すと考える方が明らかに不自然である。問題はあくまで「自然現象の不確実性」と「観測の精度」の問題である。不確実性を前提としつつ、観測の精度とその範囲を着実に広げていくならば「地震予知は確実に可能になる」といえる。

[3]地震予知よりも「燃えない街づくり」

この議論は、1923年の関東大震災における死者の大半が火災による焼死者であったことから、防災対策の中で必ず繰り返されてきたものである。「燃えない街づくり」が重要であることは当然のことであるが、これは必ずしも「地震予知」の必要性を否定するものではない。「地震予知」を進めることと、「燃えない街づくり」を進めることは同時に進めるべき課題であって、片方を進めると片方が停滞するという性質の事柄ではない。

[4]地震予知よりも「直前感知」

大地震の発生に伴うP波の初期微動を捉えて、大地震の地震波(S波)が到達する前に地震の発生を感知する技術が「直前感知」と呼ばれている。新幹線の「ユレダス」等の形で実用化の段階に至っている。この技術で地震が感知されてから、実際の地震の発生までの時間が数秒あるので、特定の設備や施設等ではこのシステムは有効に機能することが期待できる。しかし、社会全体の防災対策では、数秒間で実施可能なことは限られている。忘れてはならないのは、兵庫県南部地震のような直下型の地震においてP波とS波が同時に到達するのでこの直前感知のシステムは機能しないことである。 また、地震予知と直前感知とは上記[3]と同じように、同時に進めるべき課題であって、片方を進めると片方が停滞するという性質の事柄ではない。

[5]地震予知よりも「震災後の速やかな対応措置」が重要

阪神・淡路大震災における政府の初動態勢があまりにもずさんであったために、地震予知よりも「震災後の速やかな対応措置」が重要であるとする議論がある。「震災後の速やかな対応措置」が重要であることは当然のことであるが、だからといって「地震予知」の重要性が低くなるということにはならない。地震予知が可能となれば震災後の対応措置も速やかに進むことが期待できる。 全体としてこれらの議論は「地震予知」の必要性を低下させるものではない。もし問題があるとすれば、「東海地震」のみを地震予知の対象とし、これに対する対応が「不確実性」を考慮していない現在のわが国の地震防災対策にある。

6.阪神・淡路大震災後の「地震予知」をめぐる行政の動き

阪神・淡路大震災の後、行政レベルでの地震予知の重要性が見直され、新たな動きが始まっている。これらは特に、科学技術庁を中心とした地震調査研究推進本部の設置、消防庁等の独自の地震観測網の設置、運輸省、気象庁の地震観測の強化等が挙げられる。また、地震予知に関する国家予算は毎年70億円程度であったものが、150億円程度にまで増額されている。最近の行政の動きの中には、地震予知に対する国民の期待の高まりの影響もあり、様々な動きがある。しかし、外部から見ていると、「何を考えているのかさっぱりわからない」と思われるものもある。この動きの中で看過することのできないものもある。これは次のような動きである。

[1]従来は、大規模地震対策特別措置法に基づき、観測強化地域(東海地域)に異常が見い出された場合に、「判定会」が招集され、この結果が気象庁長官を通じて内閣総理大臣に報告され、この情報に基づいて閣議が招集され、「警戒宣言」が発せられる仕組みになっている。この対象となっているのは、前述したように「東海地震」だけである。その他の地域の地震は対象となっていない。阪神・淡路大震災の後の行政の動きには、この仕組みの変更を目指す意図はみられない。

[2]地震予知に関する研究者の連絡組織として「地震予知連絡会」が組織されている。この地震予知連絡会は建設省国土地理院長の私的諮問機関であり、実質的にわが国の地震予知研究の中心的な役割を果たしてきた。この機能とほとんど同じことが科学技術庁を事務局とする「地震調査研究推進本部」によって推進されることとなった(この本部に先立ち、地震予知推進本部は廃止)。問題は、この体制の発足にあたって「地震予知」の言葉が姿を消し、「地震調査研究推進」に変わったことである。この名称の変更は、言葉どおりに解釈するなら、「予知」は難しいから調査研究を推進しようということになる。この方針は明らかに社会のニーズと現在の技術水準を無視している。

[3]しかも、この方針を出しながら、一方で現在の大規模地震対策特別措置法の体系はそのままにしている。政府の方針変更なのか、それとも単に科学技術庁が阪神・淡路大震災を機に予算を獲得したのか、はっきりしない。

[4]地震調査研究推進本部によって得られる成果をどのように社会にフィードバックするかがはっきりしない。単なる研究に徹するのであろうか。

[5]それを機に消防庁にも地震観測の予算がつき、本年度中に3,300の全国の自治体すべてに地震計を取り付ける計画である。この意味はまったく不明である。単に地震の震度を計測するだけであれば、気象庁の観測をベースとして、これに研究機関や民間機関の観測システムを結合させて充実させた方がよい。阪神・淡路大震災を機に大蔵省が十分に検討することなく、予算をつけたということに過ぎない。

このような「地震予知」または「地震観測」に対する予算措置の拡大は評価できるものの、現状のままではこれまでの観測体制の延長に過ぎず、地震予知を社会の防災体制に反映させるには程遠いものといわなければならない。特に、この間の行政の動きを見て痛感することは、各省庁がばらばらに観測体制を強めるだけで、全体として地震予知の機能が強化される保証が見い出せないことである。縦割り行政の問題点が「地震予知」の領域にも明瞭に現れている。

7.地震予知分野における最近の成果

地震予知の技術の分野で最近の動きはどうなっているのであろうか。詳細は専門分野の文献に譲るとして、ここでは最近の地震予知に関する成果をパリティ編集委員会編地震の科学(文献11)を基として簡略に紹介したい。

言うまでもなく、決め手となるような技術は開発されているとはいえない。しかし、過去数年間の地震予知技術そのもののレベルアップ、阪神・淡路大震災を生じた兵庫県南部地震の発生に伴う諸現象の解明はかなり進んできている。これらの中には、兵庫県南部地震の前兆を捉えていたものもある。図表3は短期予知を中心とした最近の地震予知技術の現状を示すものである。

1)測地学的シグナルの捕捉

測地学的シグナルの捕捉手段としては、地殻変動の検出、異常隆起の観測が挙げられる。この目的のために特定の地点の距離の観測、体積ひずみの検出、地盤傾斜の観測等が行われている。このような測地学的検討は古くから地震観測の手段として用いられてきた。

図表4は、1944年東南海地震に際して偶然に観測された地盤の傾斜量のデータを示すものである。現在の東海地震に対する観測体制は、このような現象が再び発生する可能性が強いことを前提として、構築されてきたものである。図表4のような現象が現れた場合、誰が見ても「直後に地震が発生する」と判断できるであろう。そもそも大規模な岩盤の破壊現象であれば、多かれ少なかれ、このような地殻変動が必ず現れる。この地殻変動を観測できるかどうかは、観測地点の数、配置、精度による。この事前の変化は地盤のどこかでは必ず生じており、この現象に関しては不確実性はない。不確実性が残るとすれば、大規模地震に結びつかない地盤変動があり得ることと、これを観測できるシステムが存在しているかどうかである。

また、この分野でGPS(Global Positioning System)の進歩の影響が大きい。GPSにより地殼の変動をリアルタイムで把握することが可能となった。

2)微小地震の観測

大規模地震に伴う岩盤の破壊の前兆を捉えることが微小地震の観測の目的である。岩盤の破壊は、

・ 小さなクラックの発生
・ クラックの連続に伴う破壊の規模の拡大
・ 大規模な破壊

の順に生ずる。どんな岩盤の崩壊であっても必ずこの順序をたどる。この段階の初期においては、微小な地震が発生することがある。また、岩石の破壊に伴って微小な音の拡散(アコースティック・エミッション)が発生する。全体的な破壊のメカニズムが必ずしも明確になっていなくても、微小な地震が多発したり、アコースティック・エミッションの程度が増大すれば、少なくともその近傍で岩盤の破壊が起こっているということだけは科学的事実である。1855年の安政江戸地震(江戸周辺を壊滅させた直下型地震)では、地震の発生の10時間程度前から多くの鳴動が観測された事実がある。

このような経験から微小地震の観測が行われているが、仮に観測の密度と精度が向上していくなら、近傍における直下型地震の短期的予知には有効になる可能性がある。ただし、この観測にも不確実性が伴う。微小地震が観測されても必ずしも大規模地震になるとは限らないからである。また、微小地震の観測は、大規模地震の直前に生じる空白域の特定に有効である。

3)地磁気の観測

地震に先行して地磁気が変化することがある。この現象は古くから知られていたが60年代以降磁気モーメントの観測レベルが飛躍的に向上した結果、地震との関連性が存在することが明らかになっている。この現象も基本的には大規模な岩盤の破壊の直前あるいは破壊に伴って発生する「磁気の変動」を観測しようというものである。特に伊豆地方のような帯磁の強い火山岩地域ではよく検出されている。

4)地電位の観測(VAN法)

岩盤に限らず、固体一般は破壊に際して電流を発するという固体物理学の理論を基にした方法である。この現象は物をこすると静電気が発生する現象に似ている。現実には2mの深さに埋められた電極間の電位差を連続測定し、観測センターにリアルタイムに集めるものである。この方法はギリシャで開発され、最近の新聞報道でも紹介されているように、マグニチュード5以上の地震を実用の範囲内で予測することに成功している。

この方法の問題点は降雨、人工漏洩電流等の要因によって大きなノイズが発生することである。ギリシャではこのノイズと地震の前兆とを区別する研究が進められているが、わが国への適用を考慮した場合、この区別はさらに重要な課題となる。いずれにしても、計測システムが充実すればわが国でも実用化が可能になると期待される。

5)電磁放射の観測

地震に先行して電磁放射が観測されるようになった。これからの研究課題という面は強いが、大規模地震の直前の現象として存在することは明らかになっており、観測の精度と密度を高めていけば直前予知の手段とはなり得る。

この現象は、次のようなメカニズムによると考えられている。

[1]地震の起こる前に、震源域での岩石の微小破壊等により、色々な周波数の電磁波が直接的に放射される。

[2]広い地域で応力が増大し、震央から離れた広い地域の地表付近でも微小破壊等が発生して電磁波を放射する。 この他に岩盤の破壊に伴う地表の電荷が生じる「電離層内の電子プラズマ密度の変動」を捉える試みがなされている。本格的な取り組みは阪神・淡路大震災の後から始められたので、研究者の間での評価は定まっていないが、阪神・淡路大震災以後の短期間にわが国で起きた地震の多くを予知している9)。今後、計測のシステムが充実すれば実用化のレベルに到達することが期待される。

6)地下水位、地下水中のラドンの濃度の観測

岩盤といっても、完全に密な岩盤は少なく、ほとんどの場合内部には空隙と、空隙のある部分を満たしている水分(地下水)が存在している。岩盤が剪断変形を生じると内部の空隙と水分の関係が急激に変化する。このため、地震の前兆として地下水位を捉えようとする試みは古くから行われてきた。1974年の中国の海城地震の予知においても活用された。

また、地下水中のラドン(放射性同位元素、半減期が約4日)の観測も活発に行われている。地下水中のラドンが急激に上昇した場合、少なくとも数日前から地盤が崩壊してラドンが地下水中に混入したこと、すなわち地盤の微小な崩壊が内部で起こっていることの証明になる。兵庫県南部地震においても地下水中のラドンの濃度変化が西宮において観測されている(図表7)。

このほか、異常な発光現象、動物の異常行動等、人体感覚でわかる前兆(宏観前兆)を捕捉する試みが行われている。組織的な情報収集のルール、その数学的な解析手法を確立すれば、これらの試みも実用的な地震予知の手段の一部となり得る。

7)地震予知研究を社会で活用するための必須条件~不確実性の許容

これらの試みを非常に大胆に総括すると次のようになる。

1.単一の手段で地震の発生時期、場所、大きさを特定することは、現状では難しい。
2.岩盤の崩壊に伴う様々な現象を観測する手段は、ここ数年の間にも著しい進歩を遂げている。人工衛星を使ったGPSシステム、電離放射の観測手段等は地震予知に対する信頼性を大きく前進させる可能性を持っている。従来からの技術とこれらの新しい手段とを複合的に活用し、全体として地震の時期、場所、大きさを特定することが可能になってきているといえる。
3.この場合の大前提としては、地震に関する情報を受け取る「社会」の対応である。この対応はあくまで「不確実性を許容する」ものでなければならない。「不確実性を許容する」前提に立てば非常に多くの技術の適用が可能になる。
4.逆に「不確実性を許容しない、あくまで確実な予知を期待する」前提に立つなら、地震の予知はおそらく数百年たっても実用の域に到達することはないであろう。同一地域に起こる大規模地震は200~300年に1回しか起こらないからである。

これまでのわが国の行政は確実な情報と確実な結果だけを基準として行動してきた。一般の行政事務の場合、この前提は必ずしも誤っているとはいえない。しかし、地震予知のように、対象が自然現象であり、その観測手段が未だ発展途上にある場合、従来の行政の判断基準とは別の基準が求められる。確実に大規模地震が起こることが予測される場合に限定して社会の防災システムを稼働する前提では、地震予知は絶対に機能しない。

地震学者の間で、「地震予知は可能か不可能か」という議論がされることがあるが、その前提となっている認識は「不確実性が許されない地震予知は可能かどうか」の議論をしているに過ぎないように思える。「不確実性(例えば的中確率が20%程度)を許容した場合に、地震予知は可能かどうか」を一度学者の間で議論すべきである。

8.産業側は地震予知の不確実性を許容できるか

ここで問題となるのは、大規模地震の危険があるという情報がもたらされた場合に、社会、特に産業が対応できるのかどうかである。結論からいえば、産業側は対策を取ることが可能と考えている。「産業や市民が対応できない」と考えているのは政府だけではないかと思われるくらいである。この点に関して、筆者らが1994年に実施した主要産業の企業担当者へのヒアリング調査結果がある。このヒアリング調査は、各企業の実務担当者の個人的見解をベースとしたものである。

1)建設業

建設業は、大規模地震により大きな影響を受ける産業であり、特に工事の途中で災害が発生するとその修復に多額の費用と長い期間を要する。特に大規模地震により大きな影響を受ける工事は、

1.地下を掘削中の工事(地盤が崩れ、周辺の民家を倒壊させるおそれ)
2.コンクリート打設後、間もない工事(強度の出ていないコンクリートが崩壊する)
3.鉄骨の建て方の最中の工事
4.橋梁工事

等である。土木、建築の構造物は完成後の耐震性は保証するが、途中の段階では耐震性が保証されないからである。 仮に地震発生の確率が高いと判断された場合、次のような措置を取り得る。

1.地下を掘削中の工事では工事をストップし、周辺の民家の避難誘導を行う。同時に穴が崩れるのを避けるために、穴のなかに水を入れることも想定される。
2.構造体を建設中の工事も原則としてストップする。同時に、構造体が崩れないよう、構造体の仮止め部分のボルトを日常に比較して多く入れるなど、あまり手がかからない対応措置を施す。
3.仮設工事の補強を行う。
4.コンクリートの打設は延期する。

2)鉄鋼、金属精錬業

鉄鋼、金属精錬業は、地震の影響を比較的受けにくい産業であり、地震に関する情報がもたらされてもあまり大きな影響を受けない。地震が発生したとしても、最悪の場合、精錬装置の一部が破壊されることが予想されるが、基本的に爆発性の物質を扱っているわけではなく、大規模な二次災害を発生させることは考えにくい。最低限の物流の機能が確保されていれば、大きな影響は出ない。

3)プラント製造業

プラントの建設途中で地震によって配管類が損傷を受ける可能性はあるが、これに対する対策は上記1の建設業と類似している。プラントの製造部門に関しては、製造期間が長く、納期までに時間的な余裕があるため、通常以上の安全対策をとってもそれほど大きなインパクトは生じない。この業界の30%を占める小型の装置、もしくは部品製造部門は、地震情報に伴って物流が停止に近い状態になるとかなりの悪影響がでる。

4)非鉄金属業

ヒアリングを行った対象は非鉄金属業のうち、電線を主力製品としているが、東海地震の危険性が指摘された時に戦略商品の生産拠点を分散させる措置を講じており、その結果、東海地震の警戒宣言が発せられても、生産にはそれほど影響を及ぼさないように体制を構築している。

なお、このようなメーカーにおいて2次災害をもたらす可能性のあるものとしては、シランをはじめとする半導体ガスや粉末合金用の水素ガスとCO変成ガスである。これらの危険性のある物質の管理を厳重に行うなどの措置は取り得る。このようなガスは緊急時には自動的にシャットダウンするようになっており、これがもとになって2次災害を誘発する可能性は高くない。

5)石油産業

石油産業は、可燃物を取り扱う産業であるので、地震情報の伝達に伴い、コンビナートでは安全第一を考え、緊急停止を行う可能性が高い。この場合、再稼働時の安全性は確保されているが、時間を要するデメリットは生じる。タンクローリーは危険物を積んでいるので、安全のために油送所に戻る。いずれにしても、油送所からの出荷は停止となる。

過去に、ガソリンスタンドにおいて地震による火災発生、地下タンクの爆発事故等は国内外を通じて起きたことはないようである。タンクローリーによるガソリンの配送が停止しても通常のガソリンスタンドでは3~4日分のストックがあり、その間は営業が可能である。しかし、一般市民の足が自家用車のみという状況になると、ストックが持たない可能性もある。ストックがなくなれば自ずと営業は停止せざるを得ない。

6)電力会社

電力会社はすでに地震対策、地震予知情報に対する対策を確立している。ライフラインの供給という原則に基づき、警戒宣言発令後も通常どおりに営業を行う。指定公共機関として、業務防災計画も策定しており、警戒宣言発令後、社員はすべてバックアップ体制に入り、最終的には総動員体制を取る。予知情報がもたらされるならば、これに対応した体制は現在でもできているといってよい。なお、電力需給関係をみながら原子力発電所を停止させる措置も、東海地震の警戒宣言対策としてすでに定められている。供給量の減少分は他の水力、火力発電で補うこととなり、必要に応じて他の電力会社からの供給を受けることとなる。なお、原子力発電所は、停止の後フルパワーで再稼働するまで3日間程度を要する。

最低限の物流さえ確保されていれば、不確実性を伴う地震情報が伝達されても、安全性を確保する手段を講じることができる。また、これに伴う損失を最小限に抑えることも可能である。影響が出るとすれば、過剰な社会的措置により、交通が遮断されることによる影響である。「カンバン方式」を生産の基本にしている自動車産業、新聞社を大きな顧客としている製紙業、通信の輻輳の影響を受ける商社、コンビニエンスストア等である。しかし、これは人間が行う対応措置によって発生する問題であり、その解決策については、山本雅樹地震予知の不確実性を許容する社会システムの提案(文献7)で詳細に分析しているので、こちらを参照されたい。

企業の担当者の意見を率直に表現すると、「普段より地震の可能性が高いのなら、早く知らせてくれ。はずれた時の損失は確かにあるが、不意打ちの地震を食らうよりははるかに良い」ということになる。「はずれる可能性のある地震予知なら不必要」という意見はみられない。

9.これからの地震予知のあり方に関する提言

以上の考察を基にすると、今後のわが国の地震予知のあり方に関して次のような方策を緊急に採用することが求められているといえる。

[1]「不確実性」を許容した地震予知の推進を

地震予知研究、地震予知の実施、地震防災対策の立案において、「地震予知の空振り」を許容する前提を明確にし、不確実な情報であっても有効に活用する体制を構築する。また、この情報が結果として誤ったものであっても、これによる社会的損失ができるかぎり小さくなるような仕組みを事前に確立する。

[2]未成熟な技術の活用を

上記の不確実性の許容の前提を基にして、発展途上または未成熟な地震予知技術を積極的に活用する。

[3]地震予知の対象を全国に

東海地震だけではなく、大きな災害を生じる可能性のある日本全国の地震を対象とした観測・予知の体制を構築する。この中には、全国で約2,000あるといわれる活断層の特定、その周辺の観測を含むものとする。また、これらを単に観測の対象とするばかりでなく、異常が認められた場合の情報の伝達方法について事前に取り決めておく。地震予知のメリットを単に東海地域だけに限定せず、日本全国に普及させる。

[4]市民、産業側の意見を反映させよ

これらの予知と情報伝達に関して、市民、産業(特に大規模地震によって災害発生の可能性のある産業)の意見を集約し、単に行政機関の対応可能性だけを基準としたものにならないようにする。

[5]地震予知計画をわが国の「アポロ計画」に

これらの地震予知計画は、単なる研究の推進計画としてではなく、国家としての防災対策の要として位置づけるべきである。「60年代末までに人間を月に着陸させる」との国家的戦略目標を掲げた米国の「アポロ計画」と同程度の位置づけを与えるべきである。アポロ計画では年間約1兆円の予算が組まれていたが、現在のわが国の地震予知に関する予算は、100億円のレベルである。わが国の置かれている「世界でも有数の地震多発地帯」という条件、「地震多発地帯に産業施設が高度に集積している条件等を考慮すると、わが国の国家的目標として「地震予知」の実用化を掲げ、これを市民、すべての産業の防災対策の基本の一つに位置づけることは極めて重要である。

大規模な地震災害の危険を有する国は日本ばかりではなく、太平洋の周りのほとんどの国々、インドから地中海に至る多くの国々も含まれる。わが国が世界に先駆けて地震予知の実用化に成功し、この社会システムとしてのマネジメントに成功するなら、21世紀の人類の課題に対して大きな貢献ができることになる。地震予知にかかわるハード技術とその運用に関わるソフト技術は地震多発帯に位置する開発途上国の国民からも大きな歓迎を受けるであろう。ODA(政府開発援助)の中心的な課題として取り上げることも検討すべきである。地震の予知の成功によって数万人単位の人命が救われた場合には、この国においてはわが国の支援の恩恵が永遠に記憶にとどめられるであろう。さらに、現在および近い将来に蓄積される地震予知関連情報は21世紀以降の日本市民に対しても貴重な財産となるはずである。
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