Business & Economic Review 2003年02月号
【OPINION】
「年金改革の骨格に関する方向性と論点」の評価と課題
2003年01月25日 調査部 経済・社会政策研究センター 西沢和彦
2002年12月5日に公表された厚生労働省の公的年金改革案は、将来の保険料水準の上昇に歯止めをかけることを目指している点において、一定の意義を有している。
しかしながら、保険料水準の上昇を抑制するために改革案で選択されている手段は、多くの課題を抱えている。本稿で行った二つの異なる世代を比較した試算では、厚生労働省の改革案が実施された場合、より若い世代ほど給付抑制の影響を強く受けることなどが分かる。
厚生労働省の改革案は、あくまで今後の議論のたたき台であると位置付けられている。しかし、過去の改革プロセスから判断すれば、今回の改革案が2004年改革の議論に強い影響を与えることが予想される。このまま、厚生労働省の改革案を実施すれば、将来の世代にツケを回すことになりかねない。
したがって、保険料水準の上昇抑制という目的自体は維持しつつ、その達成手段については、他の給付抑制策との比較検討に立ち戻り、十分に議論することが必要である。
1.保険料水準の抑制に焦点
2004年の公的年金改革に向けて、厚生労働省は、2002年12月5日に「年金改革の骨格に関する方向性と論点」(以下、「方向性と論点」)と題する公的年金改革案を公表した。このペーパーは、155ページにわたるものであるが、公的年金制度が抱える問題を網羅したものではなく、公的年金制度改革における重要課題の一つである将来の保険料水準の抑制に焦点を当てている。
このなかで、最大の特徴は、厚生年金の保険料率を将来的に年収の20 %(2022年度時点、労使折半、国庫負担2分の1のケース)に固定し(現在は同13.58%、国庫負担は3分の1)、その範囲内で給付を行うという新方式への「転換」を打ち出したことにある。
現行の公的年金制度は、給付建て(確定給付)であるため、決められた額の年金給付を賄うために、保険料率の引き上げを中心に対処してきている。少子高齢化が一層進行するもとで、現行方式のままであれば、厚生年金保険料率は年収ベースで23.1%(2030年度時点、労使折半、国庫負担2分の1のケース)までの引き上げが必要であると厚生労働省は試算している。
このような保険料率引き上げによる経済的負担と、少子高齢化の進行を追いかけるように保険料率の引き上げが繰り返されていく心理的不安が、国民の公的年金に対する不信の大きな要因になっており、「方向性と論点」は、保険料率引き上げに歯止めをかけようとする点において、一定の意義を有している。
2.検討されるべき給付抑制手段の選択
保険料水準の上昇に歯止めをかけるためには、給付を抑制する必要がある。そのための新たな仕組みが、「方向性と論点」のなかで提案されている「保険料固定方式」である。
保険料固定方式の検討に入る前に、給付を抑制する手段には、一般にどのようなものがあるのかを整理しておこう。
給付水準を引き下げる手段としては、a.給付乗率のカット、b.支給開始年齢の引き上げ、c.スライド方式の変更などの手段が考えられる。
a.の給付乗率とは、年金給付額を算出する際の掛け目である。厚生年金の給付額は、生涯の平均賃金に厚生年金の加入期間と給付乗率をかけることで算出される。したがって、給付乗率のカットは、給付の抑制につながる。例えば、前回の1999年改革では、厚生年金の給付乗率を従来の1,000 分の7.5 から、1,000 分の7.125へ引き下げることで、給付水準は5%((1-7.125÷7.5)×100)抑制された。
b.の支給開始年齢の引き上げも、生涯における受給総額が減ることになるため、やはり給付抑制策となる。99年改革では厚生年金の報酬比例部分の支給開始年齢を60歳から段階的に65歳まで引き上げられることが決まった。ただし、現行の制度では、支給開始年齢の引き上げは、長期間にわたって1歳ずつ段階的に実施されるため、早くに支給開始年齢に達した人ほど生涯の総受給額が多くなる。
また、c.のスライド方式の変更も給付抑制策となる。99年改革では、すでに受給を開始している年金に関しては、賃金スライドを凍結し、物価スライドのみが適用されることとなった。
スライドとは、時間の経過のなかで年金給付水準に変更を加える作業である。99年改革以前は、新規に受給を開始する年金額のみならず、すでに受給を開始している年金額に関しても、現役世代一人当たりの賃金上昇率に応じて給付水準が引き上げられていた。99年改革以後は、仮に現役世代の一人当たりの賃金が上昇しても、その上昇分をすでに受給中の年金額に反映させることなく、物価上昇分のみを年金給付水準に反映させることとなった。すなわち、公的年金制度の年金受給者に対する責任の範囲を、実質購売力の維持に限定することで、給付を抑制したのである。
さて、「方向性と論点」で提唱されている「保険料固定方式」は、a.やb.の手段ではなく、次にみるように、c.のスライド方式を変更することにより、段階的に給付水準を抑制していく手段である。
公的年金の保険料水準の上昇を抑えるために、給付水準を抑制すること自体は、2004年公的年金改革におけるコンセンサスであると言えよう。しかしながら、その手段に関しては、上にみたように、c.のスライド方式の変更が唯一の手段ではない。
3.保険料固定方式とは
「方向性と論点」では、「保険料固定方式」のテクニカルな面を含め、詳細な説明が行われている。大まかには、次のような仕組みである。
現行の方式(給付水準維持方式)では、すでに述べた通り、新規に受け取る年金額は、現役世代一人当たりの賃金上昇率に合わせて水準が引き上げられている。
ところが、今後は少子化によって、仮に現役世代一人当たりの賃金水準が順調に伸びたとしても、現役世代の人数そのものの減少が見込まれるため、賃金の合計額の伸びは、一人当たり賃金の伸びに比べ、相対的に低下する。
現在、現役世代に相当する生産年齢人口は、約8,638 万人(2000 年度)である。仮に今後少子化が止まった場合でも、2050年には5,389 万人まで減少し、少子化が一層進行した場合には、同年に4,868 万人まで減少すると推計されている。一人当たりの賃金水準がいずれの場合も変わらないとすれば、賃金の合計額は現役世代の人数が減る分だけ減ってしまう。賃金の合計額が減れば、保険料収入も減ってしまう。その影響は、少子化が進むほど深刻となる。
すなわち、新規に受け取る年金給付水準を一人当たり賃金上昇率で引き上げる一方、少子化で公的年金の給付財源である保険料収入が減れば、その分保険料率を引き上げなければならなくなる。
新しい方式(保険料固定方式)では、厚生年金の保険料率を20 %(2022年度)に固定するために、新規に受け取る年金給付水準を、一人当たり賃金の伸びではなく、総賃金の伸びでスライドさせることで、新規に受け取る年金給付水準を段階的に引き下げていくという考え方である。このスライド作業は、マクロ経済スライドと名付けられている。
マクロ経済スライドは、少子化の進行度合いにより、スライド率と適用される期間が異なる。少子化が進行するようであれば、それだけスライド率は低くなり、適用期間も長くなる。逆に、出生率が回復すれば、スライド率も高く、スライド適用期間も短くなる。その結果、保険料固定方式では、少子化が進めば、進むほど給付水準は低くなる。一方、出生率が回復し、働き手が増えれば、給付水準が改善することになる。
「方向性と論点」では、将来の少子化の進行度合いを三つのパターンに分けて、それぞれのケースについて、年金給付水準の試算を行っている。将来の人口推計は、少子化の進行度合いに応じて、高位・中位・低位の3種類が政府より公表されている。
まず、少子化の程度が今後もほぼ横ばい程度であるとした中位推計の場合には、現在59%の所得代替率は2032年には52%に低下すると試算している。所得代替率とは、現役世代の平均的な手取り賃金に対する年金給付の水準である。
一方、少子化に歯止めがかかり、出生率が回復するとした高位推計の場合、所得代替率は、現行制度とほぼ同程度の57%(2020年度)にとどまると試算している。これに対して、少子化が進んだとする低位推計の場合には、所得代替率は45%(2040年度)まで低下すると試算している。
4.モデル世帯の試算による新方式の検証
所得代替率という指標は、現役世代の平均的な手取り賃金と年金給付水準を比較したものに過ぎず、いくら保険料を負担したかについては考慮されていない。ところが、保険料固定方式は、年金給付水準が段階的に低下するのと同時に、保険料負担も現行制度より低下する。このため、保険料固定方式の政策効果をより適切に評価するためには、負担と給付を一体的に取り扱う必要がある。
そこで、平均的な夫婦世帯(モデル世帯)を例にとり、生涯における保険料負担額と給付額の試算を行うことによって保険料固定方式を評価する。モデル世帯とは、夫と専業主婦の妻で構成される平均的なサラリーマン世帯である。
モデル世帯に関する試算は、二つの世代について行う。一つは、夫が60年生まれ(現在42歳)の夫婦世帯である。もう一つは、同じく80 年生まれ(同22歳)の夫婦世帯である。いわば、中年にさしかかった世代と、新入社員世代である。
公的年金制度には、世代間の所得移転の機能があり(価値判断は別として)、生まれた世代によって、生涯における保険料負担と年金受給額が異なる。したがって、このように異なる世代で政策の効果を比較検討することが、極めて重要となる。
(1)60年生まれ世代の影響は軽微
60年生まれの夫婦世帯は、現行方式のままであれば、生涯に世帯で4,576万円(99年価格、以下同様)の保険料(労使合計)を負担し、4,585万円の年金給付を受け取る見通しである。この金額は、夫と妻の厚生年金と基礎年金、および、妻が夫の死後9年間受け取る遺族年金の合計額である。保険料負担額に対する受給額の比率(給付倍率)は、1.00倍である。
ただし、現行方式では、保険料負担は、今後の少子高齢化などの状況によって変更され得る。この保険料率は、高位・中位・低位と3種類出されている将来人口推計のうち、中位推計を前提にしたものであり、より少子化の進む低位推計のような場合には、保険料負担が膨らむ可能性がある。
新しく提案されている保険料固定方式においても、保険料率は即座に固定されるのではなく、厚生年金保険料率は2022年まで段階的に引き上げることとされている。毎年度の引き上げ幅自体は、現行方式を今後とも維持した場合と変わらない。新方式と現行方式が保険料に関して異なるのは、引き上げが完了する年度と水準であり、現行方式のままであれば、引き上げは2030年度までかかり、その水準も、既述の通り23.1 %とされている。この水準は、保険料固定方式比3.1 ポイント高い。
保険料固定方式における保険料負担額は、4,571万円と試算される。この世帯は、現行方式にしても、保険料固定方式にしても、保険料率の引き上げ途上にある2019年度終了時点でサラリーマンを引退するため、生涯の保険料負担額は現行方式と比べて変わらない(国民年金保険料が若干異なる)。
保険料固定方式に移行した場合、少子化などの進行状況によって、年金給付水準が異なる。これが、保険料固定方式の特徴である。
中位推計が実現した場合、生涯において4,279 万円の受給額となる。給付倍率は、0.94倍となり、現行方式と比べて0.6ポイント低下する。これは、マクロ経済スライドによって、新規に受給する年金水準が低下するためである。
高位推計が実現した場合は、受給額は4,363万円となる。給付倍率は0.95倍であり、中位推計の場合より若干改善するが、差はわずかである。
さらに、低位推計が実現した場合でも、受給額は4,252万円、給付倍率は0.93倍であり、中位推計の場合よりも、若干悪化するが、差はわずかである。
総じて、この世代は、現行方式と保険料固定方式で保険料負担の金額自体は変わらないものの、負担に一定の歯止めがかかるというメリットが生じる。
給付水準は、現行方式よりも下がるが、少子化などの進行具合の違いによる差はわずかである。なぜならば、少子化の影響が出るのは、生まれた子どもが成人して働き出す2025 年度頃以降になるためである。
(2)新方式の影響を強く受ける80年生まれ世代
80年生まれ世代の保険料負担に対する受給額の比率は、現在でも、より上の世代に比べて低い。現行方式の場合、保険料負担額6,345 万円に対する受給額は4,577万円、給付倍率は0.72倍である。
現行方式の場合、60年生まれの世代と給付倍率が大きく異なる最大の理由は、負担する保険料の違いにある。80年生まれの若い世代の場合、現行方式であれば、2030年度まで保険料率が引き上げられ、以降も2039年度終了時点で引退するまで、23.1%の保険料率を負担し続けなければならない。
保険料固定方式になると、保険料率の引き上げに、2022年度で歯止めがかかるので、生涯における保険料負担額は、現行方式の場合の6,345万円から6,005万円に低下する。
給付水準は、現行方式より低下する。加えて、少子化などの進行状況によってその程度が大きく異なる。
中位推計が実現した場合、受給額は3,965万円、給付倍率は現行方式の0.72倍から0.06ポイント低下し0.66倍となる。
高位推計が実現した場合、受給額は4,366万円、給付倍率は0.73倍と現行方式並みになる。なぜならば、マクロ経済スライドが早期に終了し(2020年)、かつ、スライド率自体も一人当たり賃金上昇率との乖離が大きくないためである。
ところが、低位推計が実現した場合、受給額は3,439万円、給付倍率は0.57倍まで低下する。現行方式の場合の0.72倍と比較しても、保険料固定方式の中位推計の場合の0.66倍と比較しても、大幅な低下となる。なぜならば、マクロ経済スライドによる給付水準の抑制が2040 年まで続き、かつ、スライド率自体も低いためである。
総じて、80年生まれの世代は、保険料固定方式では、現行方式に比べ、生涯に負担する保険料が減少する。しかも、負担がこれ以上増えないという確実性は向上する。ただし、負担が減少する程度は、現行方式における負担総額6,345万円に対し340万円とそれほど大きなものではない。
一方、受給額も減少する、しかも、少子化の進行具合によってその減少幅は大きく異なり、少子化がより進行する低位推計の場合、給付倍率は現行方式に比べて0.15ポイントも低下する。
(3)世代によって異なる保険料固定方式の影響
このように、60年生まれ世代が保険料固定方式への変更によって受ける影響はより若い世代に比べれば、相対的に軽微である。給付額が抑制される程度も、少子化の進行具合によって受ける影響も大きくない。
一方、80年生まれの世代は、給付額が抑制される程度も大きく、とくに少子化の進行具合によって受ける影響が大きく異なる。
少子化による保険財政に対するインパクトを、給付水準で調整する保険料固定方式は、保険料水準の上昇に一定の歯止め感を出したが、その一方で、引退時の給付水準に対する不安定感も含んでいる。しかも、その程度は、世代別にみると若い世代ほど大きい。
5.評価と課題
少子化の進行を明確に意識し、保険料固定方式を打ち出し、給付の抑制に踏み込んだ点において「方向性と論点」は評価される。しかし、同時に、次のような課題もある。
(1)「方向性と論点」では、給付乗率の引き下げや受給開始年齢の早期引き上げなど、他の給付抑制策との比較検討がなされていない。
保険料固定方式は、年金受給開始年齢に早く達する世代ほど影響が少なく、いわば先行逃げ切り型である。若い世代ほど少子化などによって給付額が異なることの合理的な説明は難しい。
確かに、給付乗率の引き下げなど他の手段は、給付抑制策としての即効性の裏返しとしてドラスティックであり、政治的には避けたい手段かもしれない。しかし、政治的に困難であるということは、手段として採用しない理由にはならない。あくまで、各世代とも負担を分かち合えるかどうかを給付抑制手段の選択基準とすべきである。
したがって、保険料固定方式のようなスライド方式の変更だけではなく、給付乗率の引き下げや、支給開始年齢引き上げスケジュールの前倒しなどを組み合わせることにより、中高年齢層以上の世代にも負担を分かち合ってもらうことも検討すべきである。
(2)新方式は、保険料固定方式といいつつも、2022 年度まで厚生年金保険料率を毎年度0.354%ずつ引き上げて、最終的には20 %とする制度運営が想定されている。
しかし、このような段階保険料方式による制度運営も、20%という保険料率も、十分な経済成長を前提として、はじめて成り立つと考えるべきであり、かつてのような高度成長が望めない状況においては、実現が困難である。公的年金制度運営の安定性のためには、できるだけ早期に保険料を固定する制度運営が望ましい。
(3)段階保険料方式を残したこと、および、若い世代ほど給付水準が低下することによって、世代間格差が残されている。若い世代の公的年金制度の不信を解消するには、世代間格差の是正が欠かせない。
2004年公的年金改革において、世代間格差が是正されないような政策は、とくに若い世代には受け入れられない。世代間格差是正を明確な政策目標として位置付け、新しい施策による格差是正効果の検証を絶えず行う必要がある。
(4)「方向性と論点」では、積立金の運用利回りが変動した場合、マクロ経済スライドの適用期間を変えることによって、給付水準を変えるスキームとなっているが、これは合理的根拠に乏しい。例えば、「方向性と論点」で標準ケースとされている名目賃金上昇率2.0%、名目利回り3.25%のケースではなく、名目賃金上昇率1.0 %、名目利回り2.0 %のケースでは、マクロ経済スライドをより長期にわたって適用しなければならず、所得代替率も45%まで低下すると試算されている。
積立金の運用利回りの変化が公的年金財政に与えるインパクトの吸収方法は、人口動態の変化とは別に考える必要がある。
(5)「方向性と論点」では、少子化にスポットが当てられている。しかし、公的年金財政に影響を与えるものは、少子化だけではない。積立金の運用利回りも極めて大きなインパクトを与えるし、人口動態では、高齢化への対応も重要である。より高齢化が進行した場合の対処方法も、同時に制度に組み込む必要がある。
(6)厚生年金財政の支出の約3 分の1 は、基礎年金拠出金が占めており、2000年度では約9兆円に及んでいる。国民年金の空洞化によって拠出金額が膨らめば、厚生年金保険料率の固定化も危うくなる。
保険料固定方式をより確実なものとするには、国民年金の空洞化問題や基礎年金の財源調達方法と一体的に検討することが不可欠である。現行制度を維持したまま単に徴収を強化するだけで、国民年金の空洞化が改善するのかどうか十分検討する必要がある。
(7)「方向性と論点」における試算では、標準ケースに、基礎年金の国庫負担を2分の1(現行3分の1)に引き上げた場合を想定している。しかし、2兆7,000億円の新規財源を要する国庫負担の引き上げは、財源確保のめども全くたっておらず、2分の1への引き上げを前提とした試算には、現制度と連続的に比較検証するうえで混乱が生じる。財源のめどをつけたうえで、2分の1の場合を標準ケースとした情報開示にすべきであろう。