オピニオン
「縮小社会」にあって人生を完結させるとき必要な絆・つながり
2022年04月26日 沢村香苗
新年度になり、筆者の所属する社内のチーム名が変更になった。それまでは「介護、高齢社会」といった名前で呼ばれていたが、それが「縮小社会」となって少し驚いた。人口減少や家族構成の変化などによって様々なリソースが減り、社会が縮小していくことを前提として、課題をとらえ解決しようとする決意を表しているとのことだ。
その「縮小社会」の中で筆者が近年、特に注目している課題が、高齢期を「生きる」局面だけでなく、死を迎える準備を含めて「人生を完結する」局面の難しさだ。いずれは自分を含めてだれもが直面するその局面において、家族・地域の慣習や自治体の措置によって決められる部分は少なくなり、介護保険サービスの利用や葬儀・埋葬の方法も含めて現在は多様な選択肢が用意されている。私たちは、個人の状況や望みに即して、生前の生活サービスだけでなく、死後の葬儀・埋葬に至るまで自分で選択することができる、あるいは、自分で選択し続けなければならないともいえる。ただ、高齢期に心身機能が低下しがちであることや、医療や相続などの重大な決断が増えることを鑑みると、その選択を行うことは簡単とはいえない。家族や地域は縮小し、このプロセスを介助、支援する余力も失われつつある。
筆者は40代だが、昨年今年と相次いで友人が病気で急逝した。彼らはほんの2か月ほど患っただけで、旅立っていった。遺影は家族写真の端から切り取られたピントの合わないものだった。葬儀の際の、ご家族の途方に暮れた表情がいまも目に焼き付いている。自分も、いつでもこんな風に死ぬことがあり得ると実感したが、そうなったときに家族が困らないよう備えをしているかといえば、何もできていない。
終活という言葉がすっかり一般化したことからも、家族や周囲にできるだけ負担をかけずに充実した人生を締めくくりたいという願望を多くの人が持っていることがわかる。一方でそれを本当に行おうとすると、あまりにも準備しておくべき範囲が広く、いつ、どこから手を付けていいのか見当もつかない。
この課題を取り上げる際によく出てくるのが、「絆・つながりを大事にする」という言葉だ。幸福に生きていくために、周囲の人との絆・つながりが大事であるということに反対する人は、ほとんどいないだろう。これは、希望のある響きのよい言葉である。ただ、私たちの置かれている状況からするとここで思考を止めてしまうわけにはいかない。「家族」がそうであったのと同様に、「絆」「つながり」もいわゆるスーツケースワードであり、その中には実に様々な中身が含まれているに違いない。高齢期を大きな困難なく生き抜き、死後の始末まで含めて人生を完結させるときに、「絆」「つながり」というスーツケースの中に、何が必要なのかを明確にすることで、私たちの行うべきことがはじめて具体的になるはずだ。
私たちが日々生活するということは、問題解決の繰り返しだといえる。お腹が空いたという問題に気づいたら、食事をして解決する。寒いという問題に気づいたら、上着を羽織ったりエアコンを付けたりして解決する。高齢期になるとそこに介護や医療や相続といった問題が加わる。それらの問題は多くの場合、軽微なものではないので、解決に際しては制度利用や専門家の関与についての手続きが必要になる。つまり、かなりの実務的な負荷が生じる。これを支援してくれるような「絆・つながり」は、単なる友人ではなく、支援範囲や権限やコスト負担が契約などによって決められている確固たる関係性を有したものの方がいい場合もある。家族・親族との絆・つながりは、精神的な支援機能と実務的な支援機能を同時に満たすことが多かったが故に、敢えて明文化されてこなかったといえる。しかし、家族・親族の関与を前提にはできなくなっている今、絆・つながりの中で、人生の実務的側面の支援に有用なものを定義することがまずは喫緊の課題だろう。
昨年度に立ち上げたSOLO Lab(「おひとりさま高齢者」の自律的生活支援の研究会を設立 (jri.co.jp))は、この課題に対して先進的に取り組んでいる自治体や社会福祉協議会を中心としながら、医療機関スタッフ、身元保証事業者、法律専門職、法学者の方々を加えて意見交換をしている。先進的な事例には、例えば葬儀の生前予約や、死後事務委任契約のように、特定の領域にフォーカスし実務的な課題解決を行っているケースもある。それぞれの実施主体の創意工夫が広く知られることによって、高齢期の生前死後の実務的な課題についての認識が高まるとともに、多くの取り組みが生まれることが期待できる。筆者らはその一助となるべく、ホワイトペーパー(白書)の形で高齢期の生前死後の実務的課題とその解決策についてまとめる計画なので、読者の方々にはぜひご注目いただきたい。
※記事は執筆者の個人的見解であり、日本総研の公式見解を示すものではありません。